上 下
3 / 4

1F原発復旧3号機カバー酔夢譚 【41】~【50】

しおりを挟む
【41】作業者と不在者投票と健康診断
【42】特別手当(危険手当て)の看板とロシアンルーレット
【43】なんちゃってWBCホールボディカウンタ
【44】俺は建築家、コンクリート床除染屋ではない
【45】鬼の寝ている間に
【46】無骨伝 違法な鮭漁
【47】松阪さんの終の住処
【48】いつものことだから安全です?
【49】ちょび髭のオイちゃんの終の棲家
【50】クレバス

【41】作業者と不在者投票と健康診断
瓢タンにフリーライターからの連絡があったのは三度目だ。今度も作業員のことで聞きたいことがあるらしい。
「作業員は組合がないんですか?」
興味はそこだった。被ばく隠しの報道などもあって最終的にしわ寄せが行っている現場の作業員の立場を気にしているようだった。
「組合をつくれば強くなれるのではないでしょうか。組合作って選挙という行動でしめせばいいのに。」
「作業員さんたちは選挙はどうしているのですか?」
そう聞かれると、全国から数か月のローテーションで来ている事務所の大企業職員である3号JV職員たちでさえ地元で投票しているのか不在者投票しているのかどうか知らなかった。
「そういえば、選挙日はどうしているのかなあ?不在者投票でもしているのかなあ。今度聞いておくよ」
そして事務所でいろいろ聞いたが、選挙投票している職員はほとんどいなかった。
不在者投票するなら期日前に交代で投票してくるはずなのに、日割りの人員配置表にはそういう国民の義務の記載がなかった。ただし、建設業界が押している議員の呼びかけはメール配信でなされていた。
メール投票なら可能だ。事務所の家族がミス選考で大会に出るときに、メールで投票してくれというのでみんなで協力したことがある。
建設土木従事者は約400万人だ。そのうち多くは現場から現場を渡り歩く。地元での建設にずっと携われるわけではない。人口が1億2千万だとするとその0.3%であるが、家族がいるから最低2倍の0.6%、720万票。組織票とすれば無視できない。
組織票を与党約2千万票、野党1.5千万票とすれば、土建の労働者がどっちにつくかによっては逆転する。
しかし現場出張している作業者のほとんどは平日の休みを取れなかったりして、投票にいかない。
フリーライターは職人の多層下請けの問題を職人たちの団結で解決できると思った。
「そうは言っても職人の仕事ってのはその日暮らしみたいなもので、ゼネコンの計画に依存しているからなあ。彼ら自身が作業の日程や計画をつくるわけではないから。結局はその日暮らしの日当賃金制は変わらない。ので、明日の日当が優先で団結は二の次でしょう。」
「不在者投票の義務を果たすことが先決だわ。選挙もいかないで多重下請けで危険手当が1000円だと文句言っても変わらないでしょう。」
「・・・。う~~む、というか危険手当1000円の作業員は文句言わないんだよ。末端の末端だから意義を唱えることも無いんだ。」
「へええ、でも家族も子供もいるんでしょ。」
「そうだなあ、家族は選挙に行ってるかもしれないけど。」
そんなことを平のラトブの珈琲館で話したのだった。
選挙に限らず、自分の身は自分で守るはずの厚労省が推進している健康診断も受けに行くのは難しい。自分の身は自分で守る、は当日、翌日の体調だけだ。
原発労働者は6か月1回の電離検診が義務になっており、検診費用は元請けが支払い、管理しているので作業員は必ず受けることになっている。併せて年2回の健康診断を行うがその費用は所属企業持ちだ。それと3か月に1回のWBC内部被ばく検査も受けないと原発に立ち入ることができない。
それとは別に水素爆発後最初の1年を緊急作業従事者と称して50mSv以上の被ばく者には厚労省が無償で健康診断を行う。ただし、その日程が思うように取れないのだ。従来行っている健康診断に代用してくれればいいが、それとは別に健診病院、健診項目を指定してくるのでなかなか行く日程をとれない。
医療機関の健診データが共有されないから健診ばかりが増えてしまう。
この緊急作業従事者健診は税金を使った国の研究調査であるが、その日を休んで受けなければいけないし、当日の日当補償がなく、厚労省の健診協力費数千円程度では日当に及ばない。だから参加する割合は少ない。もっとも健診は予約制であるが、日当、危険手当補償されても、元請けからの作業日程は下請け作業員は変えることができない。

【42】特別手当(危険手当て)の看板とロシアンルーレット
(1)特別手当(危険手当て)の看板
原発までの道路には共産党の立てた看板がいくつもある。
「危険手当は支払われていますか?タイベックスーツ手当2万円、タングステンベスト4万円。」の立て看板だ。
フリーライター「タイベックスーツやタングステンベストってなんですか。」
瓢タン「タイベックスーツはデュポンの商標で放射性粉塵を遮へいするための装備で上下つなぎの防護服。放射能と言っても粉塵にくっつくのでミクロン単位の放射性粉塵を通さない生地で作ってある。作業服ではなく、防護服とも言う。その下に作業服着てもいいけど、作業員は自分の作業服が汚染すれば損なので、東電から支給された上下の下着を着ている。防護服は作業服と言わないので、タイツと長袖下着で作業しているという事になるけど。で、タイベックスーツ着ていると放射能粉塵のエリアだから当然全面マスクを着けて作業する。その場合の危険手当が2万円という意味だろう。」
瓢タンはコーヒーを一口飲んでから続けた。
「タングステンベストっていうのは素材が比重の高いタングステンなんだけどいわば鉛の放射線防護服でセシウムのガンマ線を遮蔽する上着みたいなもの。重さは型式によっていろいろだけど10kg~14kgだろう。その場合、タイベックスーツの上に着るから、その作業は、東電下着、タイベックスーツ、タングステンベスト、全面マスクということになる。だから危険手当が4万円と言ってるんだろうね。」
フリーライター「それを着る作業は日当とは別に4万円支給されるってほんとうですか」
瓢タン「それは作業費のことだから元請けの経費も含めてのことだな。電力会社は新聞でも発表したけど作業者個々への支払いは補償していないので、ゼネコンなど元請けに払っている特別手当は上限2万円。しかしルールではそれは作業者に直接支払う義務はなくて元請けが一次下請けに支払って、あとはその一次下請け企業に任せている。元請けも下請けに強制はできない。なぜなら下請けの会社経費や、日当作業が空いた期間の生活費の補償としての積み立てとしてプールするとか、企業によって考え方はいろいろあるから。元請けみたいに月給が保証されているわけではない。だから危険手当2万円については鹿山建設は支払っているけど、一次下請けはそれから経費10%とか引いて二次下請けにとか。あるいはペンション積み立てとかいって5千円だけ支払う下請けもある。多重下請けの場合は、どんどん引かれていって1000円しか払わない場合もある」
フリーライター「二次下請けはさらに10%引かれて、三次はそのまた10%引かれるということなの?」
瓢タン「10%か20%かは別として、基本はそうだよ。窓口としての会社経費ってのがあるからね。だから五次下請けとなると半分以下になるね、最悪手当千円とか0になっちゃう場合もある。だから政府から電力会社へ指導があって基本の下請け構造は二次までとなっている。事故当時は五次下請けなんてのがあったし、全国から労務者を送り込むだけの組織もあった。それが政府~電力会社の指導で改善されてるよ。共産党の看板の効果かもしれないけど。」
フリーライター「中間搾取が多すぎて日当で雇われる側は弱いのね。」
瓢タン「そのかわり手足身体頑丈ならばできる。身体が資本。」
フリーライター「全国の日当作業者が団結してストライキしたら1F復旧工事も日本の公共土建事業も止まるのね。」
瓢タン「?そう言えばそうだね。ゼネコンは計画書つくって工程管理するだけで実際の作業はしないからね」
 原発復旧作業については2012年9月末に、岩波書店から「ルポ イチエフ」(布施祐仁)が刊行された。
 その中で、作業者に支払われる日当と危険手当の額が作業者の士気に関係していると書いてあった。とりわけ3号JVの作業者は士気が高いと記載されていた。
鹿山建設はルールに従って、作業エリアで異なるが、高線量エリアでは一日2万円を一次下請けに支払っている。瓢タンが思うには、作業員の士気が高い理由はそれだけではなかった。毎月一回200人を集めて安全周知会を行う時に、責任者が作業員に向かって必ず言うことがあった。
「この現場は世界で一番困難な現場と言われています。あなたなちは世界で一番困難な現場で働い当ているのです。・・・」
 と言って、南は沖縄、北は北海道から集まってきた作業者のプライドを高めることに努めた。
 そうは言っても所詮は金目当てで集まってきたのかもしれないが、ルール通りの支払いと共に作業員のプライドを高めることを忘れなかった。
いわき駅前のラトブの喫茶店には事故後1年の秋風が事故など素知らぬ様に通り抜けた。
フリーライターとラトブの中を一回りウィンドショッピングしていると、彼女が紙細工の日本の江戸時代を模写したミニチュアを見つけた。
工芸や美術に興味があって我を忘れてそれを見ている。そういうフリーライターを見ながら、何かを好きになれることはいい事だと瓢タンは思った。
叔母からしつこく早く結婚しなさいと進められている。30歳近くなるにつれて叔母の催促がうるさい。未婚の瓢タンにとって女性との生活は疑問のひとつだ。家族を持った時に女はどう変わるのか?疑問の答えが、好きなものがあって、それを好きと素直に言えることは変わらないだろうと思った。瓢タンは生活を共にする相手には、本人として変わらない何かを求めていた。好きなものというのは一生変わらない。

(2)ロシアンルーレット
翌日事務所にいると無骨伝の佐木っつあんが電話でつぶやくように言った。
佐木っつあん「あいつが死んだ?・・・う~~ん、信じられないなあ」そして瓢タンに向いて言った。
佐木っつあん「おい、瓢タンよ、放射線てのはどういう影響があるんだ、人によって違うのか?」
瓢タン「どうしたんですか?急にそんなこと言われても・・・」
佐木っつあん「実はな、鹿山の2号機JVでやってた知り合いが地元に帰って、先日、突然死んだんだよ」
瓢タン「ここの復旧作業なら被ばく線量は厚労省の決めた範囲内ですし、始めてまだ1年くらいですから、特に放射線の因果関係はないと思いますよ。」
佐木っつあん「そうは言ってもなあ、あいつは鉄人レースにも出るくらいの奴でなあ・・・。でも因果関係はないとはいうもののロシアンルーレットみたいなものだろ?」
瓢タン「ロシアンルーレット?誰が影響受けるかわからんということですか?まあリスクが0ではないですから、個人差があるという点ではそうなります。通常統計では最終的に50%の発癌リスクで致死癌リスクは26%です。5年に100mSvの許容線量内の被ばくだとそれに対して0.5%の追加リスクですから、統計上の誤差範囲というか、それを許容できるかどうかですね。国は許容範囲と言ってますが。要は、1%以内の違いはなんとも言えないということでしょう。」
厚労省の指導でも、電力が開催している作業員のAB教育でも、低線量被ばくの晩発性致死癌は確率的影響を受けるものとしてLNT仮説を採用しており閾値は無いと教育している。防護上は閾値は無いので、ALARA(as low as reasonably achievable:合理的に可能な限り被ばくを低減する)に沿って被ばくをなるべく避けるように作業計画を立てる。と教えている。
防護上は閾値はないが、原発事故が起きてからは突然に閾値があって年間20mSv以内は影響ないと、と政府は言い出す。実際には累積100mSv以内は影響ないので避難区域は年間20mSvで帰還できるとか、閾値を定めている。しかしそれでは生涯の累積では100mSv超えるのではないかと疑問が残る。なので除染してその区域で生活する限りは問題ないとして帰還を許可している。
しかし市民には理解しにくいので可能な限り被ばくを避けるために子供は帰還させないのが現実だ。ロシアンルーレットが自分の子供に命中するより、帰還しないで被ばくを避ければそのリスクはない。市民は直感でALARAの理屈に沿って行動しているのだ。
放射線作業従事者は18歳以上なので、一般公衆の18歳以上は放射線作業従事者と同じ扱いとするのはやぶさかではない。しかし一般公衆の18歳以下は年齢別放射線感受性も考慮して放射線作業従事者の1/2の10mSvとかに区別すれば市民は理解できるだろう。
おしなべて年間20mSvを帰還できる基準にするから子供を持つ親は放射線感受性など直感して被災地に帰還しないのだろう。
事故後二年目の年末になると瓢タンが免震棟休憩所でたまに顔を合わせていた青年社長が東京に帰って突然死んだ。白いスーツでスポーツカーに颯爽と乗り回している若社長だった。
彼は3号JVの協力企業の中では最有力な電気工事会社の御曹司であり青年社長だった。どこから見ても健康優良児だった。
建設業の年間死亡率は千人に1人と言われている。原発復旧作業には一日6000人働いている。交代もあるから実質では年間では1万人くらいになるだろう。そうすると年間10人が死んでもおかしくない。しかしその二人とも若くて健康優良児だったとは・・・。
瓢タンの親類でも60歳になる直前で、年金支給前に若死にした叔母がいる。原因は感染症からの機能不全と聞いている。
同級生にも30前後で若死にした人はいる。
瓢タンは放射性セシウムと心筋系の影響も調べてみたが確証はなかった。だいいち彼ら二人はほとんど内部被ばくしていない。そして外部被ばくも上限値以内だった。
東京のコンビニで、2011年4月に母親がナチュラルウォーターを買い占めた。水道水にセシウムやヨウ素などの分析データが発表されれば、それが許容値以下であっても、子供を守る母親にとって子供のリスクは0にしたいのだ。リスクは避けられれば避けるというのが放射線防護の原則に沿って直感的に母親は行動したことになる。東京の水道水を避ければ当該リスクは0である。
有害化学物質にも感受性がある。幼児、子供と大人ではその量が異なる。麻酔でも子供の麻酔量と大人では異なる。
そんな風に考えていると、さらに訃報が飛び込んできた。3号機復旧工事で最初に高線量エリアの測定業務を率先してやってくれた東海さんが、所属のゼネコンに戻り、その後定年を迎え、飲み会のあとにタクシーの中で突然死したということだった。
続けて周りにいた人たちが3人も亡くなったので瓢タンももしかしてセシウムが取り込まれたのか?と不安になったが、記録を見ればわかるように外部被ばく線量も内部被ばく特段多くはない。むしろ少ない方だった。
厚労省の教育資料のとおり、閾値はないのだからLNT仮説により晩発生致死癌の確率は0%ではない。100mSv以下での致死性癌因果関係があるとは証明できない。かと言って因果関係が無いと証明されてもいない。要は日常のいろんな因子があって放射線に依るのかどうか区別できないということだ。
その場合、放射線の影響はない、と断定するよりも、LNT仮説でリスクを計算することが科学的態度だろう。計算したリスクは個々人を取り巻く日常のリスクとの比較で判断できる。
そうは言っても政府としては原発事故後の復興をしなければいけないので、防護上の年間1mSv基準は通常のときの基準として、帰還基準は放射線作業従事者と同じ年間20mSvが採用された。
そこに年齢別の基準を区別していないので放射線感受性を無視していることになり、子供を持つ市民には無視されることになる。
2011年10月には福島県の子供たちへの甲状腺癌の調査が始まった。放射線作業従事者に対しては厚労省では労災認定基準は被ばく線量100mSv以上(白血病5mSv×従事年数)。疫学統計では致死癌確率であって、単なる癌発生の統計はない。甲状腺の場合、癌になっても一生涯症状が出ない場合のほうが多い。
しかしいったん診断されれば指摘された方は不安になる。それを医療側が、その専門知識を持って「これは経過を観察しましょう。」と説明して、その後の経過により「症状が出ていないから問題ないです」と見守ってくれればいいが。
癌症状があると生命保険の扱いはどうなるか。就職の扱いはどうなるか。行政での指導支援も必要だ。
要は、1Sv5%の将来致死性癌確率を前提にして単純に被ばく線量を比例計算で確率リスクを計算すればよい。しかしそれは単なるリスク数値であって、それを個々人でどう評価判断するかは、個々人の日常のリスクと照らし合わせて判断する。100歳の人は年間死亡率50%だが10歳のそれは1/10万であり、個々の日常リスク自体が何万倍も異なるからだ。
しかし現実に晩発性癌が発生した場合、その原因が放射線かどうかは科学的に証明できない。因果関係があるとも無いとも、証明はできないのである。したがって、これまでの統計を元に労災被ばく量基準を決めて、当人の健康状態の変化や日常の生活習慣リスクと比較評価し、妥当かどうか判断するのである。
児童の場合は労災基準はないが、事業所境界1mSv/年、を定めている。年間1mSvは、致死癌リスクで言えば0.05%で、1万人に1人の確率だが、そもそも10歳児童では死亡リスクが1/10万であり、1mSvでも無視はできないことになる。しかしもともと日常の被ばくが年間2~3mSvであり、政府は1mSvは変動の範囲として国民に許容されると考えている。


【43】なんちゃってWBCホールボディカウンタ
WBCとはホールボディカウンタ、内部被ばくを測定する装置である。1Fへの発着基地であるJヴィレッジには数台設置されている。3号機建屋復旧の作業員や職員たちは月に一回測定することになっている。全面マスクをつけていても粉じん除去率は99.97%くらいであり若干は内部に取り込まれる。
作業の中で特に粉じんの舞いやすい作業は放射性瓦礫から舞う粉塵の吸引作業だがその際は最大で6000cpmまで達した作業員もいる。許容値は20,000cpmだ。それを超えたら精密検査する。つまりそれだけ体内にセシウムが吸入されても放射線の影響は無視できますよということ。
作業員の中ではオシッコするとセシウムが出て行くという噂が都合よく広まった。都合よくとは、作業が終わってビール飲めば体内循環が促進されて体内のセシウムが排出されるということで、作業後のビール飲み会の理由にしたいから都合よくということだ。
たしかにセシウムはカリウムと同じような挙動を示すからカリウム摂取を怠らずに体内循環が良ければそれだけ体外に排出される。
「きょうは5000cpm超えたよ、よし、みんなでビアガーデン行こうか」
工事長が言うと担当者たちはみんなそれについていった。目的は体内循環の理屈よりビールだ。
ただし事故後2年の間は市場食品からセシウム摂取する可能性もなくはない。瓢タンも茨城県産の甘栗を買ってそれを食べたとき、すかさず翌日WBCを測定して前回より800cpm上昇したことを覚えている。甘栗は瓢タンの好物で1袋5人分を一人で食べた。1人前だけ食べていれば800÷5=160cpmであり、誤差の範囲だったかもしれないが、セシウムが混入していることは事実だった。
WBCの数値は個人の前回との比較であって他者との比較ではない。装置はJヴィレッジの屋外テントのBGの多いところで測定しているがBG数値は差し引かれている。
体重が多く脂肪分の多い人ほど自分の肉で放射線を遮蔽しているので少ない数値がでてくる。小さい人で痩せているほど身体の遮へいがすくないので逆に放射線は多い数値がでる。
そういう理屈を考えて、瓢タンは体重で予想できた。
「佐木っつあんさんは1500くらいでしょ。」
「お?なんでわかった?」
「自分も佐木っつあんさんも現場作業していないので基本はセシウムはほとんどないですよ。そうなると体で内部からの放射線をどのくらい遮へいしたかに依りますので自分が2000なんで体重から割り出すとそうなります」
そうやって受ける人の数値を予想して、それが当たると、みんなBGとWBCの理屈を理解しやすいのだった。科学的とは予想が当たることを言う。
自民党幹事長の大島議員が現場視察でやってきたとき、WBCの座席に座ったまま1分経っても出てこない。WBCは見かけは町中にある証明写真機械と似ている。
「どうしたんですかあ?」
と問いかけると、大島議員は座席正面の液晶画面を睨んで見たまま固まっている。そこには残り時間が表示される。1分経つと「異常ありません」と表示される。
「もう顔写真は終わったのか?」
と大島議員は言った。
そこで説明員が言った。
「は?顔写真はとりませんよ。1分経ったら終わりです。」
すると大島議員は言った。
「な~~んだ、証明写真はとらないのか」
 たしかに、WBC装置の外観は街にある証明写真の機械と似ている。
 福島原発の作業員は全国からやってくるが、誰でもまず最初に、汚染現場で作業する前にWBCで測定する。だから福島に来るまでの地元での内部被ばくが測定できる。
そして2011年7月でもヨウ素がカウントされた人もいる。柏から来た人だった。当時柏の市民ではガラスバッジを付けて被ばく測定している市民が多くいた。水素爆発時の放射性プルームは最初に原発北西の伊達方面に飛散して、次は南下して柏方面に飛散した。新宿でもヨウ素の測定ができた。東京の水道水でもヨウ素は検出された。
ヨウ素の半減期は8日だから、事故から3か月も経てヨウ素がカウントされること自体が珍しい事で、逆算するとかなりの甲状腺被ばくをしていたことになる。
2011年~7月までに全国から来た作業員のWBCの内部被ばく記録を調査すれば事故時の全国の放射能飛散の状況がわかることになる。


【44】俺は建築家、コンクリート床の除染屋ではない
事故から3年もすると3号機建屋の竜骨のような骨組みもほとんど撤去された。撤去した瓦礫はいったんは所定の場所に積上げてそれを夜間に原発構内北側の山の中の集積場へ捨てに行く。所定の場所では1Sv/hを超える瓦礫もたくさんあった。
そんな単純な繰り返しを3年もくりかえしていた。単純と言っても重機の扱いは常に危険を伴う。1Fでは吊り上げた重量物の落下によってすでに両足切断の重症もあり、近くでゼネコンが高いところから鉄骨を落下させて、それが別の作業者に当たってその作業者が後日死亡することもあった。タンクのてっぺんから四角い蓋と共に落下して即死したゼネコン職員もいた。バキュームタンクの扉に頭を挟んで即死した事故もあった。2mの穴を掘っていて土砂に埋まって即死した事故もあった。
そろそろ3号オペフロ上が平らになったきたころ、撤去するためにタービン建屋屋上に設置した仮の鉄鋼架台を片づけた。その鉄鋼架台は道路脇に積み重ねたが、瓢タンがそこを通過すると線量率計の針がなんとなく微妙に振れる。
なんかへんだと思って片づけ残っている鉄鋼を見るとその上に小石がある。拳くらいの大きさの小石が点々と鉄鋼の上に転がっていた。そこへ目を近づけて線量率計を当てると100mSv/hだった。
瓢タンは、こりゃいかん、と思った。なぜならその鉄鋼の大部分はすでに低線量と置き場の5号脇エリアに移動してしまったのだ。すぐさま5号脇エリアを測定しに行ったところ、案の定、そのエリアの地表線量率はもとの線量率の2倍も上昇していた。
作業員を数名手配してそのエリアの掃除を行い、粉じんや小石や砂利をビニール袋に収納したところその砂、小石、砂利を集めたビニール袋の表面で20mSv/hもあった。瓦礫除去で3年、これでひと段落かと思いきや、さらに続くオペフロコンクリート上の削り作業が延々と続くことになるのだった。
原子炉建屋オペフロ階のコンクリート上の床削り作業の装置はコーヒー園の延長がJヴィレッジにて着々と準備していた。
しかし装置は海外仕立てであり、メンテナンスなど思うようにはいかなかった。担当の工事長はしびれを切らせて他の建築工事に移ってしまった。
「俺は床掃除のために建設会社に入社したんじゃない。これ以上床掃除に時間を費やしたくない。実地作業はだれか交代してくれ」と言い残して去っていった。
 福島原発の瓦礫撤去の作業ではキャリアを積むことはできない。だからキャリアを積みたい中堅では定着しない。

【45】鬼の寝ている間に
免震棟に続く事務棟の一室を遠隔操作室にして、液晶パネルを10台ほど並べてある。そこには、クレーンに取り付けたカメラや、定位置に備え付けたカメラからの映像が送られてくる。そして3号機のオペフロ瓦礫撤去の遠隔操作全貌が映し出される。オペフロやそこにある燃料プールや、周辺の作業エリアなど。
作業員はタイベックスーツの背中にマジックで名前を書いておくので区別ができるから遠隔でも音声で指示できる。
オペフロ上の瓦礫をつまんでは地上に下ろす作業を3年間毎日のようにやってきた。3号JVの監視役は画面を見るだけの役目。それに対して電力会社の監視役も画面見るだけの役目。遠隔操作と指示役と、記録係とJVの監視役と電力会社の監視と。
画面見るだけの監視役は初めは瞬きもせずに睨んでいるが、毎日同じことやっていると瞼が閉じてくる。居眠りをいかに抑えるかが肝心だ。
電力会社の監視役が居眠りしているときは、元請けもその下請けも、寝ててもわかりゃしない、そんなときが唯一安心して眠れる瞬間だった。
燃料プールの瓦礫撤去中に20センチ以上の石を落すとメディアに通知しなければいけないというルールがあった。
過去に鉄骨が落ちて報道陣やTVニュースで大騒ぎになって以来、燃料プールの瓦礫落下には電力会社が注視監視するようになった。
そんな状況で操作者が「あっ」と声をだした。
3号JV監視役は居眠りから覚めて画面を見たがなにもなく、ただプールの波紋しか映っていない。その波紋は瓦礫の石が落ちたことを物語っていた。
3号JV監視役「え?なにかあったの?」
操作者「いま石が・・・」
3号JV監視役「えええ!そりゃたいへんだ、電力会社に報告しなきゃ」と言って隣を見たら電力会社の担当が居眠りしている。
「ま、いいか」といってそのまま報告なしに作業継続することにした。
燃料プールの水面には風も吹いていないのに波紋が漂っていた。電力会社の監視役は皆寝ていてそれに気が付く者はいなかった。
波紋はやがて静かに収まって水面は鏡のように元に戻った。
一方地上の瓦礫置き場では降ろした瓦礫の線量率測定が行われていた。
電力会社の監視役が目を覚ましたころ地上の測定班から無線で報告があった。
測定者「線量率の報告をします。1Sv/hあります。」
電力社員「もういちど正確に測定してください。」
測定者「あ、間違えました。950mSv/hです。」
電力社員「わかりました」
 1Sv/h以上の場合は、もう一度見直すことにして、再度報告する。
なぜなら線量率が1Sv/hを超えると関係各社に通報がルールになっている。通報すれば報道することになり、説明会やなんやかやで面倒くさい。そこで1Sv/hを超えないように、つまり報道関係への説明をしなくてすむように、あ、うんの呼吸で暗黙のルールを決めていた。


【46】無骨伝 違法な鮭漁
(1)武闘派が鮭に遊ばれる
瓢タンはいわきの小さなホテルから大きなホテルに移った。小さなホテルの毎日朝カレーはもう飽きてきたころだった。朝は毎日バイキングに変わった。
大きなホテルは原発事故による避難者への応援としてTV報道取材やタレントらのボランティアのための宿泊が入れ代わるようにやってきた。舞台上やTV番組などで見るタレントとは違って、朝ビュッフェで隣り合って見るとバラエティタレントとはいっても往年は舞台でショーを見せた人たちで、いまはバラエティと言ってもさすがタレントだけあって、普段の日常の節制と同時に身体を鍛えていることもわかった。
ホテルの地下にはバーがあってライブも可能だったので、渡辺貞夫や日野皓正なども大震災応援のための演奏活動もあった。
いわき市が催す街中コンサートというのがあって、初年度に瓢タンが立ち寄ってみると駅前タクシーロータリーで八神純子が歌っていた。彼女は30分歌い続けたが、一曲歌う度に通りかかりの人は立ち止まり、また近所の市民が集まってきて、黒山の人だかりになり、取り囲むビルの窓からは人の頭が出てきて、駅に通じる歩道橋まで人が動けないほど超過密になった。
八神純子の二度目の街中コンサート出演があるので瓢タンは30分前からタクシーロータリーの会場の席取りをしていた。すると八神純子の前の出演は地元のおやじエレキバンドだった。
瓢タンはエレキバンドには早く終わって八神純子が出てきてほしかったが、おやじバンドは思わぬ観客の多さに興奮してハッスルしまくっていた。おやじバンドが飛び上がってカッコつけてエレキギター鳴らすたびに早く終わってくれと願うのだった。心の中でつぶやいた、いま集まっている観客はおやじバンドを聞きたいのではなく、次の八神純子なんだよ、と。
八神純子の野外ライブは観客を駅前では吸収できないため、3年目は楢葉町公民館でNHK放映で行った。入場は無料で満員盛況だった。
そうやって大きなホテルの生活も終わり、3年目の冬に瓢タンはいわき駅近くのホテルから鹿山建設が借り入れたアパートに移った。
初冬のある日、事務所には安全管理担当の65歳になる佐木っつあんさんとやはり65歳の避難者でもあるちょび髭のオイちゃんさんがいた。どちらも無骨伝説を残したが、佐木っつあんさんが柔道空手など合わせて武道八段、ちょび髭のオイちゃんさんは若いころキックボクシングをやっていて、当時は無敗伝説の沢村選手の試合チケット販売で稼いでいた。
その二人が事務所裏の好間川にサケが遡上するので、生け捕りに行った。好間川は夏井川の支流で、瓢タンの故郷の大利地区に源流をもつ。事務所の裏の好間川は叶田団地裏を流れており、そのさらに山ひとつ超えたあたりでは好間渓流といわれるほどの源流がある。
鮭の生け捕りにちょび髭のオイちゃんさんを誘ったのは埼玉から来た佐木っつあんさんだ。ちょび髭のオイちゃんさんはもともと警戒区域の富岡にいたから鮭はめずらしくはない。
昼休みに好間川を見てきて、佐木っつあんが言った。
佐木っつあん「なあ、ちょび髭のオイちゃんさんや、川には鮭がうようよしているぞよ。捕まえに行こうではないか」
ちょび髭のオイちゃん「なにで捕まえるの?」
佐木っつあん「二人でハンマーもっていけばいいじゃろ」
ちょび髭のオイちゃん「・・・鮭にハンマーってのは見たことないなあ」
佐木っつあん「ま、行ってみなけりゃわからんだろうから、とにかく行ってやってみよう」
二人はハンマーを携えて川へ行った。浅瀬には鮭が半分背びれをだしてはしゃいぐように群れていた。そして武道八段とキックボクサーが浅瀬を走り回った。
「おい、そっちいったぞ。」
「ありゃ逃げた」
一度走り出すと、止まらない。そっちへ逃げた、あっちへ逃げたとやっているうちに時間ばかり経過した。
とうとう昼休みの時間が過ぎたが、結局捕まえることができなかった。
瓢タンが事務所にいると、二人は敗戦の将らしく疲れた顔つきで帰ってきた。
そもそも川で鮭を捕まえると、いや捕まえようとするだけで違法行為になる。
しかし原発事故以来、鮭漁も閉鎖しているし、セシウムで汚染した鮭というイメージがあるので、警察も取り締まりなどしない。
事故前は浜通りの河口で鮭釣りをする市民が警察に追いかけられる光景は日常だったらしい。
 うまく警察に見つからずに家に持ち帰ったと思ったら、警察官が訪ねてきた。
「あの~、河口で鮭の捕獲は違法ですよ」
「いえ、私はやってませんが」
すると警官は言った。
「でもね、いくらがこぼれて点々としてまして、それをたどってきたらここまで来たんですけど」

鮎釣りは違法ではないので1000円の漁業券を買う。
二人の失敗談を聞いて以来、瓢タンは、次の秋にはどうやったら捕まえられるか、密かに作戦を練った。

(2)真夜中の投網ハンター
 借り上げアパートに引っ越すとすぐの秋に、釣り具店で大きなタモ網と長靴を購入して、それを持って好間川で実行に移した。好間川はすぐ裏に流れている。 
10月中旬、鮭が好間川の浅瀬に背びれで水を弾きながらうようよと群れなして遡上してきたので、タモ網で掬えるだろうと思ったのだ。 
するとさんざんやってどうやら1尾網の中に入れたが、それは雄だった。雄では狙いのイクラが取れない。雄は捕まえやすいが雌は普通の魚とは違って90°捻ってヒラメのように泳ぐので、手網の下をくぐるから捕まえにくい。 
そして翌年、今度は投網をネットで購入して鮭を一網打尽にすればいいと思い計画変更をした。まずネットで2万円で投網を購入して、youtubeで投網の投げ方を検索して、アパートの部屋の中で投網の投げ方を練習した。 
一週間くらい練習してから川へ行ってさらに投げてみて練習だ。そうやって二週間くらいすると投網を円を描いて投げられるようになった。 
イクラを採るためには雄雌の見分けができなければいけない。ネットで見分け方を学習して、いざ実践に出かけてやってみると簡単に引っかかったが、それは雄だった。川面の群れを見ているだけでは雄雌はよくわからない。 
何回もやっているうちに雌の模様がわかるようになったが、雌は雄と違ってヒラメのように横向きになって逃げる。網の下を潜って逃げるのだった。  
だから投網の円の中心に雌がくるようになげなければいけない。 
10月中旬、アパートのすぐ近くの好間川の浅瀬にぴしゃぴしゃと鮭の群れがやってくると、早朝の4時頃まだ暗いうちにでかけて5時まで投網を投げる。帽子にヘッドランプを付けて暗い中でやる。一回投げたら鮭は警戒するので20分は近くに寄ってこない。20分じっと待って、鮭が近づいてくるまで辛抱する。そこがアウトドアスポーツっぽい。5回目の出撃でようやく雌をゲットしてイクラを採った。 
雌の中でも好間川まで遡上してきた鮭は捕まえたときはすでに産卵をすませているのが多い。やっと腹の膨らんだメスをゲットして、後尾にコンビニの袋をかぶせて、お腹を押すとまだ夜明けの暗い中でヘッドランプに照らされて黄金に煌めく鮭の尾のほうからコンビニ袋の中にイクラがこぼれてきた。 
茶碗一杯分のいくらを採取するとリリースした。全部取るとどんぶり一杯分くらいはあるが、賞味期限はそこから5日くらいなのでどんぶり一杯は要らない、というか自然と分け合う精神で少しいただく気持ちだ。 
事務所へ出勤に行くまでの1時間で醤油漬けを行った。アパートで1昼夜味付けしてから食べたが、川に遡上した鮭のイクラは表皮が硬かった。そこで一度50℃のお湯でさらっと湯がくと皮が柔らかくなった。そうやってそのシーズンに3回くらい茶碗一杯分の成果が出た。しかし投網2万円の元はとれない。 
雄の場合は、12月の頃、脂がなくなってやせたころ、そのままなら雄は川の中でほっちゃれといって自然死する寸前に、脂のない頃に捕まえて鮭とば(干し物)にする。 
雄は横に泳がないのですぐ投網にひっかかるが、上あごが突起していてその歯が網に絡まる。鮭の雄は1mくらいあり、身を360度反転させて逃げようとする様はまるで猛獣のようだ。捕まえて髄にナイフを入れるとクイーっと泣く。殺生は良い気がしない。漁業として大量に捕獲すれば罪悪感はないだろうし、鳴き声も効かないだろう。でも所詮人間は殺生して捕食して生き延びている。 
集団で大量捕獲するには罪悪感がないが一人でさばくとなると殺生の罪悪感がある。川で頭を切り離して、解体し冷蔵庫に入れて塩で洗い、水分を吸収し、さらにアパートのベランダで3週間干してやっと鮭トバができた。次の年からは雄の鮭トバで殺生するのはやめて雌のイクラだけをキャッチアンドリリースで捕獲しようと思った。
仏道では魚の殺生も嫌う。魚でも断末魔に泣き声出す。おそらく生物はみなそうかみしれない。植物でも。遺伝子の設計図は生命が生き延びるように仕組まれている。生を阻まれたときの叫びが人間の耳に聞こえないだけだろう。

【47】松阪さんの終の住処
松阪さんはまっちゃんと呼ばれている。63歳で兵庫から来ている。小柄でどっちかというと非力なほうで、現場の存在感が無い。作業には慣れているとは言えない。年下の現場長に怒られることが多い。
原発構外に鉄骨仮組のエリアで、雑草の草刈りをしていた。
草刈り機の扱いは繊細で、ぞんざいに扱うと止まってしまう。
「なんかい教えたらわかるの!」
「あ、どうもしいません」
 まっちゃんはそう言って草刈りを再開するが、しばらくするとまた草刈り機が止まってしまう。
「こら!まつ!いいかげんししろや!」
そうやって怒られながら草刈りを続けた。
 昼飯のときにまっちゃんは身の上をぽつぽつと話し出した。
「俺も若いころは事務所やってたんだが、仕事がなくてなあ。こんな作業したくはないけど・・・」
若いころは自分で現場作業所を営んでいた。その頃は社長だったから、そこに公務員の奥さんが嫁に来てくれた。
「事務所たたんでこっちに来た。嫁が離婚してくれっていうんで、こっちを終の棲家にしようと思って。・・・」
「嫁は公務員退職して年金でやっていける。・・・」
  そうか、嫁さんは公務員だから定年退職後は悠々自適なのか、まっちゃんがいないほうがいいんだな。
「最初は除染作業だった。他に行くところもないし・・・。」
しばらく3号の仕事してそれからまた同じ電力会社原発の他のエリアのJVへ移っていった。
 何年かしていわきの喫茶店ブレイクにモーニングを食べていると、隣に座った初老の身なりのスマートな男がしきりに瓢タンのほうを見る。
だれかなあ、知っている人だったかな、と瓢タンは思いつつ喫茶店ブレイクの分厚いトーストを食べていると数年前のフラッシュバックが蘇ってきた。
 瓢タンは思い出した。そして振り返って言った。
「あれ?まっちゃん?」
「や、ども」
「いまなにしてるの?」
「あいかわらず、土建の仕事」
 以前は嫁さんに捨てられたばかりで元気なかったが、なんだか、割と落ち着いたファッションで初老のスマートな老人に見える。

【48】いつものことだから問題なしです?
河東さんは作業中の誘導係専門だが、身体が震える癖を持っている。免震棟で休憩している間も手がちょっと震える。瓢タンは酒の飲みすぎかと思って、当日の現場作業に不安があるのでではないかと思った。
「あの~、職長さん。河東さんてアル中かなんかですか。手が震えているようですが安全作業は大丈夫ですか。」
瓢タンはぶしつけな表現とは思いながら、率直に質問した。あるいは過去に事故かなにかで後遺症を患っているのか。すると職長はためらわずに言った。
「ああ、彼はいつもあのとおりでして、いつも通り、だから問題なし、大丈夫です。」
瓢タンは狐につままれたような面持ちであったが、職長の言うことも一理あると思った。
確かに、いつも震えているのにいままで事故を起こさずやってきたのなら逆に、震えているのが普通であって、かえって安全かもしれない。現場の誘導任務は果たせるだろう。
 その後、現場に行って誘導員を見ると、遠くからでも河東さんであることが分かった。
 遠くから見て、いつも手が震えているのは河東さん以外にはいない。

【49】ちょび髭のオイちゃんさんの終の棲家
ちょび髭のオイちゃんは富岡から何回も避難して、いまはいわき市の仮設住宅に住んでいる。3号JV事務所の隣だ。
ある日、事務所の二階に上がろうとしたときいきなりその場に転げまわった。ちょうど通りかかった瓢タンが救急車を呼ぼうとしたがちょび髭のオイちゃんが言った。
「救急車はいらないんだ、隣の仮設住宅に家内がいるから電話して呼んでくれ」
瓢タンが電話すると救急車より早くやってきた。
ちょび髭のオイちゃんは息も途絶え途絶え言った。
「痛風なんだ、医者に言われてたんだよ、気をつけないといけないって」
そして奥さんの車に乗って運ばれていった。
ちょび髭のオイちゃんは、母親と奥さんと息子夫婦とその子供、計6人で仮設住宅にいる。電力会社との交渉についてクレームを抱えている。仮設住宅では飲み会でもぼやきはなくならない。
「なんせ電力会社は対応悪いっすからねえ。だからこないだ俺は怒ったよ。どうしてくれんだって。」
定期的に集会のある仮設住宅の座談会のような円卓集会でちょび髭のオイちゃんは大きな声で電力会社の批判を言った。まるで椅子から飛び上がるようにひとしきり言いたいことを言うと、隣にいた若者がうんうんとうなづいていたのでちょび髭のオイちゃんも調子にのってさらに続けた。
仕事では電力会社がお客さんだから言えない。補償金交渉では逆で、手続きが面倒で、いくら文句言っても手続き優先だ。ストレスは溜まる一方。
「ところであんたはどこの人?」となりの若者に尋ねた。
「すいません、ぼく電力会社で・・・」
「え?・・・あ、・・・そうなの?電力会社さんもほんとうに大変ですよねえ」
ちょび髭のオイちゃんは手のひらを反すようにすぐに話の方向を変えた。
交渉の結果は、原発避難なので一人につき月10万円もらえるそうで、家族合計で5年分の3千万円をもらった。
そして嫁さんの親の地元である仙台に土地買って引っ越した。
「あのなあ、家買うときのコツは別荘ってことにして、いまの住まいより小さければいいんだよ」
そう言って、避難民ではない瓢タンにとっては役に立てることのできない知識とコツを教えて仙台へ移住していった。

【50】クレバス
1F復旧が始まって以来最初の重症事故は1号機建屋カバー工事が終わった日の片づけ時の鋼鉄ロープの落下による複数人の重症事故だった。
ハインリッヒの法則では重大事故の陰には29件の軽微な事故が隠れており300件のヒヤリハットが隠されている。
その後、死亡事故が続けて発生した。
たった高さ2mの土木の穴掘り作業で土砂が崩れて、埋まって亡くなった事故。
タンクの上のメンテナンス用マンホールが四角形で、ヒンジも付いていなかったので開けたらその蓋とともに落下して亡くなった。円形の蓋なら落ちることはないが、なぜか四角形だった。蓋は40kgの重さがあった。落下した作業者は蓋が落ちないように咄嗟につかんだがバランスを崩して落下して亡くなった。なぜ蓋を放さなかったかというと、タンクの下に人がいたら、とっさに落とすまいとして蓋をつかんでしまったのだろう。
バキューム車の後ろの遠隔操作開口部蓋に顔を入れて中を覗いて確認していたら相方の運転手が点検終わったと勘違いして運転席側で蓋を閉める遠隔操作ボタン押してしまい、点検中の作業者が首を挟まれて亡くなった。
落ちた鉄骨が隣の作業件名の作業者に跳ね返って、当たった作業員が重体になり、その後病院で亡くなった。50歳くらいで家族があった。

現場の死は予告もなく、本人が意識する以前に瞬時の死が訪れる。
しかし死の数秒前にその死を意識すると人の脳裏では走馬灯のようにイメージが浮かんでくる。それを瓢タンは高校生の山岳部のときに知った。
春山ツアーで富士山でピッケルや、アイゼンの訓練体験を思い出す。富士山の頂上あたりでは寒さで斜面が凍っていた。日当たりではザラメ雪でグリセード訓練ができたが、特に日陰はピッケルやアイゼンが聞かないくらいだった。日当たりの良い場所を探しながら登りは着実に頂上までたどり着いた。
 しかし下山になってグリセード訓練をしていたとき、すこし疲れていたせいか、楽に滑ろうと思って腰を斜面につけて滑るように降りた。初めの十メートルくらいはピッケルもアイゼンも良く効いてグリセードができた。
しかし日の当たらない場所に入ってしまって、氷の方が固くて制動ができなかった。止めようとしたときはもう遅かった。
 遅かったと思った途端に急速度でまるで奈落の底に落下するように滑った。もうピッケルでは止まらない。アイゼンもうまく氷壁に刺さらない。
 その数秒の間に死を意識し、観念した。もう駄目だ、と思った時、幼い頃が走馬灯で浮かんできた。そして「おかあさん」と脳裏で叫んだ。
 本能で叫んだ瞬間に偶然、岩の突起にぶつかって体がふわっと宙に浮き、そして着地したときにアイゼンが氷壁に深く刺さった。体もちょうどピッケルが刺さるような角度で止まった。
 生きていたのは偶然だった。
3号機タービン建屋内で押し寄せた海水の渦巻きの中で亡くなった幼馴染の死について瓢タンはその母親の言葉が忘れられない。
「あの子は死んでないんです。電話していたらガーガというあの子の声がしました。私だけではないんですよ。電話の相手もそれを聞いているんです。」
「ガーガって、それは電話のノイズでは?」
「いえ、あの子は小さいころから私をガーガと呼ぶんです、いまでもそう呼ぶんです。だから電話の声もあの子の声です。」
 ガーガの呼び声はいまでもどこかで木霊しているだろうか。

瓢タンが出勤途中に好間川の堤防の上を、自転車を漕ぎながら、そんな事に思いを巡らせているとき、南舘課長から電話があった。
南舘課長は原発事故以後に60歳になって本社から福島現場にやってきた。原発現場にはまだ行っていないが、福島のJV事務所に来た直後から腰が痛いと口癖だった。腰痛は誰しも経験するものなので、やがて治るだろうと周囲のみんなは思っていた。しかし寝ているときも痛くて何回も寝返りするし、なかなか治らないというので、皆は精密検査を勧めた。もしかしたら内蔵疾患ではないかと心配したからだ。
佐木っつあんはホテル住まいで、南舘課長とは部屋が隣だった。
「南舘さんよ、あんた寝ているときに何回も寝返りしているようだが、腰痛ではないかもしれんぞ。」
 腰痛の寝返りはするが普通は隣室にまでは響かない。

検査の結果はすい臓がんだった。しかも末期的状態だった。そしてすぐ東京で入院した。
電話は病室からだった。
「もしもし、おはよう、瓢タンさんかい?」
「あれ?南舘課長ですか?どうしました?いま出勤途中で好間川を走ってます。自転車なんでちょっと止めます。」
瓢タンは自転車のペダルを止めた。
すると南舘課長は言った。
「健康が大事だよ。なにより健康が一番。それがいいたいだけ。」
 いったい朝からどうしたんだろうか、と思いながら、また自転車を漕いだ。
 するとその三日後に南舘さんの訃報が届いた。

職場での癌と言えば、原発事故前の職場では、課長が健康診断で癌が見つかった。胃がんの早期発見だったので手術で治ると思われていた。それで本人は酒を止めなかった。次の健診では癌は末期的状況でリンパにも転移した。そして入院後に脳にも転移した。本人から部長に電話があった。瓢タンはそれを机に向かいながら聞いていた。
「よう、どうだ、具合の方は」
と部長の声が聞こえた。
 電話が終わったので、瓢タンは部長に聞いた。
「どうしたんですか、回復しそうなんですか?」
すると部長は言った。
「いや~、癌が脳に移転して激痛らしい。それでじっとしていられないんだって、電話で紛らわしたかったて言ってた。」
 それから数日して訃報が届いた。
 原発復旧作業数か月後、下請け電気工事会社の若社長は、2011年12月に東京に帰った途端に急死した。
 初めて高線量を測定しに行った東海さんは打ち上げ飲み会のあとにタクシーの中で亡くなった。
 原発復旧をしていた別の工事部の部長は自宅へ帰って屋根の修理をしているときに滑って落下して亡くなった。
 
 原発前の職場では酒とたばこで肺がんになりまだ働き盛りの50前後で亡くなった課長もいた。しかし原因が酒かタバコかはわからない。
そうかと思うと酒もたばこもしないのに若くして癌で亡くなる人もいる。
 瓢タンの叔母は60歳を目前にして感染症で突然亡くなった。年金は40年払ったので楽しみにしていたのに。

 瓢タンの自転車は朝、好間川の堤防を走っていた。
ペダルを漕ぎながら、人は誰しも氷河の上を歩いているようなものだと瓢タンは思った。足元の雪の下にクレバスがあるかどうか誰もわからない。一歩先の事は誰も予想できないまま歩いている。

好間川の堤防を左折して大通りに出るとホテル出発組の通勤バスとすれ違った。
自転車を降りてプレハブJV事務所に入ろうとすると所長から一言苦情をもらった。
「瓢タンよ、自転車で走りながら片手でハーモニカ吹いているのは安全上問題だよ。」
 次からはハーモニカホルダを使おうかな、と瓢タンは思った。
 それは問題以前の間違いで、自転車走行中にながら運転はいけない。それを所長は指摘していた。
しかし好間川堤防を口笛や鼻歌で自転車走らせるのは気持ちよかった。
 なおいわき市ではその後、大人でも自転車はヘルメット着用となった。それまでは子供だけ着用だったが、大人がお手本見せないでどうする?との批判があった。

しおりを挟む

処理中です...