碌の塔

ゆか太郎

文字の大きさ
14 / 16
終わりの星と巡る四季

第三章:秋

しおりを挟む
 夏の終わりが見え始めてきた頃、家のリフォームが完成したという知らせが入った。連絡を受けてすぐに、必要最低限の荷物以外は全て捨てて片田舎の一軒家へと引っ越してきた。これまで住んでいたところから電車で一時間ほどしか離れていないが、景色は随分と違っているのでまるで遠くに来たかのような錯覚を覚えた。加えて、必要最低限のものしか持ってこなかったせいで部屋の中がスカスカになってしまった。捨てる物が大量に出たのでフリマアプリとかで売ればそこそこの利益になるのではとも思ったが、手続きが面倒で全てゴミ処理場に持っていって放り投げてきてしまった。新しい我が家、というより最後の我が家は思っていたより広く、田舎にあるやたら大きい家くらいのサイズだった。生活スペースとして使えるのは二階だが、そこだけでも十分すぎる広さだ。部屋もいくつかあるが自分の生活では一部屋しか使わないので余ってしまう。内見にはもちろん一度来たのだが、実際暮らしてみるとなるとこんなに広く感じるとは思わなかった。一階のカフェスペースについても、改装と同時に家具や家電を運び込んでもらっていたのですでに完成していた。家具や食器は多少自分で選んだが、家電は全くわからないので業者に丸投げしたのだが。和の古民家を半分洋風に改装した感じで、縁側がある方には座敷スペースを残してもらっている。座敷スペースからは裏山が見える。特に綺麗というわけではないが、竹が一面に生えているのでそれなりの風情はあるように見える。キッチンに近い方には大きな一枚木のテーブルが一つと、小さなテーブルがいくつか並んでいる。キッチンの部分は半分カウンターのような形で、開放感がありながらもシンクなどは座席から見えないようになっている。通路も広く、風呂場やトイレなどの水回りも綺麗で使いやすいように改装してもらった。庭は一応駐車場としてスペースを開けているが、そこまで利用する人もいないだろうと思って砂利道のままになっている。今は、中古で買った古い形(らしい)軽のミニバンが止まっている。カフェの雰囲気はまさに伝えた理想を綺麗に再現してもらったような形だ。丸投げした家電も雰囲気を壊さないようなシックなものになっている。
 システムキッチンの機能を見てまわりながら、持ってきた調理用具をキッチンに収納していく。ガスも水道も電気も通っているのであとは食材を揃えればいつでもカフェがオープンできる状態だが、片付けをしていたらいつの間にか夕方になってしまっていた。段々と日が落ちるのも早くなっていて、街灯の電気がポツポツと点き始めるのが窓の外に見える。今日の作業はここまでにして、買い出し用の店を回るのは明日にしよう。
 戸締りの確認をしようとして玄関に向かうと、そこには用意してもらった鉄製のイーゼル型の看板が置かれていた。看板の表面には『喫茶 コット』と白く彫られている。表面を撫でると、つるりと滑らかな冷たさが指先に触れた。
「まぁ、好きなようにやってみるか」
 不安がないわけではない。むしろ不安だらけではある。こんな縁もゆかりもない土地で一人でカフェをするなんて、これまでの自分だったら絶対にしなかっただろう。しかし、不思議と引き返そうという考えは浮かばなかった。
「最後くらいやりたいことやってみるのも悪くないでしょ」
 扉をしっかりと施錠して、二階の自室へと上がる。窓を開けてみると、薄暗い中に色づき始めた稲穂が揺れているのが見えた。その向こうには灯りのついた昔ながらの大きな家が点在している。さらにその先には大きな幹線道路とショッピングモールの眩い光がチカチカと輝いていた。田舎とも呼びきれない、しかし都会というわけでもない所だなとふと思った。澄み切ったとも言うほどでもない空気が吹き込んでくるのを肌で感じながら、電気を消して布団に入る。都会では窓を開けたまま寝るなんてできなかった。それが出来るのは、ここに引っ越してきてよかったことの一つかもしれないなと思った。どんなに小さくても良いことが一つでもあると考えれば、不安に満ちた心が少し軽くなった。眠りにつこうと目を閉じると、ふと鈴虫の音が聞こえてきた。季節の変わり目を感じながら、起きたら自分も変わっていますようにと心の奥底で祈って、布団の端を握りしめた。



 秋の気配も次第に濃くなり、穏やかな好季節となった頃。夏の暑さなどなかったかのように、心地いい風が吹いている。開け放した窓から吹き込む風は、誰もいないカフェを自由に駆け巡って反対側の窓から出て行った。
『喫茶 コット』がオープンして数週間。盛況はお世辞にも良いとは言えない状態だった。それもそのはず、店を始めてから広告や宣伝を何一つしていないことに気がついたのだ。急いで簡易的なチラシやポスターを作り自治体の人に配ってからは稀にお客さんが来てくれることはあったが、毎日大盛況というわけには流石にいかなかった。日によってはお客さんが一人もこない日もあるくらいだ。日に日に仕込みに使う食材の量は減っているし、日持ちする料理を使ったメニューを用意することの方が増えている。余った分は自分で食べているが、食べきれなくなって捨てるようにはしたくないのでなんとか考えながら計画を立てる日々だった。メニューとしては季節の食材を使ったものを多めにし、なるべく飽きさせないように週替わりでメインの料理は変えるようにしている。とは言っても料理の引き出しにも限界はあるので、元々あるものをアレンジして使うなどして工夫してはいるが、果たしてこれらの努力が正しく成果につながっているのかわからないのが実状だった。
 今日も閑古鳥が鳴くばかりで、和室の縁側に座って自分の昼食を取っていた。今週のランチはキノコと鶏の炊き込みご飯にさつまいもとかぼちゃのコロッケ、野菜のけんちん汁だ。付け合わせは最近はずっとピクルスを作り続けている。朝食用のサンドイッチに使っても飽きないのでこれは店のメニュー関係なしに常備菜として冷蔵庫に常にある。涼しくなったので作り置きのものが腐る心配をしなくていいのは楽だなと思いながら、揚げたてのコロッケにかぶりついた。地元でとれたかぼちゃは甘く、ひき肉の旨味と相まって美味しく仕上がっている。炊き込みご飯もおこげが美味しいし、余っても味噌焼きおにぎりにすればまた違った味が楽しめる。けんちん汁は大根の葉なども使っているので財布にも優しい。決して食材費をケチっているというわけではないのだけれど。近所に住む人は老人の方が多いので平日休日関係なく来てくれるが、やはり若い人は休日にしか来れないので平日は閑散とすることが多い。昔馴染みの友人たちは近いのもあってよく来てくれるが、やはり仕事があるので来るのは休日だ。人によっては毎週末来て、スイーツを買って帰ってくれる人もいる。やはり持つべきものは親切な友人だ。ただ何度カレンダーを見返しても、今日の日付は黒字で書かれている。今日も多分このままお客さんは来ないだろうなと思いながら、お椀を持って汁をすすった。
 昼食を済ませて縁側で一息ついていると、ニャア、とどこからか声がした。周りをキョロキョロと見ていると、裏山の竹林から白い猫がゆっくりと降りてきた。
「今日も来たのか」
 猫は私が話しかけても驚きもせず、我が物顔で近づいてくる。そっと手を差し出すと、猫は指先に軽く鼻をつけた後、手のひらに頭を押し付けてきた。どうやらこの裏山には野良猫が住み着いているらしく、白猫の後ろに四、五匹ついてきているのが見えた。ここに引っ越してきてからしばらくしたころ、突然縁側で白猫が寝ている時はそれはもう驚いた。もしかしたら前の住人が餌付けをしていたのかもしれない。にゃあにゃあと餌を催促するような声で鳴くものだから、猛攻に耐えきれずキャットフードを買ってやるようになってしまった。一応心配で行政に聞くと、厨房に入れないことと、衛生面の管理をちゃんとしていれば問題はないらしい。地域のお客さんもこの辺りに猫がうろついていることに慣れているらしく、たまに猫の様子を見るために来る人もいるくらいだ。猫は毎日くるが人間はたまにしか来ないのでもはやどちらが常連さんかわからない状態だけれど。猫用の皿を並べてキャットフードを入れてやると、綺麗に並んで食べ始めた。それを眺めながら縁側に座り直し、暖かいお茶を啜る。側から見るとまるで余生を過ごす老人みたいだなと思ったが、余生なのは確かなので半分正解だ。
 しばらくするとご飯を食べ終えて満足したのか、猫たちは思い思いに散らばっていった。そそくさとどこかに帰っていくのもいれば、ふてぶてしく縁側に上がり込んで寝ているのもいる。特にいつも最初にやってくる真っ白で大きい猫は一番態度がでかい。もはや自分の家だと主張するかのように、一番日の当たる場所で身を丸くして寝ている。段々と日が短くなって、縁側もそろそろ肌寒くなってきている。ふと、冬になった時のことを考えた。野良猫というのはどこで冬を越すのだろうか。この辺りは雪が積もるほどの地域でもないし、何年も生きている猫だからどこかにねぐらがあるのだろうが、それでも情が湧いている分少し心配になった。毎年ちゃんと生き延びて春を迎えているのだろう。そこまで考えて、次の春には終わりがやってくることを不意に思い出した。
「そうか、みんな死んじゃうんだもんな」
 なんとなく勝手に、この猫たちには来年も再来年もあるような気がしていた。同じ星に生きている、形が違うだけの生き物なのに。
「その日まで長生きしろよ」
 日向ぼっこする白猫の頭を撫でると、ぐるぐると喉を鳴らす振動が手のひらに伝わってきた。ふ、と笑みをこぼしてもうひと撫ですると、白猫は満足そうに目を更に細めた。結局この日のお客さんは、常連の猫様が六匹だけだった。


 段々と日は短くなり、朝冷えも感じられる頃。終わりを迎えなかった閑散期を経て、食材や経費のやりくりだけは上手くなっていた。冬の訪れが近くなるにつれてどことなく、段々と日常にヒビが入り始める音が鳴り始めた。その音は、空に隕石の影が見え始めたことから鳴り始め、その影が大きくなるにつれ強く響くようになった。やがて夕焼け空に太陽くらいの大きさの黒い影が誰の目にも見えるようになった頃には、取り上げられるニュースは隕石の現状とそれによる影響一色になっていた。Xデーが国際機関から発表された時には、その会見ばかり繰り返し流しては様々な専門家たちが討論する番組が一週間続いた。
 世間は一瞬にして騒がしくなったが、だからといってカフェが繁盛してくれるわけでもなく。相変わらず変わらない生活を送っていた。そんなある日、ふと友人が平日のお昼時に店にやってきた。その日はたまたま近所のお客さんが集まって来ていて、ランチプレートはちょうど友人の分で売り切れだった。せっかく友人が来ている日に限って忙しくなってしまうのは運が良いのか悪いのか。友人とはゆっくり話したかったのでもう少し残れるかと聞いたら、時間だけはあるから閉店まで居ると言ってくれた。
 近所の主婦たちがランチプレートを完食して帰った後、洗い物を済ませて友人の向かいの席に腰を下ろした。
「お店の仕事、もう大丈夫なの?」
 早めにランチを食べ終わっていた友人は、読んでいた本を閉じて机に置いた。
「昼の片付けはしたから。あとはこのあとお客さんが来たら対応するけど……今日は来なさそうかな」
「そんなことまで分かるんだ」
 感心した表情の友人に、ふふんと鼻を鳴らすように自慢げに答える。
「長年の経験っていうやつですよ」
「まだ二ヶ月ちょっとでしょうが」
 一変して呆れたような顔を見せ、彼女は暖かいお茶を啜った。だが、悲しいことにこの長年の経験による推測は大方当たるのだ。
「でも今日は珍しいね、平日に来るなんて」
 今日来てくれた友人は、前々からいつも仕事で忙しそうにしていた。働き始めてからはいつものメンバーの飲み会でもたまに欠席している一人だった。急に仕事が入ったり持ち帰りの仕事が多いとかで、このカフェにも一度だけスイーツを持ち帰りで買いに来ただけで、こんなにゆっくり過ごしているのは久しぶりに見た気がする。
「ああ、それなんだけど。仕事辞めたの」
 突然彼女が発した言葉に、一瞬空気が止まる。今彼女は、仕事を辞めた、と言ったように聞こえたが。
「それ、本当?」
「うん、一週間前くらいかな。退職届出して引き継ぎして辞めてきた」
「そりゃバックれるとかじゃなくてちゃんと手続きしてて偉いけど、いやそうじゃなくて。すごい唐突だね!?」
「突然職場が火事になったと思ったら引っ越してカフェ経営始めてる人にだけは言われたく無いなぁ~」
 ニヤニヤしながらこちらを見てくる彼女の言葉に言い返せず、詰まったように喉を鳴らした。
「でも、仕事辞めるなんて意外だったな。何かあったの?」
 自分の知っている彼女は、いわば好きを仕事にしたような人だった。どれだけ忙しくても、その忙しさやしんどさに悪態をつくことはあれど、仕事内容に文句を言っていることはなかった。仕事場での人間関係も悪くないと以前言っていたし、仕事を辞める理由がパッと思いつかなかったのだ。
「いや、特別何があったっていうわけじゃないんだけど、最後くらい仕事辞めて生きてみるのも良いかなって思って」
「あんなに仕事好きだったのに?」
「もちろん仕事でやってることは好きだったし、ずっとそれを続けていても良いとは思ったけど。なんとなく、あんた見てたら最後くらい自由に何にも考えずに生きるのも羨ましいなぁと思ったの」
「さらっとバカにした?」
「気のせい気のせい」
 空になった湯呑みを両手で回しながら、彼女は笑った。
「でも、羨ましく思ったのは本当だよ。それで仕事も辞めて、今は何しようかな~って思ってるところ。最近仕事辞めてる人多いし、私みたいなの珍しくないと思うよ」
「そうなの?」
「ニュースとかでやってるじゃん。仕事辞める人が段々増えてきてインフラとかが危ないかもって」
 ここ最近テレビもネットもほとんど見ていないので、全く知らなかった。そういえば電気と水道、ガスに関しては注意喚起のようなものを回覧板で読んだ気がする。
「確かに、終わりがわかってるのに最後まで仕事続けたい人の方が少ないか」
「今はまだそこまで深刻な状態じゃないけど、これまで通りに社会が回らなくて困ってるところは出てきてるみたい」
 自分が少しテレビから離れた間に随分と知らないところで社会が変わっていっているのがどこかおかしく感じられた。これではまるで隠居した仙人のようだ。少し喉が渇いたので飲み物を取ろうとキッチンに立ったついでに、スイーツと紅茶を二人分、席に持ち帰った。今週のスイーツはティラミス、紅茶はホットのアールグレイだ。
「これ、もしよかったら。私の奢りでどうぞ」
「え、いいの?長居させてもらってるのに」
「良いの良いの。食べて感想聞かせてよ」
「じゃぁ遠慮なくいただきます」
 彼女は皿に盛り付けられたティラミスをスプーンですくって口に運んだ。口に含んだ瞬間、目を煌めかせながらこちらを見て、嬉しそうにうんうんと頷いた。
「やっぱりあんたの作る料理は美味しいな~。さっきのランチもすごい美味しかったし」
「本当?それは嬉しいな」
 自分もティラミスをつまむと、ほろ苦いコーヒーの風味と滑らかなチーズクリームが口の中に広がった。大きな容器一つで作れ、そこそこ日持ちするので重宝しているメニューの一つだ。ありがたいことに常連さんたちも気に入ってくれているので、定番メニューにもなっている。暖かい紅茶を飲みながら、ふと思いついた疑問を口にしてみた。
「そういえば、他のみんなはどうしてるんだろう」
「それっていつもの飲み会のメンバー?」
「そう。みんな定期的な飲み会以外まともな連絡寄越さないけど」
「一番大事な連絡しない人が何言ってるんだか」
 これは一生ネタにされそうだな、と思いながら、学生時代からの友人達に想いを馳せた。考えてみると、最後に全員で集まったのは夏前の飲み会かもしれない。それぞれには時折会っているのであまり実感はなかったが、これだけ長い間集まっていないのも珍しかった。
「連絡してみる?」
 彼女はスマホを持って、にやりとこちらを見た。
「え、今?」
「こういうのは思い立ったが吉日でしょ。じゃないといつまでも連絡取らなさそうなんだもん」
 確かに、いつも連絡しようと思っても後回しにしてしまうところがある。その点彼女はどちらかというと自分から積極的に連絡を取るタイプで、集まろうと言い出すのも決まって彼女からだった。
「あれ、珍しいな。今日平日なのに既読付くのが早い」
 早速SNSのグループに『最近どう?』と目の前の彼女からのメッセージが入っている。自分からは見えないが、どうもこの平日の昼間にスマホを開いている人が数人いるようだ。
「確かに、みんなこの時間は仕事でしょ」
 そうつぶやいた時、ポコンと通知音を鳴らして一件のメッセージが来た。
「えっ」
 思わず、自分と彼女の声が重なった。いや、たとえこの場に何人いたとしても同じ声を出しただろう。お互いの顔を見合わせながら笑っていると、次々とメッセージの着信を知らせる音が鳴る。画面の向こうの友人達も同じ反応をしているのだろう。そう遠く離れていない街でスマホを持って笑っている友人達の顔がありありと浮かんだ。こんなものを見れば誰だって笑わずにはいられない。自分と彼女は声を抑えるのも馬鹿らしくなって、思いっきり腹を抱えて笑った。
「いや、こんなことある!?」
「本当、ヤラセでもなかったらこんなことないよ」
 ヒイヒイと息を切らしながら、それぞれスマホの画面を見て笑っていた。そこには、全員から『仕事を辞めた』という連絡と、爆笑と混乱の嵐が吹き荒れていた。

 その後も一通り笑い尽くした彼女は、満足そうに閉店時間と同時に帰っていった。予測した通り昼以降お客さんは来なかったのでそのまま閉店作業に入る。作業を終えて夕食を取り、自室に戻ってもう一度SNSのグループを見ると、しばらく見ていないうちに色々と話題が移っていた。
 話としては、皆仕事を辞めたので、どこかに引っ越したいらしい。というのも、どうも都会の方の様子がきな臭くなり出しているかららしい。そういえば今日来てくれた彼女もそんなことを言っていたなとふと思い出し、ニュースサイトを久しぶりに開いてみた。そこには、社員減少による交通網の麻痺だとか都内で度々起こる不穏な事件など不安になるようなタイトルがびっしりと並んでいた。
「確かにこれはちょっと怖いかもな……」
 都会に住む理由がないのであれば、危ない場所からは離れるのが一番だ。できればゆったりとした最後を迎えたいと思うのも当然だろう。住むのに困らず、生きるのにも困らず、喧騒から離れた場所。そんな場所がどこかにないだろうかと考えて、一つ思い当たる所があった。
「ここ、いいじゃん」
 都会からは少し離れ、かといって山奥の田舎というわけでもない。部屋は余っているから住むのには困らない。今の所危ない目にあったことはないから生きるのにも困らない。静かな空気の流れる場所。自分としては付き合いも長く仲のいい友人をここに呼ぶことにはほとんど抵抗がなかった。むしろ嬉しさや期待さえあった。もちろん住み始めてから何か不都合があったり、気に入らないことだってあるかもしれない。いくら付き合いが長いと言っても全てを知り尽くしているわけではないのだから。だが、そんな不安を自然に見ないふりできるくらい、今は頭の中で思い描いたその風景がとても鮮やかで最高のものに思えた。
 あとは勇気を出すだけだった。そのくらいの勇気は、とっくに自分の中に自然に備わっていた。『ウチで住む?』とだけ書いて送信ボタンを押す。しばらくして一斉に返ってきた返事を見て、自然に笑みが溢れた。

 そこからは早かった。それはもう、友人達の吹っ切れた時の行動力を思い知らされた。一人、また一人と荷物をまとめてこの家にやってきた。全員が揃うまでそこまで時間はかからなかった。幸い家も広く部屋も丁度一人一部屋当てられるだけあったので、生活スペースはほとんど変わらずに済んだ。ただ、昼から夕方は自分が一階でカフェをしているので、その時間はあまり大きな音を立てないようにしてほしいとだけ頼んだ。むしろその時間にカフェに行くのは良いかと聞かれ、混んでる時でなければいいと言った。今の所混んでいるところは見たことないのだけれど。食事もカフェの分のついででよければ作ると言ったら、流石にそれは申し訳ないと言いながら、『家賃・光熱費・食費』と書かれたお金の入った封筒を渡してきた。どうやら食べる気満々らしい。料理をするのは苦ではないしむしろ楽しみの一つでもあるので、これからは消費ペースを考えずに作れると思うと嬉しくもあった。料理以外の家事に関しては他のみんなで分担してくれるということになった。ちなみに家賃に関しては持ち家になっているので丁重に返しておいた。
 そんなこんなで、友人達と自分を含めた五人でのルームシェアが始まった。始めてみると意外となんとかなるもので、まるで以前からずっとこうして生活していたかのような感覚を覚える。誰かが自堕落にしているのも、部屋にこもって好きなことをしているのも、長い間見ていたからか違和感や不満を覚えることはなかった。時折何か問題が起きても、すぐに誰かが対処してくれるので生活としてはとても暮らしやすかった。何より、友人達がここでの生活を気に入ってくれたのが嬉しかった。元々都会より田舎寄りの方が好きだったのか、誰一人として少し不便なこの場所を嫌がる人はいなかった。みんなで揃って夕食を食べ、ダラダラしながら一階の座敷で意味のない夜更かしをして、しばらくしたら部屋に戻って寝る。部屋に戻っても、隣の部屋に誰かがいると不思議と人の気配を感じるもので、その感覚にどこか安心感を覚えた。ふと、外の様子が見たくなって窓を開ける。この家に引っ越してきた日も、なんとなくセンチな気持ちでここから景色を眺めていたことを思い出した。
 自分の家からぼんやりと光が漏れている。どうやら自分以外も何人か起きているようだ。暖かな光に照らされて、目の前の田んぼの稲穂がいつの間にか綺麗に刈り取られているのが見えた。そういえば最近この辺りの米が積まれているのをスーパーで見かけたような気がする。白米をメインにした料理もいいなと冬に向けてのメニューを考えながら窓から見える変わらない風景を眺めていた。しかし、窓から吹き込む風は思ったより冷たくなっていて、思索もそこそこに窓を閉めて布団に潜り込む。あんなに聞こえた虫の音も、今では全く聞こえなくなった。夜の外の空気は冷たく、それが一層静けさを強く感じさせる。しかし、他人がいる家というのは静かであってもどこか温もりを感じるような気がした。壁の向こうの人の気配に耳を傾けながら、意識はやがて手の届かないところへ沈んでいった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

✿ 私は夫のことが好きなのに、彼は私なんかよりずっと若くてきれいでスタイルの良い女が好きらしい 

設楽理沙
ライト文芸
累計ポイント110万ポイント超えました。皆さま、ありがとうございます。❀ 結婚後、2か月足らずで夫の心変わりを知ることに。 結婚前から他の女性と付き合っていたんだって。 それならそうと、ちゃんと話してくれていれば、結婚なんて しなかった。 呆れた私はすぐに家を出て自立の道を探すことにした。 それなのに、私と別れたくないなんて信じられない 世迷言を言ってくる夫。 だめだめ、信用できないからね~。 さようなら。 *******.✿..✿.******* ◇|日比野滉星《ひびのこうせい》32才   会社員 ◇ 日比野ひまり 32才 ◇ 石田唯    29才          滉星の同僚 ◇新堂冬也    25才 ひまりの転職先の先輩(鉄道会社) 2025.4.11 完結 25649字 

サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします

二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位! ※この物語はフィクションです 流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。 当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

処理中です...