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第13章 終わりで始まりの卵

第325話:終わりも始まりも卵はひとつ

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 ヒラニヤガルバ――またはヒラニア・ガルバ。

 日本では“黄金の胎児”や“黄金の宇宙卵”とも訳される。

 古代インドにて編纂へんさんされた、バラモン教の聖典でもある書物『リグ・ヴェーダ』に登場する、世界創造の根源とも言うべき存在だ。

 端的たんてきに創造神と見ることもできるが、他国の神話における世界の始まりとなった混沌カオスのように、万物を生み出す絶大な力の象徴とも捉えられる。

 世界を生むために脈動する――根源的なエネルギー。

 ゆえに胎児や卵に例えられるのだろう。

 インド神話における創造神はブラフマー(ブラフマン)だ。

 ブラフマーは何もない原初の空間を水で満たすと、その水中に自らを封じ込めたヒラニヤガルバを置いて時が来るのを待つ。

 卵の中で眠りながら力を蓄えたブラフマーは殻を破り、2つに割った卵から天地を創る。森羅万象に生命の息吹を吹き込み、世界を創世するという。

   ~~~~~~~~~~~~

「それが──“黄金の宇宙卵ヒラニヤガルバ”ッス」

 解説を終えたフミカは持論を交えて語る。

「……バッド・デッド・エンズは探している卵を“終わりで始まりの卵ヒラニヤガルバ”と呼んでるみたいッスけど、果たしてそれが正式名称なのかどうか、そもそも真なる世界ファンタジアの命運をどう左右するものなのか……情報が足りないッスね」

 これまでツバサたちは、いくつかの遺物と出会ってきた。

 英霊が眠る霊廟れいびょう──還らずの都。

 山脈に匹敵する大きさを誇る城塞の如き霊廟。

 ここには真なる世界を生きた英霊たちの情報が記録されている。最深部では無数の龍宝石が莫大な“気”マナを溜め込んでおり、真なる世界に危機が迫った時には貯め込んだ“気”を解放することで、一時的に英霊たちをこの世へ呼び戻す。

 蕃神に対するカウンター装置の役割を担う防衛施設とも言えるだろう。

 世界樹の揺り籠──天梯てんていの方舟。

 守護妖精ガーディアンスプリガン族に託された、空を征く装甲母艦。

 その艦内には世界樹の若木が守られていた。

 かつて真なる世界の霊脈に根を下ろして、莫大な“気”を育みながら蓄えてきた偉大なる神樹。次元を超えて枝を伸ばすことで異世界を行き来できる架け橋ともなった。その最後の1本が保護のため方舟に乗せられていたのだ。

 これも蕃神ばんしんの魔の手から守るため――。

 次元を越える枝葉は、蕃神にとっても侵入を手助けする梯子はしごとなる。

 ゆえに最後の一本を方舟に隠すことで守ってきた。

 では――“終わりで始まりの卵”とは?

「この卵もまた……蕃神に対抗するための措置なんスかね?」

「──違うと思う」

 ボソリと、だがはっきりした声でミロが否定した。

 まだご機嫌斜めなのか、ツバサの背中に抱きついたままだ。Tシャツに短パンというラフな格好で、両手両脚を使って細い腰にしがみついている。

 いつもなら爆乳に悪戯したりするのだが、それもない。

 まだホムラの件が尾を引いているらしい。

 あんまりにも大人しいので、調子が狂いそうだった。

 滝のように流れるツバサの黒髪からひょっこり顔を出すと、直感&直観から導き出した考えを辿々しく口にした。

「アイツらの親玉は『来世つぎがあると思うなよ?』ってバンダユウのオッチャンたちを脅してた。だから世界をこれでもかってくらいぶっ壊した後、そこから二度と世界が再生しないようにしたいんだ」

「世界が再生……卵から新たな世界が産まれる?」

 ミロの発言に着想を得たのか、フミカが天啓を得ていた。

 ヒラニヤガルバは世界を生み出す始原の卵。

「“終わりで始まりの卵”があれば、たとえ世界が滅ぼうともやり直しが効く……ってことッスか? 世界の破滅を願う者にしてみれば、せっかく壊した世界をもう一度やり直されちゃ困るから手に入れておきたい……と?」

 フミカがまとめると、ミロは控え目に頷いた。

「その卵は──昔から・・・あったんだよ」

 蕃神がやってくる、ずっと昔から……。

「蕃神云々に関わらず、世界の危機なんてよくあることだし……そういったことを気にした心配性な、それこそツバサさんみたいな神さまが遺したんだよ」

「誰が心配性だ」

 ツバサはただただ慎重なだけだ。

 石橋を壊して河岸工事ががんこうじを上流から下流まで徹底的に行ってから、最新鋭の技術を投入した鉄橋を作らないと渡らないくらい慎重だった。

「お母さんは心配性だから仕方ないね」
「誰がお母さんだ」

 少しは調子を取り戻したのか、ミロはお母さん呼ばわりでツバサを茶化す。背中から抱きついた両腕も爆乳に伸ばしてきた。

 でも、しがみつくだけで揉んだり摘まんだり搾ったりしない。

 セクハラも中途半端だ。やっぱり調子が狂う。

「でも、アタシたちには使わせたくない。だから、壊すか隠すか封印するか……まではわからないけど、自分の物にしておきたいんじゃないかな」

 世界が壊されても──やり直しが効く。

 いわゆる“保険”なのか?

 ミロの直感通りなら、ツバサたちにとって大いなる助けとなる。万が一の事態に陥ろうとも、後世に希望を託すこともできるのだから……。

 一方、世界の滅びを願う連中には障害でしかない。

 滅ぼした世界が再び返り咲く――滅びがキャンセルされてしまうのだ。

 なるほどッス、とフミカはミロの意見に感心する。

「どちらのヒラニヤガルバも世界を生み出す卵という意味合いは同じ……似通っているというか相通ずるものがあるというか……でも創世の卵というなら、終わりを先に持ってくるのはあんまりいただけないッスね」

 既にアハウの講義は終わり、マヤムとともに席へ戻っていた。

 次いでフミカが立ち上がると新たな大型スクリーンを展開させて、議題のひとつである“終わりで始まりの卵”について解説してくれていた。

 戦闘服はエジプシャンというかアラビアンというか、露出度の高い踊り子みたいな格好だが、後にアレは「ダイちゃんの気を引くためッス……」と白状したので、普段はちゃんと文学系少女な服装をしている。

 今日は会議に合わせたのか、キャリアウーマンっぽいスーツ姿だ。

 真なる世界ファンタジアにおけるヒラニヤガルバが、“終わりで始まりの卵”という意味で聞こえるので、フミカはそこに疑問を呈していた。

「恐らく──再生に主眼を置いたからではありませんかね?」

 クロウはお茶を啜ってから私見を述べる。

「もしも、この真なる世界ファンタジアの根幹に関わるものならば、傍にいたジョカフギス君が反応を示しそうなものですが……ツバサ君?」

「ええ、ジョカはノーリアクションでしたね」

 マリの話をツバサが丹念に聞き取る傍ら、ジョカは負傷して毒に冒された穂村組の治療に当たっていた。“終わりで始まりの卵”も耳に入ったはずだ。

 しかし、特に反応はしていない。

 むしろ終末の毒アポルダオルについて思い出してくれた。

「ということはです。真なる世界の創造神たちは、あまり関与してないと見ていいでしょう。無論、ジョカフギス君の与り知らぬところで、他の創造神が作ったなどの可能性は無きにしも非ずですが……」

「聞いた限り、創造神はみんな野放図のほうずですからね」

 創世の神々は本能的な衝動に身を任せて、原初の世界で生まれたばかりの赤ん坊みたいに手足をばたつかせていたようなものらしい。

 つまり、後先など考えていない。

「世界の滅亡を懸念して、その次に来る来世を夢見るのは、現在を生きる者です。なので、後々のことを考慮こうりょした“保険”と見るべきでしょう」

「創造神より後の神族や魔族……ということですね」

 クロウとツバサは、創世の卵を創った者たちを思い浮かべる。

 いや、こうなると再世さいせいの卵というべきではなかろうか?

 そういえば、とフミカはちょっと声量を高めて話に入ってきた。

「インド神話は破壊と再生がお話のメインッスからね。ヒラニヤガルバも、創造神であるブラフマーが自らを生み出すために創った卵ですしおすし」

 プトラの影響なのか、フミカは変な語尾でまとめた。

 ──インド神話は大きな流れが決まっている。

 創造神であるブラフマーが世界を誕生させ、世界維持神という他の神話ではあまり聞かない珍しい役割を持つヴィシュヌが世界を正常に保ち、終末が近付くと破壊神シヴァが跡形もなく破壊する。

 虚無の時代を幾星霜いくせいそうか経て、再びブラフマーが世界を創造する。

 この一連のサイクルを繰り返すことになっていた。

 インド神話は世界も輪廻転生リインカネーションするのだ。

 湯飲みを座卓に置いたクロウは、厳めしく話をまとめる。

「世界が終わることを念頭に置いて、そこから再生する願いを込められたのなら、“終わりで始まりの卵”と名付けられたのも得心がいきます」

「それも蕃神が襲ってくる以前に……ッスか」

 フミカはその点を納得する材料がないため、まだ懐疑的だった。

 そこを解消するべくクロウはフミカと視線を合わせた後、目配せするように眼窩の炎を瞬かせてから、横に座るククリに促した。

「恐らく、そうだと思います。もしも蕃神への対抗措置だとしたら、ククリさんの記憶にあるはずです。還らずの都然り、天梯の方舟然り……」

 あっ! とフミカも手を打って合点した。

 蕃神との戦争が熾烈を極めた頃に生を受けたククリは、反撃装置のひとつでもある“還らずの都”の巫女だ。そのため、他の施設についての知識も一通り教え込まれている。“天梯の方舟”は彼女からもたらされた情報だ。

 クロウに優しく背を押されるククリ。

 小さく咳払いをして喉を整えてから話し始める。

「は、はい、似たような名前のものは思い当たる節がありますけど……蕃神に関連した遺物という意味では、心当たりがありませんから……」

「遊び歌、と言っていましたね?」

 クロウに促されたククリは説明してくれる。

「はい、おじさま。終わりの卵と始まりの卵……という、子供たちが数人集まった時にやるお遊戯ゆうぎみたいなものです。えっと、こんな感じで……」

 ククリはお囃子はやしのように、拍子を取って歌い出す

 ~~世界の終わりに卵がひとつ♪

 生まれた巨人は食いしん坊~~空も海も大地もペロリ♪

 ~~みんなおなかに入れちゃった♪

「……といった風に、終わりの卵から生まれた怪物が、どんな風に世界を終わらせたかを即興で考えて歌うんです。そして、集まった子供たちの中から誰でもいいから次に歌う人を選びます」

 選ばれた子供は、同じように即興で歌を考えなければならない。

 ただし、今度は始まりの卵でだ。

 しかも、終わりの卵から続くように歌詞を練らなければならない。

「私は今、世界を食べる巨人で歌を作りました。ですから、次に歌う子もこの巨人を題材にした歌を考えなければいけません。こんな風に……」

 ~~世界の始まりに卵がひとつ♪

 世界を食べた巨人は腹いっぱい~~とうとうお腹がはち切れた♪

 ~~裂けた腹から飛び出すは、誰も見たことない世界♪

「……終わりの卵の歌と、始まりの卵の歌。これを一対とします。それで、始まりの卵の歌を歌いきった子が、次の終わりの卵の歌を歌う子を指名して……と繰り返していき、ちゃんと歌えなかった子が負け、という歌遊びです」

「なんか現実でもありそうな遊びッスね」
「パーティーとかカラオケで、こんなゲームやっとらんかったか?」

 現役高校生だったジョカとダインは首を傾げた。

 ありそうでなさそう、知っているような気がするけど思い出せないといった具合らしい。確かにパーティーゲームでありそうだが……。

 すると、アハウが「あれかな?」と思い出したらしい。

「クロウさん、昔ありませんでしたっけ? ほら、芸能人の名前がついた、宴会や飲み会の余興よきょうでやるようなゲームが……」

 アハウ世代だと又聞きなのか、年嵩としかさのクロウに助けを求めた。

 クロウは顎の骨に手を当てて考え込む。

「……はて、せんだみ○おゲームでしたか?」

 ツバサ世代は知らないが、そんなゲームがあったらしい。

「確かに似たところはありますが、こちらの遊び歌は想像力を働かせなければいけない点が評価できますね。世界の終わりと始まりを即興で考え、リズム良く歌にしなければいけない……程良いリズム感と発想力が求められています」

 どちらかと言えば──童唄わらべうたに近い。

 かごめかごめ、通りゃんせ、ずいずいずっころばし、げんこつ山のたぬきさん、だるまさんがころんだ……そういう類いのものに似ている。

「頭の回転をよくする遊びだ、と教えられました」

 クロウの見解を補強するように、ククリが遊びの主旨を示した。

 そこへフミカが気になる点を2つ、質問する。

「ククリちゃん、今の歌には巨人が出てきたッスけど……この世界の終わりと始まりに登場させる怪物は何でもいいんスかね? それと、その怪物は終わりと始まりで同一のものと考えてもいいんスか?」

「はいフミカ様、基本的に怪物は何でもありです。ただ……題材としてよく使われたのは巨人やドラゴン、もしくは大きな獣とかでしたね。それと、終わりと始まりで怪物は一緒のものです」

 世界を滅ぼした怪物が──新たな世界のいしずえとなる。

「そうなるようにお話をつくりなさい……と私にこの遊びを教えてくれた、年上の灰色の御子様は仰ってました」

 なるほどなるほど、とフミカは興味深そうに繰り返す。

 そして、彼女なりの考察を並べ立てる。

「世界各地の創世神話には巨人や龍、もしくは怪物を材料にして世界を創ったって話がいっぱいあるッス。もしも、そういった創世神とも扱われる怪物たちが、実は以前の世界を滅ぼした元凶だとしたら……」

「ヒラニヤガルバは──破壊と創造を兼ねる怪物の卵だな」

 案外、この遊び歌こそが“終わりで始まりの卵ヒラニヤガルバ”の在り方を表した説明書のようなものなのかも知れない。

「参考になったよ、ククリちゃん」

 ありがとう、とツバサが礼を述べる。ククリは「お役に立てて光栄です、母様」と恐縮するようなセリフではにかんだ。

 さて――ツバサは鋭い一声を差し込む。

 そして、物理的な威力のある眼光でノラシンハに横目を振った。

「ジイさん、あんた修行僧サードゥー生活5000年とか宣っていたから、ククリちゃんよりずっと古株の神族なんだろう? 聞いたことはないのか?」

 ――“終わりと始まりの卵ヒラニヤガルバ”について。

 ノラシンハはいつ注文したのか、お茶のおかわりをクロコから受け取ると、また彼女の美尻に手を伸ばして、お盆で顔面をはたかれていた。

 懲りないジジイは、鼻血を出したままお茶を啜る。

「巫女の嬢ちゃんと同じやな。そん遊び歌は知っとるけど、殺し屋集団の探しとるっちゅうヒラニヤガルバについてはよう知らんわ」

 堪忍してな、とノラシンハは情報がないことを謝った。

 嘘だ――この老人は嘘をついた。

 朴訥ぼくとつな態度ですっとぼけてみんなを騙したが、ツバサにだけわかる態度で「そこはまだ明かせへんわ」と詫びてきた。

 ノラシンハは“始まりで終わりの卵”を知っている。

 だが、重要視してはおらず、四神同盟には具体的にどういうものかを伝えない方が賢明だと判断したらしい。世話になっているツバサには「知ってるけど知らんほうがええで」とこっそり伝えてきた。

 食えないジジイだ。しかし、ニュアンスで教えてくれた。

 その“卵”は重要性が低い。

 急いで求める必要はなく、ロンドの手に渡る可能性も少ない。

 変に意識して囚われるだけ時間の無駄、「そういうものがある」程度の認識で構わないとノラシンハは暗に伝えていた。それゆえ答えをはぐらかしたのだろう。

 ロンドたちに渡せないにしても、卵を探すために注力する必要がないとわかっただけで儲けものだ。限られた人員を割かなくても済む。

 ひとまず“卵”の話題は打ち切ろう。

「……とまあ推論すいろんを重ねたところで、現物に関する確たる情報がない現状、絵に描いた餅でしかありません。世界を滅ぼそうとするバッド・デッド・エンズが探している以上、おめおめと連中に渡したくはありませんけどね」

 ツバサは新たな議題を取り上げる。

 個人的には、この議題こそが肝だと思っていた。

 最悪にして絶死をもたらす終焉という殺戮集団を率いる男。

 ゲームマスター№09――ロンド・エンド。

「この男についても情報を仕入れておきたいところだが……レオナルド、№07のおまえと近いんだ、何か知っているんじゃないのか?」

「そんな気を遣った言い方をしなくてもいいよ、ツバサ君」

 レオナルドは座卓に肘を突いて手を組むと、そこに口元を隠すようにおいて……なんとなく、陰険の総司令官がやりそうなポーズのまま言った。

 口元には卑屈な笑みを浮かべている。

「はっきりこう言ってくれ……『おまえみたいな詮索癖せんさくへきの化身がだ! GM全員の素行を調査済みと豪語したおまえがだ! どうしてロンドとかいう破滅主義者の、世界廃滅なんて馬鹿げた誇大妄想を見抜けなかった!』と」

「あ、いや、そこまで言うつもりは……あったんだけどな」
「あったのか!? かなり傷付くぞそれ!」

 曲がりなりにも会議の場だ。ツバサも二十歳とはいえ大人だし、もっと大人なアハウさんやクロウさんがいる手前、いつものノリでレオナルドを糾弾するのも大人気ないかな、と弁えたのである。

 レオナルドが代弁してくれたので体裁を崩さずに済んだ。

 別にレオナルドを糾弾するつもりはないが、GMの不祥事は多い。ツバサたちと敵対した者はゼガイ、キョウコウ、ナイ・アールの3人、キョウコウに与した者を数えれば9人にもなる。

 ゼニヤはまあ……黒に近い灰色といったところか?

 連帯責任というわけではないが、レオナルドは責任感が強い。また同僚が問題を起こしたので自分のことのように自責の念に駆られているのだろう。

 レオナルドは心労を募らせていた。

「まさか、あのロンドさんがこんな真似を仕出かすなんて……」

 読めるはずがない! とレオナルドは歯噛みする。

 ロンドの行動をまったく予測できなかったことを悔いているのか恥じているのか、怒りにも似た形相で眉尻をつり上げる。

 ギリギリと歯軋りし、自らの頭を割る勢いで鷲掴みにした。

 ミサキ君の師匠にして参謀にして軍師。

 愛する愛弟子を真なる世界ファンタジアを背負って立つ指導者にするため、沈着冷静な態度を旨とする、レオナルドらしくない取り乱し方だ。

 さすがのツバサも気の毒になる勢いだった。

「本当にわからなかったのか……ロンドの企みを?」

 今度はちゃんと気遣って尋ねると、レオナルドは微かに頷いた。

 口惜しそうに心情を吐露する。

「あの人は……地球が終わるまで、こんな本心を垣間見せたことはなかった。匂わせたことすらない……徹頭徹尾、いい人を演じきったんだ!」

   ~~~~~~~~~~~~

 ロンド・エンド――本名、円田えんだ永介えいすけ

 ちょっと軽薄でちゃらんぽらんだが、ノリの良い中年親父。

 基本的に人当たりのいい性格で、その人となりは誰に聞いても「彼はいい人だよ」と返ってくる。模範的な人畜無害のサラリーマン。

 気立てのいい奥さんと、幼稚園に通う息子、生まれて間もない娘。

 庭には血統書のない雑種犬を飼っている。

 一家4人(と1匹)を養う、大黒柱なお父さん。

「……埼玉県春日部市に住んでそうなお父さんだな」
「……本当にその辺りに住んでいるから笑えないよ」

 和ませるつもりだったが、レオナルドの反応は重苦しい。

 これで名前が“ヒロシ”だったら完璧だ。

「そしたら今頃、あだ名は“焼け野原ヒロシ”ッスね」

 アキも冗談を足してきたが、この状況下では笑えない。

 本気で世界を焼け野原にするつもりなのだから……。

「ボーナスが出れば部下や友達を飲みに誘って奢ったり、休みの日には友人知人を招いてホームパーティをしたり……小粋こいきなお父さんだったよ」

 項垂うなだれるレオナルドは、ロンドの人柄を教えてくれた

 打ちひしがれていても仕方ない、と気を取り直したのか、まずロンドのGMとしての評価をつらつらと語り出す。

「仕事振りは要領がいいという意味で有能。人当たりがいいのは口が上手いからで、そのため円滑な人間関係を求められる仕事を任せられることが多く、対人が主体となる営業みたいな方面で卓越した才能を発揮したんだ」

 №が一桁台なのは優秀さの証でもある。

「ロンドさんの仕事は――真なる世界ファンタジアに送る人材の選出だった」

「……初めての四神会議で話していたアレか」
(※第214話参照)

 VRMMORPG――アルマゲドン。

 高性能という言葉では片付けられないハイクオリティかつ高難易度なVRゲームを謳っていたが、その正体はプレイヤーを真なる世界へ送り込むための事前訓練であり、最終的には異世界転移システムとなった。

 現実のがマシ、と揶揄やゆされるほどの難易度を誇るも、苦労した後に得られる達成感にハマるプレイヤーが続出。確かな人気を得ることとなった。

 前述の通り、アルマゲドンは異世界転移システムでもある。

 プレイヤーを転移させるだけで、アフターサービスどころかケアもない。

 俗にいうチートが欲しいなら、自力でLVを上げて技能スキルを覚えたり過大能力オーバードゥーイングに目覚めるしかない。美男美女になりたいというなら、やっぱり努力に努力を重ねることで、魂の経験値ソウル・ポイントを稼ぎまくるしかない。

 ……腑抜ふぬけた現代日本でよく流行はやったな、このゲーム?

「しかし、この滅びかけた世界には何もない」

 どんなにチートを極めても、不便がついて回るくらい何もない。

 電気や水道にガス、文明社会ならあって当たり前のライフライン。衣食住を賄えて交通網も整っている街や都市。通話にメールにSNS、誰とでも気軽に連絡を取れるスマホを始めとした通信機器、それを支える通信網……。

 現代人の生活を支える文明という生活基盤。

 転移した先の異世界に、そんな便利なものはひとつもない。

「何もない異世界でもその身ひとつでやっていける、タフでサバイバル精神豊富な者……あるいは一から素材を集めて、道具や機器を作れる職人……こういった人材を選抜して、何かしらの理由をつけてアルマゲドンをやらせていた」

 少しでも人類の生存確率を上げるため──。

 もしくは、地球の文明を真なる世界ファンタジアへ持ち帰ろうとしたのか?

「その人材選抜をロンドは任されていたのか」

「任されていた……というより、ほとんど主導でやっていたよ。あの人は俺より№こそ低いものの、社内では融通ゆうづうを利かせられたんだ」

 権限においてはレオナルドより上だったらしい。

「人材選抜という意味で、わかりやすく『サバイバル能力に長けた者』や『手に職を持った職人』という模範例を上げてみたが……実際の人材選抜には、もっと多様性が求められていたんだ」

 たとえば──思想的かつ精神的な人材。

 善男善女ばかりが選ばれたわけではない、とレオナルドは明かす。

「有り体に言えば犯罪者……ケチなチンピラがやりそうな軽犯罪の前科者から、誰もが目を背けるような惨劇を起こして服役中の重犯罪者……」

 それこそ──死刑囚まで。

 こういった悪人に限った話ではない。

 ロンド主導の下、複数のGMとその選抜を見直す意味で設けられた第三者委員会によって選ばれた人材は、うんざりするほど多岐に渡るという。

 これを聞いたクロウは非難せず、むしろ理解を示した。

「最初から悪人も候補に加えるというのは、悪人ならではのバイタリティみたいなものを期待してのことでしょう。何もしない善人よりも、行動を起こす悪人が世の流れを変えることはままありますからね」

「性善説に性悪説──どちらも机上の空論です」

 レオナルドはそう言い切った。

「善人だって悪気が起これば平気で他人を蹴落とすし、悪人だって仏心が湧けば見ず知らずの他人に施しをすることもある……善男善女なんていい人たちを括っても、腹では何を考えているかわかりませんからね」

 それこそロンドさんのように、とレオナルドは忌々しげだ。

「善男善女といっても、ところ変われば品変わるように悪事を働くことはしばしばあります。その逆も然り……ということなんでしょう」

 異世界への移民を想定する際、普通に考えれば悪人は省くべきだ。

 しかし、その考え方は底が浅い。

 相互理解を踏まえて準備万端に整えた移民ならともかく、真なる世界でのケースは血みどろのサバイバルになりかねない。実質、もうなっている。

 こういう時、本音より建て前を優先する善人は弱い。

 綺麗事を並べているうちに、あっさり死んでしまうだろう。

 罵られようが軽蔑されようが蔑まれようが、他人を押し退けてでも生き抜こうと足掻あがいて藻掻もがく悪人の方が生き残る確率が高くなる。

 そういった悪人が、気まぐれで人助けをすることもあるだろう。

 やがてそれが人類の未来を大いに助けることになるかも知れない……未来は何もかもが白紙なのだ。そのような希望的観測も否めない。

 レオナルドの話を受けて、ツバサがざっくりまとめてみた。

「つまりあれか。ロンドはいいお父さんを演じながら、裏では人材を選び出す要職につき、その職権を使ってコソコソ殺戮集団を集めていたわけだな」

「……そう考えるしかないんだけどね」

 腑に落ちない点がある、とレオナルドは苦い声で言った。

「悪人を人材として起用する以上、そいつらが暴走することや徒党を組んで悪事を働くと懸念するのは、当たり前の危機管理だ。なのでロンドさんの主導とはいえ、他の幹部やGMによる何重ものチェックをかけていた」

 第三者委員会を重ね掛け、更に厳重にしたものらしい。

 レオナルドもそこに一枚噛んでおり、ロンドたちが選抜した人材は職人から悪人まで、つぶさに目を光らせていたという。

「ロンドさんが“最悪にしてバッド・絶死をもたデッド・らす終焉エンズ”のメンバーを集めるような真似をしていたら、俺たちが気付かないわけがない……ッ!」

 見抜けなかったことを悔いるようにレオナルドは呻いた。

「──それだけじゃないッスよ」

 口を挟んできたのはフミカではない、姉のアキだった。

 似たような舎弟口調だから、ちょっと紛らわしい。

 フミカよりも発育した豊満な女体(フミカ曰く「だらしない」)には、水着めいたレオタードしか着ておらず、目に毒な格好をしている。

 しかし、こう見えて天才的ハッキング能力を持つプログラマーだ。

「レオ先輩のご命令で、GM連中のメールやチャットをこっそり覗き見してたんスけど……ロンドのオッチャンほど平和なものはなかったッス」

 選抜した人材との連絡メールは事務的なもの。

 チャットも部下や仲間とは仕事に関する話題しかなく、プライベートでは奥さんへの「アイラブユー」と子供たちとのほのぼのとした会話くらい。

「とてもとても……殺戮集団を集めてた極悪人とは思えないッス」

 アキはなで肩をすくめてお手上げのポーズを取った。

 カンナやマヤムといった他のGMの顔色を窺えば、アキの意見に同意するような表情だった。やはり、ロンドの暴走を予見できなかったらしい。

 それほどまでに──いい人を演じきったのだ。

   ~~~~~~~~~~~~

 陰鬱な会議はいつまでも続いた。

 目下のところ四神同盟に被害はおろか、その影すら忍び寄っていない。しかし、穂村組の惨状を目の当たりにすれば、何もせずにはいられなくなる。

 マリの話を聞けば尚更だ。

 現状、アハウの考察が的を射ていると判断。

 ロンドは四神同盟を安全地帯と見なし、滅ぼすべきプレイヤーや種族を追い込むためのゴミ集積所くらいに思っているのだろうと推測する。

 だが予定は未定、推量を当てにするのは危険だ。

 1秒後にもバッド・デッド・エンズが攻めてくるかも知れないという危機感を持って行動するため、ドンカイとセイメイはそれぞれ派遣済みだ。

 セイメイはクロウの庇護下にある還らずの都周辺のキサラギ族の街へ、ドンカイはアハウの保護下にあるヴァナラの森にある多種族の街へ。

 アハウとクロウも、会議が終わり次第とんぼ返りである。

「それぞれの国を一瞬で行き来できる転移装置があるとはいえ……強盗に狙われているかも知れない我が家を空ける気分で落ち着きませんね」

 クロウは心なしか腰を浮かせていた。

 骸骨の頭もカチカチと小刻みになっている。貧乏揺すりか?

 同感です、とアハウも苦笑した。

 警戒する獣のように毛が逆立っている。2人ともわかりやすい。

「ツバサ君が頼り甲斐のある留守番を寄越してくれたとはいえ、相手は強盗どころではなく強盗団ですからね。我々の国に戦力を回してもらった分、このハトホル国の戦力を削いでしまうわけですし……」

 申し訳ない、とアハウは座卓に手をついて頭を下げた。

 同盟なんだから当然のことです、とツバサは片手でそれを制する。

「……とはいえ、戦力不足を如何いかんともしがたいですね」

 108人もいるという、最悪にして絶死をもたらす終焉。

 バンダユウ曰く「下駄を履かせた偽物」といえど、全員LV999となれば脅威以外の何物でもない。できれば、こちらもLV999で当たりたい。

 そう考えると、圧倒的に戦力不足だった。

 四神同盟のLV999は、まだ20人にも届いていないのだ。

「バンダユウさんが9人も片付けられたというから、見せ掛けだけで大したことない連中……と思いきや、アダマスやリードとかいう本物のLV999も混ざっているとなると、迂闊うかつなことはしたくないしなぁ……」

 どうしたものか、とツバサは嘆息した。



「だったら──腕の立つ用心棒は雇わねぇかい?」



 会議の場に居合わせた者の声ではない。

 太く安定感のある渋味を利かせた壮年の男。声の持ち主は会議の場を隔てる襖の向こうから聞こえてきた。みんなの視線がそちらに集まっていく。

 襖が開けば、そこに1人の男が座り込んでいた。

 全身はまだ包帯まみれだが、金襴緞子きんらんどんすのようにド派手な褞袍どてらを肩にかけ、トレードマークだった石川五右衛門みたいなかつらは脱ぎ、白髪交じりの総髪をうなじの辺りでくくっている。60絡みの老年の男性。

「もっとも、みっともなく敗走してきた負け犬だがな」



 経験だきゃあ豊富よ、とバンダユウは自嘲の笑みで売り込んできた。


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