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第15章 想世のルーグ・ルー

第375話:激憤のルーグ・ルー

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「…………あいつはッッッ!?」

 凶兆のあかを目にした瞬間、ジェイクの殺気が暴発した。

 ――イシュタルランドの会議室。

 そこには会議室で待機する人たちにも外の状況がわかるようにと、壁面に設置された大型モニターが戦況を映し出していた。

 撮影しているのは工作者クラフタージンが用意した特殊ドローンだ。

 LV999スリーナインの戦闘は、その余波で想像も及ばない天変地異を巻き起こす。

 それも大都市を滅ぼす激甚げきじん災害さいがいを軽々と越えるだろう。

 ツバサのような自然を根源から操れる神族がいた場合、地震雷火事親父どころの騒ぎでは済まない。その一撃から起きる波及でドラゴンをも炭化させるプラズマの嵐となる恐れを考慮せねばならない。

 もはや天災では片付けられない規模となる。

 そんな常人なら出歩くことさえ許されない環境下でも撮影を敢行かんこうできる、戦闘用ドローンに匹敵する頑強さを持つジンの特製だ。

 その撮影ドローンが送ってきた――これまでの成り行き。

 最悪にしてバッド・絶死をもたらデッド・す終焉エンドと思しき一団。

 謎の御令嬢ネリエルと彼女のお付きらしい九人の騎士団。

 予告もなく砲撃で不意打ちしてきた彼女たちを、ツバサたちは本気を出すこともなくやり込めていた。傍目おかめ八目はちもくでも実力差は歴然である。

 過大能力オーバードゥーイングを使うまでもなく――使わせる暇も与えない。

 呆気ないほど決着は早かった。

 それでも令嬢ネリエルは往生際が悪く、不可思議な小箱を取り出すと、そこから漏れ出る力でパワーアップし、反撃に打って出ようとした。

 魔物みたいになろうともお構いなしである。

 その怪物化しかけていたネリエルが――踏み潰された。

 遙か上空から大気の壁を突き破ってきた彼らは、ソニックブームを発生させる超音速飛行の急降下でネリエルの真上に落ちてきたのだ。

 どうや彼女を(力尽くで)制止に現れたお仲間らしい。

 空から降ってきたのは三人。

 彼らはネリエルを足蹴あしげにし、白亜の艦グノーシスを折り曲げた。

 落下の衝撃で艦橋かんきょうは吹き飛び、船体半ばから下へ向けて“く”の字に折れ曲がった艦は中破状態。勾配こうばいのついた甲板には粉塵が舞う。

 その煙の向こうから現れた――三人の強者つわもの

 一人は三m越えの巨漢。

 日本人にしては目鼻立ちのハッキリした彫りの深い顔をしている。爆発しそうなモリモリの筋肉と、大砲と見紛う立派なリーゼントヘアが特徴的だ。

 不敵な笑顔は、神代の英雄めいたファッションで決めている

 二人目は全長十数mはある蛇身の美女。

 大柄で下半身がラミアのような蛇体。そこからおびただしい生物の脚を生やし、背中に何種もの翼を広げ、森のような長い髪からは幾重にも角を伸ばしている。明らかに異形だが、原始的な女神といった風情ふぜいを感じさせる。

 大きな乳房を支えるブラ以外、装飾品は身に付けていない。

 無愛想な流し目がこちらをジッと見据えている。

 三人目は――性別不明の美形。

 ユニセックスというべきか、中肉中背というにはやや細すぎの体型。男にも女にも近いようで遠くもあるが整った顔立ちだ。

 全身黒ずくめ、羽織る薄手のコートまで漆黒に染まる。

 顔の右半分を長い髪で隠し、その奥にあかい眼光がともっていた。

 凶兆を連想させる毒々しい赫――。

 その赫い眼を目にした途端、ルーグが耐え忍ぶように熟成させてきた激怒と憎悪のおりに火が点いた。可燃性なんて言葉では生ぬるい。

 引火点も発火点も低く、爆発力も桁違いの危険物だ。

 覇気さえ帯びた物理的破壊力のある殺気が解き放たれる。それは周囲の者を数歩後退あとずさらせるほどで、会議室をパンクさせかねない怒張どちょうとなった。

「リード・K・バロール……」

 かたきを見つけたジェイクの声は震えていた。

 怒りをたぎらせて吐く息は燃える熱を帯び、硝煙しょうえんのように焦臭きなくさい。 

 性別不明の黒ずくめな美形。

 間違いない――あれがリード・K・バロールだ。

 マルミも彼女の記憶・・・・・を垣間見たのでわかる。

 怒りに駆られたルーグが30人のバッドデッドエンズを血祭りに上げた末、ようやく名前を突き止めることができた。

 ルーグ陣営が居を構えていた安全地帯を滅ぼした破滅の使徒。

 そして、ジェイク最愛の人を殺した男。

 当然、ジェイクは仇であるリードを討とうと現場へ駆けつけようとするが、彼の左足はまだマルミが踏んづけたままだ。

 身体の一部を抑えることで、全身の動きを封じる。

 合気道には手を握るだけで身動きできなくさせる秘技があると噂されているが、それと似たようなものだ。マルミのは中国拳法発祥のもので少し違うが、原理的にはほぼ一緒と考えていいだろう。

「ジェイク、気持ちはわかるけど駄目よ」

 我慢なさい、とマルミは爪先を踏んだまま言い聞かせる。

「あの様子から察するに、彼らは先走った仲間を止めに来ただけ。四神同盟とバッドデッドエンズの不戦契約はまだ生きている……わかるわね?」

 こちらから仕掛けるのは悪手あくしゅである。

 少なくとも、イシュタルランドには迷惑を掛けかねない。

 ジェイクは今すぐにでも開戦したいだろうが、準備不足で突入する戦争は国民への被害が甚大になるばかり。愚の骨頂である。

 激しい怒りと憎しみが燃え盛る瞳を覗き込んで説得するも、ジェイクの心にちゃんと届いているかどうか不安で堪らない。

 バッドデッドエンズを前にしたジェイクは理性を保てない。

 かたりのソワカが現れただけで、状況確認すら怠るほど怒りに支配された行動を取ると実証されてしまったのだから尚更だ。

 ネリエル出現時――案の定ジェイクは出撃しようとした。

 率先して出張でばろうとするジェイクだったが、マルミを初めとしたルーグ陣営がこれを許さず、ツバサたち四神同盟も控えるように促した。

 マルミたちの意見は「いくら神族といえど無理しすぎ。肝心の仇を討つ前に力尽きたら元も子もないから休みなさい」というジェイクの身を案じた結果だ。ツバサたちはその意見に賛意を示しつつ、宣戦布告の約束を重視した。

 ジェイクに暴れられたら契約がこじれかねない。

『約束を破って攻め込んできたのはあっちだろ!?』

 激高するジェイクを諭したのは、口の達者なレオナルドだった。

『だからこちらも約束を破れと? それは野蛮人の発想だ、社会人の取るべき対応ではないな……いいかい? 相手が約束を破ったなら、その分の埋め合わせを冷静に求めつつ、倍掛けで支払わせる筋立てを考えるべきだよ』

 慰謝料も賠償も思うがままだ、とレオナルドは不遜ふそんにほくそ笑む。

 本当いい性格に育ったわね、とマルミは自身の育成に感心する。昔のレオ君なら、こんな悪党に立ち回る思考回路は持ち合わせていなかった。

 時に卑怯であれ、時に悪逆であれ、時に非情であれ。

 甘ちゃんなレオ君をそう躾けてきた、マルミの教育の賜物たまものである。

「あれはわば交渉役よ。幸い、迎撃に徹するため前に出た6人の中にレオ君もいるから上手にやってくれるはず……まだあんたの出番じゃないわ」

「ぐっ、ぎぎぎぎぎぎぎ……ッ!」

 元女性とは思えない形相で歯噛みするジェイク。

 拘束を振りほどこうと奮闘するが、残念ながら体術においてはマルミに一日いちじつちょうがある。総合力ではジェイクが上でもこればっかりは……。

「それでも……行く……行くったら行く……んだあああーーーッ!」

「ちょ……まさか、あんた!?」

 ブチブチィ! と肉を千切る嫌な音がした。

 ジェイクは踏まれていた左足の爪先を靴ごと引きちぎったのだ。靴の革どころか足指の爪を肉ごと引きちぎることも辞さない力業でだ。

 被害は爪先だけに留まらない。

 拘束されていた全身の筋肉、神経、関節。力尽くで振りほどいた以上、これらにも激痛が走ったはずだ。さながら万力で拘束されていた身体の部位を無理やり引き剥がしたようなもの、神族だろうと絶叫を上げる痛みだろう。

 なのに――ジェイクは噛み殺した。

 双眸そうぼう爛々らんらんと剥き出した牙を噛み締める。

 得物を前にして猟犬よろしく、脇目も振らずに走り出した。

「「――させない!」」

 すかさずレンとアンズの女子高生コンビが引き留める。

 追いすがるようにジェイクの両脇から抱きついたのだが、ジェイクは一陣の風のようにスルリと抜けて、彼女たちにコートのはしさえ掴ませなかった。

「ジェイクさん! 駄目だってば!」

 三番手として立ち塞がったのはソージだった。

 得意の足技で手加減なしの一撃を蹴り込んでいく。手心を加えて制止させられる相手ではないので最初から本気である。

 過大能力オーバードゥーイングこそ施してないが、真正面からのキック。

 ジェイクはそれを飛び越えるようにソージへ踏み込むと、横隔膜辺り(元男の子とはいえ女の子のお腹は攻撃できまい)を狙って膝蹴りを打ち込む。

「かは……ッ!?」

 激痛とともに肺から強制的に空気を押し出され、ソージは悶絶する。

「……ごめんッ!」

 苦渋の謝罪を残して、ジェイクは会議室を飛び出していった。

「こんなこともあろうかと!」

 戦闘職ではないジンは執事姿で会議室に待機していたが、ジェイク脱走を止められる自信はこれっぽっちもなかった。

 だが工作者クラフターとしてなら話は別である。

 ポケットから小型スイッチを取り出すと「ポチッとな」と押した。

「ジェイクさんがヤバい! と聞いて、こんなこともあろうかと脱走妨害用トラップをこれでもかと用意しておきました……んですが」

 廊下の向こうから、数々のトラップを粉砕する音が聞こえてくる。

 それも全部――力任せの力尽くでだ。

「……足止めにもならないようです、残念!」

 ジンは肩をすくめてお手上げのポーズでかぶりを振った。

「トラップで止められるなら、僕たちもこんな苦労してないよ!?」

 ソージは膝蹴りを受けた胸の下を押さえながら立ち上がると、ジェイクの後を追おうとした。レンとアンズも部長の後に続こうとする。

「――待ちな、お嬢さん方」

 そんなソージたちの行く手を阻んだのはバリーだった。

 ジェイクの身元保証人として会議に参加していたが、「おれは用心棒だから小難しいことに口出すつもりはない」と押し黙っていた。

 ウェスタンハットを目深に被り、防塵マントは口元まで隠している。

 うつむいてるので表情がわからない。

「兄貴を……ジェイクの兄貴は、このまま行かせてやってくれ」

「なっ、何を言ってるんですかバリーさん!?」

 ソージがバリーの訴えに耳を疑うと、レンとアンズもこれに続いた。

「ジェイクさんが暴れたら、本当の戦争になりかねない……」
「準備とか大事だから戦争はまだダメなんでしょ? だったら……」

 わかってる! とバリーは声を荒らげる。

「そんなのは学のないおれだってわかってる! 戦争をおっぱじめるには時期尚早だって! それでも……後生だ、兄貴を行かせてやってくれ……」

 あんな我武者羅がむしゃらな兄貴――見てらんねぇよ。

 涙ぐむ声はしゃくり上げ、ちゃんと発音できていない。

 それでもバリーの気持ちは痛いほど伝わってくる。

「兄貴をあんな風に変えた元凶がそこにいるなら……さっさとその手でぶち殺させてやってくれ……それで兄貴が昔みたいに戻る保証がねぇのはわかってるが……それでも、望みを叶えさせてやってくれ」

 頼む……バリーは帽子を押さえたまま涙を飲んだ。

 気後れするソージたちが動けずにいると、マルミが静かに立ち上がった。

「……そうね、行かせてあげた方がいいのかも」
「マルミさん!?」

 ソージが非難めいた声を上げてもマルミは取り合わず、会議室の出入り口である両開きの扉へ近付いていく。

 乱暴に開け放たれてはいるが――壊されてはいない。

「現場へ駆けつけるなら、壁を突き破って直線距離を飛んだ方が早い。なのにジェイクは部屋を出て、廊下を走り抜け、玄関に向かっていった……」

 人間らしいルートを選んだとも言える。

「トラップの破り方は人間離れしてるみたいですけどね」
「マスクマンくん、シャラップ」

 ジンの余計なツッコミをマルミは鼻であしらった。

 怒りに支配されていても、まだ一欠片ひとかけらの理性は残っているようだ。

「そこに期待し……いえ、もうほとんど賭けね」

 ジェイクの暴走がどのような結果をもたらすのか?

 これはもう完全に未知数である。

 リードを含むバッドデッドエンズの主力を仕留めるかも知れないし、交渉の場を引っかき回すかも知れない。どちらにせよ、四神同盟に迷惑を掛けるという結果は免れそうにないので、そこは何らかの手段で詫びるしかあるまい。

「……もうジェイクの好きにさせてあげましょ」

 マルミは仕方なさそうにさじを投げた。

   ~~~~~~~~~~~~

 リードたちが出現する少し前まで時は遡る。

 最悪にしてバッド・絶死をもたらデッド・す終焉エンズ・本拠地――混沌を拡販せスクランブル・し玉卵エッグ

 その一角に、対象aの怪物を育てる広間があった。

 通称“孵卵室ふらんしつ”と呼ばれるそこで、ロンドは怪物を育てる材料を収獲してきたリードたちを迎え入れると、一休みのティータイムで寛いでいた。

 適度に談笑して、再びリードたちを送り出すつもりでいたのだが……。

「ん? あれ、ヤバくね?」

 ロンドはそう呟くと、いきなり口から大量に吐血したのだ。

 一口飲もうと口を付けていたカプチーノのカップが真っ赤に染まり、給仕役としてそばに控えていたメイド長のミレンが動揺した。

「私、まだ何もしておりませんが!?」

 てっきり自分の暴力行為でロンドに怪我をさせたのかと思い込んだようだが、当のロンドは「違う違う」と否定的に片手を振った。

 吐血しても狼狽うろたえず、ハンカチで口元を拭っている。

「四神同盟との契約が破られたんで、そのペナルティをかぶったんだ」

「それはそれで由々しき事態ですよね!?」

 自分以外がロンドに傷を負わせると慌てるのか、ミレンは「救急箱! 救急箱!」と上半身を道具箱インベントリに突っ込んで治療キットを探していた。

 彼女はロンドの女中メイドを自認しており、いつもフレンチメイドと呼ばれる露出度の高いメイド服で過ごしている。これはとてもスカート丈が短いため、前述のような体勢になると、パンチラどころかパンモロでお尻丸出しになる。

 そんなのお構いなしで回復アイテムを探していた。

 こんなに混乱したミレンは初めてな気がする。

 いつもなら彼女がロンドに怪我を負わせる機会が多い。

 しかし、他人がロンドを傷つけるとここまで錯乱気味に慌てふためくようだ。彼女なりに複雑な愛情表現なのだろう。

 リードはそちらから目を逸らすとロンドに尋ねた。

「吐血するほどのダメージですか?」

 心配するリードにロンドは「うん」とあっさり頷く。

「心臓を中心に、肺とか食道とかそこら辺をごっそり潰された感じかな」
「それ即死級の致命傷ですよね!?」

 なんのこれしき、とロンドは胸を張って意気込む。

「心臓を潰されたって他の臓器でやりくりして動いてみせらぁ」

「神族ならできそう……いや、できるのかなぁ?」
「なにそれカッケエ! 俺も今度真似していいかい、ロンドさん!?」

 リードは懐疑的だが、この台詞回しはアダマスにウケた。

 ロンドは胸に手を添えると。二日酔いの親父みたいに唸っていた。

「う~ん……まあ換えの心臓・・・・・は創ったし、他の部分も同じように修復したから大したダメージじゃねえけど……ちと気分が悪いな」

 換えの心臓とか、とんでもないWordワードが出てきた。

 ロンドの過大能力──【遍く世界のワールド・敵を導かんエネミー・とする滅亡の権化プロデュース】。

 対象aから名状しがたい怪物を創り出す能力だ。

 この対象aの怪物はロンドに絶対服従だが、その前提としてロンドの意のままの形で創造することもできる。つまり「ロンドの新しい心臓」と設定した怪物を生み出せば、潰された心臓の代わりとして癒着ゆちゃくさせることも可能なのだ。

 この過大能力オーバードゥーイングの応用は幅広い。

 バッドデッドエンズの構成員は、ほぼお世話になっている。

 特にLV999スリーナインに届いてない半端者はんぱもの。彼らをLV999に成り上がらせたのは、この能力で創られた「対象aの怪物という能力」を付与されたおかげ。

 ロンドが崇められる理由がこれである。

 彼はもうひとつ過大能力を持っており、これも空前絶後の威力を発揮するのだが、あまりにも単能なので使う機会に恵まれない。

 そのため、ロンドはこの過大能力を上手に取り回していた。

「……最初から四神同盟あちらを出し抜くつもりだったのですね」

 悪い人、とミレンは毒突くように言った。

 その手にはもはや用なしとなった救急箱を抱えている。

 ロンドはへっ、と鼻で笑った。

「そこらへんはツバサの兄ちゃんも織り込み済みよ」

 ペナルティを被っても平気だろ? と読まれているはずだ。

「こちらの粗忽者そこつものが四神同盟にちょっかいをかけることは、ロンド様は元よりツバサ様も想定済み……ということでございますね」

「読まれてるだろうなぁ。ツバサの兄ちゃんは武術での読みも半端ないから、オレの部下がバカやることも読まれてるぜきっと」

「ところで、そのバカやった奴ってどこのどいつなんすか?」

 アダマスが話の腰を折るのも構わず訊いてくる。軽食の五段重ねハンバーガーを一口で頬張り、モッシャモッシャと咀嚼そしゃくしてコーラで流し込んでいた。

 ロンドはプヒーと気の抜けた口笛で返事する。

「話の流れでわかるだろー? 騎士サークルのお姫様だよ」
「ああ、ネリエルのお嬢か……」

 納得、と言いたげにアダマスは二個目のハンバーガーに手を伸ばす。

 ロンドは気の抜けた口笛から失笑に移る。

「単細胞だねー、オレにからかわれたくらいで本気になるなんて」
「……けしかけた当人が仰いますか?」

 そりゃそうだ、とロンドはミレンのツッコミを肯定した。

 その上で手をヒラヒラさせながら反論する。

「しかしまあ、本当に行くとは思わないじゃん? グレンみたいな心底血に餓えてる向こう見ずならともかく、あの嬢ちゃんは箱入り娘なんだからよ」

 おまけに世間知らずの温室育ちだ。

 ふむ? とロンドは疑うように思案する。

「……オレ以外にも嗾けた奴がいるのかな? それともそそのかしたのか? じゃなきゃ、あのおぼこ娘・・・・は早々に動くまいよ……おいおい、誰だそいつは?」

「それはさておき……彼女を放置してよろしいのですか?」

 リードは組織として真っ当な心配をする。

「いずれ激突する敵対組織とはいえど、開戦まで不戦の契約を交わした間柄です。それを一方的に破棄したとなれば心証は最悪……面目も立ちません」

 どんなしっぺ返しを食らうかわかったものじゃない。

 そのように進言するもロンドは気乗りではない。

「だってー、部下が勝手にやったことだもん。しょうがないじゃん」

 ロンドは唇を尖らせてそっぽを向いた。

「その責任を取るのが上司の仕事なんですけどね」

 天然の炭酸水で喉を潤しながら、作業に没頭するネムレスにまで言われる始末だ。仕事中でもこちらの話題に耳を傾けていたらしい。

 最終的にミレンが苦言を呈することとなった。

 片目を閉じたメイドは、もう片方の瞳でご主人様を見下げ果てる。

「あんまり無責任ですと――ツバサ様の顰蹙ひんしゅくを買いますよ?」

 真顔となったロンドから血の気が引いていく

「……そ、それは駄目だ。ツバサの兄ちゃんに嫌われるのは勘弁。殺意満点の眼で睨まれるのは全然アリだけど、嫌われて好感度下がるのはアカーン!」

「……既に好感度は深淵しんえんの底まで堕ちてるのでは?」

 リードのツッコミも届いていない。

 お気に入りのキャバクラ嬢にフラれた社長が、どうにかご機嫌取りをしようと策を巡らすような醜態しゅうたいだ。実際、あながち間違った例えでもない。

 ロンドはおたおたしながら指示してくる。

「おいおまえら! 首狩りはいいからネリエルの嬢ちゃんを止めてきてくれ! なに、格好だけでいい。オレが『ちゃんと仕事してますよ』ってツバサの兄ちゃんにアピールするためにも、ロンドオレの命令というていを強調してきてくれ!」

 ――リード、アダマス、ジンカイ。

 この時ばかりは三人姉弟みたいに同じ表情で「えぇぇ……」とうんざり顔をしてしまったが、総大将直々のご命令とあれば無下むげにできない。

 リードたちはすぐさま席を立った。

 アリガミから借りた空間移動の短剣を使い、ネリエルたちの位置を割り出すと、その上空に空間を超えるポータルゲートを開いた。

 そこからネリエルへのお仕置きも兼ねて、真っ逆さまに落下したのだ。

 なんだか……ネリエルの様子がおかしかったけど。

   ~~~~~~~~~~~~

「……って感じで君たちはやってきたんじゃないか?」

 いつも通り、ツバサは胸の下で超爆乳を支えるように腕を組む。そしてなんとなく脳内に思い描いた再現映像を口頭に並べてみた。

 磨きを掛けた洞察力でリードたちが現れた流れを読んでみたのだ。

 呆気にとられたのか、リードは声も出ない。

 前髪に隠されていない左目をまん丸にしている。

「……み、見てきたように仰るんですね。まさか盗撮とかされてましたか?」

「いや、勘と読みだけでストーリーを組み立ててみた」
「完全再現されてるんですけど!?」

 嘘でしょう? と信じられないようにリードは舌を巻く。

 アダマスはうんうんと頷いてる。

「いやー全部あってるわ。すげえな爆乳の姉ちゃ……いや、ロンドさんがいうには兄ちゃんか? あれか、シーメールとかニューハーフってやつか?」

「非常に残念ながら男性器は残ってないけどな」

 完全に女性化したことを男泣きでぼやいたところ、リードがアダマスの極厚な胸板をポンポンと叩いて制した。

「アダマスさん、初対面の人にそういう話題を振ったらいけないよ」
「……お、おう、悪ぃ。ツバサの兄さんもすまなかったな」

 リードの言葉には真摯しんしな含みがあった。

 アダマスも気安くて軽いものの、片手で拝んでこちらに頭を下げてくる可愛げがあった。こういう時、謝れるかどうかで人柄というものがわかる。

 世界廃滅はいめつうたうくせに気遣いのできる奴らだ。

 無責任親父ロンドしつけとは思えないので、育ちがいいのかも知れない。

 改めまして、とリードは挨拶から始める。

「バッドデッドエンズ一番隊のまとめ役をしております、リード・K・バロールと申します。こちらは僕の仲間で……」

「ほら、アレだ。アダマス・テュポーンってんだ。よろしくな」

「……ジンカイ・ティアマトゥだ」

 性別不明の黒ずくめの美青年、大砲リーゼントを決めた筋肉大盛りの巨漢、邪悪な大地母神と形容される大柄な美女。

 各人名乗るものの、その外見は見飽きていた。

「ああ、よく知ってるよ。見た目については聞いてるからな」

「そのようですね……」

 ツバサと視線を合わせていたリードは左目をスゥ……と細めると、女性と見間違えそうな唇を少しだけすぼめて虐げる笑みを浮かべた。

 ドガン! と甲板を猛々しく踏み鳴らす音に振り返るまでもない。

「うわっはっはっはっはっはっはっははははッ!」

 怒気と喜悦をグラグラと煮立たせた笑い声を上げたのはバンダユウである。一歩前に踏み出して、ツバサの横へと並ぶ。

 黒のシックな着物の上に、金襴きんらん緞子どんす褞袍どてらを羽織る。

 以前はアフロか盆栽と間違えられるかつらを被っていたがやめたらしい。年相応に灰色味を帯びた総髪をうなじで束ねていた。老いを感じさせぬ精力的な面構えは、額が山のように盛り上がるほど眉を怒らせている。

 発する言葉も痺れそうな怒声だった。

「久しいな、おい鬼太郎! リーゼントの筋肉ダルマに、邪悪な爆乳観音さまもご一緒と来たか!? 再会を待ち侘びて夜も眠れんかったぜ!」

 仲間の弔い合戦にでも来たのか? とバンダユウは皮肉を叩きつけた。

「お久し振りです、バンダユウさん」

 組長と若頭は見つかりましたか? とリードも皮肉で返してくる。

 バンダユウは歯を剥いて今にも飛びかからんとする野獣のように笑い、リードはそれを待ち受ける大蛇のように冷静な微笑みで待ち構えていた。

 バンダユウが組長代理を務める――穂村組ほむらぐみ

 その穂村組を壊滅寸前に追い込んだのが、リード率いるバッドデッドエンズ一番隊だった。しかし、その戦いでは彼らも9人の仲間を失っていた。

 その9人を仕留めたのが、他でもないバンダユウである。

 両者ともに浅からぬ因縁があるのだ。

 その後、しゃしゃり出てきたロンドによって、バンダユウたちも瀕死の重傷に追い込まれたが、とある臆病者の勇気によって一命を取り留めることができた。その後、ハトホル国へと逃げ込んできたのだ。

 その際、組長ホムラと若頭ゲンジロウが行方不明になっている。

 ロンドが操る魔物の大群に攫われたらしい。

 リードはそのことをロンドから聞いたのか? 当のロンドも彼らの行方を知っていそうなものだが……問い質しておけば良かった。

 再戦したくてウズウズしているバンダユウだが、四神同盟の最年長組という自覚があるため迂闊に手を出さない。

 さすがは年の功である。

 もっとも激戦を繰り広げたというアダマスも、今か今かとファイティングポーズを取ってスタンバイしているが、リードが懸命に押し止めていた。

 宣戦布告からの――開戦まで不戦契約。

 これを重視しているのか、リードからもこれ以上の挑発はなかった。

「まずはお詫びから……ウチの者がとんだご無礼をいたしました」

 ネリエルとその騎士団、彼らの暴走をリードは謝罪した。

 敵であるツバサたちに頭を下げる辺り、本当に礼儀を弁えているらしい。腹の中では何を考えているかわからないが、対外的には正しい行為だ。

「約束は約束――ペナルティは発生しております」

 契約違反の罰を食らったロンドが、大ダメージ(すぐ回復したが)を負った旨の詳細を改めて説明してくる。そして、本題へとスムーズに移行させた。

「……ロンドさんの負傷のみでは、そちら様も納得いかないところがございましょう。そこで契約違反の追加賠償と致しまして、今回の首謀者であるネリエル一派の粛正しゅくせいなり仕置しおきなりを行います。それで勘弁してほしい、とのことです」

 リードは報告書のように言葉を連ねる。

「それでもご満足いただけないのであれば、ネリエル一派を始末いたします」

「そちらの主戦力を何分の一か削る……それがこちらへの賠償か」
「ご納得いただければ幸いです」

 リードは気をつけの姿勢から紳士的に頭を下げた。

 相手の戦力が減るのは有り難い話だが――どうにもいぶかしい。

 あちらの仲間内の事情なので推測の域を出ないが、ネリエルは最初からバッドデッドエンズでは異端分子だったのではなかろうか?

 それも厄介な不穏分子だ。

 いつ暴走するかわからない連中を燻り出すために、宣戦布告からの不戦契約という機会を利用された感が透けて見える。

 最初から計画した手順なのか? あるいは偶発的な結果なのか?

 ロンドの腹の内が透けず読めないのが腹立たしい。

 ツバサとレオナルドは目配せをする。

 視線を数瞬交わしただけで、暗黙の内に話し合う。

 ここはイシュタルランドから近い。下手にごねてリードたちに暴れられたら、国民に被害が及ぶ。LV999の仲間を総動員して、主戦力である彼ら三人を仕留めるという案もなくはないが、ある不確定要素が邪魔をする。

 ――まだネリエルに息があるのだ。

 奇妙な小箱から発する瘴気しょうきは止まり、ネリエルの気配も虫の息だが、彼女があの小箱によって新たな蕃神にでもなられたら一大事である。

 事実、先ほどはそうなりかけた。

 あの小箱もロンドが与えたもの……とは考えにくい。

 ロンドは蕃神を戦略のひとつに組み込んだことはあったが、蕃神由来の物品を使うことはないのではないか? とツバサの勘が囁いている。

 蕃神を「凶暴な獣」くらいにしか思っていない。

 火牛かぎゅうけいのように牛などの動物を軍略に取り込むかの如く、利用することはあれど異次元の力に頼るような男には見えなかった。

(※火牛の計=古代中国はせいの国の将軍・田単でんたんが考えた戦術。まずたくさんの牛を集める。角に刀剣、尾には松明たいまつを結びつけて火を付ける。すると牛は暴走するので敵陣に突っ込ませる。剣と炎を帯びた暴れ牛の大群による撹乱かくらん戦術)

『この世界を滅ぼす――ロンドオレの手でな』

 そこに彼なりの矜持きょうじというか、一本気なところには共感が持てた。

 となると――あの小箱の出所も気になる。

 不確定要素満載なネリエルは気に掛かるが、引き取ってくれるなら有り難い。国の近くで、蕃神の息が掛かった者に暴れられるなど迷惑千万だ。

 この場は大人しく引き下がらせる、ネリエルたちも引き取ってもらう。

 それがツバサとレオナルドの導き出した共通見解だった。

 アハウとドンカイ、そしてミサキにも目配せで了解を得ると――。

「わかった、その謝罪と賠償を受け入れよう」

 ツバサはこの取引を承諾した。

 バンダユウもツバサの判断を信じて、殺気の矛を収めてくれる。「余所よそさまの庭先で暴れるのも迷惑だよな」と顔に書いてあった。

 ただ、老ヤクザの目は「このクソ餓鬼ども殺す!」と燃えたままだが。

 理性と感情を切り分けられるのは老獪ろうかいと褒めたい。

「ありがとうございます、ツバサ様」

 リードも安堵の吐息を漏らすと、一礼して言葉を続ける。

「我らが統率者であるロンドさんに代わり、御礼申し上げます……では、ひとまずネリエルを引き取らせていただき……」

「おいリード、おいってば、リード、なあリード、ほらアレだ」

 ツバサたちへの別れの挨拶を済ませて、早々にネリエルの首根っこを引っ捕まえて逃げ帰りたいという態度が見え見えのリード。

 そのリードの肩を、アダマスがチョイチョイと突いていた。

 普通の身の丈のリード。その細い肩を3m越えの大男アダマスが、身を屈めてチョンチョンと突っついている姿はコミカルだ。

 鬱陶うっとうしさのあまり、我慢できずリードは振り向く。

「……もうなにアダマスさん? 今大事な話をしてるんだから」

「いや、ほら、アレだ。ジンカイのあねさんが……」

 なんか変だぞ、とアダマスはそちらに顔を向けた。

 アダマスのリーゼントが指針となって、全員の視線がジンカイという異形の女神へと注がれる。何人かの野郎は巨大な乳房に釘付けだった。

 確かに――あからさまに様子がおかしい。

 彼女の相貌は揺らぎない無愛想がデフォルトだった。

 それが今、驚愕に打ち震えている。全身も小刻みに戦慄わななかせて身体中の異物もざわめかせているが、やがて口元が愉悦を楽しむように釣り上がっていく。

 彼女の視線はある一点に集中する。

 その先にいるのはハトホル陣営の副将――横綱ドンカイだった。

呑海どんかい……ドンカイ……ドンカイィィィ―――ッ!」

 突如ジンカイは動き出した。

 よろこびの奇声を上げたジンカイは、下半身の蛇体と無数の動物の脚をこれすべてバネにして、甲板を蹴破りながら爆発的に突進する。

 目指す標的は――ドンカイ。

 驀進ばくしんするジンカイはドンカイへ体当たりで激突していく。

「……ぬうぅ! このぶちかましは!?」

 長い蛇の身体をもつジンカイが圧倒的ウェイトを誇るが、ドンカイは怯むことなく受け止める。相撲でいうところの“がっぷりつ”で組み合った。

 しかし、足場が耐えきれない。

 二人の激突で発生した衝撃波によって、甲板の一部が吹き飛んでしまい、足場を崩されたドンカイはそのまま船外へと押し出される。

 グノーシスの船首を吹き飛ばしても、ジンカイの猛進は止まらない。

 二人はもつれ合いながら地表へと墜ちていった。

「――ジンカイさんッ!?」

 彼女の暴走はリードにも予想外だったらしい。

 演技ではなく素で驚いていた。リードが呼び止めても耳を貸す気配はなく、そのままドンカイとの戦いへ突入しかねない気配である。

 これを傍観ぼうかんしていたアダマスは、自慢のリーゼントを軽く撫でた。

「あ~りゃりゃ、姐さんまで契約違反かよ」



 うん、ほら、アレだ――だったら俺も暴れていいよな?



 ズン! とる気満々の足音でアダマスは踏み出す。

「ほら、アレだ、一日一歩三日で三歩ってやつだ」
「五十歩百歩っていいたいんだろうけど駄目だよアダマスさん!?」

 アダマスまで戦おうとするのでリードは制そうとする。

 だが悲しいかな、統合的な能力では隊長に任じられたリードが勝るのかも知れないが、フィジカル面では圧倒的なまでにアダマスへ軍配が上がる。

 メンタル面でもアダマスの方が格上のようだ。

 痩身のリードでは、巨漢のアダマスを抑えることもままなるまい。

「いやさ、さっきから気になって仕方なかったんだ」

 クンクン、とアダマスは鼻を鳴らす。

 どうやら彼の嗅覚は、この場で最高の美味を探り当てたらしい。

 その前に、アダマスは片手を上げてバンダユウに謝る。

「悪いなヤクザの爺さん、リターンマッチはまた今度だ。実は爺さんよりも美味しそうなこ、こうて……こうてんてき? ほら、アレだ、えーっと……」

「別におれは構わんが……好敵手こうてきしゅって言いたいのか?」

 それだそれ、とアダマスはバンダユウの助け船に感謝する。

「絶好の好敵手を見付けちまったもんでよ……俺はあれだ、どっかの皆殺し大好き野郎と違って、美味しいものから先に食いたいタチなんだよ」

 絶対グレンのことだ、とツバサは暗黙の内に理解する。

 一方、バンダユウは再戦を延期されたことにホッとしたような安心の色を浮かべていたが、同時にアダマスが選んだ好敵手が気になったらしい。

「そりゃあ、このラインナップじゃおれはもうロートルだからな……伸び代のある若い衆のがおまえにゃ美味しく感じるだろうが……誰を選んだ?」

「その伸び代ってのが一番デカいやつよ」

 おまえだ! とアダマスは頭から突っ込んでいく。

 極太の脚で甲板を蹴れば、爆発音に匹敵する踏み鳴らしで爆撃されたかのような大穴を開ける。進撃してくるアダマスを、選ばれた好敵手は待ち構えた。

 選ばれたのは――ミサキである。

 アダマスは進みながら背筋を大きく後ろへとたわめ、腹筋も可能な限り仰け反らせると、逆海老反りの体勢になってミサキの頭上へと跳んだ。

 わかりやすい頭突きのモーションだ。

 これをミサキはかわさず、アダマスからの挑戦を“漢”おとことして受けた。

 その場に踏み止まり、直撃する瞬間に全身を備える。

 頭突きには頭突きで対抗するつもりだ。

 インパクトの瞬間――そこから世界に亀裂が生じかけた。

 乗艦グノーシスにトドメが刺される。

 ついに艦体が大破し、崩壊しながら前後へ真っ二つに割れた。

 そして恒星爆発のような閃きが起こると、ボール状の衝撃波が弾ける。刹那が長すぎるくらい短い時間で、微粒子をも崩壊させる破壊的エネルギーの津波が世界の果てまで届き、周辺の大気を熱く燃え滾らせた。

 飛行母艦ハトホルフリート、方舟クロムレック。

 ゴッド・ダグザディオン、ダイレイキオウ、剛鉄全装ラザフォード。

 これらの防御フィールドがなければ、イシュタルランドは灰燼かいじんと化していただろう。その防御力を信じ足ればこそ、敢えてミサキは受けたのだ。

「いいぞ! それでこそ俺の見込んだ“漢”おとこだッ!」

 アダマスは狂気の笑みで額を押し込んでいく。

「オレを……“漢”だと認めるのか?」

 ミサキは美少女の面持ちで意外そうな顔をする。膨らんだ巨乳やお尻を揺らしながらも、アダマスの頭突きを押し返すように四肢へ力を込めていた。

なりなんざどうでもいい! おまえの魂が! 心意気が! 匂いが! これでもかと物語ってんだよ! 俺とタイマン張れる“漢”だってなぁ!」

 さあ――ろうぜ。

「おまえこそ俺の探し求めた、こ、こうて……こうてん……」
「――好敵手」
「そうそれだそれ! おまえこそ好敵手! 俺が闘うに相応しい“漢”!」

 遊んでくれよ――ライバル!

 どうやら漢の子同士の喧嘩が始まってしまうようだ。

 ツバサやレオナルドが一目置いて、溺愛できあいして已まないミサキの潜在能力。それをアダマスの鋭敏な嗅覚は嗅ぎつけたらしい。

 バンダユウは元より、ツバサたちも武道家として完成されてしまっている。

 まだ伸び代があるのはミサキくらいのものだ。

 ――強者を嗅ぎ当てる嗅覚。

 それがアダマスにミサキを遊び相手として選ばせたらしい。

   ~~~~~~~~~~~~

「くぅおおお……こ、これはぁ……ッ!?」

 ジンカイの体当たりに吹き飛ばされるままドンカイ。

 やや、為すがままされるがまま状態だ。

 しっかり受け止めたのでダメージはないが、空中では飛行系技能で踏ん張りを掛けても空を蹴るばかりで手応えが薄い。加えて体格差は歴然である。

 おまけに――この配置・・・・はよろしくない。

 ジンカイのぶちかましを受けて、関取の本能からか彼女の懐に飛び込んで、がっぷり四つで組んだのが災いしてしまった。

 彼女の豊満な胸の谷間に、ドンカイの顔が挟まれているのだ。

 横綱経験者であるドンカイからすれば、取り組みの最中に相手力士の胸へ顔が当たるのは日常茶飯事。必要以上に太っている力士の胸ともなれば、下手な女性より柔らかい乳房をしている……と間違えそうになることもない。

 しかし、女性の胸の柔らかさはやはり別物だ。

 おまけにドンカイを上回る巨女、包み込まれそうになる。

 だが、正体に察しが付いていたので動揺は少ない。

 自他共に認める尻マニアのドンカイだが、おっぱいが嫌いなわけではない。特にツバサ君のように大地母神の超爆乳ともなれば……。

 いやいやいや! 破廉恥ハレンチなことを考えている場合ではない!

 この落下角度だとイシュタルランドに墜ちてしまう。

 そこでドンカイはジンカイの身体を捻るようにうっちゃり投げ、墜ちていく軌道を逸らすと、大きく“気”マナを凝らした張り手を突き出した。

 ダメージを与えるのではなく、遠くへ吹き飛ばす攻撃だ。

 ジンカイはその張り手を避けず、魔獣のような腕を交差させて受け止めたのだが、それだけで終わろうとはしなかった。

 張り手の吹き飛ばす威力を、身体を回転させること自分のものとする。

 そのまま縦に回転すると遠心力で強めてから、長い蛇の下半身をぶっといむちにしてドンカイへ振り下ろしてきたのだ。

 蛇体に生えた無数の脚で蹴りつけることも忘れない。

 ドンカイは降りかかる尻尾に手を添え、しなやかに受け流した。

 ツバサ君との修行で多少なりとも学んだ合気の技術を流用し、ジンカイの力を逆に利用すると、今度こそ遠くへ投げ飛ばしてやる。

 これは上手くいった。

 ジンカイはイシュタルランドから数十㎞離れた盆地へと墜ちていく。

 彼女を追ってドンカイも盆地に降り立った。

 先に降りていたジンカイはドンカイを待っていたかのように、蛇の身体を正座させたかのように折り畳み、太い腕で不格好に地面へ押し当てていた。

 不器用ながら所作しょさを弁えた土下座をしたのだ。

「……お久し振りです、兄弟子・・・

「その顔、やはりおまえじゃったか…………神海じんかい

 ドンカイは驚きよりも落胆らくたんが勝った。

 穂村組の一件から、リードを初めとした一部のバッドデッドエンズについては似顔絵が描かれていたので、ジンカイの顔も確認することができた。

 一目見た瞬間――我が目を疑ったものだ。

 顔立ちが女性的になっていたものの、角界一の甘いマスクで女性ファンを一気に増やした弟弟子の面影を見間違えることはない。

 再会のぶちかまし・・・・・に懐かしさを覚え、ようやく確信が確定となった。

 変わり果てた弟弟子に、ドンカイは沈鬱ちんうつな声で問い掛ける。

「なんじゃ、その風体ふうていは……変わりすぎじゃろ」

 ジンカイは女性らしい高い鼻で笑う。

「見てくれなど、どうなろうと知ったこっちゃありませんよ……男でなくなろうが、怪物になろうが女になろうが……俺にはもう、どうでもいいことです」

 外見に気を遣う必要はありません、とジンカイはにべもない。

「もっとも、“あの日”から身嗜みだしみなんぞ気にしたことはありませんが……」

 あの日――そこに重いアクセントを置いた。

 ドンカイにしてみれば“あの事件”ともいうべき日だ。

「あの事件以来、どこへ雲隠れしたかようとして知れんかったが……バッドデッドエンズで重用されているのをみると、ロンドに飼われとったのか?」

「持ちつ持たれつ……ですよ」

 ジンカイは身を起こすと、全身を激しく震動させる。

「あの人はこの世の全てを滅ぼすことを大義としている……俺は、この世の大半を締める弱い奴らを皆殺しにしたいと願った……」

「……互いの条件が一致したわけか」

 ジンカイは自嘲じちょうの笑みとともに言葉を紡いでいく。

「どれほどの力を有していようと、世界廃滅という一大事業ともなれば一人で手掛けるのは面倒臭いのでしょうね……優秀な手先として使われていますよ……だが、俺にしてみれば願ったり叶ったりだ」

 全身を震動させたジンカイの肉体から、異形の群れが生まれてくる。

 蛇体に生えた無数の生物の脚。

 その脚に見合った本体が、蛇体の内側からズルリと現れる。

 森のような髪が揺れ動くと、そこから羽の生えた怪物が生まれる。ジンカイが背に生えた何対もの翼のはためかせれば、その風圧で飛び立つ。

 瞬く間に怪物の軍勢が跋扈ばっこする。

「ロンドさんに頂いた力も、俺にはしょうに合っている……」

 過大能力――【我が身裂かれてもブレイクダウン生まれ出ずる命】・バースディ

「俺に煮え湯を呑ませてくれた口先だけの弱々しい雑魚ざこどもを! こうして蹂躙じゅうりんするとともに根絶やしにする力を与えてくださったのですから!」

 怪物の母となったジンカイは、子供らを率いてドンカイに襲いかかる。

「それとは別に! 俺は兄弟子あんたにも思うところがある!」

 ジンカイ自身も巨大な張り手でドンカイに攻め寄るが、四方八方から怪物が押し寄せる。何匹もの怪物の牙が横綱の巨体にかじりついた。

「現役時代! 一度たりとも土をつけられなかった大横綱ドンカイにな!」

 ドンカイあんたも弱者どもも――すべて貪り滅ぼす!

 負け越してきたドンカイへの恨み節を叫びながら、ジンカイは他の怪物にイシュタルランドへ攻め込むよう指示する。

 弱き者どもを根絶やしにする、有言実行するつもりだ。

 耳元まで口が裂けた鬼女の高笑いで、ジンカイは殺戮行為に走る。

「ったく……このド阿呆がぁッ!」

 ズッパアン! と鋭い破裂音が鳴り響いた。

 怪物に噛まれてものともせず、ジンカイの攻撃をスルリと抜けて、弟弟子のふところへ潜り込むと、カウンター気味に特別な突っ張りを打ち込んでやる。

 電光石火の早業だ。

 女になろうと容赦なし、顔面へキツいのをお見舞いする。

 その張り手から強烈な衝撃波を発生させる。起点から天地へ水平に広がっていく衝撃波は境界線となり、そのラインを越えようとする怪物は破裂した。

 ドンカイに群がっていた怪物どもも弾け飛ぶ。

「んんぶぅぅ……んんんんんんーッ!?」

 ジンカイは手形の付いた顔を両手で覆い、苦悶の悲鳴で転げ回る。

 無様な弟弟子を尻目にドンカイは準備を始めた。

 ガランゴロン、と履いていた鉄下駄を放り投げるように脱ぐ。

「そこまで性根をねじ曲げておったとはな……兄弟子として恥ずかしいわい」

 肩に掛けていたマント代わりの単衣を脱ぎ捨て、浴衣の上をはだけて鍛え上げた上半身をさらけ出すと、大地の底から震撼させる四股しこを踏んだ。

 そこから腰を落とすと、所謂いわゆる「はっけよい」の構えを取った。

「来い――もういっぺん稽古けいこつけてやるわ」

 その根性叩き直してやる、とドンカイは静かにすごんだ。

   ~~~~~~~~~~~~

 白亜の艦グノーシスはとうとう前後に分かれた。

 船首のある前半分はミサキとアダマスの激突によって発生した爆発に巻き込まれて粉々に吹き飛んだが、船尾のある後ろ半分は地表へと墜ちていく。

 戦いながら上昇していく戦女神ミサキ暴嵐神アダマス

 嵐を引き連れながら、雲の彼方へと消えていく二人を見送った。

 破壊されたふねから飛び降りたツバサたちは、飛行系技能でゆっくり降りていく。そこから距離を測るようにリードも艦から離れていた。

 だが、小細工を忘れない。

 リードは念動力サイコキネシス系の技能スキルを使った。

 それで引き寄せるのは、レオナルドたちが瀕死寸前まで追い込み、身動きの取れない九人の騎士だ。彼らを回収すると艦の残骸へ放り込む。

 その中には昏倒こんとうしたネリエルもいるはずだ。

 取り敢えず、反乱分子をひとまとめにしておくつもりらしい。

 リードは――左眼をまたたかせた。

 前髪に隠された右眼で過大能力オーバードゥーイングを発動させると情報にあったが、左眼にも異なる力が備わっているようだ。泡のような眼光を発していた。

 物理的な影響はないが、何らかの効果を及ぼす気泡。

 高速で飛ぶ大きな泡を浴びた艦の残骸は、落下が止まると宙に浮いた。いや、まるで時間が停まったかのようにピタッと静止した。

 そこから――ジワジワ落ちていく。

 時間を操る能力か? と推察するしかあるまい。

 一時的になら完全停止させることができるようだが、そこからはゆっくりと時が動くらしい。艦の残骸はスローモーションで落ちていた。

 内部のネリエルたちが動いたとしても、おいそれと逃げられないはずだ。

 やがて、ツバサたちは地面に着地する。

 リードも追うように地に足を付けると、艦の残骸も静かに大地と接した。地響きも衝撃も起きない。その上で、リードはもう一度あの泡を浴びせた。

 念には念を入れたと思われる。

 着地する寸前、ツバサは横目を向けた。

 これにバンダユウは慎重な面持ちで首を左右に振る。

「……あれ・・穂村組おれたちを襲った時には使わなかったぞ。出し惜しみしたのか、使うまでもなかったのか……鬼太郎め、舐めやがって」

「いえ、別の可能性も捨てきれません」

 穂村組との抗争後、何らかの方法で得たという可能性もある。

 または――制約のある能力。

 何らかの制限が課せられているため、無闇に使えないのかも知れない。

 この状況下ではツバサたちを相手取る以上、はねっ返りの令嬢軍団を黙らせておくのも難しいため、一時的にでも封じざるを得なかったと見るべきだ。

 なにせ頼りの仲間はみんな暴走している。

 単身でツバサたちを説き伏せるとなれば、うるさい外野と成り得る問題児チームは物理的に封じておくに限るだろう。

 同時に――バンダユウはある懸念けねんを囁いてきた。

「しかし、そうなるとあの野郎……もしかするともしかするぜ?」

「ええ、あれは技能スキル範疇はんちゅうを超えている」

 過大能力オーバードゥーイングと見て間違いない。

 リードの能力は「右眼の赫い眼光を浴びせた対象を消滅させる」ものだと推測していたが、左眼は時間操作にまつわる過大能力と予測できる。

 2つの過大能力を持つ――内在異性具現化者アニマ・アニムス

 四神同盟にも6人いるのだから驚くには当たらないし、ツバサの勘が正しければロンドも内在異性具現化者なので、他にいてもおかしくはない。

 だが、明らかに脅威度は増した。

 一人だからと侮ることはできなくなったわけだ。

 イシュタルランドから30㎞ほど離れた原野に落ちた白亜の艦グノーシス。その残骸の前に降りたリードと、ツバサたちは一定の距離を置いて向かい合う。

 ドンカイはジンカイと――。

 ミサキはアダマスと――。

 それぞれ凄まじい激戦を繰り広げているので、リードと対峙したのはツバサ、アハウ、レオナルド、バンダユウ、の四人だ。賢者、軍師、老練ろうれんな三人が残ってくれたので、いざとなれば知恵を借りられそうだから助かる。

 リードは――沈痛ちんつうの面持ちを極めていた。

 営業先に多大な迷惑を掛けたサラリーマンみたいに冷や汗まみれである。

 大人なツバサたちは色々察してしまう。

「あの……本当に申し訳ありません。ウチの仲間たちが、その……」

 無責任なロンドより、リードの「本気で反省してます」感満載の苦汁を飲んだ顔には同情を禁じ得ない。長文での謝らせるのも忍びなかった。

 ツバサは愛想笑いでなだめてやる。

「ま、なんだ。気にするな、とは安易に言えないが……無責任親父ロンドの集めた人材だから難ありとは踏んでいたが……大概たいがいだな、君んとこのは」

 こうもスナック感覚で契約違反を連発されるとは思わなかった。

 どうせ社員教育とかしていないに違いない。

「お恥ずかしい……まともな人もいるのですが……アダマスさんみたいな者も少なくなくて……でも、それにしたっておかしいんです」

 リードは遠くで戦う仲間を一瞥いちべつする。

 アダマスではなく、ジンカイと呼んだ異形の大地母神をだ。

「ジンカイさんは僕をいさめることもあるほど、冷静沈着で落ち着いた人なのに……何をあんなに荒れ狂ってるんでしょうか? あんな彼女は初めて……」

「ジンカイ? おい鬼太郎、今彼女をジンカイって言ったか?」

 食いついたのはバンダユウだった。

 呼び方に眉をしかめるリードだが、一応は受け答える。

「はい、本名は知りませんが、ご自身を『ジンカイと呼べ』と……」

「まさかそりゃ……神海じんかいって書くのか? 大横綱蒼海そうかい……いやさ、呑海どんかいの弟弟子として名を馳せた大関だ。2年前の不祥事から行方不明と聞いたが」

 角界一のイケメン大関――神海。

 呑海と同じ相撲部屋の弟弟子。呑海もスピード昇進で横綱に上り詰めた天才だが、ジンカイもまた異例の速さで大関になった逸材いつざいだ。

 しかし二年以上前、一般人に大怪我をさせる事件を起こした。

 角界は神海から力士の資格を剥奪、相撲界から追放した。

 以後、彼の行方を知る者は少ない。少なくとも、表舞台に再登場したという話は誰も聞いたことがなかった。

 今ドンカイと戦っているジンカイはどう見ても彼女・・だが……。

 VRMMORPGアルマゲドンを介して性別、体格、外見といったものが変わった者は少なくないので彼女……いや、彼もまたその一人ということなのだろう。

「――詮索せんさくしても始まりませんよ」

 勘繰かんぐりを入れるだけ無駄、とリードは言いたいようだ。

「僕たちバッドデッドエンズは大なり小なり、世界や人類を滅ぼしたいというロンドさんの思想に共感を抱いて集まった、世間からのはみ出し者です。過去なんてどうでもいい、過去を振り返りたくないから未来を壊すんです」

 無闇にほじくり返すと――琴線きんせんに触れますよ?

 それはリードにも言えるのか、「察しろ」と圧力を掛けてきた。

 了解という態度でツバサは応じる。

「……そうだな、これまでの経緯を知ったところで後の祭りだ。現在と未来これからを滅ぼそうとするバッドデッドエンズおまえらをどうにかするのがこちらの主眼だ」

 ドンカイとジンカイの因縁は彼らのもの。

 つけるべき決着があるならば、当人同士で片付けてもらうしかない。

「それとな、お仲間の暴走を謝ることはないぞ」

 お互い様だ・・・・・――ツバサは半眼で諦めを極めたようにため息をついた。

「どんな組織にも言うことを聞かない奴はいる」

 そして、流星群が駆け抜けた。

 流れ星としか形容できない目映まばゆい軌跡を描くのは、何千発という蒼い燐光りんこうを帯びた弾丸だった。ツバサたちの間を走り抜けるように飛んでいくものもあれば、頭上を駆け抜けるもの、そして地中から飛び出してくるものもある。

 その軌道も千差万別、銃弾らしからぬものだ。

 本当に流星のように緩やかなカーブを掛ける弾丸もいれば、螺旋状らせんじょうにコイルにも似た尾を引く弾丸もあり、鋭角に曲がりまくる支離滅裂な弾丸もある。

 それらは一斉にリードへと降り注いだ。

 あかい眼光がきらめき、彼の目の前で大爆発が巻き起こる。

 その目で捉えたものを抹消する過大能力を使ったようだが、1つ1つの弾に込められたパワーや加速度に処理が追いつかず、実体こそ消せたものの相殺できなかったエネルギーが爆散という形で現れたらしい。

 爆発の中からリードが逃げるように跳び下がってくる。

 弾丸の流星群はすべてを消去することができず、追いすがる弾丸を赫い眼光で消しながら必死の形相で逃げ回っていた。

「チィィィィッ! な、なんなんですかこれは……ッ!?」

 過大能力――【見渡す視デストロイ野に滅び齎・エンド・す眼球】アイ

 前髪に隠れた赤い眼光が増える。

 ひとつ、ふたつ、みっつ……と凶兆のあかが増える度に、抹消する力の効力が増していき、追跡してくる弾丸の勢いを見る見るうちに打ち消した。

「鬼太郎のやつ、そっちの力も出し惜しみしてやがったか」

 悔しげなバンダユウにツバサは訂正を促す。

「バンダユウさん、あれは出し惜しみじゃありません。できれば使いたくない、って顔ですよ……恐らく、代価に相当なものを支払ってる」

 あれほどの強力な力を解放すれば、どんな人間でも破壊衝動を疼かされて少しは微笑むものだが、リードの顔色はすこぶるつきで悪い。

 追い詰められた獣よりも余裕のない、四苦八苦の困惑こんわくまみれていた。

 強力ながら代償を奪われる過大能力オーバードゥーイング――と見当がついた。

 ようやく弾丸をすべて撃ち落としたリード。

 そこへ――弾丸の主がやってくる。

 こちらも性差を超えた美貌の青年だが、リードとは対照的とも言うべき白ずくめのファッションを貫いていた。銀色の長い髪をなびかせて、真っ白いロングコートをはためかせて、フラフラと頼りない足取りで歩を進めている。

 銃神ガンゴッド――ジェイク・ルーグ・ルー。

 二丁の拳銃を両手にぶら下げて、ツバサの脇を通り過ぎていく。

 その時、久し振りに寒気を感じてしまった。

 ジェイクの異様な迫力に、背筋が凍るような感覚を覚えた。それはツバサのみならずレオナルドたちも同様で、リードに至ってはたじろいでいる。

 ゴクリ、と固唾かたずを飲み干してからリードは尋ねた。

「あなた……とても嬉しそうな顔をしていますね」

 ジェイクは笑っていた。

 凶相のまま微笑む顔は、般若の面を連想させる。あまりにも人間離れしており、元の中性的な美貌は片鱗へんりんすらも窺えない。

 怒りと憎しみが最高潮に達した――魔獣があぎとを開いたが如き笑顔。

 激情が臨界点を超えると、表情はここまで凄絶せいぜつになるのだ。

「ああ、嬉しくて堪らないよ……」

 カチャリ、とジェイクは撃鉄を起こす。

 その親指は待ち侘びていたのか、嬉しさの震えを隠せていない。

「撃ち殺したくて蜂の巣にしたくて叩き殺したくて蹴り殺したくて殴り殺したくて踏み殺したくて殺して殺して殺して殺して……殺したい、っていう一念をひたすら練り込んできた日々の果てに……ようやく出会えたんだからな」

 ジェイクの迫力にリードも腰が引けている。

 そもそも、執拗しつように殺意を抱かれる理由を疑問視していた。

「……失礼ですが、僕はあなたのことを知りません……四神同盟所属の方でもありませんよね? ロンドさんの資料にな……」



「黄金の起源龍オリジン――重き彼方かなたのエルドラント」



 ルーグの言葉にリードは押し黙る。

 思い当たる節がある、という心の揺らぎの表れだ

 剥き出しの左眼も泳いでいる。

 たったそれだけの反応でもジェイクには十分だった。

 ジェイクは無言のまま両手の二丁拳銃を構え直して引き金を引こうとしたのだが、必要以上に警戒していたリードの方が早かった。

 右眼が明滅し、赫い眼光を散弾のようにばら撒いたのだ。

 それは触れたものを即座に打ち消す消滅弾。

 真正面から浴びたルーグは、水をぶっかけられた熾火おきびのような音を響かせる。彼のいた場所が濃い水蒸気のような白煙を上げて大爆発を起こした。

 強大な神族を消したため対消滅でも起きたのか?

 度重なる爆発の連鎖に、ツバサたちは巻き込まれまいと反射的に飛び退いてしまったが、リードはその場から動こうとしない。

 濛々もうもうと立ち込める白煙の奥にジェイクを見据えているようだ。

「一応、断っておきますが……」

 先に手を出したのはあなたですからね? とリードは指差す。

 その指先が照準となって、赫い眼光という銃口と連動していた。自身の肉体を拳銃に見立てて消滅弾を射撃しているのだ。

 彼もまた拳銃使いガンスリンガー――ということになるのだろう。

「あの起源龍オリジンの縁者ですか……最後の最期まで弱小種族を守って、一度も戦おうとしなかった臆病者……ならば底が知れま…………ずね゛ッ゛!?」

 リードは最後まで台詞を言えなかった。

 何故なら――鋼の壁叩きつけられたからだ。

 壁に~ではない。壁を~である。

 リード自身が何らかの方法で動かされて壁に叩きつけられたわけではなく、分厚い鋼鉄製の壁がリードへぶち当たるように飛んできた。

 しかも音速を超える勢いでだ。

 指していた人差し指どころか、伸ばしていた右腕も折れる。

 鋼鉄の壁は顔面にぶち当たって鼻の軟骨が折れた。それだけじゃない、あばらや手足の骨までやられて、そのまま後ろへ吹き飛ばされていく。

 いや――押し潰される。

 音速を超える壁と、空気の摩擦まさつによって圧迫されていた。

 この壁はどこから出現した!?

 餌食えじきとなったリード本人が不思議に思い、ツバサたちも不可解な出現に目を見張ったものの、間近にして観察すれば正体が判明する。

 これは――弾丸だ。

 一発ではない、何万発という弾丸で構築された壁だった。

 弾頭はアダマント鋼を高密度で圧縮し、技能を何重にも掛けて強度を増しに増したフルメタルジャケット弾。貫通力と突破力はお墨付きである。

 それが圧倒的な密度で迫ってくる。

 向こう側を除く隙間もないほど、ミッシリと密着していた。一目見れば壁にしか見えないが、その正体は非常識な密度の弾幕だんまくなのだ。

 こうなると弾幕というより弾壁だんへきである。

 弾丸を壁と見間違えるほどの物量で射撃し、それも向こう側を覗く隙間を少しも許すことなく並べ、相互のストッピングパワーを殺さない。

 おまけに――射撃音は一発のみ。

 どれほど費やしたかわからないが、恐るべき連射技術である。

 神族の拳銃使いガンスリンガーのみに許された神業だ。

「お、おのれぇぇぇ……こんな、ふざけた銃撃があって……」

 堪るかぁッ! とリードは怒号を上げる。

 隠れていた前髪が跳ね上がり、赫い眼光を放つ眼が露わになる。その眼光を放つものの正体を知った時、ツバサたちは少なからず息を呑んだ。

 ――昆虫に似た眼が覗く。

 リードの顔、その右半分は肉の割れ目みたいなまぶたに埋め尽くされており、それがひとつずつ開くと赫い光玉こうぎょくのような眼球が輝いている。

 昆虫の複眼に例えるのが最も近い。

 彼は神族でありながら、おぞましい何かに冒されつつあった。

 それでも威力は絶大だ。

 叩きつけられたアダマントの弾壁に赫い眼光を全力で叩きつけると、白煙をまき散らさせながら消滅させることに成功した。

 その白煙を破って――銃口が現れる。

 弾壁が完成すると同時に、ルーグは後ろに張り付いていたのだ。

 リードが弾壁を消滅弾で消すことを想定し、相殺された瞬間の僅かな隙を狙ってこの銃口をねじ込んできた。右手の回転輪動式リボルバーのものである。

 近接戦闘でも使える頑丈さが売りの拳銃。

 その鈍器に等しい銃口が、リードの右眼にブチ込まれる。

 赫い眼光を放つ複眼は潰され、どす黒さを帯びた紅色の血をまき散らした。

「底が知れる? じゃあ知ってくれよ、思う存分……」



 ――たぎったオレの腹の底をッ!



 銃火の咆哮が轟き、肉を焦がす硝煙しょうえんの香りが鼻を突いた。


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