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第17章 ローカ・パドマの咲く頃に
第409話:殺戮エクスタシーと鏖殺エレジー
しおりを挟む「ぶっちゃけ――誰でも“最悪にして絶死をもたらす終焉”になれんだよ」
ロンドは思わせ振りに話を切り出した。
「資格制じゃないのは顔触れを見てりゃわかるよ」
ツバサは曖昧な返事で濁した。
小粋を利かせたつもりだったが、洋画の翻訳みたいな臭い台詞だ。内心そう思いはしたが、上手に返すつもりもなかったのでこれでいい。
ついでに当てこすりもしておく。
「よくも問題児ばかり集めたなと感心したもんだぜ」
どいつもこいつも世界を滅ぼす意志は確固たるものだった。
おかげで説得や懐柔ができやしない。
精々、何人かを封印して地獄のような環境に置くことで、拷問的に反省を促すのが関の山だった。それさえ通じない連中もいる。
破滅へ突き進む人間は、後先どころか自身も顧みないからタチが悪い。
ただ、意外とバラエティに富んでいたのは認めよう。
穂村組を襲撃した一番隊を始め、世界各地でテロ活動に励んでいた連中は統一性が皆無だった。共通するのは世界廃滅への思想くらいだ。
その思想もいくつかに分類できる。
破壊衝動、終末思想、殺人衝動、破滅願望、虚無主義……。
すべてが爆ぜる瞬間に美を見出す退廃主義もいた。
いずれも根底に通じるのは、『この世界すべてを否定する』という負の欲求だ。それがどのような形で現れるかは個人差があるのだろう。
「あんなんでもちゃんと面接はしたんだぜ」
両腕を広げたロンドは肩をすくめて言い訳をした。
冗談にしか聞こえない。
現実で直面したことがないため断言はできないが、面と向かえばのほほんとしていても破壊神の威圧感を発する男だ。
その気迫をまともに浴びれば圧迫面接となりかねない。
チャラい態度との温度差で入院レベルの風邪を引くことだろう。
ロンドは面接官を指折り数える。
「基本的にオレと頭脳役さんでな。たまにミレンちゃんや今は亡きアリガミなんかも同席したが……後ろの二人は探索役を任せることが多かったな」
口振りからして本当に面接したらしい。
「おまえ、そんなの……どうやったって圧迫面接にしかならんだろ」
「そだよ。破壊神の圧バリバリで面接してやった」
ツバサは呆れるが、ロンドは割と真面目に返してきた。
「これも試験みたいなもんさ。資格ってわけじゃないが、破壊神の迫力に飲まれるようじゃあいけねえ。ちったあ耐性ないとな」
破壊神の眷族にはなれねえわけよ、とロンドの掌中に冥い靄が浮かぶ。
あれは世界を滅ぼす怪物の素だ。
ロンドの過大能力――【遍く世界の敵を導かんとする滅亡の権化】。
靄に見えるのは黒い粉塵の集まり。
塵の一粒が瞬く間に世界を滅ぼす怪物と化すものだ。
この怪物はロンドの気分ひとつで如何様にも変転できるらしく、そのまま怪物として成長させるばかりではなく、失った肉体を補う生体器官を作ることもできるらしい。老化したり破壊された臓器もすり替えられるという。
ロンドの若々しさの秘訣はこれのようだ。
(※地球に渡った灰色の御子は、人間の肉体を借りて行動していた。しかし、アストラル体という魂の老化に悩まされ、この対策に苦慮させられていた)
応用力に優れた多様性のある能力らしい。
破壊神にしておくのは勿体ない……とか思ったのは内緒だ。
そして、他者に付与することも可能。
“力”という名の怪物を与えることもできるわけだ。
ロンドから怪物を付与された者は、例外なくLV999までレベルアップ。過大能力も変質し、破壊神の眷族に相応しいものとなる。
これが“最悪にして絶死をもたらす終焉”に与した者の正体だ。
まるで株分けでもされるが如く、破壊神の過大能力を植え込まれることで世界を滅ぼす走狗に仕立て上げられていたらしい。
「オレとしちゃあ暖簾分けの感覚に近いけどな」
「破壊神をチェーン展開でもしようってか? やかましいわ」
こちらの脳内独白を読んできたロンドにツバサは口汚く毒突いた。株分けにしろ暖簾分けにしろ、要するに破壊神の分身を増やすわけだ。
これならばLV999が108人も集まったのも納得である。
力が無くとも努力が足らずとも、ロンドが力添えすればいいのだから。
独自の力でやっているのは、喧嘩番長や鏖殺師など極一部。
一番隊の隊長だったリードを始め、ほとんどのバッドデッドエンズがロンドから力を授かり、その影響を諸に受けていると見ていいだろう。
「……破壊神の圧に耐えられるのは、最初の試験みたいなもんか」
そういうこと、とロンドはツバサの見解に頷いた。
しかし、頭脳役の同伴は弁えている。
自分のチャランポランな性格を自覚しているのだ。面談の進行を任せ、話を脱線させないためのブレーキ役を頼んだに違いない。
それはそれとして――。
ミレンとアリガミが探索役、と聞いてピンと来る。
「探索役……バッドデッドエンズの一員になれる素質を探す仕事か」
その通り、とロンドは鷹揚に認めた。
「誰でもバッドデッドエンズになれる素質はある。だが、それを開花させるかどうかはそいつ次第だ。こっちは上物だけをピックアップせにゃならん」
探す手間は惜しまなかったぜ、とロンドは自慢げだ。
還らずの都を臨める上空――宙に浮かぶ円卓と円形ロングソファ。
守護神と破壊神のゲームは続いていた。
円卓に敷かれているのは、真なる世界の中央大陸を写した地図。それを盤上として配置されたのは、互いの陣営の主戦力を表した駒とコイン。
四神同盟勢が駒で、最悪にして絶死をもたらす終焉がコインである。
各々の勢力が骨肉相食むように殺し合う。
その凄惨な戦況が無慈悲に進展していくのを将棋やチェスに見立てて、独りでに棋譜を進む様を傍観させられていた。
もどかしい――ツバサは臍を噛む思いである。
いつでも最前線に出向き、騒動の原因であるラスボスに真っ向勝負を挑んできたツバサにしてみれば、これほど苦々しい戦いは初めてだった。
自分は戦うことができず、仲間に委ねるしかない。
無論ツバサは仲間たちを信じている。だが、何もできない現実に苛まれ、無力感は肥大化し、言い知れない焦燥感に急き立てられる。
ソファに沈む重い巨尻を、見えない誰かに蹴られている気分だった。
「誰の尻がソファを潰すほどのデカ尻だ!?」
自らの独白にツバサは思わず怒号を上げてしまった。
愛して已まないカフェカプチーノ(何杯目だそれ?)を啜ろうとしていたロンドは、ビクリと震え上がってこちらの様子を窺っている。
「えええッ!? どしたの兄ちゃん急に、オレなんも言ってないんだけど? 被害妄想か? どしたん、オジさんさえ良ければ話聞こか?」
「い、いや、何でもない……失言だった」
本当に被害妄想に端を発するツッコミだから困る。
ソファの底まで沈んでいきそうな女性化したお尻の重さ。地母神に見合った大きさのそれを意識しつつ、恥じらいの咳払いで取り繕う。
――焦りが募るのは否定できない。
尻を蹴られている気持ちになってしまうの当然だろう。
いつどこで仲間が倒れるかわからない。
父や兄のように敬った仲間かも知れないし、母や姉のように慕った仲間の可能性もある。弟や妹のように、我が子や弟子のように世話を焼いた仲間かも……。
想像するだけで母性本能が発狂しかねない。
こんな思いをしたくないから、ツバサはいつも真っ先に戦うのだ。
自分が戦えば仲間を傷付けずに済むから……。
それは紛れもないツバサ自身の決意であるとともに、いつの頃からから芽生えた内なる母性本能に拍車をかけられての行動である。
敵の首魁が目の前にいるのに何もできない。これも腹立たしい。
この戦争――ロンドを倒せば九割方は終わる。
最悪にして絶死をもたらす終焉は極端なワンマン経営と言っていい。
最強の破壊神として猛威を振るうロンド・エンド。
この組織を成り立たせているのは、ほとんど彼の持つ特殊にして特大な力に頼るところが大きい。先述した通り、構成員の多くは彼から過大能力という名の怪物を植え付けられることで、LV999になっていた。
ロンド由来の力は、ロンドが力を失えば消えるだろう。
即ち――ロンドが倒れれば瓦解する。
原因であるロンドが力を失えば、他は烏合の衆と成り果てるのだ。
だからこそツバサは短期決戦を目論んでいた。
当初はツバサとミロのツープラトンアタックでロンドを瞬殺するつもりだった。ラスボスさえ落とせば、後はどうとでもなると踏んでいた。
兵の士気も萎えること請け合いである。
正味の話、破壊神とまともに戦えるのは守護神だけだ。
ここに次元を創り直す万能能力を持つミロのサポートを受ければ、まだ得体の知れない過大能力を隠しているであろうロンドとも互角に渡り合えるはずだし、倒すことも封じることも夢ではなかった。
しかし――ツバサの計画は読まれていた。
ロンドの不確定要素に対抗できるミロの過大能力。
これを封じる策を打ってきた。
ロンドは捕らえていた穂村組の若き組長ホムラや若頭ゲンジロウをバッドデッドエンズに取り込んでおり、彼らを刺客としてぶつけてきたのだ。
洗脳の類ではないらしい。
ホムラが抱いていたミロへの敵愾心や、ツバサへの憧れを焚きつけられ、それらの溜め込んだ不満を解消するためにロンドに与したという。
ロンドからの力も受け取り、LV999にも昇格しているそうだ。
なんにせよ悪墜ちしたことには変わりない。
精神念波の通信を介して、ミロからそんな報告を受けていた。
現在、ミロは半ば強制的にホムラの対戦相手をさせられている。この2人は過去の因縁もあるため、お互いを無視することも難しい。
ミロもホムラとの確執に決着をつける気満々でいるようだ。
『任せて、こんなバカ5秒で沈めてくるから!』
ホムラに吹き飛ばされていく最中、こんなニュアンスのアイコンタクトを送ってきたミロだったが、さすがに5秒では倒せなかったらしい。
LV999になったホムラなら尚更だ。
あの子には特別な才能がある。まだ肉体的にも精神的にも“器”として未完成なので開花には程遠い。だが敵に回すと厄介なものだ。
いくらミロが強くても、今のホムラなら手を焼くだろう。
ツバサにとってミロは対破壊神のために用意した秘密兵器だったのだが、ホムラの乱入によって離れ離れにされてしまった。
ロンドの策略にハマったと思うと誠に業腹である。
実のところ――少なからず予感はあった。
『ホムラやゲンジロウ……破壊神の野郎に捕まってんじゃねえかな?』
顧問バンダユウはそんな懸念を抱いていた。
生きていることは指南針というマジックアイテムの効果でわかっているが、いつまで経っても帰ってくる気配がない。自由に動ける状況にないのではと考えれば、その推測に行き着くのは時間の問題だった。
『もしかすっと隠し球に使ってくっかも知んねえな』
戦争に参加させて、四神同盟や穂村組を引っかき回させる。
さすがは裏社会随一の武闘派で知られた暴力団。その顧問を務めてきたバンダユウの読みは冴えていた。現状、ほぼ確定の大当たりである。
ツバサはバンダユウの意見に頷くと、それなりに手を打っておいた。
顧問バンダユウ、番頭レイジ、若頭補佐マリ。
穂村組の幹部でLV999の彼らを遊撃役に選んだのだ。もしもホムラやゲンジロウがバッドデッドエンズとして現れた場合、そのカウンター役である。
レイジとマリは現在、ゲンジロウと戦闘中とのこと。
こちらはある意味狙い通りだが、バンダユウは別件で他のバッドデッドエンズと接触してしまい、手が離せない状況だと報告が入っていた。
長男や次女の援護してくれているという。
こうなると無理に「ホムラ君を任せます!」とは頼めなかった。
バンダユウも悔しそうだが、長男たちを見捨てるほど薄情ではない。
『これも成り行きだ、仕方ねぇ……ホムラは頼む!』
苦渋の決断だろうが、通信でそのようにお願いされてしまった。
他の遊撃役にも打診してみたが、バッドデッドエンズと交戦中か勝利を収めた直後で満身創痍のため、ホムラの対戦相手が務まりそうになかった。
つまり、ミロの代わりにホムラを抑える役がいない。
ミロには宣言通り、早々にホムラを倒すなり組み伏せるなりして無力化してもらい、すぐにでもツバサの許へ戻ってきてもらうしかないのだ。
そのミロから新たに通信が入っていた。
ホムラに正気を取り戻させるため、一か八かの勝負に出るそうだ。
上手く行けばロンドから注がれた猛毒みたいな力を抜き取り、元のホムラに戻せるかも知れないという。ただし、少々時間が掛かるとのこと。
座して待つしかない――ツバサは覚悟した。
諦念したつもりだが、気を抜くと貧乏ゆすりを始めそうになる。
ツバサにとって戦えないのはストレスなのだ。
おまけに諸悪の根源は目の前でのほほんとしてやがる。
今すぐにでもロンドの横っ面をおもいっきり殴り飛ばして、試合開始のゴングを盛大に鳴らしたいのは山々だった。
しかし、ロンドには戦る気がない。
少なくとも、いますぐ戦うつもりがまったくないのだ。
『まだ早ぇよ。大将戦は大トリと決まってる』
ツバサが喧嘩腰で煽っても、のらりくらりと躱すばかり。
『しばらく部下の戦いを観ながら茶でもしばいて駄弁ってようぜ』
この極悪親父は世界が滅び行く過程を満喫したいらしく、戦争が佳境を迎えるまで動くつもりがないのだ。世界が壊されていく有り様を、数多の種族が倒れていく死に様を、嬉々として見物している。
その悪趣味な見せ物にツバサも付き合わされていた。
戦る気がない極悪親父を無視して、四神同盟の有利になるようツバサが立ち回ろうとすれば、ロンドはニヤニヤ顔でこんな具合に脅してきた。
『兄ちゃんが相手してくんねぇなら、オレは何をすっかわかんねぇぞ?』
ミロだけではない――これでツバサも抑えられた。
ツバサが本気ならば、20人の終焉者を短時間で全滅寸前へ追い込める。ロンドはそれを見越して、自身の行動を代償に封じてきたのだ。
ツバサがバッドデッドエンズを全滅させかねないように、ロンドが本腰を入れたら四神同盟を壊滅させるどころか、真なる世界その物がヤバい。
破壊神ならば一瞬で世界を滅ぼすこともできる。
手合わせした経験のあるツバサは、その実力を身を以て体験していた。
世界廃滅なんて口にしたところで妄言で終わりそうなものだが、ロンドの場合は有言実行する実力が本当にあるのだから侮れない。
だからこうして――空の上のお茶会は続いているのだ。
円卓の盤上では四神同盟の主力を表す駒と、バッドデッドエンズの構成員を表すコインが忙しなく動き回っている。
戦局は絶えず動いており、勝敗が決した戦いもいくつかあった。
幸いにも四神同盟の駒はまだひとつも欠けていない。
一方、バッドデッドエンズは8枚のコインが砕け散っていた。
これは20人(+α)の終焉者に選ばれたバッドデッドエンズの構成員が、8人まで倒されたことを示している。残すところは12人(+α)だ。
それもまた多少なりとも遺憾ではあった。
悪の限りを尽くしてきたバッドデッドエンズどもに情状酌量の余地はない。非道な悪漢死すべし、と断罪してもいいと思っている。
それでも――誰かを殺すことに躊躇いを覚えないわけではない。
こんな時は剣豪の死生観を見習いたかった。
『やかましい! 人間が死んだくらいで喚くなッ!!」
『誰かに傷を負わせるなら──自分もまた傷を負うと知れ』
『ましてや相手を殺そうってなら、殺されても文句を言うんじゃねえよ』
以上――人斬りセイメイの発言である。
あいつだけ修羅道に生きてるのではなかろうか?
普段は飲んだくれでろくに働かないニート侍のくせして、殺る時は本気で殺る男だから恐ろしい。人斬りとはそういうものなのかも知れない。
ツバサはそこまで割り切れなかった。
どうしようもない悪党を抹殺するのは仕方ない。だが戦争においては味方にしろ敵にしろ、被害は最小限に留めておきたいという心情なのだ。
悪人を殺す覚悟はあるが、できるならば控えたい。
――乙女心は複雑なのだ。
「誰が爆乳乙女だコラぁ! 乙女がオッパイ大きくて悪いか!? 乳尻太ももがデッカいと乙女って呼ばれちゃいけないのか!?」
こちとらまだ二十歳だぞ!? とツバサはいきなり激怒した。
これにはロンドも目を丸くして仰天する。
手にしたマグカップからカフェカプチーノがこぼれそうだ。
「さっきからどしたの兄ちゃんっ!? オジさんなんも言ってないんだけど!? なんかセクハラ発言した? それとも情緒不安定かよおい?」
もしかして――あの日?
ほんのり頬を染めたオヤジが恥ずかしげな小声で尋ねてきた。
ツバサは口から火を噴く勢いで怒鳴りつける。
「それこそセクハラ発言の元祖みてえなもんじゃねえかコラぁ!」
殺戮の女神になりかけるほどの強い怒りに駆られたツバサは、情緒不安定の原因であるロンドに当たり散らした。ちなみに、あの日ではない。
考えれば考えるほど――この極悪親父が悪い。
ミロとホムラの戦いが心配で堪らず、仲間たちの安否を気遣い、戦えない欲求不満が右肩上がりで上昇し、挙げ句の果てにはぶん殴りたい極悪人を前にしておきながら、ずっとお預けを食らっているのだ。
ツバサのフラストレーションは限界寸前だった。
そのため先ほどから女神化した自分の肉体をちょっとでも意識すると「誰がお母さんだ!」のバリエーション違いを暴発気味に発してしまう。
円卓を飛び越えて殴りかからん勢いである。
「……ったく、いつまでこんな茶番に付き合えばいいんだよ」
ソファに座り直したツバサは不満をぶつけた。
「さて、オレのテンションが上がるまでってところかな」
短気を殺して気長に付き合ってくれ、とロンドは他人事である。
もどかしい――ツバサの臍を噛む思いは続く。
そろそろ噛みすぎて臍が砕けるのでは? と思いたくなる始末だ。
心配といえばミロや仲間たちも心配で堪らない。
戦争という矢面に立つ仲間が激戦を強いられて傷を負っている。
それを思うだけでツバサの胸ははち切れそうだった。
「誰がマジで爆発しそうな超爆乳だ!?」
ツバサは本当に爆発しかねない勢いで乳房をドムンドムン揺らしながら決め台詞を怒鳴ったものの、ロンドは悲しいほどノーリアクションだった。
無反応でカフェカプチーノを飲んでいる。
「いや、三度目の正直でもう驚いてやれねえよ?」
マグから口を離すと、空いた片手を軽く振っていた。
「…………フン」
スルーされた虚しさと大人の対応をされた気恥ずかしさから、ツバサは顔を赤くすると明後日の方向を向いて惚けることにした。
しかし、みんなを想うあまり胸がはち切れそうなのは事実だ。
さっき搾乳休憩をもらったばかりだというのに、もう乳房がハトホルミルクで張っているような疼痛さえ覚えてしまう。
母性本能のせいで乳腺が刺激されまくりなのかも知れない。
知らず知らず、そっと胸に手を添える。
もっとも乳房が大きすぎて心臓の鼓動もろくに感じ取れなかった。かといって胸の谷間に手を差し込んで、不安定な心音を拾うのも変だし……。
もどかしい――別の意味で切なくなってくる。
「ツバサ様、僭越ながら……」
背後からソファ越しにクロコが耳打ちしてきた。
ハトホル一家 メイド長 クロコ・バックマウンド。
実はこの大戦争では役割的に遊撃役の一員だったのだが、故あってツバサの補佐を任せている。守護神と破壊神の棋譜に付き合わせていた。
対するロンドも女中を一人従えている。
ミレンという金髪のフレンチメイドだ。クロコがオーソドックスタイプのメイド服なので、ちょっとした対比になっていた。
「なんだよクロコ、セクハラなら受け付けんぞ」
ウチの駄メイドが変態性欲の持ち主なのは周知の事実。
そいつの意見に耳を貸した日には、エロ展開になるのは目に見えている。ツバサは冷淡にあしらうよう常日頃から心掛けていた。
「セクハラなどではありません。ツバサ様の身を案じる進言でございます」
コホン、と咳払いをしたクロコは耳元でねっとり囁きかけてくる。
ASMR――なんて単語を思い出す息遣いでだ。
「度し難い豊満さゆえ己が手でも持て余すほどの超爆乳……その内側にみっしりと詰め込まれた乳腺が、仲間の皆さまの安否を気遣うあまり母性本能を焚きつけられまくりで、またハトホルミルクを大量に増産されているのでございましょう? 速やかに二度目の搾乳休憩をお勧めさせていただきます……♡」
ズクン! とツバサの乳房が鼓動した。
片方だけでも帽子の代わりに使えるほど巨大なブラジャーのカップを破りそうなほど激しく膨張させた乳房は、その先端を硬く大きくさせるとともに乳白色の液体を待ちかねるように先走りで漏らしていた。
まるで噴火を間近に控えた活火山だ。
そんな危険物を胸にふたつも抱えているような感触に戸惑う。
「う、嘘だろ……さっき、あんなに……ッ!?」
搾乳したはずなのに! とは口が裂けても声に出せなかった。
ツバサは当惑すること頻りである。
さっき恥を忍んで「搾乳休憩」と称して、これでもかとハトホルミルクを搾り出して楽になったはずなのに、もう溢れそうなほど貯まっているというのか?
錯覚だ、と思いたいが肌感覚は正直だった。
じんわりとした湿り気がブラジャーのカップに充満してくる。
母乳パッドは仕事をしてくれているが、それでもクロコに囁かれた程度で湿るほどお漏らしをしてしまったことに羞恥心が燃え上がった。
こういった言霊の力は侮れない。
クロコの言葉を受けて再認識した結果、思った以上に乳房が張り詰めているのを改めて実感させられてしまった。
本人が忘れた振りをしてやり過ごそうとしている不都合でも、無理やり思い出させるように誘導することもある。
――クロコの言葉はまさにそれだった。
乳房が張ってきた感覚はつきまとうものの、「母性本能が昂ぶっただけで気のせいだよな」で済まそうとしたツバサを事実に直面させ、溢れんばかりに溜め込まれた母乳をあふれさせるほどの呼び水となったのだ。
「図星……でございますね?」
ツバサの反応を見抜いたクロコは淫らに微笑む。
囁き声のトーンは落ちたのに音量が増す。クロコの唇が更にツバサの耳元に近寄ってきたのだ。聞こえる吐息の妖しさも増してきた気がする。
「無理は禁物でございますよ、ツバサ様……もう何度もご説明申し上げておりますよね? 母乳は搾れば搾るほど身体が『もっとお乳が必要だ』と思い込んでしまい、どんどん大量に作るようになってしまう……♡」
ズクンズクン! とまたしても痙攣みたいな鼓動に見舞われる。
確かに搾乳の度、クロコからそんな話を聞かされていた。しかし、意識したくない情報なので、無意識の彼方に追いやっていたのだ。
掘り返すように思い出させないでほしい。
雌牛の女神となったツバサの搾乳量は、人間の女性の標準どころか乳牛のそれを上回るかも知れない。朝昼晩と三回搾っても追いつかないほどだった。
搾りきらないと乳房が張って落ち着かない。
だから毎回毎回、搾乳の度には恥ずかしがりながらも後腐れないよう搾りきっているのだが……クロコの言う通り、徐々に量も増えてきていた。
搾れば搾るほど癖が付いて、母乳の量が増える話も聞いている。
だが、搾乳しなければ乳房が張りつめて酷い時は痛みに呻いてしまうほどだ。
控えたいところだが、どうしても止められない。
そして搾乳の度、男心が悲鳴を上げるのは言うまでもなかった。
反面、最高の性感帯になってしまった乳房の快感に酔い痴れるとともに、乳房の膨満感を一気に噴き出すのは排泄などの溜まったものを吐き出す爽快感も覚えてしまい、それを子供たちが飲んでくれれば母性本能が歓喜する。
強烈な女性の快感、それに伴う爽快感、更に母性本能による強化。
……男心ひとつで太刀打ちできるわけがない!
「ほら、我慢の限界でございましょう?」
クロコの囁きによって、それらが我が意を得たように騒ぎ始めた。
「常日頃から牝牛の女神としてたくさんのミルクを搾られているツバサ様の乳房は、このように大変肥大化されてしまいましたので、お乳を溜め込む許容量やら積載量やらも並みの女性とは比べものにならないでしょう……ですが、我慢は禁物でございます。こちらも常日頃から申し上げておりますよね……?」
母乳の溜め過ぎは――乳腺炎という病気になりかねない。
「一刻も早い搾乳休憩をすべきと具申させていただきますわ……♡」
ゾクゾクッ! と悪寒が背筋を駆け上がっていく。
男だった頃は感じたことのない、全身の至るところまで染み渡る甘い痛みのような快感が、編み目のように広がる電撃よろしく駆け巡っていた。
ビクンビクン! と全身のむっちりした女性らしい肉が震える。
身体中の性感帯が熱を帯びて感じてしまう.
まだどこも触れていないのに、揉み込まれたように感度を上昇させていた。
特に両胸では快感がマグマのように渦巻いている。
「おや、搾乳と聞いただけで反応してしまわれるようになられたのですか……これぞ条件反射、パブロフの犬……搾乳機を前にして乳を張らす牝牛……」
でございますね♡ とクロコは熱い吐息を耳へ吹きかけてくる。
瞬間、ツバサは愛撫にも勝る快感に打ち震えた。
まだ電流の痺れがある背筋を人差し指でなぞられるような、小さな指先が乳房の滑らかな表面を撫でるような……触感による気持ち良さだ。
あまつさえ、服越しとはいえ硬く尖ってきた乳首を軽く摘まんでくる。
「……っふぁ! んんくぅ……ッ!!」
漏れそうになる嬌声を噛み殺すのが精一杯だった。
クロコの野郎、言葉だけじゃ飽き足らず手まで出してきたのか!?
思わずカッとなりそうになったが、快感に揺らぐ視界の端に立つクロコの両手は、エプロンドレスへ貞淑に添えられたままだ。
まったく動いた気配はない。
なのに、彼女の指や手で愛撫されるような錯覚に陥る。
「そ・れ・と・も……機械や手搾りによる人の温もりが薄い、まるで自慰行為のような搾乳ではなく、愛しいお子様たちを抱き寄せて、その小さくて可憐な唇にツバサ様の肥大化した乳首を含ませることで……授乳をなさりたいですか?」
これに勝る母の喜びはありませんものね……♡
クロコの囁きが鼓膜を震わせる度、幻覚の愛撫に撫で回されていく。
子供たちがツバサへ群がるような幻視を覚え、膝の上に彼女たちの体重を感じる
ほどだった。つい抱き寄せそうになる。
小さな手が乳房にしがみつく、その握力まで感じ取れた。
そして、子供の唇が乳首にしゃぶりつくような感覚にまで達すると……。
「はっ、あ……ひっ!」
快感に身悶えながら喘ぎ声を漏らさないことに全力を尽くす。
超爆乳がバスケットボールみたいにバウンドするのもお構いなし、人前で変な声を上げる方がもっと嫌だった。だというのに、性的な快感はうなぎ登りだ。
ハトホルミルクもダダ漏れだが、下まで粗相寸前である。
我慢のためムチムチの太ももをすり合わせた瞬間、その間から押し出されるようにムッチリした下腹部から股間付近に皮下脂肪が動いた時だ。
くちゅ……と淫らな水音が肌から伝わってきた。
ショーツが濡れてきたのを嫌というほど思い知らされる。
こうして女性的快感に翻弄されている間にも、乳房に吸いつく子供たちの幻影は収まらないので、授乳の幸福感とシンクロして気持ち良さが止まらない。
そして、クロコからの妖魔な囁きも終わらない。
「寂しいのでございましょう? いつも一緒なはずのお子様たちから遠く離れて、娘でもあり妹でもあり夫でもある最愛の伴侶ミロ様も遠ざけられて……皆様の身を案ずるあまり昂ぶって荒ぶって滾って……」
母性本能の収拾がつかないのでございましょう……♡
クロコの言葉がだんだん熱っぽくなってくる。
ツバサの頭の芯まで甘い熱を帯びた快楽で蕩けそうだった。
「せめてミロ様がこの場におられたら、他愛ないセクハラでツバサ様の憂さを晴らしてくれたものを……不在なことが何より悔やまれます♡」
ミロの名前が出た途端、セクハラされている幻覚に襲われる。
疾うに濡れそぼっている秘所へミロの手が伸びていき、彼女の細い指先が入り口を弄ったかと思えば、中程まで遠慮なく差し込まれてきた。
もはやセクハラの範疇に収まらない。
本番を迎えるために潤滑さを求める前戯だ。
わずかに掻き混ぜられただけで、自我を失いかねない快楽が沸き上がる。
「ふぅぅぅぅ……はぁっ! ふぅあ……くっ、あっ……!」
いきなり本命を弄くられて軽く腰が浮いた。
改めて、お尻や太ももがグラマラスな女性になったことを思い知らされる。軽く腰を持ち上げただけなのに、皮下脂肪の重量感がハンパじゃない。
そんな尻や太ももまで――執拗な愛撫で責め立てられる。
無論、本丸ともいうべき股間の女性器への悪戯は継続中だ。
それを維持したまま、他の手で下半身をこれでもかと愛でられまくる。
どれもミロの手だとわかるが、いつの間にか腕の本数が四本から五本くらいに増えていた。幻覚だとわかっているが、アホの子はアシュラマンではない。
それでも、無数のミロの手で性的な愛撫を加えられていた。
下半身がしつこいくらいに責められる一方、ハトホルミルクがだだ漏れになった乳房には何人も愛し子がしがみつき、地母神の乳を吸い求める。
このリアルな幻覚も、女の悦びに拍車を掛けてきた。
「はぁ、んっ、ふぁ、はぁぁ、くぅぅ……ふぁあっ、あ、ふぁ……ッ!?」
はしたない声を深呼吸で誤魔化すのも限界だ。
このままでは――絶頂を迎えかねない。
人前(それもラスボスの面前)で、そんな痴態を晒すわけにはいかない。
「はぁ、はぁ、あはぁ……くっ、ぎぃぃぃ……!」
辛うじて残されている理性に、ありったけの怒りを注入することで力を取り戻したツバサは、全力で奥歯を噛み締めると拳を握り締めた。
「さあ、ツバサ様……想像なさってください♡ 今此処にミロ様が……♡」
「いねえから苦労してんだろうがあああああああああああああああーーーッ!!」
燃える鉄拳を振り上げ、耳元にいたクロコの顎を打ち抜く。
「渾身のアッパー! ありがとうございますッッッ!」
過激な体罰を喰らわせたというのに、クロコは感謝の言葉を喜色満面で叫びながら顔面を仰け反らせた。鼻血が噴水のように噴き上がる。
ツバサは肩で呼吸をしながら振り返り、クロコの顔面を鷲掴みにした。
炭素の組成を金剛石に変えるほどのベアクロー。
お仕置きの握力を強めながらエロ駄メイドに説教をする。
「こ、この……エロス特化型ダメメイドがぁ! 催眠と催淫と催欲を重ねた言霊で言葉責めなんてしてくんじゃねえッ! ちょっとハマっちまったわ!」
かなり長い間、クロコの好きにさせてしまった。
原理としては至極単純――催眠効果のある音声で囁いていたのだ。
人間でもそれなりに効果を発揮する催眠術を、神族がやるのだから強力無比なものとなる。ツバサは耐性があるので掛かりはしなかったものの、子供たちへの授乳やミロのセクハラ愛撫を思い出すくらいの効果はあった。
それも五感を刺激するほどリアルにだ。
これがツバサを嬲っていた幻覚の正体である。
クロコは囁き声に強い言霊を乗せて、ツバサの記憶に眠る淫靡な記憶を追体験させるように促していたわけだ。
いつまで経ってもロンドとの決戦が始まらないフラストレーションから、心理的に余裕がなくなっていたところを突かれてしまった。
でなければ、ツバサがここまで手玉にとられることはない。
握り潰されて変顔のクロコは涙ながらに訴える。
「ううっ~……良かれと思って! 良かれと思ってのことなんです!」
ツバサ様! とクロコはへちゃむくれのまま許しを請う。
ついでに意味不明の弁明もしてきた。
「最愛のミロ様がご不在で元気がなさそうにお見受けしましたので、お怒りを買うのを覚悟でミロ様に代わりセクハラでお慰めしようかと……」
「セクハラいらん! 普通に慰めの言葉をかけろ!」
その慰めもクロコにやらせるとセンシティブになる可能性大だ。この駄メイドは普段の発言からして要検閲レベルなのだから。
しくしく……と声で泣きながらクロコは言い訳を続ける。
「第四の壁から『Hなツバサさんが見たい! 男なのに女性の快感に喘ぎ悶えるツバサ様のあられもない姿を拝みたい!』との要望がありまして……」
「なんだよ第四の壁って!?」
「それに『ここんとこ戦闘ばかりでエロ成分が足りない』と天の声も……」
「それは天啓じゃなくおまえの願望だろうが!?」
クロコに限った話ではなく、ジンやセイメイも時折この『第四の壁』に触れるのだが、どうもコメディリリーフという技能持ち特有のものらしい。
後でフミカに調べてもらおう。
「なんでぇ、前戯だけヤッといて本番なしで終わりかよ」
残念そうな声に振り向けば、ロンドがソファに寝そべっていた。
まるっきり自宅で寛ぐ親父にしか見えない。
ソファが大きいのをいいことに寝っ転がって頬杖をついており、手の届く場所には酒やビールにウィスキー、山盛りの肴が用意されていた。
晩酌しながら野球中継を観戦しているかのようだ。
「せっかく上物の百合レズ動画をかぶりつきの生配信で見られるかと思って、こうして晩酌の準備しながら待ってたのに……」
「ロンド様の命により撮影もスタンバイしておりました」
極悪親父の後ろでは、フレンチメイドがハンディカメラを構えていた。クロコに負けじと無表情なくせして、親指を立ててサムズアップするフレンドリィさだ。
この悪ふざけ主従にツバサは激昂する。
「晩酌してんじゃねーよ! まだ日も高いよ! 午後にもなってねーよ! そのビデオカメラ寄越せ! 記録媒体もろともブッ壊してやる! 誰が百合レズ動画の主演女優だ! 大人しくカフェカプチーノでも飲んでろこの極悪親父がぁ!」
おもいっきりツッコミの乱舞を入れてやった。
抜かりなく轟雷を放つと、ミレンの構えていたカメラと記憶装置は壊す。ついでにロンドにも浴びせたが、極悪親父はどこ吹く風である。
やっぱり――どんな攻撃をしても無効化されてしまう。
よほど強力な防御結界を張り巡らせているようだが、正体がわからない。
分析系技能にも引っ掛からないのでトリックがあるようだ。
それにつけても、小指で鼻をほじるロンドの余裕さに腹が立つ。
よっこいしょ、とロンドは億劫そうに起き上がる。晩酌セットをミレンに片付けさせてから座り直すと、両手で「T」を形作るジェスチャーを送ってきた。
「んで、どーする? もっかい搾乳休憩行っとく」
「誰が搾乳休憩だ!? 度々すんません! お願いします!」
やり過ごそうかと思ったけれど無理だった。
仲間の心配で母性本能フル回転したのが原因だが、クロコの言霊によって乳腺を殊更に刺激されたのも手伝っている。痛いほど乳房が張っていた。
まさかこんな短時間で二度も搾乳させられるとは……ッ!
クロコは無表情のままクラッカーを鳴らした。
「新記録更新でございますね、おめでとうございますツバサ様」
「誰が新記録更新だ! 半分クロコのせいじゃねーか!」
がなり立てながらもクロコの過大能力である【舞台裏】を借りて、搾乳休憩を済ませるとともにヤバくなりかけていた下着類も着替える。
「……ったく、情けない」
クロコの【舞台裏】から戻ってきたツバサは、重い尻を再びソファに沈めると疲れたため息をついたまま項垂れる。
この際だから忌憚ない文句をぶつけさせてもらう。
「仲間たちが命を張って血を流して戦っている最中だっていうのに……俺たちはのんびりお茶して、エロ漫画だかギャグ漫画だかわかんないようなことばっかしてるなんて……みんなに申し訳が立たないし、面目なくて堪らねぇよ」
「ふーん、そいつはご愁傷様だな」
ロンドは素知らぬ顔で小指を立てると、耳の穴をかっぽじっていた。
しかし、こちらの話を聞く素振りは一切ない。
「一事が万事、テメエのせいじゃねえかこの破壊神野郎!?」
ツバサの鋭いツッコミを受けたロンドは、ほんの少し表情を変える。
「誰かが苦しきゃ自分は楽し――だぜ兄ちゃん」
突然よくわかならい言葉を振られてツバサは反応に困った。
ロンドは構うことなく話を続ける。
「誰かが苦しきゃ自分は楽し、誰かが楽しきゃ自分は苦し、他人が笑えば自分は泣いて、他人が泣けば自分が笑う……立ち位置が違うだけなんだよ」
すべて同じことなんだ、とロンドは言った。
お巫山戯を匂わせない口調、真剣味を帯びた声である。
「シリアスなストーリーにお笑いを挟むなとか、ギャグ漫画のくせに真面目な展開するなとか、よくブーたれてる奴がいるけどよ……オレに言わせりゃそいつの了見が狭いだけよ。大きな視野を持てないお子ちゃまなんだ」
すべて同じもの――何も変わりゃしねえのさ。
「悲劇も喜劇も物語にゃ変わりゃしねえ。誰かが笑ってる横で誰かが泣いてることなんざザラにあるし、その逆もまた然りだ。シリアスな物語だって笑えるポイントがあれば、コントの中にも真剣な要素がそこかしこにある」
立ち位置の違い、異なる視点に過ぎない。
「一面だけを捉えてギャーギャー騒ぐのは餓鬼のすること……いやさ」
猿と変わんねえぜ? とロンドはその他大勢を嘲った。
確実に一般大衆、それも大多数の人間をバカにした言い方である。
「……多面的な視野を持て、と言いたいのか?」
表情こそ訝しげに問うツバサだったが、それはインチキ仙人である師匠の教えにもあった思考方法なので共感できた。
『どんなもんでも多面的かつ多角的に捉えるよう意識しろ』
そういうこった、とロンドと師匠の返事が重なる。
ドヤ顔のロンドは詐欺師めいた目付きで詰め寄ってきた。
「わかりやすく例えようか?」
――あるところに一人の男がいた。
その男は身内を大切にしたので、男が死んだ時に家族や親族は悲しみ悼んだ。反面、その男に酷い目に遭わされた人間は星の数ほどいたので、彼らは男の死に喝采して大喜びをした。祝杯を挙げる者もいたくらいだ。
「極端な例だが、これも立ち位置と視野の違いを表すものだな」
他人の不幸は蜜の味、他人の不運で飯が美味い。
「そういって喜ぶ奴はいくらでもいるだろ? 他人の失敗を指差してプギャー! って笑ってる奴。時代がどれだけ進んでもなくならねぇ視点だ……だが気をつけろよ、他人を笑ってるだけの輩はろくな人間になれねぇからよ」
「破壊神に言われたくないな」
違ぇねぇ! とロンドは顔を片手で覆って笑った。
「だからオレも苦労して育ててくれた親父に顔向けできねえのよ。こういう含蓄ありそうな話も、みんな親父の受け売りだってのにな」
しかし、このような例でも如実に表されるものだ。
「嘆く奴もいれば笑う奴もいる。しかし、男の死という事実は変わらない」
だが、立ち位置が異なって視点が違えば見方が変わるのだ。
――あるところに一人前の料理があった。
豪華ではないが貧相でもない、ごく普通の家庭料理である。
それを目にした王侯貴族は「ほう、平民の料理だな」ぐらいの感想しか持たないだろう。だが、水で飢えを凌ぐような貧しい奴隷が見れば「おおっ! なんてご馳走なんだ……ッ!」と涙ながらに感動するはずだ。
「これなら子供でもわかるだろ? アングルが変わっただけなのさ」
そこに料理が一人前あることに変わりはない。
ロンドは眉間の間に人差し指を立てる。
「真実はいつもひとつ! って名ゼリフがあったけど、ありゃ真理だな。現実だろうと真実だろうと、そこには厳然たるものが一個あるだけだ。後は、それを見つめる億千万を超える眼があるだけさ」
正気の視線と狂気の視線は捉え方が異なる。
だが、目の前にあるものはまったく同じものなのだ。
「視点の数だけ受け取り方の違いがあるわけだな」
全面的に賛同はできないが、ツバサは同意するように返した。
ロンドは立てていた人差し指をツバサに突きつける。
「兄ちゃんは戦争に参加できず、ここでオジさん主催のお茶会に参加させられてることを不満タラタラで愚痴ってるが……見方を変えりゃあこれも戦いだってことは自分が一番よくわかってんじゃねえか?」
なあ兄ちゃん? とロンドは突きつけてきた掌を広げた。
そこから巨獣を生み出す受精卵が沸き上がる。
万や億では利かない、兆や京……そんな桁にまで届きかねない総数だ。
一匹でも放置すれば世界を焼き尽くす力を持つ巨獣。
既に真なる世界中にばら撒かれて大暴れしており、四神同盟の戦士たちが駆除するために大わらわで対応させられている、ロンドにとっての兵隊だ。
「いくらでも追加できるのか……巨獣」
ツバサが苦笑いで毒突くも、頬に流れる冷や汗は止められない。
もしあれを解き放たれたら、各地の戦局がひっくり返される恐れがある。各陣営の防衛が破られ、シェルターまで破壊される可能性が拭いきれない。
ロンドは小銭のように無数の受精卵を掌で転がす。
「ネムレスちゃんが特別に調整してくれた長持ちする巨獣の卵。オリジナルが一個でもあれば、オレの過大能力でいくらでも複製できっからな」
すべての受精卵を掌中に収める。
握った拳にキスをしたロンドは攻撃的な笑みを浮かべた。
「もしもツバサがお茶に付き合ってくれなかったら、ロンドはこいつを世界が滅ぶまでばら撒いた。それを危惧したから兄ちゃんは此処にいるんだろ?」
こいつもまた戦争――その駆け引きだ。
「ほら見ろ、視点を変えたら戦ってるじゃねえか」
兄ちゃんも立派に戦争中だぜ、とロンドはせせら笑っている。
「……言われなくてもわかってるよ、そんなことは」
原因に言われるとムカついて仕方がない。ツバサはその発言は飲み込むと、固く握り締めた右の拳を左手で押さえ込んで我慢した。
できるだけ怒りを溜め込み、ここぞという時に炸裂させてやる。
来たるべき時に備えて懸命に堪えた。
こちらが寡黙になると、ロンドは調子づいて饒舌になってくる。
「人間の視野は生まれつき狭いからな。自分の都合のいいようにしか見ようとしやしねえ。それじゃあダメ、決めつけちゃいけねぇのさ」
色んな見方を覚えなきゃな、とロンドは説教臭く話を締め括った。
カフェカプチーノを啜って話の流れを切り替える。
「……とまあ、多面的な視野を持つように教育的指導をしてみたんだが、オレが求めたバッドデッドエンズの素質はその真逆を行ってんだよな」
「ここまで駄弁っておいて話を戻すのか」
ツバサの指摘も何のその、ロンドはようやっと本題を紐解いていく。
「ぶっちゃけ、誰でもバッドデッドエンズなる素質はある」
誰しもが一度は経験があるはずだ。
「あいつを殺してぇ、こいつを死なせてぇ、あんな学校ブッ壊したい、こんな会社潰れちまえばいい、あの国うぜぇから滅びねえかな、この組織クソだから解体されねえかな……死ね、消えろ、殺す、壊れろ、潰れろ、無くなれ」
みんな――滅んでしまえばいい。
「誰だって一度は思う。善男善女であろうと一度は考える……」
そうだろ? とロンドは問い掛けてきた。
ツバサもその思考には異存がない。頷きながら見解を述べる。
「ああ、人間なら避けて通れない道だ。誰しも破壊衝動を始めとした負の欲求は息づいているからな。しかし、行動に移す者はごく希だ」
単純に――デメリットが大きすぎる。
理由なき殺人や破壊は、人間社会において最も忌避される行為だ。それに手を染めた者は例外なく人々から疎まれ、社会的に排斥されるだろう。
一時の衝動に任せて、すべてを台無しにする者は少ない。
「それらの殺人行為や破壊活動を行えば良くて終身刑、最悪は死刑だ。それを覚悟する瀬戸際まで追い詰められた心境なら情状酌量の余地もあるが……日常でそういったマイナス思考に囚われても、おいそれと実行できるわけがない」
自らにまつわるすべての事柄――。
「未来を失う覚悟で挑まなければならないんだからな」
「自らも滅ぼす覚悟を選ぶことが、バッドデッドエンズになる素質だよ」
ツバサの言葉尻を拾い上げてロンドは断言した。
「さっきの視点の話じゃないが、バッドデッドエンズのアングルは他のもんが見えてちゃいけない。あいつらの視界に映るのは滅びだけだ」
目に映るものすべて――殺して壊して滅ぼす。
怒りでもいい、憎しみでも構わない、恨み辛みも全然ありだ、悲しみを消したい奴もいるだろう、そこに愉悦を見出す者もいるはずだ。
「理由はどうでもいい。ただ、森羅万象の滅亡を望む視点」
――破壊神の視座を持つ。
「それが最悪にして絶死をもたらす終焉になる素質だ」
単純明快と言えばそれまでだろう。
しかし、その境地へ至るにはどんな経歴を歩めばいいのか?
愛する家族を一度に失ったツバサも、その境地を理解しかけそうになった過去はあるが、ミロに助けられたおかげで未経験で済んでいた。
――最悪にして絶死をもたらす終焉。
ツバサとしては彼らの視点が気になるところだ。
何人かの境遇を理解してみようと試みて、出会ったことのあるバッドデッドエンズを振り返っていると、不意にある憎たらしい男の横顔が過った。
憎んでも憎み足りないクソ野郎のにやけ面だ。
「……グレンの野郎もそうなのか?」
「グレン? ああ、利かずのグレン、ぶっ殺しのグレンか?」
最悪にして絶死をもたらす終焉 20人の終焉者。
№05 鏖殺のフラグ グレン・ビストサイン。
今では“鏖殺師”なんて仰々しい肩書きを名乗っているらしい。
このグレンという男とは浅からぬ縁がある。
これは何もツバサに限った話ではない。四神同盟に所属する者だと軍師、横綱、剣豪、拳銃師、拳銃使い、武道家……組長も数えていいだろう。
「そういや兄ちゃんはグレンと顔見知りだっけ」
アシュラストリートだろ? とロンドは因縁の発端を上げた。
「ああ、不本意ながらな……」
VR格闘ゲームの最高峰――アシュラ・ストリート。
阿修羅街という架空の街を舞台に、プレイヤーたちが思い思いの格闘家に扮して腕を競う本格派を極めたVR格闘ゲームである。
ツバサたちは不動のトップ8を誇り、アシュラ八部衆と呼ばれていた。
エンオウやバリーはベスト8入りこそ逃したものの、上位ランキング16位までの常連だったので、ベスト16と呼ばれるトップファイターだった。
このベスト16に――グレンも数えられていた。
アシュラ・ストリートは戦闘に参加するNPCは基本的におらず、ゲーム内で行われる対戦はすべてPVPを前提としていた。
(※NPC=ノンプレイヤーキャラクター、PCが管理する人工知能)
(※PVP=プレイヤーVSプレイヤー、プレイヤー同士で戦うこと)
このPVPはあくまでも格闘を楽しむためのもの。
間違っても対戦相手を再起不能になるまで痛めつけて、死に至らしめる致命傷を負わせて殺害することを楽しむものではない。アシュラストリート運営もそのような遊び方は推奨しておらず、ちゃんとペナルティを科していた。
それでも――対戦相手を殺すことはできた。
アシュラ・ストリートでは勝敗が決すると「対戦相手KO」という報告がシステムから通知されるのだが、そこからFPSゲームでいうところの死体撃ちみたいな真似ができてしまい、敗者を殺すこともできたのだ。
あくまでもゲーム上の死だが、好んでやるようなものではない。
おまけに演出が悪趣味だと専らの噂だった。
相手を殺す時のグラフィックが異常にリアルで生々しく、好奇心から挑戦したプレイヤーが精神的外傷で引退した、なんて話も聞いたほどだ。
ツバサたち八部衆も殺ったことはない。
試したこともないため、噂の真偽は定かではなく興味もない。
あの死生観を極めた剣豪ですら、そこに踏み込んだことはなかった。
(※はぐらかしているため陰で殺っていたかも知れないが……)
この殺害を心ゆくまで楽しんだ男こそ――グレンに他ならない。
ペナルティはおろか多くのプレイヤーからの非難も何のその、グレンは対戦したプレイヤーを殺すことを徹底した。欠かさなかったと言ってもいい。
殺戮と評するしかない狂犬じみた暴れっぷり。
間近で目撃したことのあるツバサは、感想を一言でまとめてみた。
「あいつは何かを殺すことに取り憑かれていた」
殺人に拘泥したわけではない。
ツバサの洞察力で見た限り、グレンは生物を殺すこと、延いては命あるものを殺すことに執着する感があった。人間でなくとも構わないのだ。
虫でも魚でも鳥でも獣でも魔物でもいい。
戦うだけの価値がある獲物――手応えのある強敵を殺したい。
「……そんな風に見えたな」
自らの命を繋ぐ栄養源として食物を得るために、飢えを満たすために狩りをする獣とはわけが違う。滋養のためなんて頭の片隅にもない。
ただただ殺す――その手で命を絶つことに喜びを覚えるのだ。
修羅と呼ぶのも烏滸がましい殺戮狂である。
ロンドもすんなり肯定した。
「大体あってるな。あの利かずは命を殺すことが気持ちいいんだよ。獲物を捕るために狩りをするじゃない。殺すために獲物を狩るんだ」
そういう手合いはいつの世にもいる。
1人殺せば殺人犯だが1000人殺せば英雄だ、なんて嘯く者もいた。
敵を殺すことで英雄と讃えられた時代に生まれていれば、グレンも一廉の存在になれたかも知れないが、平和な時代では狂気の沙汰だ。
それでも心理的欲求から殺人に走る者は後を絶たない。
古今東西、その殺人嗜好ゆえに悪名を轟かした者は数知れなかった。
「世が世なら殺人鬼にでもなっていたというのか……?」
ツバサの疑問にロンドは、「違うね」とフランス紳士風に否定した。
「オレが拾わずに放っておけば人まで殺しただろうが、あいつの殺しは人間に限った話じゃない。兄ちゃんもそれは見抜いてたろ? 殺せりゃなんでもいいんだよ。命を自分の手で奪い取るのが大好きなんだから」
叶うのならば――強者を殺したい。
弱者も殺すけど作業ゲーになるのでダルい。
グレンの「ダルい」という口癖はこれに由来するようだ。
「殺人に快楽を感じて欲望を解消してるじゃねぇ。生命全般を殺すことで享楽的な喜びを満たしてるんだよ、あの利かん坊の殺し屋はな」
まさしく最悪にして絶死をもたらす終焉に相応しい逸材だ。
「随分グレンのことを知ってるみたいだな」
ツバサは口元を押さえ、据わった瞳でロンドを睨みつけた。
「口振りからして、あの殺し屋を買ってもいる……そりゃそうだろう。世界を滅ぼす破壊神の手先としては、打って付けの性癖持ちなんだから」
「まるでオジさんが変態を集めてるみたいな言い草だな」
止めてよね誹謗中傷、とロンドはわざとらしく悲しい顔になった。
「当たらずも遠からずだろうが」
据わる眼を半眼にしたツバサは、はっきり非難してやった。
変態というならばグレン限定ではない。「爆発は芸術だ」と主張する芸術家や、致死レベルの攻撃じゃないと興奮できないマゾとかもいたらしい。
「そういう兄ちゃんは何かとグレンに恨み節だな」
根に持ってんのか――“英霊への道”?
単刀直入に本題を振られたツバサは不機嫌になった。
「……持ってないと言えば嘘になる」
ムスッとむくれながらも渋々だが認める。
アシュラストリート経験者で愛好家だったならば、誰もがグレンに殺したいほどの激怒と憎悪を抱くだろう。それほどの遺恨があるのだ。
――アシュラを終わらせた男。
アシュラ・ストリートをサービス終了に追い込んだグレンの汚名である。
電脳ドラッグ――“英霊への道”。
格闘を始めとした、アクション系VRゲームにおけるアバターの運動能力や反応速度。これを段違いに向上させるという触れ込みで、グレンがアシュラ・ストリートに持ち込んだ電子サプリである。
実際、目覚ましい効能を発揮したため爆発的に流行した。
アシュラ八部衆を始めベスト16及び上位ランカーは「胡散臭い」と興味を示さなかったが、下位ランカーはこれに夢中になった。
この時期、20位以下のランキングは目まぐるしく入れ替わった。
それを考えると“英霊への道”効果はあったらしい。
流行が絶頂に達した時、最悪の副作用が現れる。
この電子サプリの使用者はその使用時間が長ければ長いほど、VRの電脳世界と現実世界での運動神経の落差が激しくなり、身体の筋肉や神経を思い通りに動かせなくなるという奇病を発症させたのだ。
最悪の場合、心筋などの不随意筋まで冒されてしまう。
電子サプリ“英霊への道”は即座に電脳ドラッグとして禁止され、それを製作して頒布したと言い張るグレンも逮捕、刑務所へと投獄された。
その後、アシュラ・ストリート運営は激しく追及される。
グレンと“英霊への道”を放置した件についてだ。
当時はまだ電脳ドラッグに関する法整備が整ってきたばかりなので、対応が後手に回ったのは致し方ない。それでもアシュラ・ストリート運営は一企業として誠意ある対応したと、当時のプレイヤーは誰もが擁護することができた。
しかし、世間からのバッシングは痛烈だった。
『あんな暴力を推奨するようなゲームがあるからいけないんだ』
そんな謂われなき有象無象の声に押し負けたアシュラ・ストリート運営は、批判に屈する形でサービス終了という幕を下ろす道を選んだ。
アシュラ愛好家だったツバサたちは嘆いた。
憎たらしいのは、何も知らない声だけデカイ連中。奴らがただ叩きたい材料としてアシュラ・ストリートを糾弾したこと。
そして、“英霊への道”を持ち込んだグレンへの怒りだった。
「グレンの野郎には憎しみも怒りも尽きないが……どうにも腑に落ちないことが1つある。いや……真なる世界に飛ばされてから2つに増えた」
1つ、グレンはどこで“英霊への道”を手に入れた?
「自作PCを組み立てるどころか簡単なアプリさえインストできない、と豪語する機械音痴だぞアイツは……電脳ドラッグなんて本職プログラマーでもなかなか作れない代物をどうやって手に入れた?」
2つ、刑務所にいたグレンがどうして真なる世界にいるのか?
「刑務所でVRゲームできるのか? 終身刑の極悪人が? そんなこと自由好き勝手な振る舞いを許してくれるムショなんて聞いたことないぞ?」
質問風にこれらをぶつけられたロンドは首を捻った。
梟も斯くやの曲がり具合だ。
「もしかして……オジさんの関与を疑ってる?」
「他に誰がいるんだよ。極悪親父の権力ならこれくらい朝飯前だろ」
これは後輩のエンオウがグレンから聞き出し、軍師レオナルドや横綱ドンカイと精査した結果、他に該当する主犯がいないという結論に達した。
グレンを最悪にして絶死をもたらす終焉に加入させた人物。
これは十中八九――ロンドに間違いない。
ならば“英霊への道”をどこかで都合して、アシュラ・ストリートで流布するようにグレンを唆したのもロンドと睨むのが妥当な流れだった。
ふむ、とロンドは鼻息を鳴らしてから一言。
「事ここに至って隠すのも意味ねーからバラすけど……うん、そーだよ」
但し――2つめだけね。
「1つめはオジさんの仕業じゃない。天地神明に誓ってもいいよ」
「破壊神がそれに誓うか、説得力ねえな」
だが、ロンドの言葉には不思議な信憑性があった。敵の大ボスを信頼するのも変な話だが、本当のことを言っていると信じることができた。
この男は嘘は口にしない――真意を明らかにしないだけなのだ。
終わりにして始まりの卵がまさにそれである。
世界卵を壊す宣言は本心からのものだろう。
しかし、それを力強く公言されたためツバサたちは「守るべきものだ」と勘違いするよう誤誘導され、そこから生まれるロンドとは別の破壊神という脅威を見落としてしまったのだ。
土壇場で判明したこの事実は手痛いしくじりとなった。
真意を明かさないとは、騙りや虚言にまさる武器となる一例だ。
思案するツバサにロンドは詳細まで教えてくれる。
「殺しに取り憑かれた逸材がいる、って風の噂を耳にしてな。圧迫面接したら使えるとわかったんで、バッドデッドエンズに採用したんよ」
実験の一環と称して事を進めたそうだ。
話し振りから察するに、グレンの他にも何人かいたらしい。
「犯罪者や死刑囚の内面世界をどーたらこーたらと頭脳役さんがお題目を考えてくれてな、刑務所内でVRMMORPGをできる環境をくれてやったわけだ」
これで刑務所暮らしのグレンが真なる世界にいる経緯が判明した。
労せずして謎が解き明かされてしまった。
でも2つめだけだ。1つめの真相はまだ闇に包まれている。
「じゃあ、グレンに“英霊への道”を渡したのは……?」
「ん? ああ、そっち? 他の灰色の御子だよ」
ロンドは1つめの謎についてもあっさり話してくれたが、あまりにもアバウトで漠然とした答えだった。これでは何者の仕業かわからない。
やはり――真意はぼかすつもりらしい。
「知らなかったのか? アシュラ・ストリートがどういうものかを?」
意外な顔をしたロンドはまったく別の真実を明かす。
「ありゃあ灰色の御子が拵えた――強者を選りすぐる選別機だぞ」
与り知らぬ驚愕の事実にツバサは息を呑んだ。
~~~~~~~~~~~~
物心ついた時には――生命を殺していた。
一番古い記憶は年端もいかない幼児の思い出なので朧気だが、それでも命あるものを殺していた感触は忘れない。指先にしっかり残っている。
殺していたのは小さな虫、巣穴へ向かう蟻の行列だ。
せっせと餌を運ぶ蟻たちを一匹一匹、丁寧に指先で潰していく。
プチプチ、プチプチ、プチプチ……無心に殺す。幼稚園だか保育園だか、それくらいの子供の小さな指先で押し潰すのだ。
感覚的には気泡緩衝剤を延々と潰している感覚に近い。
だが、その指先は紛れもなく生命を殺していた。
これがグレンにとって最初の殺戮である。
大人の目線から見れば、取るに足らない子供の虫遊び。
虫網片手に野原を駆け回ってトンボや蝶々を追いかけたり、くぬぎ林に分け入ってカブトムシやクワガタを捕ったり、河原や池に出向いて魚を釣ったりザリガニを探したりと、子供のお遊戯にしか見えないだろう。
実際、そういう子供時代を過ごした者は多いはずだ。
わんぱくな男の子なら尚更だろう。
しかし、グレンは「生命を殺す」という確かな手応えを感じていた。
何なら――満喫していたのだ。
命を殺すこと、命を奪うこと、命を消すこと、命を終わらせること。
生命を殺す――自らの手で絶対的なトドメを刺す。
そこに最高の悦楽を見出した瞬間だった。
自覚するのは早かった方だ。小学校へ上がる前にはちゃんと「命を殺す」という喜びを得んがために、せっせと生き物を捕まえては殺していた。
小さい頃は虫や魚といった小動物がメインだった。
逆に言えば、まだそれくらいの獲物しか殺せなかったのだ。
子供が虫取りや魚釣りに夢中になって、捕った生き物をすげなく殺すのはよくあることだ。家族や近所の大人たち、誰一人として怪しむことはなかった。
『殺すって最高の遊びだな!』
幼いグレンは誰に憚れることなく殺戮を楽しんでいた。
やがて幼年期を終えて少年期になる。
グレンは己の趣味が世間一般から見れば「ヤバい」ということに気付いた。すぐにではなかったが、少しずつ学んでいったのだ。
知能指数は高くないが、人並みの小賢しさで知恵は回った。
殺しが大好きとバレれば、大人たちに警戒される。
そうなると自由に殺しを楽しめなくなる。そう学習したグレンは、当たり障りのない子供を演じ、誰にも悟られぬよう殺しという娯楽を追求した。
大人たちの目を盗むため、本性を隠す手段も学んでいく。
少年期になると獲物のグレードも上がってきた。
もはや虫けらや魚介類を捕まえて殺すだけでは満足できない。無抵抗のままに殺せる命に飽きてきたのだ。
それでもまあ殺したが――作業になるのでダルかったが。
ダルくても何かを殺さずにはいられない。
幼少期から殺しに執着したグレンに染みついた習性になっていた。
三つ子の魂百までも、というやつである。
そこで山に棲む小動物、あるいは猫や犬を標的にするようになった。
グレンの生家は山深い土地にあった。
裏山から猿や鹿が顔を覗かせるド田舎でもあったので、幸いなことに獲物に困ることはなかった。猫や犬は飼育されているペットだと足がついてしまうが、山に逃げ込んだ野良猫や野良犬には事欠かない。
こうしてグレンは新たなステージへと昇っていった。
歯向かってくる命を捻じ伏せて、自らの強さを実感するために殺す。
征服感にも近い達成感に悦びを感じるようにもなっていた。
野兎に栗鼠や山鳥といった小動物を殺すのにも飽きて、すぐに卒業してしまう。次は猫や中型犬を殺していくも、これも慣れて飽きてくる。
狩るべき獲物は徐々に大型化していく一方だ。
狸、狐、貂、穴猪、狢、鼬……。
ハクビシンやアライグマなどの外来生物まで殺しまくっても満足できず、ついには猿や鹿といった大きめの獲物を狙うようになる。
さすがに裸一貫では立ち向かえなくなってきたので、この頃から武器を用意するようになった。とはいうものの猟銃や弓矢なんて用意できない。
そもそもグレンが望むのは肉弾戦、飛び道具は性に合わなかった。
百均ショップやホームセンター。
そこで売っている刃物や工具をなけなしのお小遣いで買い求め、自己流で武器を作ったものだ。おかげで学校での図画工作の成績は最高評価だった。
実はグレン――こう見えて工作者の職能を持っている。
殺し屋専門なので活かしたことはない。
無駄に尖らせたナイフ、何本もの包丁を穂先にした手製の槍、釘を打ち込んだ硬質バット、有刺鉄線を絡ませたハンマー、鉛を仕込んだグローブ……。
いくつ武器を自作したか覚えてないくらいだ。
そんなDIYの武器を全身に装備して、狂暴に牙を剥く猿や鋭い角を持つ鹿を仕留められるようになると、これもすぐに物足りなくなってくる。
それから数週間後には大きな猪を倒していた。
しばらく猪狩りに熱中したが、これも熟れてくると大した敵ではない。
より強い獲物を求め、とうとう熊まで殺してしまった。
そこからは箍が外れたように殺した。山深い土地に暮らしていたおかげで、山に分け入ればいくらでも禽獣を殺すことができた。
猟友会? 地元の猟師? 猟銃を担いだハンターども?
あんな連中に見つかるほどグレンはのろまではない。この頃には地元の山を知り尽くし、鳥獣の生息域もほぼほぼ把握するほど熟知していた。
グレンは生態系の頂点――山の王として君臨したのだ。
もっとも狩り殺した獲物を食べることは少ないので、生態ピラミッドの頂点とは言い難い。自然の調和を掻き乱す、殺戮の異端者といったところだろう。
この頃には少年期を終え、青年期に差し掛かろうとしていた。
命を殺すことへの飽くなき欲求を満たす傍ら、自分の命を奪いかねないほど強力な獲物を八方手を尽くして殺すことに達成感を覚えるようになった。
グレンは狩りに明け暮れた青年期を過ごしてきた。
この頃、グレンはある葛藤に囚われる。
葛藤の始まりは山の獣を殺しすぎたあまり、獲物となる生物が途絶えかけてしまったことだった。何も殺せない日々が続いてグレンは煩悶した。
殺戮の快楽を求める身体は、何かを殺さなければ鎮められない。
しかし、殺戮が過ぎれば皆殺しとなるのは成り行きだ。
皆殺し――即ち鏖殺。
鏖殺を成し遂げれば、殺すものがいなくなるのは当たり前。
グレンにとって鏖殺とは殺戮に並ぶほど好きな単語だったが、実現してしまうと禁酒ならぬ禁殺を自身に強要する羽目になると思い知らされた。
鏖殺による殺しができない悲哀。
獲物を求めて山中を彷徨ったグレンは、その悲しみを即興で歌ったものだ。
鏖殺哀歌と名付けて、何曲がストックがある。
山の動物を片っ端から殺したために、殺しの快楽を味わえない悶々とした日々を過ごしていたグレンは、新たな渇望が首をもたげてきたことに気付く。
いや、その渇望は既に幼年期には抱いていたものだ。
人間を殺したい――それも強い人間を。
しかし、強者だろうが達人だろうが、悪人であっても人を殺せば罪になる。足りない頭ではそれくらいは承知の上だ。
人を殺せば警察に捕まる。そして、刑務所にぶち込まれる。
未成年がお目こぼしを貰えるのも今は昔、昭和や平成のおとぎ話だ。
今では少年法も改正されて厳しくなっている。
自由を奪われるのは勘弁ならない。殺しが自由にできなくなる。それはグレンにとって塩漬けにされて封印されるのと変わらない。
それくらいの常識は身に付けていた。
獣は殺し尽くした、人間は殺せない、小動物では満足できない。
欲求不満が天井知らずの右肩上がり。自制しなければと理性に働きかけるのだが、殺しへの衝動は日を追うごとに煮詰められて暴発寸前だった。
もう限界だと諦めかけた頃のこと――。
アシュラ・ストリートというVRゲームにグレンは巡り会ったのだ。
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