クトゥルフ怪譚集

曽我部浩人

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第4話 我王の社に仕える巫女

我王の社に仕える巫女 其ノ壱

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 どれだけ眼を凝らしても見果てぬ──漆黒しっこくの空間。

 ここが広大な宇宙空間だとわかるのに時間がかかった。視界の片隅かたすみにリングで飾られた土星のような惑星を認めることで、ようやく自分が宇宙の真っ只中を彷徨っているのだと思い知る。

 彷徨さまよっている、という言い方は語弊ごへいがあった。

 実際には凄まじい速度で突き進んでいる。

 あまりの速さに背景に浮かぶ星々の光は白い線となって後ろへ流れていき、いくつもの惑星をあっさり追い越していく。

 宇宙を我が物顔で駆けるのは──1匹の獣。

 どことなく人間を思わせるが、獣と呼ぶに相応しいフォルム。

 身の丈はどれほどになるのか見当もつかないが、人間が出くわしたなら巨獣と恐れる体格を備えていた。

 湾曲わんきょくした太い股、細く長い足、足指の先には極厚ごくあつ鉤爪かぎつめ

 下半身は肉食獣のそれだが、細い腰から続く上半身は見違えた。

 細くしなやかな腹部は戦士のような腹筋で鎧われ、そこから分厚い胸板に続き、筋肉で盛り上がった肩から野太い腕が生えている。

 腕の先には人間のようでいて、明らかに異なる五指ごしを備えたてのひら

 指から伸びた爪は長く鋭く、妖刀の如き蠱惑的こわくてきな輝きだ。

 筋骨隆々な人間にも似た上半身。太い首から伸びるのは人に似るも獣らしく、獣のようでいて人を思わせる異形の顔だった。

 のっぺりとした卵のような顔には、大きく裂けた口が開いている。

 目も鼻も耳もないのに『耳元まで裂けた』としか形容しようがない大口が、ゲタゲタと下卑げびた大笑いをするかのように開かれていた。

 不揃いの牙で埋もれた口内をさらして、万物を見下す嘲笑ちょうしょうを浮かべている。

 頭に振り乱すのは──獅子を彷彿ほうふつとさせる蓬髪ほうはつ

 ともすれば巨体を覆いかねない乱髪だが、よくよく眼を凝らせば髪の1本1本が牙を備えた口を開く触手となっている。絡み合って融合して太い触手になったかと思えば、すぐにばらけて無数の細い蛇に変わる。

 まるでメドゥーサのような有り様だ。

 人間に似た肢体でありながら、獣の特徴を備える名状しがたきもの。

 その巨体の周りには7つの球体が付かず離れず浮かんでおり、下手へたをすれば時間も空間も飛び越えそうな速度の巨獣についてくる。

 これは彼にとっての眼──視覚器官だった。

 虹色の光輝こうきを発する眼球は、宇宙の隅々まで眼光を届かせる。



 グァウムオオォゥ……グァウムオオォゥ……グァウムオオオオオゥッ!



 巨獣は顔が割れるほど顎を開いて咆哮を上げた。

 それが我が名だと知らしめるように──。

 グァウムオゥは宇宙そらを駆ける。

 目指す先には星々の輝きよりも目映い、絶え間ない爆発が煌めいていた。

 何も知らない人間から見た感想を言わせてもらえれば「光と闇の戦い」というべきか、「天使と悪魔の最終決戦アルマゲドン」といったところか。

 醜悪極まりない怪物の軍団と、神聖な輝きに包まれた戦士の軍勢。

 2つのグループが激しい戦いを繰り広げている。

 グァウムオゥは戦乱へ飛び込んでいく。

 その獣じみた姿から連想できるように、グァウムオゥは怪物の軍団に属するようだ。手当たり次第に光の戦士を血祭りに上げていく。

 7つの目玉から発するサイケデリックな眼光は、稲妻のように不規則な導線どうせんを描いて戦場を駆け巡り、光の戦士たちを何百体も吹き飛ばした。

 不用意に近付けば触手の餌食えじきだ。

 ある者は絡みついた触手によって絞め殺され、ある者は触手の口から精気を吸われて、ある者は触手に絞め殺される。

 グァウムオゥは嘲笑の口を固く閉ざした。

 胸が膨らむほど“力”パワーを溜め込み、口を大きく開いて吐き出す。

 解き放たれたのは撃滅げきめつの波動。行く手にあるものは光の戦士だろうが同胞の怪物であろうが構うことなく、無差別に爆ぜ散らせる滅びの衝撃波だった。

 グァウムオゥの行く手を阻む者は失せた。

 戦場に穿うがたれた花道をグァウムオゥは邁進する。

『今日こそだ! 今日こそあの高みから引きずり下ろしてくれる!』

 グァウムオゥの意識が伝わってくる。

 頂点に挑む興奮、最高峰へ指を届かせる喜び。

『くそったれな旧神どもの王! 貴様の時代はもう終わりだ!』

 グァウムオゥの目指す先、そこに大きな光があった。

 太陽の化身なんて言葉も烏滸おこがましい──あらゆる光と輝きの権化。

 あれが『旧神の王』なのだろう。

 光の軍勢を率いる総大将に、グァウムオゥの爪が突き立てられる。

 その時──文字通りの横槍が入った。

 グァウムオゥの進撃を阻むべく、右手より突き込まれた三叉の銛トライデントもりの柄を握るのはイルカのいた貝の戦車に乗る老翁ろうおうの旧神だった。

『深海ジジイのノーデンスか!?』

 すんでのところで銛の柄を掴んだが、その先端はグゥアウムオゥの脇腹にめり込んでいた。漆黒の血がいくつもの玉となって宇宙空間に散らばる。

 ノーデンスに気を取られたグァウムオゥへ、更なる足止めが加えられた。

 左肩に熱い一撃、燃えるような槍の穂先を撃ち込まれる。

 撃ち込んだ主は──槍と盾で武装した戦女神。

『煌めきだけで世界を壊す……ヌトス=カアンブルッ!?』

 グァウムオゥの動きは、この二柱の神によって封じられてしまった。

 もう少し、あと少しで、旧神の王に手が届くというのに!

 右脇腹と左肩を貫かれようとも、自らの肉を引き千切って前に出ようとするグァウムオゥ。伸ばす指先から生える鉤爪を旧神の王の喉元へ突きつける。

 その前に立ちはだかる者があった。

 グァウムオゥが属する旧支配者連合──。

 数多いる旧支配者たちをまとめ上げ、その代表格を務める大司祭。

『クトゥルフ! どうしておまえが……ッ!?』

 違う、こいつはクトゥルフにそっくりだが別物だ。

 クトゥルフに酷似するも、クトゥルフとは相容れぬ旧神の一柱。

『貴様ぁ…………クタニドかぁぁぁッ!』

 グァウムオゥが吠えるよりも早く、クタニドの慈愛に満ちあふれた金色の瞳が瞬いた。それは彼の眼前に神々しい光球を形作る。

 光球からほとばしる光の渦が、グァウムオゥの胸板を深々と抉った。

『ぐぁああああああああああああああああああああああああーーーッ!?』

 断末魔と受け取られても仕方ない絶叫を上げて吹き飛ばされる。

 クタニドの放った光線は凄まじく、グァウムオゥの力を奪い取りながら、存在としての肉体を構成する枠組みまで打ち砕かんとしてきた。

 グァウムオゥは耐える。しかし、圧倒的な威力に為す術がない。

 光線に押されるがまま吹き飛ばされ、何本もの小惑星アステロイドベルトを突き破り、いくつもの星々を貫いて、宇宙の果てにある星へと叩き込まれた。

 その星を砕きかねない威力で、地の底へ封じられるように墜ちていく。

 やがて地球テラと呼ばれるその星に──。

   ●   ●   ●   ●   ●   ●

「……………………夢、か?」

 モミジはぼんやりした寝起きの意識のまま呟いた。

 この身体になってから、人間らしい生理現象とは無縁である。

 具体的に言えば眠らなくても平気だし、飲み食いに関しても毎日欠かさず栄養や水分を補給しなければいけないわけでもない。人間の1人や2人でも取り込めば、数週間は保たせられるよう消費エネルギーを配分することもできる。

 だが、生まれてこの方続けてきた習慣は止めにくい。

 やっぱり朝昼晩の三食は食べないと落ち着かないし、どんなに夜更かししたくとも深夜を回ればウトウトと眠気が忍び寄る。

 不眠症であれば違うだろうが、あいにくとモミジは無縁だった。

 昨夜も日付が変わるくらいまでビートルと飲み明かしていたが、目覚めてみればちゃんと布団で眠っていた。眠る前の自分を褒めてやりたい。

「妙な夢だったな……」

 グァウムオゥ──偉大なグレート・る旧支オールド・配者ワン一柱ひとはしら

 原初の根源たるアザトースより生まれしクグサクスクルスを始祖とする、万物を喰らうものにして、生きとし生けるものの欲望を司る強大な神性。

 モミジやビートルの願いを歪んだ形で叶えた邪神。

 2人を人間以上の“眷族”けんぞくに引き立ててくれた偉大なる御方だ。

 かつて旧神という正義の味方気取りの善なる神々の軍団と戦ったが、彼らの力に敗れて地の底に封じられたと聞いたが……。

「あれは夢だったのか……それとも……」

「──夢ではないぞ」

 哲学者よろしく蘊蓄うんちくを語りそうな声に断言された。

 寝ぼけ眼をそっと開ける。目の前に現れるのは視界を埋めつくさんばかりに盛り上がる乳房の谷間だ。それが自分のものだと再確認するのに時間が掛かる。なにせ20年も男として生きてきたから違和感の塊だ。

 胸が大きい女性は仰向けで寝られない、と聞いたことがある。

 巨乳や爆乳と呼ばれるくらいになれば、乳房の重みで肺が圧迫されて息苦しいのは当然だ。しかし、モミジは仰向けのまま平気で寝ていた。

 こういうところも人外となった証なのだろう。

 寝間着の浴衣ゆかたははだけており、今にもたわわな双球がまろび出そうだ。

 そんな爆乳の上に──1匹の虫が張り付いていた。

 フォルムこそ日本固有のカブトムシだが、大きさは段違いだ。長く豪壮ごうそうな角からお尻まで全長15㎝はある(日本産だと最大は8.8㎝だそうな)。

 おまけにキラキラと黄金色に輝いている。

「モミジ、おまえが見たのは夢ではない。我らが偉大なる御方様おんかたさま我王ノ尊がおうのみことことグァウムオゥ様がかつて果敢にも旧神に挑んだ記憶であり……」

 ゴールデンカブトムシはクワガタムシを威嚇いかくするように両前脚を上げると、複眼ではなく人間みたいな眼で小難しい言葉を並べていた。

 しかし、半分寝ているモミジの耳には届かない。

 寝ぼけたモミジが無意識に取った行動は、実に人間らしいものだった。

「……うわっ、ゴキブリ!?」
「べろちッ!?」

 反射的に上半身を起こすと、利き手を持ち上げて黄金のカブトムシを叩き落としていた。反動でおっぱいがバルンバルン揺れるが気にしない。

 ザコっぽい悲鳴とともに、黄金カブトムシは部屋の隅に転げ落ちた。

「いたた……こらーッ! 誰がゴキブリだ!?」

 ビートルはカブトムシの分際で二足歩行になると、前脚を人間の両腕みたいに振り回して怒っていた。一人前に頭の部分を真正面に曲げて、カブトムシを擬人化させたみたいに振る舞う。まるでおとぎ話の世界の住人だ。

「このエルドラドの如きつやと光沢を野良のらゴキブリ風情ふぜいと間違えるとは言語道断! せめてヨロイモグラゴキブリやエメラルドジュエルローチといった極上のペットローチと見間違えんか、このたわけ!」

「ふわぁ~……いや、だからね、奇虫きちゅうにたとえられてもわからんのよ」

 ようやく目が覚めたモミジは長い欠伸あくびで答えた。

 ペットローチなんて可愛く言っているが、要するにゴキブリだ。

 昆虫の王様みたいな存在になったというのに、ビートルの奇虫マニアっぷりは変わらない。読書中毒ブッカホリック書籍愛蔵家ビブリオマニアなんて悪化の傾向にある。

「願いが叶って最高の昆虫に自分がなったっていうのに……ふわぁ~……まだ虫集めはするはやたらめったら難しい本を集めるは読むは……ふわぁ~」

 あくびを繰り返すモミジに、呆れたビートルは眼を細めた。

 昆虫のくせして目玉だけ人間みたいなので気色悪い。

「さっさと起きろ、どんだけ脳に血液足りてないんだ。全部そのデカい乳房と尻に持っていかれているのではないか、この爆乳デカ尻処女ビッチめ」

 男だったことも忘れたか、とカブトムシからの皮肉が止まらない。

「それは言わないお約束だろ……んんっ~……」

 起きますってば、とモミジは両腕を天井に向けて思いっきり伸ばすと、ぞんざいに返事をしてからのんびり立ち上がる。

「どうせ追われる仕事もないんだし、昼まで寝てたっていいじゃないか。ほら、今のあたしたちって妖怪みたいなもんだろ? 妖怪って言ったらアレよ、朝は寝床でグッスリ……だっけ?」

「仕事に追われることはないが、いつ客が来るかわからないではないか」

 来客を迎えるのがおまえの仕事だ、とビートルは厳しい。

御方様おんかたさまに仕える者として最低限の義務くらい果たせ。いいな?」
「へいへい、カブトムシの仰せのままに……」

 モミジは面倒く臭そうに寝床から這い出した。

 ビートルに言われたせいか、胸やお尻が異様に重く感じられる。

 御崎おざき紅葉こうようという男だったことを思い出したのかも知れない。


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