【短編】バレンタイン前日にチョコを渡せば「特別」になれると信じたモブ女子、主役の座には絶対になれないと悟って華麗に爆死する

月下花音

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Ep.02

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「うぃーす」
 引き戸が開いて、神谷先輩が入ってきた。
 まだ誰もいない。
 私の計算通り、一番乗りだ。

 先輩は私を見ると、少し驚いたような顔をして、それからいつものダルそうな笑顔になった。
「お、マナ。早いな」
「先輩こそ」
 私は平静を装って答える。
 心臓の音がうるさい。
 部室の狭い空間に、二人きり。
 制服のポケットの中で、ラッピングの袋がカサリと音を立てる。

 今だ。
 このタイミングしかない。
 先輩がジャージに着替える前、まだ「男の子」の顔をしている今のうちに。

「あの、先輩」
「ん?」
 先輩がカバンを机に置きながら振り返る。
 私は一歩踏み出した。
 ポケットから袋を取り出し、差し出す。

「これ。明日だと、先輩忙しそうなんで、今日渡しときます」

 言えた。
 完璧なセリフだ。
「明日だと」という言葉で、「14日を意識してますよ」と伝えつつ、「邪魔したくないから」という気遣いも見せる。
 そして「今日渡しときます」という業務的なニュアンスで、重さを消す。
 120点の立ち回りだ。

 先輩は袋を見て、目を丸くした。
「え、まじ? 今日?」
「フライングです。一番狙いなんで」
 少し冗談めかして付け足す。
 これも計算のうち。
「一番」という言葉を刷り込むためのサブリミナル効果。

 先輩は笑った。
「はは、早すぎだろ。マナはせっかちだなー」
 そう言いながら、私の手から袋を受け取った。

 指先が少し触れる。
 熱と、乾燥した皮膚の感触。
 その一瞬だけで、私の脳内麻薬が爆発する。

 受け取った。
 拒否されなかった。
 しかも「せっかちだな」と笑ってくれた。
 これは、「私の行動」に対しての感想だ。
 ただの「ありがとう」という定型句じゃなくて、私の性格を踏まえた上でのコミュニケーションだ。
 私は今、確実に「マネージャーA」の殻を破った。
 神谷先輩という物語の、登場人物の一人として認識されたのだ。

「サンキューな。わざわざ」
 先輩は袋を片手で軽く振り、カバンの横に置いた。
「受験終わって暇だったから、助かるわ」
「いえ、糖分補給してください」

 会話が成立している。
 それも、業務連絡じゃない、プライベートな会話が。
 私は優越感で震えそうになるのを必死で抑えた。
 やった。
 勝った。
 明日のバレンタイン、他の女子たちが箱を持って廊下でソワソワしている時、私は余裕の顔でそれを見ていられる。
「私はもう終わってるんで」
「昨日、二人きりの部室で渡しちゃったんで」
 そんな「選ばれし者」のポジションに立てるのだ。

「悪いな、気ぃ遣わせて」
 先輩がジャージのチャックを下ろしながら言う。
 その背中を見ながら、私は心の中でガッツポーズをした。
 作戦は大成功だ。
 こんなに上手くいくとは思わなかった。
 やっぱり、私は特別だったんだ。
 他のモブ女子たちとは違う、先輩にとって「ちょっと特別な後輩」になれたんだ。

 ガララッ。
 その時、再び引き戸が開いた。

「うぃーす。お、神谷もう来てんじゃん」
 同級生の男子部員、タカシだ。
「おー」
 先輩が着替えながら応える。

 私は少しだけ緊張が解けるのを感じた。
 あと一分遅かったら、渡すところを見られて茶化されるところだった。
 本当にギリギリの、完璧なタイミングだった。
 運命の神様も、今日は私に味方している。

「あ、マナちゃんいんの? 今日鍵開け当番?」
「うん」
「サンキュ。てか今日寒くね?」

 タカシが何気なく部室に入ってくる。
 この日常の風景さえ、今の私には輝いて見える。
 世界の彩度が一段階上がったような、鮮やかな景色。
 私は、カバンの横に置かれた「私のクッキー」をちらりと見た。
 あれは、私の勝利のトロフィーだ。
 先輩のカバンに入れば、家に持ち帰られ、彼の部屋で、彼だけの時間に食べられることになる。
 その想像だけで、ご飯三杯はいける。

「おい神谷、今日マック寄らね? クーポンあるし」
 タカシが着替えながら言う。
「ああ、行くわ。腹減ったし」
 先輩が答える。

 何気ないやり取り。
 でも、私はその会話の顛末を、まだ知らなかった。
 この後起きる出来事が、私の「物語」を根底から覆すことになるとは、この時の私は1ミリも予想していなかったのだ。
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