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第24話 一生恋人契約
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あれから一ヶ月。
季節はすっかり変わり、キャンパスには初夏の風が吹いていた。
一ヶ月前――。
あの夜、玲奈の部屋で俺は「仮恋人契約」にサインをした。
テーブルを挟んで向かい合った俺たちの間には、見えない壁があった。幼なじみという長い歴史がありながら、その距離は遠かった。
玲奈の視線は冷たく、俺の手は震えていた。
契約書に書かれた条項を読みながら、俺は思ったものだ。これは本当に上手くいくのだろうかと。
最初のデートは、合コンという名の公開処刑だった。
居酒屋の個室で、玲奈が突然俺の腕に抱きついてきた時、心臓が止まるかと思った。
「ねえ、健。あーんして?」
周囲の視線が集中する中、玲奈は完璧な「恋人」を演じていた。
その笑顔は眩しすぎて、俺には直視できなかった。
演技だと分かっていても、胸が高鳴るのを止められなかったこと。今でも鮮明に覚えている。
二週間が過ぎた頃、何かが変わり始めた。
玲奈が笑うようになった。俺の冗談に、小さく肩を揺らして。
俺も、彼女の前で素直になれるようになった。カッコつけなくても、ありのままでいいのだと。
そして一ヶ月――。
昼休みの学食。
いつものように騒がしい喧騒の中、俺の目の前には不機嫌そうな顔をした白石玲奈が座っていた。
「……健。何よ、そのだらしない顔は」
「いや、美味いなと思って」
俺は玲奈の手作り弁当を頬張っていた。
卵焼き、唐揚げ、そしてタコさんウインナー。
完璧な彩りだ。
「当たり前でしょ。誰が作ったと思ってるの」
玲奈はフンと鼻を鳴らすが、その口元は緩んでいる。
最近、彼女は感情を隠さなくなった。
嬉しい時は笑うし、照れる時は顔を赤くする。
“氷の女王”なんてあだ名は、もう誰も呼ばなくなっていた。
「あ、そうだ。藤堂っちー!」
不意に背後から声をかけられた。
佐久間リオだ。隣には橘彩香もいる。
「なになに、またお弁当? 愛されてるねぇ」
「ほんと、見てて胸焼けするわ」
彩香がジト目で言ってくるが、その声には以前のようなトゲはない。
あの一件以来、彩香とも普通に話せるようになった。
彼女なりに、俺たちの関係を認めてくれたらしい。
「邪魔しないで行くよ、彩香。このバカップルの空間に居たら、こっちまで偏差値下がりそうだから」
「だねー。じゃあね、健くん、白石さん!」
二人は嵐のように去っていった。
残された俺と玲奈は、顔を見合わせて苦笑した。
「……平和だな」
「そうね」
玲奈が頬杖をついて、俺をじっと見つめてくる。
その瞳には、一ヶ月前には見られなかった柔らかさがあった。
「ねえ、健」
「ん?」
「話があるの。……放課後、私の部屋に来て」
ドキリとした。
その言い方が、あの一ヶ月前の夜と重なったからだ。
まさか、何かまた契約の話か?
放課後。
俺は再び玲奈の部屋にいた。
あの時と同じように、テーブルを挟んで向かい合っている。
ただ違うのは、俺たちの間にもう壁はないということだ。
「……改まって、どうしたんだよ」
俺がおそるおそる聞くと、玲奈は少し俯いて、静かに言った。
「あの契約ノートのこと、覚えてる?」
「忘れるわけないだろ」
あの契約書は、玲奈が紛失してしまった。
佐々木先輩に脅迫されるきっかけになった、あの事件。
あの時は絶望したが、今となってはそれも懐かしい思い出だ。
玲奈は両手を組み、じっと俺を見つめた。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「あの契約を……終わりにしたいの」
時が止まった。
俺の心臓が、ドクンと大きく跳ねる。
「え……?」
「契約を、終わりにしたい」
玲奈は繰り返した。その声は静かで、でも確信に満ちていた。
「ちょ、待てよ。それって……」
別れるってことか?
俺が混乱していると、玲奈は小さく笑った。
「違うわよ、バカ」
「じゃあ……」
「私ね、最近ずっと考えてたの。あの契約のこと」
玲奈は視線を落とし、静かに語り始めた。
「一ヶ月前、私は健に契約を持ちかけた。形だけの恋人関係。期間限定。条件付き。……全部、私が決めたルール」
「……うん」
「でも、気づいたの。もう契約なんていらないって」
玲奈が顔を上げた。
その瞳には、涙が滲んでいた。
「毎朝、健のためにお弁当を作る時。手を繋いで歩く時。くだらない冗談で笑い合う時。……全部、契約があるからじゃない。私が、そうしたいからしてるの」
「玲奈……」
「健も、そうでしょ? 契約があるから優しくしてくれてるんじゃないわよね?」
俺は頷いた。
そうだ。もう契約なんて、関係ない。
俺が玲奈を好きなのは、契約書に書いてあるからじゃない。
ただ、好きだから。それだけだ。
「だから……」
玲奈は立ち上がり、テーブルを回って俺の隣に座った。
そして、俺の手を取った。
「もう、契約はいらない」
「……そうだな」
俺は玲奈の手を握り返した。
あの契約書に書かれていた条項。震える手でサインをした署名欄。
全部、今となっては懐かしい記憶だ。
「あのノート、なくしちゃったけど……」
「ああ。でも、それでよかったのかもな」
「え?」
「契約書があろうとなかろうと、俺たちの関係は変わらない。だろ?」
玲奈は目を丸くした。
そして、ふっと笑った。
「……そうね。健の言う通りだわ」
玲奈は俺の肩に頭を預けてくる。
「ねえ、健」
「ん?」
「契約のない恋人って、どんな感じかな」
「さあな。……でも、悪くないと思うぞ」
「そうね」
玲奈が俺の手を握った。
その体温は、あの初めての合コンの時みたいに演技じみた緊張なんかなくて、ただ温かかった。
「健」
「何だよ」
「好き」
不意打ちのような言葉に、俺の顔が熱くなる。
「……俺も」
「ちゃんと言いなさいよ」
「……好きだよ。玲奈」
玲奈が顔を上げ、俺を見つめた。
夕陽が差し込む部屋で、俺たちは自然と唇を重ねた。
契約書に書かれていたからでも、誰かに見せるためでもない。
ただ、そうしたかったから。
偽物の契約から始まった俺たちの恋は、こうして本物になった。
もちろん、これから喧嘩もするだろうし、すれ違うこともあるだろう。
でも、大丈夫だ。
俺たちには、もう何も縛るものはないのだから。
あの契約ノートは、もうどこにもない。
それがどこに消えたのか、俺たちにも分からない。
ただ一つ確かなのは、もうそれは必要ないということだけだ。
――クラスで一番モテない男が、幼なじみと“仮恋人契約”したら。
最高に幸せな未来が待っていた件。
(第一部・完)
季節はすっかり変わり、キャンパスには初夏の風が吹いていた。
一ヶ月前――。
あの夜、玲奈の部屋で俺は「仮恋人契約」にサインをした。
テーブルを挟んで向かい合った俺たちの間には、見えない壁があった。幼なじみという長い歴史がありながら、その距離は遠かった。
玲奈の視線は冷たく、俺の手は震えていた。
契約書に書かれた条項を読みながら、俺は思ったものだ。これは本当に上手くいくのだろうかと。
最初のデートは、合コンという名の公開処刑だった。
居酒屋の個室で、玲奈が突然俺の腕に抱きついてきた時、心臓が止まるかと思った。
「ねえ、健。あーんして?」
周囲の視線が集中する中、玲奈は完璧な「恋人」を演じていた。
その笑顔は眩しすぎて、俺には直視できなかった。
演技だと分かっていても、胸が高鳴るのを止められなかったこと。今でも鮮明に覚えている。
二週間が過ぎた頃、何かが変わり始めた。
玲奈が笑うようになった。俺の冗談に、小さく肩を揺らして。
俺も、彼女の前で素直になれるようになった。カッコつけなくても、ありのままでいいのだと。
そして一ヶ月――。
昼休みの学食。
いつものように騒がしい喧騒の中、俺の目の前には不機嫌そうな顔をした白石玲奈が座っていた。
「……健。何よ、そのだらしない顔は」
「いや、美味いなと思って」
俺は玲奈の手作り弁当を頬張っていた。
卵焼き、唐揚げ、そしてタコさんウインナー。
完璧な彩りだ。
「当たり前でしょ。誰が作ったと思ってるの」
玲奈はフンと鼻を鳴らすが、その口元は緩んでいる。
最近、彼女は感情を隠さなくなった。
嬉しい時は笑うし、照れる時は顔を赤くする。
“氷の女王”なんてあだ名は、もう誰も呼ばなくなっていた。
「あ、そうだ。藤堂っちー!」
不意に背後から声をかけられた。
佐久間リオだ。隣には橘彩香もいる。
「なになに、またお弁当? 愛されてるねぇ」
「ほんと、見てて胸焼けするわ」
彩香がジト目で言ってくるが、その声には以前のようなトゲはない。
あの一件以来、彩香とも普通に話せるようになった。
彼女なりに、俺たちの関係を認めてくれたらしい。
「邪魔しないで行くよ、彩香。このバカップルの空間に居たら、こっちまで偏差値下がりそうだから」
「だねー。じゃあね、健くん、白石さん!」
二人は嵐のように去っていった。
残された俺と玲奈は、顔を見合わせて苦笑した。
「……平和だな」
「そうね」
玲奈が頬杖をついて、俺をじっと見つめてくる。
その瞳には、一ヶ月前には見られなかった柔らかさがあった。
「ねえ、健」
「ん?」
「話があるの。……放課後、私の部屋に来て」
ドキリとした。
その言い方が、あの一ヶ月前の夜と重なったからだ。
まさか、何かまた契約の話か?
放課後。
俺は再び玲奈の部屋にいた。
あの時と同じように、テーブルを挟んで向かい合っている。
ただ違うのは、俺たちの間にもう壁はないということだ。
「……改まって、どうしたんだよ」
俺がおそるおそる聞くと、玲奈は少し俯いて、静かに言った。
「あの契約ノートのこと、覚えてる?」
「忘れるわけないだろ」
あの契約書は、玲奈が紛失してしまった。
佐々木先輩に脅迫されるきっかけになった、あの事件。
あの時は絶望したが、今となってはそれも懐かしい思い出だ。
玲奈は両手を組み、じっと俺を見つめた。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「あの契約を……終わりにしたいの」
時が止まった。
俺の心臓が、ドクンと大きく跳ねる。
「え……?」
「契約を、終わりにしたい」
玲奈は繰り返した。その声は静かで、でも確信に満ちていた。
「ちょ、待てよ。それって……」
別れるってことか?
俺が混乱していると、玲奈は小さく笑った。
「違うわよ、バカ」
「じゃあ……」
「私ね、最近ずっと考えてたの。あの契約のこと」
玲奈は視線を落とし、静かに語り始めた。
「一ヶ月前、私は健に契約を持ちかけた。形だけの恋人関係。期間限定。条件付き。……全部、私が決めたルール」
「……うん」
「でも、気づいたの。もう契約なんていらないって」
玲奈が顔を上げた。
その瞳には、涙が滲んでいた。
「毎朝、健のためにお弁当を作る時。手を繋いで歩く時。くだらない冗談で笑い合う時。……全部、契約があるからじゃない。私が、そうしたいからしてるの」
「玲奈……」
「健も、そうでしょ? 契約があるから優しくしてくれてるんじゃないわよね?」
俺は頷いた。
そうだ。もう契約なんて、関係ない。
俺が玲奈を好きなのは、契約書に書いてあるからじゃない。
ただ、好きだから。それだけだ。
「だから……」
玲奈は立ち上がり、テーブルを回って俺の隣に座った。
そして、俺の手を取った。
「もう、契約はいらない」
「……そうだな」
俺は玲奈の手を握り返した。
あの契約書に書かれていた条項。震える手でサインをした署名欄。
全部、今となっては懐かしい記憶だ。
「あのノート、なくしちゃったけど……」
「ああ。でも、それでよかったのかもな」
「え?」
「契約書があろうとなかろうと、俺たちの関係は変わらない。だろ?」
玲奈は目を丸くした。
そして、ふっと笑った。
「……そうね。健の言う通りだわ」
玲奈は俺の肩に頭を預けてくる。
「ねえ、健」
「ん?」
「契約のない恋人って、どんな感じかな」
「さあな。……でも、悪くないと思うぞ」
「そうね」
玲奈が俺の手を握った。
その体温は、あの初めての合コンの時みたいに演技じみた緊張なんかなくて、ただ温かかった。
「健」
「何だよ」
「好き」
不意打ちのような言葉に、俺の顔が熱くなる。
「……俺も」
「ちゃんと言いなさいよ」
「……好きだよ。玲奈」
玲奈が顔を上げ、俺を見つめた。
夕陽が差し込む部屋で、俺たちは自然と唇を重ねた。
契約書に書かれていたからでも、誰かに見せるためでもない。
ただ、そうしたかったから。
偽物の契約から始まった俺たちの恋は、こうして本物になった。
もちろん、これから喧嘩もするだろうし、すれ違うこともあるだろう。
でも、大丈夫だ。
俺たちには、もう何も縛るものはないのだから。
あの契約ノートは、もうどこにもない。
それがどこに消えたのか、俺たちにも分からない。
ただ一つ確かなのは、もうそれは必要ないということだけだ。
――クラスで一番モテない男が、幼なじみと“仮恋人契約”したら。
最高に幸せな未来が待っていた件。
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