論理で恋を解く男が、星のように揺れる夜

月下花音

文字の大きさ
18 / 63

第18話「ふたりの境界線」

しおりを挟む


 午後2時の古本屋。

 透は哲学書の棚を整理していた。

 カント、ヘーゲル、ハイデガー。

 境界を探求した哲学者たちの言葉が、静かに並んでいる。

「境界線は、関係を守る」

 透は小さくつぶやく。

 近すぎても、遠すぎても、関係は壊れる。

 ◆

 五路交差点発、哲学者のほろにがログ。第18話。

 店主の老人が、カウンターで線を引いている。

「透くん、境界線って大事だよね」

「どうしてですか?」

「線があるから、こっちとあっちが分かる。でも、線がなければ、混ざってしまう」

 透は少し考える。

「境界線は、関係を守ります。でも、時に関係を壊すこともあります」

 老人は小さく笑った。

「そうだね。線の引き方が、難しいんだ」

 夕方、透は公園のベンチに座っていた。

 サンドイッチを頬張りながら、人々を眺める。

 若いカップルが、ベンチに座っている。

 距離が、微妙だ。

 近すぎず、遠すぎず。

「ふたりの境界線、か」

 透は小さく笑う。

 関係には、境界線がある。

 その線を、どこに引くか。

 ◆

 午後11時の相談所。

 透は机に向かい、新しい手紙を開いた。

 便箋には、丁寧な文字でこう書かれていた。

『恋人との距離感が分かりません。

 近づきすぎると、重いと言われます。

 離れすぎると、冷たいと言われます。

 ふたりの境界線は、どこにあるのでしょうか?

 27歳・女性』

 透はペンを取り、ノートに書き込む。

「距離の適切さをD、相手の期待をE、自分の快適さをCとする。

 だが、この式には本質が欠けている。

 境界線は、固定ではない」

 透の手が止まる。

 窓の外、星空が見える。

 星と星の間には、境界線がある。

 でも、その線は、見えない。

「ふたりの境界線、か」

 透は便箋に、丁寧な文字で書き始めた。

『あなたの悩みは、距離感が分からないことではありません。

 あなたの悩みは、「境界線を固定しようとしている」ことです。

 でも、それは無理です。

 境界線は、固定ではありません。

 境界線は動きます。

 相手の気分によって動きます。

 状況によって動きます。時間によって動きます。

 近づきすぎると重い。離れすぎると冷たい。

 その境界線は、毎日変わります。

 では、どうすればいいか?

 観察してください。

 相手の表情を。相手の言葉を。相手の行動を。

 そして、調整してください。

 今日は、近づく。明日は、離れる。

 境界線は、ふたりで作るものです。

 あなただけが、調整するものではありません。

 相手にも、聞いてください。

「今、どれくらいの距離がいい?」

 その一言が、すべてを変えます。

 ふたりの境界線は、どこにあるのか?それは、ふたりで決めることです。

 固定しないでください。柔軟に、動かしてください。

 境界線は、関係を守ります。

 でも、境界線は、関係を育てるものでもあります。

 藤原透』

 透は手紙を封筒に入れ、棚に置いた。

 棚には、少しずつ手紙が増えている。

 境界線に悩む人たちの、切ない想いが並んでいる。

「ふたりの境界線、か」

 透は窓の外を見る。

 人と人の境界線は、どこにある?

 相談者と相談所の主。

 その境界線を、越えてはいけない。

「俺は、線を引けているのか」

 透は小さく笑う。

 でも、時に曖昧になる。

 透は机の引き出しを開ける。

 古い何かに、手を伸ばしかける。

 指先が震える。

 境界線を越えられなかった記憶が、そこにある。

 透は引き出しを閉めた。

 まだ、触れられない。

 透は相談所を出て、交差点に立つ。

 五つの道。

 どれを選んでも、境界線がある。

 風が、優しく吹き抜ける。

 星と星の間には、境界線がある。

 でも、その線は、見えない。

 透は一歩を踏み出す。

 境界線を、意識しながら。

 人との距離。

 過去との距離。

 自分自身との距離。

 すべてに、境界線がある。

 今日は、他人の境界線を聞く日だ。

(第18話完 次話へ続く)

 次回、透は「まだ言葉にならない」という想いに向き合う。
 そして、——君の想像する「言葉」が動き始める——。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

御曹司とお試し結婚 〜3ヶ月後に離婚します!!〜

鳴宮鶉子
恋愛
御曹司とお試し結婚 〜3ヶ月後に離婚します!!〜

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

あなたの隣は私ではないけれど、それでも好きでいてもいいですか、レオナルド様

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢エリアーナには、三年間ずっと抱えてきた秘密がある。 婚約者であるヴァルフォード公爵・レオナルドへの、誰にも言えない恋心だ。 しかし彼の隣にいるのは、いつも幼馴染の伯爵令嬢・ソフィア。 儚げな笑顔と上目遣いで男性を虜にするあざとい彼女に、レオナルドも例外ではないようで—— 「レオ、私のこと嫌いにならないでね?」 「……そんなことにはならない」 また始まった二人の世界。

王様の恥かきっ娘

青の雀
恋愛
恥かきっ子とは、親が年老いてから子供ができること。 本当は、元気でおめでたいことだけど、照れ隠しで、その年齢まで夫婦の営みがあったことを物語り世間様に向けての恥をいう。 孫と同い年の王女殿下が生まれたことで巻き起こる騒動を書きます 物語は、卒業記念パーティで婚約者から婚約破棄されたところから始まります これもショートショートで書く予定です。

婚約破棄されないまま正妃になってしまった令嬢

alunam
恋愛
 婚約破棄はされなかった……そんな必要は無かったから。 既に愛情の無くなった結婚をしても相手は王太子。困る事は無かったから……  愛されない正妃なぞ珍しくもない、愛される側妃がいるから……  そして寵愛を受けた側妃が世継ぎを産み、正妃の座に成り代わろうとするのも珍しい事ではない……それが今、この時に訪れただけ……    これは婚約破棄される事のなかった愛されない正妃。元・辺境伯爵シェリオン家令嬢『フィアル・シェリオン』の知らない所で、周りの奴等が勝手に王家の連中に「ざまぁ!」する話。 ※あらすじですらシリアスが保たない程度の内容、プロット消失からの練り直し試作品、荒唐無稽でもハッピーエンドならいいんじゃい!的なガバガバ設定 それでもよろしければご一読お願い致します。更によろしければ感想・アドバイスなんかも是非是非。全十三話+オマケ一話、一日二回更新でっす!

「『お前に書く手紙などない』と言った婚約者へ、私は7年間手紙を書き続けた——ただし、届け先は別の人でした」

歩人
ファンタジー
辺境伯令嬢リゼットは、婚約者に7年間手紙を書き続けた。返事は一度もなかった。 「お前に書く手紙などない。顔も覚えていない」——婚約破棄。しかしリゼットは 泣かなかった。手紙の本当の届け先は、最初から別にあったから。前世の情報分析 能力で辺境の異変を読み解き、暗号として織り込んだ7年分の手紙。それを受け取り 続けていたのは第一王子。リゼットは誰にも知られず、王国を守っていた。 婚約破棄の翌朝、王子からの手紙が届く。「7年間、ありがとう。迎えに行く」

後の祭り 

ねこまんまときみどりのことり
ライト文芸
 母親を馬車の事故で亡くしたナズナは、馬車に乗っていた貴族の男性に、義理の娘として引き取られた。引き取られた先の子爵邸では、義母や義妹に傷付けられて泣いて過ごすこともあったが、懸命に生きていく。引き取られた裏には、別の理由もあったようで。  小説家になろうさん、カクヨムさんにも載せています。

三年の想いは小瓶の中に

月山 歩
恋愛
結婚三周年の記念日だと、邸の者達がお膳立てしてくれた二人だけのお祝いなのに、その中心で一人夫が帰らない現実を受け入れる。もう彼を諦める潮時かもしれない。だったらこれからは自分の人生を大切にしよう。アレシアは離縁も覚悟し、邸を出る。 ※こちらの作品は契約上、内容の変更は不可であることを、ご理解ください。

処理中です...