21 / 63
第21話「いま話してはいけないこと」
しおりを挟む午後2時の古本屋。
透は心理学の棚を整理していた。
フロイト、ラカン、フーコー。
沈黙を探求した学者たちの言葉が、静かに並んでいる。
「沈黙は、時に雄弁だ」
透は小さくつぶやく。
話してはいけないことがある。
それは、誰にでもある。
◆
五路交差点発、哲学者のほろにがログ。第21話。
店主の老人が、カウンターで黙っている。
珍しい。
いつもは、何か話しかけてくるのに。
「どうかしましたか?」
老人は小さく笑った。
「いや、今日は話さない方がいい気がしてね」
透は少し驚く。
「なぜですか?」
「話すと、壊れそうなものがあるんだ」
透は黙る。
沈黙の重さが、店内を満たす。
夕方、透は川沿いを歩いていた。
橋の上で、若いカップルが黙っている。
言い争いの後だろうか。
言葉が、出ない。
「いま話してはいけないこと、か」
透は小さく笑う。
話すと、壊れる。
だから、黙る。
◆
午後11時の相談所。
透は机に向かい、新しい手紙を開いた。
便箋には、震えた文字でこう書かれていた。
『付き合っている彼が、最近冷たく感じます。
何が原因か分かりません。
聞きたいけど、聞けません。
聞いたら、壊れそうで。
いま話してはいけないことが、あるのでしょうか?
26歳・女性』
透はペンを取り、ノートに書き込む。
「関係の安定度をS、沈黙の重さをW、恐怖の強度をFとする。
だが、この式には本質が欠けている。
沈黙は、時に関係を守る」
透の手が止まる。
窓の外、星空が見える。
星は、何も言わない。でも、輝いている。
「いま話してはいけないこと、か」
透は便箋に、丁寧な文字で書き始めた。
『あなたの悩みは、彼が冷たいことではありません。
あなたの悩みは、「聞けない」ことです。
でも、それは正常です。
いま話してはいけないことが、あります。
話すと、壊れることがあります。
でも、問いを変えてみましょう。
「話さないことで、関係は守られるか?」
答えがYesなら、今は黙ってください。
答えがNoなら、話してください。
沈黙は、時に関係を守ります。
でも、沈黙は、時に関係を壊します。
彼が冷たい。
その理由を、聞きたい。
でも、聞けない。
その恐怖は、正常です。
でも、聞かなければ、分かりません。
いま話してはいけないこと。
それは、本当にありますか?
それとも、あなたの恐怖が作り出した幻ですか?
勇気を出してください。
「最近、冷たいけど、何かあった?」
その一言が、すべてを変えます。
話すと、壊れるかもしれません。
でも、話さないと、もっと壊れます。
沈黙は、時に雄弁です。
でも、言葉は、もっと雄弁です。
藤原透』
透は手紙を封筒に入れ、棚に置こうとする。
だが、手が止まる。
「これで、いいのか?」
透は自分の回答を読み返す。
何かが、おかしい。
論理は、合っている。
でも、何かが、足りない。
「俺は、何を書いてるんだ」
透は小さくつぶやく。
その時、便箋に書かれた文字が、揺れて見えた。
透は目をこする。
疲れているのか。
文字は、元に戻る。
透は手紙を棚に置いた。
「気のせいだ」
透は窓の外を見る。
星空が、揺れて見える。
「疲れてるのか」
透は小さく笑う。
でも、笑えない。
透は自分の胸に手を当てる。
心拍が、速い。
でも、何かが、おかしい。
リズムが、不規則だ。
「いま話してはいけないこと、か」
透は小さくつぶやく。
透にも、ある。
過去の真実。
それは、いま話してはいけないこと。
話すと、壊れる。
透が、壊れる。
透は机の引き出しを開ける。
古い何かに、手を伸ばしかける。
指先が震える。
話してはいけないことが、そこにある。
透は引き出しを閉めた。
まだ、触れられない。
透は相談所を出て、交差点に立つ。
五つの道。
どれを選んでも、話してはいけないことがある。
風が、吹き抜ける。
でも、風の音が、おかしい。
「ゆき」
妹の名前が、聞こえる。
透の頭の中から。
「俺は、どうかしてる」
でも、心の奥で、何かが囁く。
「いま話してはいけないこと」
それは、何だ?
透は、まだ知らない。
でも、知る日が、近づいている。
(第21話完 次話へ続く)
次回、透は「僕の正しさを疑って」という言葉に向き合う。
そして、透の論理が——君の想像する「正しさ」が、揺れ始める——。
0
あなたにおすすめの小説
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
あなたの隣は私ではないけれど、それでも好きでいてもいいですか、レオナルド様
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢エリアーナには、三年間ずっと抱えてきた秘密がある。
婚約者であるヴァルフォード公爵・レオナルドへの、誰にも言えない恋心だ。
しかし彼の隣にいるのは、いつも幼馴染の伯爵令嬢・ソフィア。
儚げな笑顔と上目遣いで男性を虜にするあざとい彼女に、レオナルドも例外ではないようで——
「レオ、私のこと嫌いにならないでね?」
「……そんなことにはならない」
また始まった二人の世界。
王様の恥かきっ娘
青の雀
恋愛
恥かきっ子とは、親が年老いてから子供ができること。
本当は、元気でおめでたいことだけど、照れ隠しで、その年齢まで夫婦の営みがあったことを物語り世間様に向けての恥をいう。
孫と同い年の王女殿下が生まれたことで巻き起こる騒動を書きます
物語は、卒業記念パーティで婚約者から婚約破棄されたところから始まります
これもショートショートで書く予定です。
婚約破棄されないまま正妃になってしまった令嬢
alunam
恋愛
婚約破棄はされなかった……そんな必要は無かったから。
既に愛情の無くなった結婚をしても相手は王太子。困る事は無かったから……
愛されない正妃なぞ珍しくもない、愛される側妃がいるから……
そして寵愛を受けた側妃が世継ぎを産み、正妃の座に成り代わろうとするのも珍しい事ではない……それが今、この時に訪れただけ……
これは婚約破棄される事のなかった愛されない正妃。元・辺境伯爵シェリオン家令嬢『フィアル・シェリオン』の知らない所で、周りの奴等が勝手に王家の連中に「ざまぁ!」する話。
※あらすじですらシリアスが保たない程度の内容、プロット消失からの練り直し試作品、荒唐無稽でもハッピーエンドならいいんじゃい!的なガバガバ設定
それでもよろしければご一読お願い致します。更によろしければ感想・アドバイスなんかも是非是非。全十三話+オマケ一話、一日二回更新でっす!
「『お前に書く手紙などない』と言った婚約者へ、私は7年間手紙を書き続けた——ただし、届け先は別の人でした」
歩人
ファンタジー
辺境伯令嬢リゼットは、婚約者に7年間手紙を書き続けた。返事は一度もなかった。
「お前に書く手紙などない。顔も覚えていない」——婚約破棄。しかしリゼットは
泣かなかった。手紙の本当の届け先は、最初から別にあったから。前世の情報分析
能力で辺境の異変を読み解き、暗号として織り込んだ7年分の手紙。それを受け取り
続けていたのは第一王子。リゼットは誰にも知られず、王国を守っていた。
婚約破棄の翌朝、王子からの手紙が届く。「7年間、ありがとう。迎えに行く」
後の祭り
ねこまんまときみどりのことり
ライト文芸
母親を馬車の事故で亡くしたナズナは、馬車に乗っていた貴族の男性に、義理の娘として引き取られた。引き取られた先の子爵邸では、義母や義妹に傷付けられて泣いて過ごすこともあったが、懸命に生きていく。引き取られた裏には、別の理由もあったようで。
小説家になろうさん、カクヨムさんにも載せています。
三年の想いは小瓶の中に
月山 歩
恋愛
結婚三周年の記念日だと、邸の者達がお膳立てしてくれた二人だけのお祝いなのに、その中心で一人夫が帰らない現実を受け入れる。もう彼を諦める潮時かもしれない。だったらこれからは自分の人生を大切にしよう。アレシアは離縁も覚悟し、邸を出る。
※こちらの作品は契約上、内容の変更は不可であることを、ご理解ください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる