幼馴染に「つまらない」と捨てられた俺、実は学校一のクール美少女(正体は超人気覆面配信者)の「生活管理係」でした。

月下花音

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第二章 頂点の裏側で、俺は彼女を“壊れずに運用するシステム”になった

第28話:玲奈が「子供を作ろう」と言った理由――それは“後継機”だった

 平穏な日常に、最初のエラーが生じたのは六月の終わりだった。

 梅雨前線は相変わらず仕事熱心で、週間天気予報は一週間先まで傘のマークで埋め尽くされている。大学の正門前では、傘立てが常に飽和状態で、誰のものか分からないビニール傘が無秩序に突き刺さっていた。学食の新メニューは微妙で、結局いつもの定食に落ち着く。そういう、どうでもいい日常のノイズが、世界を正常に見せかけていた。

 イベント(突発事象)は発生しない。
 記念日やサプライズといった不確定要素は、事前にスケジュールに組み込まれ、タスクとして消化される。
 俺たちの生活に「物語」は生まれない。
 あるのは、最適化された「記録」だけだ。

 大学からの帰り道。
 アスファルトに溜まった水たまりを避けながら歩く。梅雨の湿気が肌にまとわりつき、シャツの内側がじっとりと不快だ。コンビニの前を通り過ぎると、換気扇から揚げ物の匂いが流れてきた。腹は減っているが、寄り道はしない。スケジュールにない行動だからだ。

 そんな中で、玲奈が唐突に口を開いた。

「湊。……そろそろ『次』について、協議したい」
「次?」
 俺はタブレットで明日の動画投稿スケジュールを確認しながら、気のない返事を返す。再生数は安定、コメント欄も平穏。炎上も称賛もない、理想的な凪の状態だ。
「次の企画か? 季節モノなら、来週の七夕に合わせて――」
「ううん。違う」

 玲奈は足を止め、俺の袖を軽く引いた。信号待ちの横断歩道。歩行者用信号の赤が、雨に濡れたアスファルトに滲んでいる。
 傘の下、その紫の瞳が、無機質なほど真っ直ぐに俺を見つめている。雨粒が傘を叩く音だけが、規則正しくリズムを刻んでいた。

「今のシステムは完璧。湊の管理下での運用は、エラー率ほぼゼロで推移してる」
「ああ。理想的な状態だ」
「でも、これは永久じゃない」

 彼女は淡々と言った。

「私たちのハードウェア(肉体)には耐用年数がある。四十年後、五十年後……必ず稼働停止する時が来る」

 信号が青に変わる。人の流れが動き出すが、俺たちはその場に留まった。
 俺は眉をひそめた。死の話か? 彼女にしては珍しく、センチメンタルな話題だ。だが、続く言葉は、感情という回路を完全に迂回していた。

「だから、バックアップが必要なの」
「バックアップ?」
「うん。このシステムを継承し、次世代へ引き継ぐための……新しいハードウェア」

 彼女は、まるでクラウドサービスの説明でもするかのように続ける。

「子供を作ろう、湊」

 雨音が、一瞬だけ遠のいた気がした。周囲の雑踏がフェードアウトし、世界の解像度が落ちる。
 俺は彼女の顔を凝視する。照れも、恥じらいもない。頬が赤くなることすらない。ただ合理性だけが、そこにあった。

 一般的な恋人同士なら、ここで「愛の結晶」や「温かい家庭」といった幻想を語り合うのだろう。ベビーカーの色や、名前の候補や、休日の過ごし方とか。
 だが、俺たちの会話にそんな湿度は微塵もない。あるのは、設計図と耐用年数だけだ。

「……本気か」
「数値上の最適解だよ」

 玲奈はスマホを取り出し、画面を見せてきた。防水ケース越しに見えるグラフは、やけに美しい曲線を描いている。
 出産に適した年齢、母体の回復期間、育成に必要なコストと期間、そして想定されるリターン。感情の入り込む余地はない。

「今から計画すれば、最短で二十年後には『第二世代』の稼働が可能になる。湊の管理能力と、私のスペックを受け継いだ後継機(アーカイブ)が」
「当然、第二世代には、感情シミュレーションモジュールは搭載しない予定。ノイズ源だから」

 笑いが出そうになった。
 狂っている。常識的に考えれば、完全に。
 だが同時に、その思考は驚くほど一貫していて、美しくさえあった。

 彼女は、子供を「愛する対象」としてではなく、「システムの永続性を保証するための部品」として定義している。
 そこに躊躇はない。倫理という曖昧な概念は、最初から計算式に含まれていない。

 俺はタブレットを閉じ、傘を持ち直した。雨粒が跳ねる。

「……だったらさ。作り直せばいいじゃん」
 ドクリ、と心臓がひと際大きく跳ねた。感情ではない。至近距離での生体接触に対する、自律神経の不随意反応だ。俺は息を吐いてそれを鎮めた。「……今の俺には、そんな余裕がない」
「どうして? 効率的だよ?」
「時期尚早だ。現在のシステムの安定稼働を優先する」

 冷たく突き放したつもりだった。だが、玲奈は一歩も引かない。むしろ一歩近づき、俺の胸に手を当てる。心拍数を測るような、正確な位置だ。

「じゃあ、いつならいい?」
 彼女は首を傾げる。
「契約書(婚姻届)、いつ出す?」

「……契約書か」
 結婚という言葉ですら、単なる事務手続きに翻訳される。
 俺は溜息をついた。雨の日の溜息は、どこにも行き場がない。

「俺たちが『戸籍』という社会システムに接続するメリットを提示しろ」

「税制上の優遇。社会的信用度の向上。緊急時の意思決定権の一本化」
 即答だった。
「そして……」

 玲奈は少しだけ目を細め、声を落とす。雨音に紛れる、私的なトーン。

「湊が私の『法的管理者』になることで、誰も手出しできなくなる。完全な独占権(ロック)」

 その単語に、俺の理性が微かに反応した。
 独占権。法によって保証された、解除不能の支配構造。
 悪くない。むしろ、かなり魅力的だ。

「……検討する。ただし、実行はプロジェクトの進捗次第だ」
「了解。前向きな検討、期待してる」

 彼女は満足そうに微笑み、再び俺の隣を歩き出した。信号を渡り切り、人気の少ない道へ入る。

 雨の中、二人の足音が響く。
 カツ、カツ、と。
 テンポは一定。ズレはない。

 俺たちは未来の話をしているようで、その実、現在のシステムを補強する工事の段取りを組んでいるだけなのかもしれない。
 夢ではない。希望でもない。
 あるのは、継続と保守。

 後継機製造計画。
 その言葉の響きが、湿った空気の中で、妙に心地よく耳に残り続けていた。

(第28話 おわり)
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