偽装ライバル 〜絶望と再生のデバッグモード〜

月下花音

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第1話:ミッション・インポッシブル

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 雨の音が、コンクリートを叩きつけるように響いている。
 湿度90%。不快指数は測るまでもない。
 私は校舎裏の、人目につかない非常階段の下にいた。
 革靴の底が濡れたアスファルトに沈む感触。泥水が跳ねて、特注の制服の裾を汚すのではないかという懸念。
 最悪のコンディションだ。
 だが、文句は言っていられない。

「……ターゲット確認。相良樹(さがら いつき)。2年B組」

 私は手帳を開き、ボールペンでチェックを入れる。
 視線の先には、傘も差さずに雨の中を走ろうとしている男子生徒の姿があった。
 猫背。自信なさげな視線。整っているが地味な顔立ち。
 どこにでもいる、クラスの端役(モブ)。
 それが今回の私の「作品」だ。

(……はぁ。また随分と、素材の悪い石ころを拾ってきたものね)

 心の中で毒づく。
 依頼主(グランドファーザー)の趣味の悪さには辟易する。
 『この石ころを、学園のキングに磨き上げろ』。それがオーダーだ。
 報酬は破格。だが、私のプライド(対価)も相応に削られるだろう。

「……始めましょうか。九条玲奈の、完璧な独り舞台を」

 私は深く息を吸い込み、スイッチを入れる。
 表情筋を調整。
 口角を3ミリ上げ、瞳に「憂い」と「敵意」のハイブリッドな光を宿す。
 背筋を伸ばし、泥水を避けて、優雅に歩き出す。

 私の名前は九条玲奈(くじょう れな)。
 表向きは、才色兼備の完璧なお嬢様。
 裏の顔は、他人の人生をプロデュースし、望む結末へと誘導する「学園のフィクサー」。

 今回のシナリオのタイトルは『偽装ライバル』。
 彼を叩き潰すふりをして、這い上がらせるための踏み台になる。
 それが私の役どころだ。

 ***

 相良樹は溜息をついていた。
 傘を忘れた。天気予報も見ていなかった。
 自分の不注意さを呪いながら、濡れる覚悟を決めた時だった。

「……そこに立たれると、邪魔なんだけど」

 背後から、氷のように冷たい声が降ってきた。
 彼が振り返る。
 そこに私が立っている。

 彼は息を呑んだ。
 計算通りだ。
 私の容姿(アバター)はこの学園でもトップクラスの設定になっている。
 濡れた髪、雨に煙る視界、そこに佇む美少女。
 男子高校生の思考を停止させるには十分な舞台装置だ。

「く、九条……さん?」
 彼が私の名前を呼ぶ。声が震えている。

「あら、私の名前を知っているの? 光栄ね」
 私は冷笑を浮かべる。
 嘲笑ではない。あくまで「高貴な冷淡さ」を演出する。

「相良樹くん、だったかしら? 万年成績中位、運動神経平凡、存在感希薄な」
「えっ……なんで俺のこと……」

「目障りなのよ」
 私は一歩踏み出す。
 ヒールの音が、雨音の中で鋭く響く。

「あなたみたいな、何の努力もしないで、ただ空気を消費しているだけの人間を見ると……虫酸が走るの」

 強烈な先制パンチ。
 初対面でここまでの暴言を吐く美少女。
 彼の脳内は混乱でショートしているはずだ。
 「なぜ?」という疑問。「悔しい」という感情。
 それらを植え付けることが、第一段階の目的。

「な、なんだよ急に……! 俺が何したっていうんだ!」
 彼が反論してくる。
 予想より反応が早い。
 いいわね。サンドバッグにも反発力がないと、叩き甲斐がない。

「何もしていない。……それが罪だと言っているの」
 私は彼を見下ろす。
「あなたは自分の価値をドブに捨てている。私なら、もっと上手く使えるのに」

「はぁ? 意味わかんねーよ!」

「証明してあげるわ」
 私は懐から一枚の封筒を取り出す。
 中に入っているのは「挑戦状」だ。
 次の期末テスト。彼が私に勝てば、私が彼の奴隷になる。
 負ければ、彼が私の犬になる。
 そんな、馬鹿げた、しかし男子高校生のプライドを刺激するには十分すぎる劇薬。

 バシッ。
 私は封筒を彼の胸に押し付けた。

「拾いなさい。これは、あなたの人生を変えるチケットよ」

 彼は封筒を反射的に掴んだ。
 その指先が、雨に濡れて白く冷たくなっているのが見えた。
 
(……冷たそう)
 ふと、思考のノイズが走る。
 彼の指の震え。濡れたシャツが張り付く不快感。
 私だって寒い。
 早く帰って熱いシャワーを浴びたい。
 コンタクトレンズが乾いて目が痛い。
 
 そんな「九条玲奈」ではない「私」の生理的な不快感が、一瞬だけ仮面の下で疼いた。
 いけない。集中しなさい。
 私は今、彼にとっての「絶対的な敵」でなければならない。

「逃げるなら今のうちよ。……一生、負け犬のままでいたいならね」

 捨て台詞を残し、私は踵を返す。
 背中越しに、彼が私を睨みつけている気配を感じる。
 殺気にも似た、強い視線。

(……そう。その目よ)

 私は心の中で口角を上げた。
 燃え上がれ。怒れ。
 そのエネルギーが、お前を突き動かす燃料になる。

 私は校門を出て、迎えの黒塗りの車(ハイヤー)に乗り込んだ。
 ドアが閉まり、外の湿気が遮断される。
 ふぅ、と深く息を吐き、シートに身を沈める。

「……お疲れ様でございました、お嬢様」
 運転手が声をかける。
「出して。……あと、暖房を強めに」
「かしこまりました」

 私は手帳を開き、最初の項目にチェックを入れた。
 『接触(エンカウント):完了』。
 
 手を見つめる。
 彼に封筒を押し付けた時、一瞬だけ触れた彼の体温。
 冷たかったはずなのに、なぜか指先が火傷したように熱い。

「……嫌な予感がするわ」
 私は独り言ちる。
 このシナリオ、私の思い通りに進むだろうか。
 あの石ころの目。
 予想以上に、光を秘めていた気がする。

 車窓を流れる雨粒を見つめながら、私は自分の胸の奥にある「不穏な鼓動」を、必死に無視しようとしていた。

(つづく)
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