隣の席の予約

月下花音

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第5話:永遠の無言監視

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 年が明けて、三学期が始まった。
 教室の空気は、冬休みボケと、迫りくる受験や進級のプレッシャーで澱んでいる。

 そして今日、恐怖のイベントがある。
 席替えだ。

 担任が黒板に新しい座席表を貼り出す。
 クラス中が悲喜こもごもの声を上げる。
 「うわ、最前列じゃん」「やった、窓側!」

 私は静かに席を立った。
 自分の新しい席を確認するまでもない。
 くじ引きだろうが、話し合いだろうが、関係ない。
 システムなんて破壊すればいい。

 私は自分のバッグを持って、教室の後ろへと歩いた。
 窓際の後ろから二番目。
 そこが私の狙った場所だ。
 くじ引きの結果では、そこは私の席じゃない。
 確か、他の女子――名前も覚えてない地味な子――の席だったはずだ。

 でも、私は迷わずそこにバッグを置いた。
 ドン、と音を立てて。

 そして、その隣。
 一番後ろの席。
 そこにはまだ誰も座っていない。
 くじ引きの結果では、加藤の席はもっと前の方だったはずだ。

 私は無言で、自分のサブバッグを、その「隣の席」に置いた。
 机の上に、ドサッと。
 まるで「予約席」のプレートみたいに。

 周囲がざわつく。
 「え、そこ誰の席?」「くじ引き無視?」
 聞こえない。
 私は腕組みをして、窓の外を睨んでいた。
 誰も寄せ付けないオーラを全開にして。

 ガララ、と教室のドアが開いた。
 加藤が入ってくる。
 寝癖がついている。あくびをしている。
 彼は黒板の座席表をちらっと見て、一瞬「あれ?」という顔をした。
 自分の席が前の方にあることを確認したのだ。

 でも、彼はその席には向かわなかった。
 私の姿を見つけると、ふらふらとこちらへ歩いてくる。
 まるで、磁力に引かれる鉄粉みたいに。

 私の前まで来ると、彼は机の上の私のサブバッグを見た。
 そして私を見た。

「……ここ、俺の席?」

 加藤が聞いた。
 私は無表情のまま、顎をしゃくった。
 「座れ」の合図。

「……へいへい」

 加藤は苦笑いをして、バッグをどかし、そこに自分のリュックを置いた。
 周りから「え、加藤そこじゃないでしょ」「変わってあげたの?」という声が聞こえる。
 加藤は適当に手を振って、「いーのいーの、ここ落ち着くから」と答えた。

 勝った。
 システムに勝った。
 常識に勝った。

 加藤が椅子を引いて座る。
 ガタッ、という音。
 そして、いつもの距離感。いつもの体温。いつもの匂い。
 右側から伝わってくるその全てが、私の世界を「完成」させる。

「お前さぁ……強引すぎ」

 加藤が小声で言った。
 机に突っ伏して、顔だけこちらに向けている。
 呆れているようで、でも、怒ってはいない。

「……何のこと?」
「とぼけんなよ。席表、俺あっちだぞ」
「知んない。見間違えたんじゃない?」
「嘘つけ」

 加藤は喉の奥でクックと笑った。
 その振動が、机を伝って私の腕に響く。

 去年、クリスマスが終わった時に彼が言った。
 「また来年も、よろしくな」って。
 あれはただの社交辞令だったかもしれない。
 でも、私はそれを契約書として受理した。

 来年も、再来年も。
 物理的に可能な限り、私はお前の隣を占拠し続ける。
 言葉で「好き」なんて言わない。
 「ずっと一緒にいたい」なんて甘いことも言わない。

 ただ、行動だけで縛る。
 お前が無意識に「右側にはこいつがいる」と刷り込まれるまで。
 パブロフの犬みたいに、私の気配がないと落ち着かない体に改造してやる。

「……ま、いっか。ここ、あったけーし」

 加藤が目を閉じた。
 窓からの冬の日差しぽかぽかしている。
 彼はすぐに寝息を立て始めた。
 スー、スー、と間の抜けた音。時々、喉の奥でカエルが潰れたような『グフッ』という音が混ざる。粘ついた唾液が溜まっているんだろうか。

 私は頬杖をついて、その寝顔を見下ろした。
 マヌケ面。無精髭。少し開いた口。
 世界一キモくて、世界一安心する風景。

 私は机の下で、彼の靴の爪先に、自分の靴をこつんと当てた。
 彼は起きない。

 無言監視でしか愛せない恋とか、私のクリスマスも、これからの青春も、全部永遠に無言地獄だ。
 
 でも、地獄の底は、意外と居心地がいい。
 だって、ここには私と彼しかいないから。

(おわり)
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