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第10話 衝突
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屋上の風が強くなってきた。
俺と栞の間には、重苦しい沈黙が横たわっている。
さっきまでの「ロマンチックな答え合わせ」の空気は消え失せた。
今あるのは、皮を剥がれた生々しい現実と、向き合わなければならない痛みだけだ。
「……公開処刑、か」
栞が小さく呟く。
「夏月くんは、そう思ってたんだね。あの夜のことを」
「ああ、そうとしか思えないだろ」
俺はフェンスを握りしめた。
錆びた鉄の感触が、手のひらに食い込む。
「俺はステージで失敗した。頭が真っ白になって、原稿を落として、噛みまくって……会場中が静まり返った。あの時の視線、今でも夢に見るよ」
俺は吐き捨てるように言った。
「あそこで俺の『理想の彼氏像』は崩壊したんだ。カッコいいところなんて一つもなかった。ただのピエロだ」
栞が悲しげに首を振る。
「違うよ。夏月くんは頑張ったよ。最後まで読み切ったじゃない」
「震える声でな。内容は誰も聞いてなかった。みんな『あいつ大丈夫か?』って目で見てた」
俺は栞の方を向いた。
「雪野さん。お前が俺を庇ってくれるのは嬉しいよ。でも、それはもう限界だ」
「限界……?」
「俺は、お前の理想の王子様にはなれない。身長も低いし、メンタルも弱いし、いざという時に逃げ出すような奴だ。……お前が語る『Replay』の中の俺は、俺じゃない」
栞の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「……ごめん。ごめんなさい……」
彼女は顔を覆って泣き出した。
「私、夏月くんを追い詰めてたんだね。励まそうとして、逆に傷つけてたんだね……」
「……」
謝られたかったわけじゃない。
ただ、認めてほしかっただけだ。
俺の弱さを。等身大の俺を。
「でもね!」
栞が顔を上げた。
涙でぐしゃぐしゃになった顔で、俺を睨みつけるように言った。
「私だって必死だったの! 夏月くんがいなくなっちゃう気がして……私が繋ぎ止めなきゃって! 嘘でもいいから、ハッピーエンドにしなきゃって!」
彼女の声が裏返る。
「だって、今の夏月くん……すごく遠いもん。記憶がないからじゃない。記憶があった時から、ずっと遠くを見てた! 『理想の自分』ばかり追いかけて、隣にいる私のこと、本当には見てくれてなかったじゃない!」
……え?
ハッとした。
俺は、栞を見ていなかった?
「夏月くんは、私のために頑張ってたのかもしれない。でも、それは『雪野栞の彼氏として恥ずかしくない自分』になるためでしょ? 私自身を見てくれてたわけじゃない」
栞の言葉が、鋭い刃となって俺の胸を抉る。
「私は……カッコ悪い夏月くんでもよかったのに! 震えてても、失敗しても、私の手だけは離さないでほしかったのに! ……夏月くんは、自分のプライドの方が大事だったんでしょ!?」
違う。
そうじゃない。
俺は、お前にふさわしい男になりたくて……。
いや、図星か。
俺は「高嶺の花」である彼女に釣り合うことに必死で、彼女自身が何を求めているのか、何を感じているのか、考えていなかったのかもしれない。
「甘い卵焼き」を無理して食べたのも、「カッコいいデート」を演出しようとしたのも。
結局は、俺自身のコンプレックスを埋めるための独りよがりな努力だったのか。
「……そうか」
俺は力の抜けた声を出した。
「俺たちは、お互いに見てるものが違ったんだな」
俺は「理想の自分」を。
栞は「理想の物語」を。
二人の間には、最初から「リアルな俺たち」なんて存在していなかったのかもしれない。
だとしたら。
この記憶喪失は、必然だった。
虚構の関係が破綻し、リセットボタンが押されただけのことだ。
「……もう、終わりにしようか」
俺は言った。
第1話で栞が言った「終わったのよ」という言葉とは、正反対の意味で。
「無理だよ、これ以上。俺はカッコよくなれないし、お前の脚本通りには動けない」
「……」
栞は何も言わなかった。
ただ、絶望的な眼差しで俺を見つめていた。
その時。
俺の脳裏に、強烈なフラッシュバックが起きた。
暗い校舎裏。
遠くから聞こえるフォークダンスの音楽。
息を切らして走る俺。
そして、追いかけてくる足音。
『待って! 夏月くん!』
……あ。
思い出した。
文化祭の夜。
ステージで失敗した後、俺は逃げ出したんじゃなかった。
栞が、追いかけてきたんだ。
そして、俺たちは――。
「……違う」
俺は無意識に呟いた。
「終わりじゃない。……続きがある」
俺の記憶の封印が、音を立てて砕け散ろうとしていた。
一番見たくなくて、でも一番大切な「ラストシーン」が、蘇ってくる。
(つづく)
俺と栞の間には、重苦しい沈黙が横たわっている。
さっきまでの「ロマンチックな答え合わせ」の空気は消え失せた。
今あるのは、皮を剥がれた生々しい現実と、向き合わなければならない痛みだけだ。
「……公開処刑、か」
栞が小さく呟く。
「夏月くんは、そう思ってたんだね。あの夜のことを」
「ああ、そうとしか思えないだろ」
俺はフェンスを握りしめた。
錆びた鉄の感触が、手のひらに食い込む。
「俺はステージで失敗した。頭が真っ白になって、原稿を落として、噛みまくって……会場中が静まり返った。あの時の視線、今でも夢に見るよ」
俺は吐き捨てるように言った。
「あそこで俺の『理想の彼氏像』は崩壊したんだ。カッコいいところなんて一つもなかった。ただのピエロだ」
栞が悲しげに首を振る。
「違うよ。夏月くんは頑張ったよ。最後まで読み切ったじゃない」
「震える声でな。内容は誰も聞いてなかった。みんな『あいつ大丈夫か?』って目で見てた」
俺は栞の方を向いた。
「雪野さん。お前が俺を庇ってくれるのは嬉しいよ。でも、それはもう限界だ」
「限界……?」
「俺は、お前の理想の王子様にはなれない。身長も低いし、メンタルも弱いし、いざという時に逃げ出すような奴だ。……お前が語る『Replay』の中の俺は、俺じゃない」
栞の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「……ごめん。ごめんなさい……」
彼女は顔を覆って泣き出した。
「私、夏月くんを追い詰めてたんだね。励まそうとして、逆に傷つけてたんだね……」
「……」
謝られたかったわけじゃない。
ただ、認めてほしかっただけだ。
俺の弱さを。等身大の俺を。
「でもね!」
栞が顔を上げた。
涙でぐしゃぐしゃになった顔で、俺を睨みつけるように言った。
「私だって必死だったの! 夏月くんがいなくなっちゃう気がして……私が繋ぎ止めなきゃって! 嘘でもいいから、ハッピーエンドにしなきゃって!」
彼女の声が裏返る。
「だって、今の夏月くん……すごく遠いもん。記憶がないからじゃない。記憶があった時から、ずっと遠くを見てた! 『理想の自分』ばかり追いかけて、隣にいる私のこと、本当には見てくれてなかったじゃない!」
……え?
ハッとした。
俺は、栞を見ていなかった?
「夏月くんは、私のために頑張ってたのかもしれない。でも、それは『雪野栞の彼氏として恥ずかしくない自分』になるためでしょ? 私自身を見てくれてたわけじゃない」
栞の言葉が、鋭い刃となって俺の胸を抉る。
「私は……カッコ悪い夏月くんでもよかったのに! 震えてても、失敗しても、私の手だけは離さないでほしかったのに! ……夏月くんは、自分のプライドの方が大事だったんでしょ!?」
違う。
そうじゃない。
俺は、お前にふさわしい男になりたくて……。
いや、図星か。
俺は「高嶺の花」である彼女に釣り合うことに必死で、彼女自身が何を求めているのか、何を感じているのか、考えていなかったのかもしれない。
「甘い卵焼き」を無理して食べたのも、「カッコいいデート」を演出しようとしたのも。
結局は、俺自身のコンプレックスを埋めるための独りよがりな努力だったのか。
「……そうか」
俺は力の抜けた声を出した。
「俺たちは、お互いに見てるものが違ったんだな」
俺は「理想の自分」を。
栞は「理想の物語」を。
二人の間には、最初から「リアルな俺たち」なんて存在していなかったのかもしれない。
だとしたら。
この記憶喪失は、必然だった。
虚構の関係が破綻し、リセットボタンが押されただけのことだ。
「……もう、終わりにしようか」
俺は言った。
第1話で栞が言った「終わったのよ」という言葉とは、正反対の意味で。
「無理だよ、これ以上。俺はカッコよくなれないし、お前の脚本通りには動けない」
「……」
栞は何も言わなかった。
ただ、絶望的な眼差しで俺を見つめていた。
その時。
俺の脳裏に、強烈なフラッシュバックが起きた。
暗い校舎裏。
遠くから聞こえるフォークダンスの音楽。
息を切らして走る俺。
そして、追いかけてくる足音。
『待って! 夏月くん!』
……あ。
思い出した。
文化祭の夜。
ステージで失敗した後、俺は逃げ出したんじゃなかった。
栞が、追いかけてきたんだ。
そして、俺たちは――。
「……違う」
俺は無意識に呟いた。
「終わりじゃない。……続きがある」
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