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第12話 記憶の共有と答え合わせの完了
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屋上の空は、完全に夜の帳(とばり)に包まれていた。
星がいくつか瞬いている。
俺たちはベンチに並んで座っていた。
手は繋いでいない。でも、肩が触れ合っている。
その体温だけで十分だった。
「……ごめんね、夏月くん」
栞が、少し掠れた声で言った。
「私、自分勝手だった。綺麗な思い出だけ残せば、夏月くんが傷つかないと思ったの。でも、それは私が『汚い思い出』を受け入れたくなかっただけなのかもしれない」
「いいよ、もう」
俺は首を振る。
「俺だって、カッコ悪い自分を消したくて記憶を失ったようなもんだし。……おあいこだろ」
俺たちは顔を見合わせて、少し笑った。
自虐的な、でも温かい笑い。
「答え合わせ、しよっか」
俺は言った。
「栞が語った『理想の物語』と、俺が思い出した『現実の物語』。……どっちが良かった?」
「うーん……」
栞は夜空を見上げて考える。
「理想の方は、映画みたいで素敵だったけど……疲れちゃったかな」
「だよな。俺も聞いてて胃もたれした」
「現実の方は……酷かったね」
「ああ。特にジェットコースターの顔とか、消去したい黒歴史だ」
「ふふっ。でもね」
栞が俺の手をそっと握った。
「現実の方が、手触りがあったよ。……夏月くんの手、汗ばんでて、震えてて。生きてるって感じがした」
俺は握り返した。
強く。
今度は手汗を気にしなかった。
だって、それが俺たちだから。
「なあ、栞」
「ん?」
「俺、卵焼きは甘いのも嫌いじゃないけど、やっぱりしょっぱいのが好きなんだ」
「……うん。知ってた」
「次は、出汁たっぷりのやつ作ってくれないか?」
「……うん! 任せて!」
「あと、ホラー映画は苦手だ。お化け屋敷も二度と入りたくない」
「わかった。じゃあ、次は水族館に行こう? クラゲ見るだけなら怖くないでしょ?」
「それならいける」
一つ一つ、確認していく。
俺の弱さを。俺たちのズレを。
隠すのではなく、共有して、笑い合う。
それがこんなに心地いいなんて知らなかった。
「あのね、夏月くん」
栞が少し躊躇いがちに言う。
「文化祭のキスのことなんだけど……」
「……ああ」
「私、実は……あれがファーストキスだったの」
「………へ?」
俺は固まった。
学園一の美少女。高嶺の花。
付き合った人数は二桁いくんじゃないかと噂されていた雪野栞が?
「嘘だろ?」
「本当だよ! だから、すごく緊張してたし……鼻水とかついちゃったの、すごく気にしてたんだから!」
栞が顔を赤くしてプンプン怒る。
マジか。
あの泥臭いキスが、彼女にとっても初めてだったのか。
そう思うと、あの「最悪のキスシーン」が、急に世界遺産級の尊いものに思えてきた。
「……そっか。俺もだよ」
「えっ?」
「俺もファーストキスだった。……下手くそでごめんな」
「ううん。……味、覚えてる?」
「しょっぱかった」
「私も。……レモン味とかじゃなかったね」
「青春の味って、案外そんなもんかもな」
俺たちはまた笑った。
今度は、腹の底からの大爆笑だった。
記憶喪失という名の「強制終了」を経て、俺たちはようやく「本当の姿」で向き合えた気がする。
無理して背伸びしなくても、足が地についていれば、それでいい。
五センチの身長差なんて、心の距離に比べれば些細なことだ。
「さて……」
俺は立ち上がった。
「そろそろ帰ろうか。また明日から、学校だし」
「うん。……あ、でも待って」
栞も立ち上がり、俺の袖を掴んだ。
「一つだけ、やり残したことがあるの」
「やり残したこと?」
「うん。……第1話の、ラストシーン」
栞が悪戯っぽく微笑んだ。
夕暮れの屋上での会話を思い出す。
『とぼけてもキスしてあげないからね?』
……あ。
「今の私たちは、もう『理想の物語』の住人じゃないけど」
栞が俺に一歩近づく。
「『現実の私たち』として……上書き保存、しない?」
心拍数が上がる。
今回は、逃げない。
震えるかもしれないけど、カッコ悪いかもしれないけど。
俺は、俺のままで、彼女を受け止める。
「……ああ。しよう」
俺たちは目を閉じた。
星空の下。
風が止んだ。
(つづく)
星がいくつか瞬いている。
俺たちはベンチに並んで座っていた。
手は繋いでいない。でも、肩が触れ合っている。
その体温だけで十分だった。
「……ごめんね、夏月くん」
栞が、少し掠れた声で言った。
「私、自分勝手だった。綺麗な思い出だけ残せば、夏月くんが傷つかないと思ったの。でも、それは私が『汚い思い出』を受け入れたくなかっただけなのかもしれない」
「いいよ、もう」
俺は首を振る。
「俺だって、カッコ悪い自分を消したくて記憶を失ったようなもんだし。……おあいこだろ」
俺たちは顔を見合わせて、少し笑った。
自虐的な、でも温かい笑い。
「答え合わせ、しよっか」
俺は言った。
「栞が語った『理想の物語』と、俺が思い出した『現実の物語』。……どっちが良かった?」
「うーん……」
栞は夜空を見上げて考える。
「理想の方は、映画みたいで素敵だったけど……疲れちゃったかな」
「だよな。俺も聞いてて胃もたれした」
「現実の方は……酷かったね」
「ああ。特にジェットコースターの顔とか、消去したい黒歴史だ」
「ふふっ。でもね」
栞が俺の手をそっと握った。
「現実の方が、手触りがあったよ。……夏月くんの手、汗ばんでて、震えてて。生きてるって感じがした」
俺は握り返した。
強く。
今度は手汗を気にしなかった。
だって、それが俺たちだから。
「なあ、栞」
「ん?」
「俺、卵焼きは甘いのも嫌いじゃないけど、やっぱりしょっぱいのが好きなんだ」
「……うん。知ってた」
「次は、出汁たっぷりのやつ作ってくれないか?」
「……うん! 任せて!」
「あと、ホラー映画は苦手だ。お化け屋敷も二度と入りたくない」
「わかった。じゃあ、次は水族館に行こう? クラゲ見るだけなら怖くないでしょ?」
「それならいける」
一つ一つ、確認していく。
俺の弱さを。俺たちのズレを。
隠すのではなく、共有して、笑い合う。
それがこんなに心地いいなんて知らなかった。
「あのね、夏月くん」
栞が少し躊躇いがちに言う。
「文化祭のキスのことなんだけど……」
「……ああ」
「私、実は……あれがファーストキスだったの」
「………へ?」
俺は固まった。
学園一の美少女。高嶺の花。
付き合った人数は二桁いくんじゃないかと噂されていた雪野栞が?
「嘘だろ?」
「本当だよ! だから、すごく緊張してたし……鼻水とかついちゃったの、すごく気にしてたんだから!」
栞が顔を赤くしてプンプン怒る。
マジか。
あの泥臭いキスが、彼女にとっても初めてだったのか。
そう思うと、あの「最悪のキスシーン」が、急に世界遺産級の尊いものに思えてきた。
「……そっか。俺もだよ」
「えっ?」
「俺もファーストキスだった。……下手くそでごめんな」
「ううん。……味、覚えてる?」
「しょっぱかった」
「私も。……レモン味とかじゃなかったね」
「青春の味って、案外そんなもんかもな」
俺たちはまた笑った。
今度は、腹の底からの大爆笑だった。
記憶喪失という名の「強制終了」を経て、俺たちはようやく「本当の姿」で向き合えた気がする。
無理して背伸びしなくても、足が地についていれば、それでいい。
五センチの身長差なんて、心の距離に比べれば些細なことだ。
「さて……」
俺は立ち上がった。
「そろそろ帰ろうか。また明日から、学校だし」
「うん。……あ、でも待って」
栞も立ち上がり、俺の袖を掴んだ。
「一つだけ、やり残したことがあるの」
「やり残したこと?」
「うん。……第1話の、ラストシーン」
栞が悪戯っぽく微笑んだ。
夕暮れの屋上での会話を思い出す。
『とぼけてもキスしてあげないからね?』
……あ。
「今の私たちは、もう『理想の物語』の住人じゃないけど」
栞が俺に一歩近づく。
「『現実の私たち』として……上書き保存、しない?」
心拍数が上がる。
今回は、逃げない。
震えるかもしれないけど、カッコ悪いかもしれないけど。
俺は、俺のままで、彼女を受け止める。
「……ああ。しよう」
俺たちは目を閉じた。
星空の下。
風が止んだ。
(つづく)
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