【短編集】バレンタイン・ノワール ~ハッピーエンドは売り切れました~

月下花音

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第2章:技術とプライド(職人の敗北)

#5:彼が選んだのは、私じゃないチョコレート Ep.05

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 職場に戻った。
「佐藤さん、どうしたの? 休みじゃなかったっけ?」
 同僚に驚かれる。
「うん、ちょっと試作したくて」

 私は厨房に入り、コックコートに着替えた。
 髪をきっちりまとめ、帽子をかぶる。
 この戦闘服を着ると、シャキッとする。
 私は「女」である前に「職人」だ。
 そう自分に言い聞かせる。

 高塔とのことは、もう終わりだ。
 完全に終わった。
 私の「完璧」は、彼には届かなかった。
 でも、世の中にはこの「完璧」を求めてお金を払ってくれる人がいる。
 ホテルの客。
 コンクールの審査員。
 彼らのために、私はこれからも完璧を作り続けるしかない。

 ボウルにチョコレートを入れる。
 湯煎にかける。
 温度計を見る。
 45度。50度。
 正確に。精密に。
 私の心は乱れていても、手元は狂わせない。
 それがプロだ。

「……よし」

 出来上がったのは、さらに研ぎ澄まされたショコラ。
 冷徹なまでに美しい。
 それを口に入れる。
 苦い。
 でも、その奥に深いコクがある。

 私はこの道を一人で歩いていく。
「温かみ」なんていう曖昧なものに逃げず、数字と理論と技術で積み上げた頂を目指す。
 そこに誰かが隣にいてくれるかは分からない。
 たぶん、いないだろう。
 私は可愛げのない、完璧主義の魔女だから。

「美味しい」
 自分自身の評価に、自分で頷く。
 誰も褒めてくれなくても、私がこの味を愛しているなら、それでいい。
 タッパーのクッキーには負けたけれど、このショコラは世界で一番美しい。
 そう信じて、私は次のオーダーの準備に取り掛かった。
 ステンレスの作業台に映る私の顔は、涙の跡もなく、冷たく光っていた。

(彼が選んだのは、私じゃないチョコレート・おわり)
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