【短編集】バレンタイン・ノワール ~ハッピーエンドは売り切れました~

月下花音

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第2章:技術とプライド(職人の敗北)

#5:彼が選んだのは、私じゃないチョコレート Ep.04

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 彼は私のショコラを2粒食べただけで、「残りは家で食うわ」と蓋を閉じた。
 一方、タッパーのクッキーは完食していた。
 ボロボロこぼれた粉も、指についた油も、気にせずに。

「じゃあな。仕事頑張れよ」
 彼は時計を手首に巻き、笑顔で去っていった。
 私は一人、カフェに残された。

 テーブルの上には、彼が飲み干したグラスの水滴の跡。
 私は自分のショコラが入った箱(まだ彼が持って帰っていなかった分。2箱作っていたのだ)を開けた。
 美しい。
 完璧なテンパリングの艶。
 でも、今はそれが無機質なプラスチックに見える。

 一粒食べる。
 完璧な味だ。
 どこにも文句のつけようがない。
 でも、「ホッとする」かどうかと言われれば、確かに違う。
 緊張感を強いる味だ。
「どうだ、参ったか」と問いかけてくる味だ。

「……可愛くないな、私」

 ポツリと呟く。
 パティシエとしては一流かもしれない。
 でも、恋人としては三流だった。
 相手に完璧を求め、自分にも完璧を課し、息苦しい空間を作り出す。
 失敗を許さない潔癖さが、彼の居場所を奪っていたのだ。

 彼の新しい彼女は、料理が下手かもしれないけど、彼をリラックスさせる天才なのだろう。
 焦げたクッキーを「ごめんね」と笑って出せる無邪気さ。
 それを「可愛い」と受け入れさせる包容力。
 私には逆立ちしても真似できない。

 もし私が、失敗したケーキを彼に出していたら?
「焦げちゃった」って笑っていたら?
 彼は「しょうがねーな」って笑ってくれただろうか。
 いや、無理だ。
 私のプライドがそれを許さない。
 私はプロだから。
 そのプライドが、私の鎧であり、同時に檻だったのだ。

 カフェのBGMが、のんきなジャズからバラードに変わった。
 周りのカップルが楽しそうに話している。
 彼らはきっと、完璧な味なんて求めていない。
 ただ、一緒にいる時間を楽しんでいるだけだ。
 そんな当たり前のことに気づくのに、私は27年もかかってしまった。

(つづく)
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