【短編集】バレンタイン・ノワール ~ハッピーエンドは売り切れました~

月下花音

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第4章:特殊設定と変化球(スパイスを投入)

#12:二月十五日の私たちは Ep.05

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 一年が経った。
 また、2月14日が来る。
 早いものだ。地球が一周する間に、私たちは何か進歩しただろうか。
 答えはノーだ。

 私たちはまだ付き合っている。
 一度も本気の喧嘩もせず、一度も本音をぶつけ合うこともなく。
 彼は相変わらずアプリをやっている(らしい)。
「らしい」というのは、私がもう確認するのをやめたからだ。
 見ても傷つくだけだし、どうせ別れないんだから意味がない。

 そして私も最近、こっそりアプリを始めた。
 彼には内緒だ。
 でも、全然マッチングしないし、いい人もいない。
 結局、涼介の顔の良さと、程よい距離感(放置とも言う)に慣れてしまって、他の男が面倒くさく感じるのだ。
 お互いに決定的な「次」が見つからないまま、またこの日を迎えてしまった。

「はい、チョコ」
「おー、サンキュ」

 去年と同じシチュエーション。
 彼の部屋。
 デパートで買った、そこそこの値段のチョコ。
 でも、私の心臓はもう跳ねないし、彼もスマホを見ながら片手で受け取る。
 中身なんてどうでもいい。
「バレンタインを彼氏と過ごした」という実績解除のためだけの儀式。

 ときめきなんて死滅した。
 あるのは「行事だからやる」という惰性だけ。
 夫婦の倦怠期ですらない。私たちには、熱愛期すら存在しなかったのだから。

「そういやさ、来月旅行行く? 会社の福利厚生で安くなるから」
 彼が珍しく提案してきた。
 罪滅ぼしか、それともポイント消化か。
 あるいは、ホワイトデーのお返しを考えるのが面倒だから、旅行でチャラにしようという魂胆か。

「いいよ。どこ?」
「温泉とか。熱海あたりでいんじゃね」

 安い旅行。
 近場の温泉。
 でも、私たちは別れない。
 一人になるのが怖いから。
「誰からも選ばれない自分」を認めるのが怖いから。
 そして、「30手前でフリーに戻る」というリスクを冒せないから。

「好きだよ」
 嘘をつく。
 何の感情も込めずに、挨拶みたいに言う。
「俺も」
 彼も嘘をつく。
 スマホの画面から目を離さずに。

 2月15日の朝。
 隣で寝ている彼のアラームが鳴る。
 私が先に目を覚ます。
 彼のスマホの画面が光る。
 ロック画面には通知が並んでいる。
『Tinder:新しいマッチングが成立しました!』
『Pairs:○○さんから「いいね!」が届きました』

 その通知を見て、私は怒りも悲しみも湧かなかった。
 逆に、安堵した。
 彼もまだ、探し続けている。
 私と同じように、満たされない穴を埋めようとしている。
 私という「キープ」がいながら、まだ何者かになろうとしている。

 その浅ましさが、私たちを繋ぐ唯一の絆だ。
 彼がもし、アプリをやめて「お前だけだ」と言い出したら、私は逆に冷めるかもしれない。
「私なんかを選ぶなんて、センスないな」と思ってしまうかもしれない。

 来年の今日も、きっと私たちは一緒にいるだろう。
 お互いにスマホを隠しながら。
 本当の幸せなんてどこにもないことを知りながら。
 冷え切った手をつないで、地獄の底を歩いていくのだ。
 他人同士のまま、家族ごっこを続けていく。
 それが、私たちの最適解なのだから。

(おわり)
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