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第5話 キスシーン禁止令
しおりを挟む朝の部室は、昨日の告白練習の余韻がまだ空気に溶け込んでいる。甘い緊張が、微かに残る。でも、そんな空気を引き裂くように、田中先生が深刻な顔で入ってきた。
「皆さん、重要な話があります」
先生の声に、部員たちがざわめく。俺とこころは、無意識に距離を取る。昨日の「好きだよ」が、まだ耳の奥で響いているからだ。視線が絡みそうになり、慌てて目を逸らす。
「文化祭の演目について、学校側から指摘がありました。高校生には不適切な内容が含まれているとのことで……」
先生の視線が、俺たちに向く。胸が、ざわつく。
「キスシーンは削除してください。代わりに、手を繋ぐシーンで終わらせましょう」
部室が静まり返る。後輩の一人が「えー」と小さな声を上げるが、先生の表情は変わらない。厳しく、しかし公平に。
「これは決定事項です。今日から新しい台本で練習してください」
先生が去った後、部室に重い空気が流れる。台本を握る手が、微かに震える部員たち。
「キスシーンなしって……」後輩の美咲が呟く。「あのシーン、すごく良かったのに」
こころが台本を握りしめる。俺には分かる。彼女がどれだけあのシーンに思い入れを持っていたか。あのクライマックスを、完璧に仕上げるために、どれだけの計算を重ねてきたか。
「仕方ないわ。学校の方針だから」
でも、こころの声には微かな震えがある。完璧な生徒会長としての建前と、演劇部長としての本音が、胸の中で葛藤しているのが伝わる。彼女の指先が、台本の端を白くする。
「部長……」美咲が心配そうに見つめる。
「大丈夫よ。手を繋ぐシーンでも、十分に感動的な演技ができるはず」
そう言いながら、こころの視線が一瞬俺に向く。その瞳に、言葉にできない何かが宿っている。禁止されたものが、逆に熱を帯びて、俺たちの間に息づいている。
放課後、空き教室。いつもの練習場所で、俺たちは新しい台本を前に座っている。夕陽が窓から差し込み、部屋を柔らかな橙色に染める。ドアを閉めた音が、静かに響く。
「手を繋ぐだけ……」こころが呟く。「でも、本当にそれで十分なの?」
俺は彼女の横顔を見つめる。完璧主義者のこころが、妥協を受け入れようとしている。でも、その奥に別の感情が見える。昨日の告白の熱が、まだ消えていない。
「こころ」
俺の声に、彼女が振り返る。瞳が、わずかに揺れる。
「俺たちだけで、元の台本で練習しない?」
こころの目が見開かれる。一瞬、息を飲む。
「でも、先生が……」
「先生には内緒で。俺たちの演技力向上のため、って言えば」
これは危険な提案だった。でも、昨日の「好きだよ」の後で、俺たちの関係は既に危険な領域に入っている。演技の殻が、薄く剥がれ始めている。
こころが唇を噛む。生徒会長としての責任感と、演劇部長としての情熱が戦っているのが、彼女の表情から読める。細い肩が、わずかに震える。
「……分かったわ。でも、絶対に秘密よ」
その言葉に、俺たちの間に新しい絆が生まれる。共犯者として、共有する秘密。心臓が、静かに速まる。
「じゃあ、元のシーン6から」こころが台本を開く。「でも、今度は……もっと真剣に」
真剣に? 俺の心臓が跳ねる。夕陽が、彼女の頰を優しく照らす。
「昨日の練習で分かったの。私たち、まだ表面的だった。本当の感情を込めるには……」
こころが立ち上がり、俺の前に来る。距離十五センチ。彼女の香りが、濃く漂う。花のような、甘い匂いが、胸を締めつける。
「優也くん、今度は本気で演じて。演技だけど、本気で」
本気で演技する。その矛盾した言葉が、俺たちの関係を完璧に表している。演技の向こう側で、何かが息づく。
「こころ……」
俺は立ち上がり、彼女の手を取る。昨日より自然に、でも昨日より緊張して。指が絡み、掌の温もりが伝わる。柔らかく、しかし確かな熱。
「好きだよ。君のすべてが、俺の恋だ」
セリフを言いながら、俺は気づく。これは演技なのか、本音なのか、もう分からない。声が震え、視線が彼女の瞳に溶け込む。
こころの頰が赤くなる。息が、わずかに乱れる。
「私も……あなたが好き。この気持ち、演技じゃない」
台本にはない言葉だった。彼女の声が、囁くように細く、しかし熱い。
「こころ、それ台本にない……」
「分かってる」彼女が一歩近づく。「でも、本当の演技には、台本を超えた何かが必要なの」
距離五センチ。息が混じる。温かく、甘い空気が、互いの唇を撫でる。
「優也くん、キスシーンの練習……本当にしない?」
その言葉に、俺の理性が揺らぐ。胸の奥が、熱く疼く。
「でも、禁止されてる」
「練習よ。演技の練習」こころの声が囁くように小さくなる。「誰にも言わない。私たちだけの秘密」
秘密。その言葉が、俺たちを共犯者にする。心臓の音が、部屋に響きそう。
「こころ……」
俺の手が彼女の頰に触れる。柔らかく、温かい。指先が、滑るように肌をなぞる。彼女の瞳が、細く閉じかける。
「これも、演技?」
「演技よ」こころが目を閉じる。「でも、演技だからこそ、本当の気持ちを込められる」
唇が触れる寸前。息が絡み、熱が溶け合う。夕陽が、俺たちを優しく包む。時間は止まり、世界は二人だけになる。
突然、ドアが開く音。ガチャリ、という鋭い響き。
「部長! 忘れ物を……」
美咲の声に、俺たちは慌てて離れる。心臓が爆発しそうだ。頰の感触が、まだ指先に残る。
「あ、あの……お邪魔しました!」
美咲が慌てて出て行く。ドアが閉まる音が、静寂を残す。俺たちは呆然と立ち尽くす。息が荒く、頰が熱い。
「見られた……」こころが呟く。声が、かすれる。
「でも、練習だから」俺が言い返す。「演技の練習だから、問題ない」
そう言いながら、俺たちは分かっている。あれは演技を超えた何かだった。唇が触れなかった分、熱が胸の奥で膨らむ。
その夜、ベッドでスマホを見つめる。こころからのメッセージが来ている。画面の光が、部屋を照らす。
『優也くん、今日はお疲れ様。美咲に見られちゃったね💦 でも、あれは練習だから大丈夫よね?』
練習。その言葉を何度も繰り返す俺たち。指が、画面を撫でる。
『お疲れ様、こころ。練習だから問題ないよ。でも……』
『でも?』
『あの時の君の顔、演技に見えなかった』
送信してから、心臓が止まりそうになる。これは危険すぎる本音だ。既読がつき、返事が遅い。タイプ中の点が、俺を焦らす。
『……優也くんも、演技に見えなかった。どうしよう、私たち』
どうしよう。その言葉に、俺たちの混乱が全て込められている。胸が、甘く疼く。
『分からない。でも、明日も練習する?』
『する。絶対に秘密で』
『約束』
『約束♡』
スマホを置いて、天井を見上げる。
俺たちは何をしているんだろう? 演技の練習? それとも、演技を口実にした本音の確認?
でも、考えてみれば、人は毎日いろんな「演技」をしている。学校では「良い生徒」を演じ、家では「良い息子」を演じ、友達の前では「面白い奴」を演じる。
だとしたら、演技の中で見せる本音も、また一つの真実なのかもしれない。
明日、俺たちはまた「練習」をする。それが演技なのか本音なのか、もう分からない。
でも、分からないからこそ、続けたくなる。
禁止されたキスシーンは、俺たちの秘密になった。そして、秘密を共有することで、俺たちはもっと深く繋がった。
これが恋なのか、演技なのか。
答えは、まだ見つからない。
禁止令が出た瞬間、計算が狂った。
キスシーンを削除? あのクライマックスを、手繋ぎで終わらせるなんて。文化祭の完璧な舞台が、崩れる。
でも……優也くんの提案。「俺たちだけで練習しない?」
その言葉に、心が揺れた。秘密の共有。共犯者になる興奮。生徒会長の私は、拒否すべきだった。でも、演劇部長の私は、欲した。
あの瞬間、唇が近づいた時。熱が溶け合い、息が絡む。美咲に見られたけど、それでも後悔がない。
演技の練習? 嘘よ。あれは、本音の確認。優也くんの指が頰に触れた感触が、まだ残る。温かく、甘い痺れ。
どうしよう。この熱を、文化祭まで抑えられる? 抑えたくない、と思う自分がいる。
秘密の練習が、続きそう。明日、またあの距離で。
この恋は、台本にないページ。書いていくしかないわ。
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