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第1話:時給一万円の笑顔と、三百円のカップ麺
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「……よし、装備完了」
駅のトイレの鏡に向かって、私は小さく呟いた。
映っているのは、私であって私ではない。
三千円の美容院専売トリートメントで艶出しした茶髪のゆるふわ巻き。
デパコス(死ぬ気で買ったディオール)のファンデーションで毛穴を抹殺した陶器肌。
そして、計算され尽くした「色素薄い系」のカラコン。
これぞ、レンタル彼女サービス『Eternal Lovers』の不動のNo.1キャスト、『セナ』様の戦闘形態だ。
総装備額、推定五万円(服はGUだけど)。
準備時間、二時間。
このコストを回収するためには、今日のデート、絶対に失敗するわけにはいかない。
スマホのバイブが震える。
予約時間は十三時。現在十二時五十五分。
完璧だ。早すぎず、遅すぎず、相手が「くるかな、こないかな」とドキドキし始めた絶妙なタイミングで現れるのが、プロの技。
私はトイレを出て、改札口へと向かう。
コツ、コツ、とヒールの音が響く。
サイズが合っていない安物のパンプスが、小指の側面を容赦なく削ってくる。
痛い。マジで痛い。
でも、顔には出さない。
広角を三ミリ上げろ。目は四十五度の角度で伏せろ。
私は今、時給一万円の商品なんだから。
「……あ、あのっ!」
改札の前で、モジモジしていた男が声を上げて駆け寄ってくる。
本日の「カモ」……もとい、大切なお客様。
夏目智也(なつめ ともや)様。二十一歳。大学生。
見た目は……うん、地味。
チェックのシャツに、サイズの合わないチノパン。髪は寝癖がついているのか、ワックスで失敗したのかわからない微妙なハネ方をしている。
典型的な「女性慣れしていない理系男子」というカテゴリー。
「お待たせしました! セナです。智也くん……だよね?」
私は、事前に練習した「春の木漏れ日」のような笑顔を炸裂させた。
効果はてきめん。
智也くんは、顔を茹でダコみたいに真っ赤にして、口をパクパクさせている。
「は、はひっ! な、那須……じゃなくて、夏目です! よ、よよよ、よろしくお願いしますっ!」
「ふふ、そんなに緊張しないで? 今日は楽しみにしてたんだから」
私は自然な動作で、彼の隣に並ぶ。
そして、触れるか触れないかの距離まで近づき、彼の服の袖をちょんと摘んだ。
接触(スキンシップ)レベル1。
これだけで、彼みたいなタイプは脳内麻薬がドバドバ出る。
「さ、行こ? 今日はどこ連れてってくれるの?」
上目遣いで尋ねる。
さあ、課金の時間だ。
私の生活費と、奨学金の返済と、そして何より――来月の「推し」の舞台の全通チケット代のために。
骨の髄まで搾り取らせてもらうわよ、智也くん。
✎ܚ
デートコースは横浜だった。
ベタだ。あまりにもベタすぎる。
山下公園を歩き、赤レンガ倉庫を見て、中華街で肉まんを食べる。
『デートスポット・横浜・おすすめ』で検索して、一番上に出てきたサイトをそのままなぞったようなプラン。
「海……大きいね」
「そうだねぇ、大きいねー」
「船も……すごいね」
「うん、かっこいいねー」
会話が死んでいる。
さっきから「大きい」「すごい」「きれい」の三語しか聞いていない気がする。
語彙力どうなってんの。AIの方がまだマシな会話するわよ。
しかも、歩くペースが速い。
私のヒールのことなんて一ミリも考えていない大股歩き。
小指の皮が完全に剥けた感覚がある。
靴の中で血が滲んでいるかもしれない。
笑顔の裏で、私は呪詛を吐き続ける。
(てめぇ、脚なげーんだよ。こちとら七センチのヒール履いてんだぞ。少しは察しろや。あと海風でセットした前髪崩れるだろうが。配慮が足りねぇんだよ配慮が!)
「あ、あのさ……セナちゃん」
「ん? なあに?」
首を傾げる角度、二十五度。愛嬌マシマシで。
「僕、こういうの初めてで……その、楽しくないかも、しれないけど……」
智也くんが、情けなさそうに眉を下げる。
「君みたいな素敵な人と歩いてるの、夢みたいで……ごめん、何話していいか、わかんなくて」
……うっ。
そういう「純粋な好意」をストレートにぶつけてくるの、やめてもらっていいですか。
こっちは仕事でやってんの。
金のための演技なの。
そんな、迷い込んだ野良犬みたいな目で見られると、騙している罪悪感というか、なんというか……仕事のリズムが狂うんだけど。
「ううん、そんなことないよ」
私は、プランBの「包容力お姉さんモード」に切り替える。
「智也くんが一生懸命考えてくれたの、伝わってるもん。私、すごく嬉しいよ?」
そして、彼の手をそっと握る。
手汗でじっとりとしていたが、眉一つ動かさず、むしろ愛おしそうに握り返す。
これがプロだ。時給一万円のプロ意識を見よ。
「セナちゃん……っ!」
智也くんの目が潤んでいる。
チョロい。チョロすぎる。
でも、これでいい。
これで延長料金三千円は確定したな。
✎ܚ
夕方。解散の時間が迫ってきた。
私たちは駅前のカフェに入った。
正直、足の限界が来ていたので、座れたことに心底ホッとする。
「あ、あの……これ」
コーヒーを飲みながら、智也くんがゴソゴソとカバンから何かを取り出した。
小さなラッピング袋。
中には、少し焦げたような茶色い塊が入っている。
「……えっと、これは?」
「く、クッキー……です」
彼は顔を真っ赤にして、消え入りそうな声で言った。
「買うのもアレかなって思って……昨日の夜、焼いてみて……味は保証できないけど、その、保存料とか入ってないから!」
手作りクッキー。
男の。
昨日の夜、一人で焼いた。
……重い。
物理的な重さじゃなくて、念(ねん)が重い。
衛生管理はどうなってる? 手袋した? 卵の賞味期限は? 小麦粉にダニ湧いてない?
私の脳内リスク管理アラートが鳴り響く。
普段なら「ごめんなさい、事務所のルールで食べ物は受け取れないんです」と断る場面だ。
でも、目の前の智也くんは、まるで判決を待つ被告人のように震えている。
はあ。
私は覚悟を決めた。
「わあっ! すごーい!」
今日一番の高い声が出た。
私はクッキーをまるで宝石のように両手で受け取る。
「手作りなんて初めて! 嬉しい! 帰ってから、大事に食べるね!」
智也くんの表情が、パァァァッと輝いた。
花が咲くってこういうことか、というくらいわかりやすい笑顔。
「よ、よかったぁ……! 迷惑じゃないかなって、ずっと心配で……」
「迷惑なわけないじゃん。……智也くんの『味』、楽しみにしてる」
最後に殺し文句を一発。
これで完全に落ちた。KOだ。
✎ܚ
プシュー。
電車のドアが閉まる。
ホームでいつまでも手を振っている智也くんの姿が、窓の向こうに流れて消えていく。
私は即座に座席に座り込み、靴を脱ぎ捨てた(行儀悪いけど知ったことか)。
「……疲れたぁぁぁぁぁぁぁ」
喉の奥から、呪いのような呻き声が漏れる。
顔の筋肉が痙攣しそうだ。
五時間。
五時間もの間、私は「セナ」という聖女を演じきった。
誰にも見られていないことを確認して、私はカバンからウェットティッシュを取り出し、入念に手を拭く。
手汗、気持ち悪かった。
そして、もらったクッキーを見る。
……ごめん。
さすがにこれは食えない。
お腹壊して医療費かかったら、元も子もないし。
最寄り駅のゴミ箱に、丁重に葬らせてもらおう。
スマホを取り出し、銀行アプリを開く。
本日の売上、指名料込みで三万円。
そこから事務所の手数料が引かれて、手取りは一万八千円。
交通費と、デート前のカフェ代(自腹)を引くと……一万六千円。
「……少なっ」
思わず舌打ちが出る。
あんなに愛想振りまいて、足の皮剥けるまで歩かされて、手作りクッキーの処理までさせられて、たったの一万六千円。
推しのS席チケット一枚分にもなりゃしない。
私は月島雫(つきしま しずく)。
大学三年生。友達なし。彼氏なし。
あるのは、親が残した借金と、底なしの推しへの愛と、この腐りきった性根だけ。
ふと、窓ガラスに映る自分を見た。
そこには、完璧に可愛い「セナ」が映っている。
でも、その瞳は死んだ魚のように濁っていた。
「……腹減ったな」
今日の夕飯は、特売のカップ麺(シーフード味)だ。
智也くん、アンタはいいよね。
「夢」を見られて。
こっちはその夢を作るために、魂すり減らしてんだよ。
私は深く息を吐き、イヤホンを耳にねじ込んだ。
推しの曲を爆音で流す。
そうでもしないと、やってられない。
明日もまた、誰かの「理想」にならなきゃいけないんだから。
(つづく)
駅のトイレの鏡に向かって、私は小さく呟いた。
映っているのは、私であって私ではない。
三千円の美容院専売トリートメントで艶出しした茶髪のゆるふわ巻き。
デパコス(死ぬ気で買ったディオール)のファンデーションで毛穴を抹殺した陶器肌。
そして、計算され尽くした「色素薄い系」のカラコン。
これぞ、レンタル彼女サービス『Eternal Lovers』の不動のNo.1キャスト、『セナ』様の戦闘形態だ。
総装備額、推定五万円(服はGUだけど)。
準備時間、二時間。
このコストを回収するためには、今日のデート、絶対に失敗するわけにはいかない。
スマホのバイブが震える。
予約時間は十三時。現在十二時五十五分。
完璧だ。早すぎず、遅すぎず、相手が「くるかな、こないかな」とドキドキし始めた絶妙なタイミングで現れるのが、プロの技。
私はトイレを出て、改札口へと向かう。
コツ、コツ、とヒールの音が響く。
サイズが合っていない安物のパンプスが、小指の側面を容赦なく削ってくる。
痛い。マジで痛い。
でも、顔には出さない。
広角を三ミリ上げろ。目は四十五度の角度で伏せろ。
私は今、時給一万円の商品なんだから。
「……あ、あのっ!」
改札の前で、モジモジしていた男が声を上げて駆け寄ってくる。
本日の「カモ」……もとい、大切なお客様。
夏目智也(なつめ ともや)様。二十一歳。大学生。
見た目は……うん、地味。
チェックのシャツに、サイズの合わないチノパン。髪は寝癖がついているのか、ワックスで失敗したのかわからない微妙なハネ方をしている。
典型的な「女性慣れしていない理系男子」というカテゴリー。
「お待たせしました! セナです。智也くん……だよね?」
私は、事前に練習した「春の木漏れ日」のような笑顔を炸裂させた。
効果はてきめん。
智也くんは、顔を茹でダコみたいに真っ赤にして、口をパクパクさせている。
「は、はひっ! な、那須……じゃなくて、夏目です! よ、よよよ、よろしくお願いしますっ!」
「ふふ、そんなに緊張しないで? 今日は楽しみにしてたんだから」
私は自然な動作で、彼の隣に並ぶ。
そして、触れるか触れないかの距離まで近づき、彼の服の袖をちょんと摘んだ。
接触(スキンシップ)レベル1。
これだけで、彼みたいなタイプは脳内麻薬がドバドバ出る。
「さ、行こ? 今日はどこ連れてってくれるの?」
上目遣いで尋ねる。
さあ、課金の時間だ。
私の生活費と、奨学金の返済と、そして何より――来月の「推し」の舞台の全通チケット代のために。
骨の髄まで搾り取らせてもらうわよ、智也くん。
✎ܚ
デートコースは横浜だった。
ベタだ。あまりにもベタすぎる。
山下公園を歩き、赤レンガ倉庫を見て、中華街で肉まんを食べる。
『デートスポット・横浜・おすすめ』で検索して、一番上に出てきたサイトをそのままなぞったようなプラン。
「海……大きいね」
「そうだねぇ、大きいねー」
「船も……すごいね」
「うん、かっこいいねー」
会話が死んでいる。
さっきから「大きい」「すごい」「きれい」の三語しか聞いていない気がする。
語彙力どうなってんの。AIの方がまだマシな会話するわよ。
しかも、歩くペースが速い。
私のヒールのことなんて一ミリも考えていない大股歩き。
小指の皮が完全に剥けた感覚がある。
靴の中で血が滲んでいるかもしれない。
笑顔の裏で、私は呪詛を吐き続ける。
(てめぇ、脚なげーんだよ。こちとら七センチのヒール履いてんだぞ。少しは察しろや。あと海風でセットした前髪崩れるだろうが。配慮が足りねぇんだよ配慮が!)
「あ、あのさ……セナちゃん」
「ん? なあに?」
首を傾げる角度、二十五度。愛嬌マシマシで。
「僕、こういうの初めてで……その、楽しくないかも、しれないけど……」
智也くんが、情けなさそうに眉を下げる。
「君みたいな素敵な人と歩いてるの、夢みたいで……ごめん、何話していいか、わかんなくて」
……うっ。
そういう「純粋な好意」をストレートにぶつけてくるの、やめてもらっていいですか。
こっちは仕事でやってんの。
金のための演技なの。
そんな、迷い込んだ野良犬みたいな目で見られると、騙している罪悪感というか、なんというか……仕事のリズムが狂うんだけど。
「ううん、そんなことないよ」
私は、プランBの「包容力お姉さんモード」に切り替える。
「智也くんが一生懸命考えてくれたの、伝わってるもん。私、すごく嬉しいよ?」
そして、彼の手をそっと握る。
手汗でじっとりとしていたが、眉一つ動かさず、むしろ愛おしそうに握り返す。
これがプロだ。時給一万円のプロ意識を見よ。
「セナちゃん……っ!」
智也くんの目が潤んでいる。
チョロい。チョロすぎる。
でも、これでいい。
これで延長料金三千円は確定したな。
✎ܚ
夕方。解散の時間が迫ってきた。
私たちは駅前のカフェに入った。
正直、足の限界が来ていたので、座れたことに心底ホッとする。
「あ、あの……これ」
コーヒーを飲みながら、智也くんがゴソゴソとカバンから何かを取り出した。
小さなラッピング袋。
中には、少し焦げたような茶色い塊が入っている。
「……えっと、これは?」
「く、クッキー……です」
彼は顔を真っ赤にして、消え入りそうな声で言った。
「買うのもアレかなって思って……昨日の夜、焼いてみて……味は保証できないけど、その、保存料とか入ってないから!」
手作りクッキー。
男の。
昨日の夜、一人で焼いた。
……重い。
物理的な重さじゃなくて、念(ねん)が重い。
衛生管理はどうなってる? 手袋した? 卵の賞味期限は? 小麦粉にダニ湧いてない?
私の脳内リスク管理アラートが鳴り響く。
普段なら「ごめんなさい、事務所のルールで食べ物は受け取れないんです」と断る場面だ。
でも、目の前の智也くんは、まるで判決を待つ被告人のように震えている。
はあ。
私は覚悟を決めた。
「わあっ! すごーい!」
今日一番の高い声が出た。
私はクッキーをまるで宝石のように両手で受け取る。
「手作りなんて初めて! 嬉しい! 帰ってから、大事に食べるね!」
智也くんの表情が、パァァァッと輝いた。
花が咲くってこういうことか、というくらいわかりやすい笑顔。
「よ、よかったぁ……! 迷惑じゃないかなって、ずっと心配で……」
「迷惑なわけないじゃん。……智也くんの『味』、楽しみにしてる」
最後に殺し文句を一発。
これで完全に落ちた。KOだ。
✎ܚ
プシュー。
電車のドアが閉まる。
ホームでいつまでも手を振っている智也くんの姿が、窓の向こうに流れて消えていく。
私は即座に座席に座り込み、靴を脱ぎ捨てた(行儀悪いけど知ったことか)。
「……疲れたぁぁぁぁぁぁぁ」
喉の奥から、呪いのような呻き声が漏れる。
顔の筋肉が痙攣しそうだ。
五時間。
五時間もの間、私は「セナ」という聖女を演じきった。
誰にも見られていないことを確認して、私はカバンからウェットティッシュを取り出し、入念に手を拭く。
手汗、気持ち悪かった。
そして、もらったクッキーを見る。
……ごめん。
さすがにこれは食えない。
お腹壊して医療費かかったら、元も子もないし。
最寄り駅のゴミ箱に、丁重に葬らせてもらおう。
スマホを取り出し、銀行アプリを開く。
本日の売上、指名料込みで三万円。
そこから事務所の手数料が引かれて、手取りは一万八千円。
交通費と、デート前のカフェ代(自腹)を引くと……一万六千円。
「……少なっ」
思わず舌打ちが出る。
あんなに愛想振りまいて、足の皮剥けるまで歩かされて、手作りクッキーの処理までさせられて、たったの一万六千円。
推しのS席チケット一枚分にもなりゃしない。
私は月島雫(つきしま しずく)。
大学三年生。友達なし。彼氏なし。
あるのは、親が残した借金と、底なしの推しへの愛と、この腐りきった性根だけ。
ふと、窓ガラスに映る自分を見た。
そこには、完璧に可愛い「セナ」が映っている。
でも、その瞳は死んだ魚のように濁っていた。
「……腹減ったな」
今日の夕飯は、特売のカップ麺(シーフード味)だ。
智也くん、アンタはいいよね。
「夢」を見られて。
こっちはその夢を作るために、魂すり減らしてんだよ。
私は深く息を吐き、イヤホンを耳にねじ込んだ。
推しの曲を爆音で流す。
そうでもしないと、やってられない。
明日もまた、誰かの「理想」にならなきゃいけないんだから。
(つづく)
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