声(ボイス)で、君を溺れさせてもいいですか

月下花音

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第5話

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 確信はあっても、証拠はない。
 それが、この「推し=隣の席の男子」問題の難しいところだ。

 「あなた、Nocturne様ですよね?」と聞いて、「は? 誰それ」と言われたら、私はただの痛いオタクとして社会的に死ぬ。
 だから、慎重に。
 あくまで慎重に、外堀を埋めていくしかない。

 ……と思っていたのに。
 最大のミスを犯した。

 講義の空き時間。
 私は一人で、昨夜の配信のアーカイブを聴いていた。
 もちろんイヤホンで。
 画面には、Nocturne様のアイコン(黒燕尾服の紳士)が大きく表示されている。

 「……リナ、ここ空いてる?」

 友達に声をかけられ、私は慌てて顔を上げた。
 その拍子に、スマホを取り落とした。

 ガッ。
 スマホが、隣の席に滑っていく。
 そこには、律が座っていた。

 律が、スマホを拾う。
 画面は、点灯したままだ。
 Nocturne様のアイコンが、バッチリ映っている。

「あ……!」

 私は血の気が引いた。
 見られた。
 私がNocturne様のガチ恋勢であることが、本人(推定)にバレた。

 律は、画面をじっと見つめた。
 数秒間。
 その目が、少し見開かれた気がした。

 そして、私にスマホを返しながら、ボソッと言った。

「……それ、好きなの?」

 淡々とした声。
 感情の色が見えない。

 私は、パニックになりながらも、ここで否定したらファン失格だという謎のプライドを発動させた。

「う、うん! 好きなの! 私の生き甲斐なの!」

 言い切った。
 言ってしまった。
 本人(推定)に向かって、「あなたが生き甲斐です」と告白してしまった。

 律は、マスクの下で口元を動かした。
 少し、呆れたような。
 あるいは、困惑したような。

「……ふーん」

 そして、視線を逸らして言った。

「……変な趣味」

 グサッ。
 心に矢が刺さった。
 変な趣味。
 変な趣味……。

 まあ、そうよね。
 顔も知らない男の吐息を毎晩聴いてニヤニヤしてるなんて、客観的に見れば変態よね。
 でも、本人に言われるとキツい。
 やっぱり、迷惑なのかな。
 私の愛は、彼にとっては「変な趣味」でしかないのかな。

 私は落ち込んで、その後の講義の内容が全く頭に入らなかった。

        ✎ܚ

 その夜。
 私は、傷ついた心を癒やすために、懲りずに配信を開いた。
 変な趣味と言われても、これがないと眠れないのだから仕方ない。

『……こんばんは』

 Nocturne様の声。
 今日は、少しトーンが高い。
 機嫌がいいのかな?

『……今日ね、すごく嬉しいことがあって』

 え?
 嬉しいこと?

『……ある女の子にね、俺の配信が「生き甲斐」だって言われたんだ』

 ブフォッ!!
 私は吹き出しそうになった。
 それ、私!
 私です!
 昼間、あなたの目の前で叫んだ私です!

『……面と向かって言われると、照れるね。マスクしててよかったよ。顔、真っ赤だったから』

 嘘!
 あの時、そんな風に思ってたの!?
 「変な趣味」って言ったじゃん!
 冷たく突き放したじゃん!

『……つい、そっけない態度とっちゃったけど。本当は、叫び出したいぐらい嬉しかった』

 Nocturne様の声が、甘く震える。
 マイクを撫でる音が、優しく響く。

『……可愛すぎて、死ぬかと思った』

 ドーーーーーン!!
 私の脳内で、何かが爆発した。

 可愛い?
 私が?
 あの、テンパって叫んだ私が?

 ズルい。
 ズルすぎる。
 現実では「変な趣味」って突き放しておいて。
 配信では「可愛すぎて死ぬ」ってデレるなんて。

 これが、ツンデレの極み。
 いや、ツンとデレの媒体が違うから、マルチメディア・ツンデレだ。

 私は、枕に顔を埋めて足をバタバタさせた。
 もう、無理。
 好き。
 大好き。
 変な趣味で結構です。
 一生、この趣味を貫きます。

 でも、一つだけ文句を言わせて。
 そのデレ、現実でも少しは出してよ!
 心臓に悪いから!

『……君が生き甲斐にしてくれるなら、俺も生きるよ。……君のために』

 その囁きは、昼間の冷たい言葉を完全に上書きして、私の心を甘い泥沼に引きずり込んだ。
 もう、抜け出せない。
 溺れるしかない。
 この、嘘つきで愛おしい「声」に。
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