声(ボイス)で、君を溺れさせてもいいですか

月下花音

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第6話

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 雨。
 天気予報を見なかった私が悪い。
 大学の昇降口で、私は立ち尽くしていた。

 ザーザー降り。
 コンビニまでダッシュするか?
 いや、この雨量じゃ即死だ。
 誰か友達は……もう帰っちゃった。

「……はぁ」

 溜息をついていると、隣に誰かが立った。
 黒い傘を開く音。
 ラベンダーの香り。

 律だ。

 彼は、傘を開いたまま、動かない。
 私を見るわけでもなく、雨を見ている。
 そして、ボソッと言った。

「……入る?」

 え?
 相合傘?
 私と?

「え、あ、でも、悪いし……」

「……駅まで、一緒だろ」

 知ってるんだ。
 私が同じ駅を使ってること。
 ストーカー……じゃなくて、見守ってくれてるんだもんね。

「……じゃあ、お言葉に甘えて」

 私は、彼の傘に入った。
 近い。
 男の子と相合傘なんて、いつぶりだろう。
 肩が触れそう。
 雨の音で、周囲の音が遮断される。
 まるで、世界に二人きりになったみたいだ。

 律は無言で歩き出した。
 私も無言でついていく。
 気まずい。
 でも、嫌じゃない。
 この沈黙が、Nocturne様の配信の「無言タイム(作業用)」みたいで、妙に落ち着く。

 しばらく歩いたところで、律がポケットから何かを取り出した。
 黒いイヤホン。
 いつも彼がしているやつだ。

 彼は、その片方を、私に差し出した。

「……これ、聴く?」

「え?」

「……雨の音、うるさいから」

 どういう理屈?
 でも、断る理由もない。
 私は、差し出された左耳用のイヤホンを受け取り、耳に入れた。

 ノイズキャンセリングが効いて、雨音がフッと遠のく。
 そして、再生されたのは。

『……雨、降ってきたね』

 Nocturne様の声。
 でも、聴いたことがないフレーズだ。
 アーカイブは全部チェックしてる私が知らない。
 未公開音源?

『……君と相合傘なんて、役得だな』

 え?
 今のシチュエーションそのままじゃん。

『……肩、濡れてない? もっとこっちにおいで』

 イヤホンの中の声に合わせて、律が傘を少し私の方に傾けた。
 偶然?
 いや、タイミングが完璧すぎる。

 私は、震える声で聞いた。

「……これ、何?」

 律は、前を向いたまま答えた。

「……録音」

「Nocturne様の? でも、これ、配信されてないやつだよね?」

「……うん」

「なんで、持ってるの?」

 律が、足を止めた。
 私も止まる。
 雨音が、傘を叩く。

 律が、ゆっくりと私を見た。
 マスク越しの瞳が、静かに私を射抜く。

「……俺が、録ったから」

 時が、止まった。
 雨音も、呼吸も、心臓も。
 すべてが停止した世界で、彼の言葉だけが反響する。

 俺が、録った。
 俺が。

「……え?」

 理解が追いつかない。
 いや、理解したくない。
 だって、それを認めたら。
 私の妄想が、現実になってしまう。

 律は、マスクを少しずらした。
 そして、私の耳元のイヤホンに向かって、直接囁いた。
 マイクを通さない、生の声で。

「……バレてないと思った? リナ」

 名前。
 初めて、呼ばれた。
 その声は、イヤホンから流れるNocturne様の声と、完全に重なっていた。

 腰が抜けた。
 私は、その場にへたり込みそうになって、律の腕を掴んだ。
 律は、私を支えながら、困ったように笑った。

「……顔、真っ赤」

 雨の中。
 私は、私の神様に、捕獲された。
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