声(ボイス)で、君を溺れさせてもいいですか

月下花音

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第8話

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 人間というのは、欲深い生き物だ。
 「共犯者」になれただけで満足すればいいのに、もっと欲しくなる。

 私は、配信中にコメントした。
 もちろん、匿名で。

『Nocturne様、私の名前を呼んでくれませんか? 「リナ」って』

 今まで、彼は特定個人の名前を呼んだことはない。
 でも、今の私なら。
 共犯者の私なら、特別扱いしてくれるんじゃないか。
 そんな甘い期待があった。

 しかし。
 Nocturne様の反応は、冷たかった。

『……ごめんね。特定の子の名前は、呼ばない主義なんだ』

 バッサリ。
 拒否された。
 コメント欄には『ですよねー』『Nocturne様はみんなの王子様だから』という擁護の声が並ぶ。

 ショックだった。
 やっぱり、配信者としてのプロ意識の方が大事なんだ。
 私との関係なんて、その程度なんだ。

 私は枕を濡らして寝た。

        ✎ܚ

 翌日。
 私は律と目を合わせられなかった。
 拗ねている。
 完全に拗ねている自覚がある。

 昼休み。
 私は一人で空き教室にいた。
 お弁当を食べる気にもなれず、机に突っ伏していた。

 ガラッ。
 ドアが開く音。
 入ってきたのは、律だった。

 彼は、迷わず私の元へ歩いてきた。
 そして、私の前の席に座り、こちらを向いた。

「……怒ってる?」

 直球だ。
 私は顔を背けたまま答える。

「……怒ってない」

「嘘だ。昨日のコメント、リナだろ」

 バレてる。
 全部お見通しか。

「……だって。呼んでくれたっていいじゃん。私信とかしてるくせに」

「配信では、無理だ」

 律の声が、少し硬くなる。

「みんな聞いてるんだぞ。特定の子の名前なんて呼んだら、その子が叩かれるかもしれない。炎上するかもしれない」

 ……あ。
 そうか。
 彼は、自分のプロ意識のためじゃなくて。
 私を守るために、断ったんだ。

 私は顔を上げた。
 律は、真剣な目で私を見ていた。

「……それに」

 律が立ち上がる。
 私の横に来る。
 近い。

「……名前なんて、マイク越しに呼ばれて嬉しいか?」

「え? う、嬉しいよ?」

「俺は、嫌だ」

 律が、私の耳元に顔を寄せる。
 マスクをずらす。
 熱い吐息が、直接耳にかかる。
 イヤホンなんて目じゃない。
 生身の、人間の熱。

「……大事な名前は、機械を通したくない」

 ドクンッ。
 心臓が跳ねる。

「……リナ」

 呼ばれた。
 耳元で。
 ゼロ距離で。

「……好きだ」

 頭が真っ白になった。
 配信の時の、演技がかった甘い声じゃない。
 少し震えていて、不器用で、でも熱のこもった、律の本音の声。

 その声は、鼓膜を突き抜けて、心臓を直接握り潰すような威力があった。

「……っ、ずるい」

 私は涙目で睨む。

「……こんなの、反則」

「……反則でいい」

 律は、私の髪をそっと撫でた。

「……配信では言わない。ここだけでしか、言わない」

 独占。
 完全なる独占。
 何万人のリスナーが欲しがっても手に入らない「好き」を、私だけが持っている。

 私は、彼の胸に顔を埋めた。
 もう、Nocturne様なんてどうでもいい。
 私は、声月律の声が好きだ。
 世界で一番、好きだ。
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