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第3話:アンカリング効果で心を掴む?
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【適合率:99%】
その無慈悲な数字は、まるで死刑宣告のように、俺の網膜に焼き付いて離れなかった。
妄想の中で、俺と高梨が決闘している。武器はチャンバラ用のプラスチック刀だ。
なぜプラスチックなのかは俺にもわからない。本気度が足りないのかもしれない。
舞台は何故か時代劇調の校庭。桜吹雪が舞う中、俺と高梨が睨み合っている。
『貴様……吉村あみを諦めよ』
『ふん、笑止千万。適合率95%の絆を、99%ごときが断ち切れるとでも?』
『99は95より大きい……それが、数学の真理よ!』
高梨の放つ「99%斬り」を、俺は「95%返し」で受け止める。
火花が散る。だがプラスチック刀なので、実際には「カチカチ」という情けない音しかしない。
『くっ……!だが、俺には……俺には、心がある!』
『心など、アルゴリズムの前には無力!』
『うおおおおお!』
俺の渾身の一撃が、高梨の爽やか笑顔を真っ二つに――
「……って、何やってんだ俺は」
我に返る。くだらなさすぎる。
俺とあみさんの適合率が95%。
そして、あみさんとあの爽やかイケメン野郎、高梨悠の適合率が、99%。
「うそ……だろ……?」
俺、佐伯賢司は、自室のベッドの上で、スマホを握りしめたまま天井を仰いでいた。
ゲインロス効果作戦の失敗など、もはや些細な問題だ。
俺たちの出会いは、AIによって祝福された、運命の赤い糸じゃなかったのか?
なのに、なんだこの仕打ちは。
俺より4%も高い男がいるだと?
ふざけるな。
俺の脳内で、嫉妬の炎が高梨の爽やかな笑顔を焼き尽くす。
(許さん……絶対に許さんぞ、高梨悠……!)
俺はベッドから跳ね起きると、スマホに向かって叫んだ。
「おいココロダイブ!どういうことだ説明しろ!なぜ俺が負けている!?」
【単純な事実です。現時点での恋愛市場価値、コミュニケーション能力、将来性、その他パラメータにおいて、あなたは高梨悠に劣後しています】
「ぐっ……!」
事実を淡々と突きつけられ、言葉に詰まる。
「な、なら!どうすればあいつに勝てる!?教えろ!」
【短期的に彼の総合評価を上回ることは不可能です。ただし、特定の状況下において、あなたの評価を意図的に引き上げる方法は存在します】
「なんだと……?」
【「アンカリング効果」を提案します】
アンカリング効果。
船が降ろした「アンカー(錨)」から動けなくなるように、人間は、最初に提示された情報や数字が、その後の判断に強く影響を与える、という心理効果だ。
例えば、最初に「定価10万円」と見せられた腕時計が、「本日限り3万円」で売られていたら、たとえその腕時計の本来の価値が1万円だとしても、ものすごくお買い得に感じてしまう。
「10万円」という数字が、思考のアンカーになるからだ。
「なるほど……つまり、俺が『高梨よりも格上の存在である』という強力なアンカーを、最初にあみさんの心に打ち込んでしまえばいい、というわけか……!」
そうだ。
最初に「こいつはすごい奴だ」と思わせてしまえば、多少のボロが出ても、その印象はなかなか覆らない。
高梨が後からどんなに爽やかアピールをしようとも、あみさんの心には、常に俺という巨大なアンカーが鎮座し続けるのだ。
(完璧だ……!これぞまさに、弱者の戦略……!)
俺の脳内で、三度、妄想の劇場が幕を開ける。
舞台は、大学のカフェテリア。
高梨が、あみさんをデートに誘っている。
『あみ、今度の日曜、空いてるか?』
『ごめんなさい、高梨くん。その日は、佐伯先輩から、心理学の特別講義を受ける約束があるの』
『佐伯……先輩?』
驚く高梨に、あみさんがうっとりとした表情で告げる。
『ええ。彼の論文は、ドイツの権威ある学術誌にも掲載された、すごい人なのよ。あなたとは、住む世界が違うの』
愕然とする高梨。
その向かいの席で、俺はコーヒーを飲みながら、ただ静かに微笑む……。
そして場面が切り替わる。
研究室で二人きりの「特別講義」。
『賢司先輩……心理学って、こんなに深いんですね……』
あみがうっとりと俺を見つめる。白いブラウスのボタンが上から3つも外れて、レースのブラが透けている。
『フッ……これが、学問の世界だ。君にだけ、特別に教えてあげよう……』
俺が資料を見せようと近づくと、あみが俺の腕を掴む。
『先輩……もっと近くで……教えて欲しいです……』
顔が近づく。あみの吐息が感じられる距離……。
(これが……適合率95%の運命の力……!)
俺があみの肩に手を回すと、彼女は身を委ねてくる。
『賢司先輩……私……』
その瞬間、ドアが開いて高梨が入ってくる。
『な、なんだと……!佐伯……あみに何をしている!?』
『フッ……君には関係のないことだ。彼女は俺のものだ』
俺がそう言うと、あみが俺にしがみついて……。
『ごめんね、高梨くん。私……賢司先輩のこと……好きになっちゃったの……』
高梨が愕然として退場し、二人きりの研究室で、俺とあみは……。
『賢司先輩……続き、教えて……』
あみの手が俺のシャツのボタンを……スカートが乱れて白い太ももが……。
(最高だ……!これぞ、アンカリング効果の勝利……!)
「……フ、フフフ、ハハハハハ!」
「うわ、賢司、ついに壊れたか?」
ルームメイトの太郎が、気味悪そうに俺を見ていた。
いかん、また声に出ていた。
「いや、壊れてない!これは……心理学的な自己暗示のトレーニングだ!」
「嘘つけ。お前、さっきから『許さん高梨』『あみさんの白い太もも』『レースのブラ最高』ってブツブツ言ってただろ。しかも股間押さえてたぞ」
「ぐっ……!」
(まずい、また妄想で興奮してた……!)
俺は慌てて膝を抱えて下半身を隠す。
「お前、マジでヤバいぞ。妄想と現実の区別つかなくなってるだろ」
太郎は、あきれた顔で俺のスマホを覗き込む。
「うわ、何これ。『ココロダイブ』?お前、こんな怪しいアプリ入れてんの?」
「怪しくない!これは最先端の恋愛支援AIだ!」
「へー。で、そのAIに『アンカリング効果で逆転しろ』って言われてるわけ?」
「……そうだ」
「で、具体的にどうすんの?」
「まだ考え中だ」
「つまり、ノープランってことね」
太郎は、肩をすくめて自分のベッドに戻った。
「まあ、お前が何やっても応援するけどさ。でも、嘘はやめとけよ。絶対バレるから」
「……わかってる」
わかってる。わかってるんだ。
だが、もう誰も俺を止められない。
俺は、最強のアンカーを打ち込むべく、壮大な「嘘」をつくことを決意した。
*
数日後。
俺は、キャンパスの中庭で、その機会を待っていた。
ベンチに座り、親しげに話しているあみさんと高梨。
「あみ、この前のレポート、キャラ分析の視点が鋭かったな。今度の心理学ゼミ、その分析力を活かして一緒に発表しないか?俺、サポートするから」
高梨のやつ、俺の領域(心理学)どころか、あみさんの趣味(ラノベ)の領域にまで踏み込んで、自然に褒めやがった!
「ありがとう、高梨くん。でも、もう佐伯くんと組んでるから」
あみさんがやんわりと断るのが聞こえ、俺は心の中でガッツポーズをする。
やがて、高梨がサークルか何かに向かうのか、手を振ってその場を去った。
(……今だ!)
俺は、呼吸を整え、あみさんの元へと歩み寄ろうとする。
その直前、スマホがブルリと震えた。
【警告:作戦名『虚偽アンカリング』の成功確率、推定3.8%。無謀です。即刻中止を推奨します】
「3.8%!?黙れ!俺の知性と、この作戦の完璧さを舐めるな!」
俺は心の中でAIに悪態をつく。
【反論】知性以前に、嘘の準備が雑すぎます。成功を祈りません。
「うるさい!」
俺は通知をスワイプで消し、確固たる意志を持って彼女の前に立った。
「やあ、吉村さん。いい天気だな」
「あ、佐伯くん。こんにちは」
あみさんは、少し驚きながらも、笑顔で会釈してくれた。
その笑顔に一瞬心が揺らぐが、いかん、今は作戦中だ。
「……吉村さん。実は、君に話しておかなければならないことがある」
「え?なあに?」
俺は、少し悲しげな目を遠くに向け、独り言のようにつぶやいた。
「俺は、ずっと隠してきたんだが……俺の論文が、ドイツの新しい学術誌『Zeitschrift für Psycho-Fantasie(心理幻想ジャーナル)』に掲載されることになってな……」
どうだ。
ドイツ。学術誌。横文字。
これ以上ない知性のアンカーだ。
さあ、驚くがいい。尊敬するがいい!
「え、すごーい!おめでとう!……でも、ごめん、そのジャーナル、聞いたことないな。新しいの?」
「そ、そうだ!まだ創刊されたばかりの、知る人ぞ知る、超マイナーなやつで……」
「へえ!テーマは何?」
「テーマは…『恋愛における認知バイアスのファンタジー的展開』だ!」
俺は、勢いででっち上げた、我ながら秀逸なタイトルを告げた。
しかし、あみさんはきょとんとしている。
「それ……めっちゃラノベっぽいね?」
「いや、学術的に深いんだ!」
「ふーん。で、先行研究はやっぱり、ダニエル・カーネマンのプロスペクト理論あたりを引用した感じ?」
「……え、えーっと……」
まずい。完全に墓穴を掘っている。
「それとも、社会心理学寄りで、ロバート・チャルディーニの影響力の武器シリーズとか?あ、もしくは進化心理学的なアプローチで、デイヴィッド・バスの配偶者選択理論?」
「あ、ああ、その……全部、総合的に、だな……」
冷や汗が止まらない。
あみさんの目が、キラキラと輝いている。
「すごい!それ、絶対読みたい!ドイツ語読めないから、翻訳版が出たら教えて!」
「……う、うん」
(やばい、やばすぎる……!)
俺の脳内で、警告アラームが鳴り響く。
このままでは、嘘がバレるどころか、期待を裏切ることになる。
俺が、顔面蒼白で固まっていると、あみさんは、不思議そうに俺の顔を覗き込んだ。
「佐伯くん……?顔色悪いけど、大丈夫?」
その時、俺の視線は、彼女が手に持っている一冊の本に吸い寄せられた。
『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』
ラノベだ。それも、超有名タイトル。
「それ……『俺ガイル』……?」
俺が、かろうじて声を絞り出すと、あみさんの肩が、ビクッと震えた。
「ち、違う!これは、その……現代日本における高校生の人間関係の力学と、それに伴う心理的葛藤を描いた、高度なケーススタディだから!特に、雪ノ下雪乃の心理描写が、認知バイアスの研究対象として非常に優れていて……!」
さっきまでの冷静さはどこへやら。
顔を真っ赤にして、早口でまくし立てるあみさん。
その姿は、どう見ても「研究」ではなく、「趣味」がバレたオタクのそれだった。
「へえ……ケーススタディ、ねえ……」
俺が、ニヤリと笑うと、あみさんは「うう……」と、さらに顔を赤くして俯いてしまった。そして、小さな声で付け加えた。
「それに…ゆきのんの、いつも本音でぶつかって、でも傷つきやすいところ…なんか、人間らしいっていうか…憧れる、かな」
その不意に見せた本音に、俺の心臓が大きく跳ねる。
(……やられた)
アンカリング効果。
俺は、彼女に「すごい奴」というアンカーを打ち込もうとして、失敗した。
だが、彼女は、無意識のうちに、俺に強力なアンカーを打ち込んでいたのだ。
「知的で、冷静で、真面目な文学部の女の子」
その先入観があったからこそ、今の、慌てふためき、そして本音を漏らす彼女の姿が、とてつもなく、破壊的に、可愛く見える。
俺の心臓は、もはや警報レベルで鳴り響いていた。
「ご、ごめん!私、急用思い出したから!」
あみさんは、そう叫ぶと、脱兎のごとく走り去ってしまった。
一人、中庭に残された俺。
嘘がバレた恥ずかしさと、彼女の新たな一面を発見した高揚感で、感情がぐちゃぐちゃだった。
「……俺、何やってんだ」
ベンチに座り込み、頭を抱える。
アンカリング効果で彼女を落とすどころか、自分がアンカーに縛られてしまった。
「知的で冷静な文学部女子」という先入観。
それが崩れたとき、彼女の本当の姿が見えた。
ラノベオタクで、慌てふためいて、本音をぽろっと漏らす、人間らしい女の子。
その姿が、もう、忘れられない。
「……最初から、こういう風に接してればよかったのかな」
変に心理学テクニックに頼るんじゃなくて。
嘘をつくんじゃなくて。
ただ、素直に、好きだって気持ちを……。
だが、一つだけ、確かなことがある。
「敵わない……でも、最高に、好きだ……!」
俺は、天を仰ぎ、敗北と、そして、どうしようもない恋心を、同時に噛み締めるのだった。
夕焼けが、中庭を赤く染めていく。
その光の中で、俺の影だけが、長く伸びていた。
手の中のスマホが、ブルリと震える。
【アンカリング作戦:失敗】
【評価:D-(嘘が稚拙すぎます。小学生からやり直しなさい)】
【追伸:ほら、言ったでしょう】
【ただし、副次的効果を確認】
【追加データ】心拍数上昇は、佐伯賢司の『稚拙な嘘』への呆れか、それとも『オタク趣味の露見』による動揺か?……あるいは、第三の可能性は?分析中…
「え……どういう、ことだ……?」
ココロダイブが示した、謎めいた分析結果。
それは、俺の新たな混乱の始まりを、静かに告げていた。
その無慈悲な数字は、まるで死刑宣告のように、俺の網膜に焼き付いて離れなかった。
妄想の中で、俺と高梨が決闘している。武器はチャンバラ用のプラスチック刀だ。
なぜプラスチックなのかは俺にもわからない。本気度が足りないのかもしれない。
舞台は何故か時代劇調の校庭。桜吹雪が舞う中、俺と高梨が睨み合っている。
『貴様……吉村あみを諦めよ』
『ふん、笑止千万。適合率95%の絆を、99%ごときが断ち切れるとでも?』
『99は95より大きい……それが、数学の真理よ!』
高梨の放つ「99%斬り」を、俺は「95%返し」で受け止める。
火花が散る。だがプラスチック刀なので、実際には「カチカチ」という情けない音しかしない。
『くっ……!だが、俺には……俺には、心がある!』
『心など、アルゴリズムの前には無力!』
『うおおおおお!』
俺の渾身の一撃が、高梨の爽やか笑顔を真っ二つに――
「……って、何やってんだ俺は」
我に返る。くだらなさすぎる。
俺とあみさんの適合率が95%。
そして、あみさんとあの爽やかイケメン野郎、高梨悠の適合率が、99%。
「うそ……だろ……?」
俺、佐伯賢司は、自室のベッドの上で、スマホを握りしめたまま天井を仰いでいた。
ゲインロス効果作戦の失敗など、もはや些細な問題だ。
俺たちの出会いは、AIによって祝福された、運命の赤い糸じゃなかったのか?
なのに、なんだこの仕打ちは。
俺より4%も高い男がいるだと?
ふざけるな。
俺の脳内で、嫉妬の炎が高梨の爽やかな笑顔を焼き尽くす。
(許さん……絶対に許さんぞ、高梨悠……!)
俺はベッドから跳ね起きると、スマホに向かって叫んだ。
「おいココロダイブ!どういうことだ説明しろ!なぜ俺が負けている!?」
【単純な事実です。現時点での恋愛市場価値、コミュニケーション能力、将来性、その他パラメータにおいて、あなたは高梨悠に劣後しています】
「ぐっ……!」
事実を淡々と突きつけられ、言葉に詰まる。
「な、なら!どうすればあいつに勝てる!?教えろ!」
【短期的に彼の総合評価を上回ることは不可能です。ただし、特定の状況下において、あなたの評価を意図的に引き上げる方法は存在します】
「なんだと……?」
【「アンカリング効果」を提案します】
アンカリング効果。
船が降ろした「アンカー(錨)」から動けなくなるように、人間は、最初に提示された情報や数字が、その後の判断に強く影響を与える、という心理効果だ。
例えば、最初に「定価10万円」と見せられた腕時計が、「本日限り3万円」で売られていたら、たとえその腕時計の本来の価値が1万円だとしても、ものすごくお買い得に感じてしまう。
「10万円」という数字が、思考のアンカーになるからだ。
「なるほど……つまり、俺が『高梨よりも格上の存在である』という強力なアンカーを、最初にあみさんの心に打ち込んでしまえばいい、というわけか……!」
そうだ。
最初に「こいつはすごい奴だ」と思わせてしまえば、多少のボロが出ても、その印象はなかなか覆らない。
高梨が後からどんなに爽やかアピールをしようとも、あみさんの心には、常に俺という巨大なアンカーが鎮座し続けるのだ。
(完璧だ……!これぞまさに、弱者の戦略……!)
俺の脳内で、三度、妄想の劇場が幕を開ける。
舞台は、大学のカフェテリア。
高梨が、あみさんをデートに誘っている。
『あみ、今度の日曜、空いてるか?』
『ごめんなさい、高梨くん。その日は、佐伯先輩から、心理学の特別講義を受ける約束があるの』
『佐伯……先輩?』
驚く高梨に、あみさんがうっとりとした表情で告げる。
『ええ。彼の論文は、ドイツの権威ある学術誌にも掲載された、すごい人なのよ。あなたとは、住む世界が違うの』
愕然とする高梨。
その向かいの席で、俺はコーヒーを飲みながら、ただ静かに微笑む……。
そして場面が切り替わる。
研究室で二人きりの「特別講義」。
『賢司先輩……心理学って、こんなに深いんですね……』
あみがうっとりと俺を見つめる。白いブラウスのボタンが上から3つも外れて、レースのブラが透けている。
『フッ……これが、学問の世界だ。君にだけ、特別に教えてあげよう……』
俺が資料を見せようと近づくと、あみが俺の腕を掴む。
『先輩……もっと近くで……教えて欲しいです……』
顔が近づく。あみの吐息が感じられる距離……。
(これが……適合率95%の運命の力……!)
俺があみの肩に手を回すと、彼女は身を委ねてくる。
『賢司先輩……私……』
その瞬間、ドアが開いて高梨が入ってくる。
『な、なんだと……!佐伯……あみに何をしている!?』
『フッ……君には関係のないことだ。彼女は俺のものだ』
俺がそう言うと、あみが俺にしがみついて……。
『ごめんね、高梨くん。私……賢司先輩のこと……好きになっちゃったの……』
高梨が愕然として退場し、二人きりの研究室で、俺とあみは……。
『賢司先輩……続き、教えて……』
あみの手が俺のシャツのボタンを……スカートが乱れて白い太ももが……。
(最高だ……!これぞ、アンカリング効果の勝利……!)
「……フ、フフフ、ハハハハハ!」
「うわ、賢司、ついに壊れたか?」
ルームメイトの太郎が、気味悪そうに俺を見ていた。
いかん、また声に出ていた。
「いや、壊れてない!これは……心理学的な自己暗示のトレーニングだ!」
「嘘つけ。お前、さっきから『許さん高梨』『あみさんの白い太もも』『レースのブラ最高』ってブツブツ言ってただろ。しかも股間押さえてたぞ」
「ぐっ……!」
(まずい、また妄想で興奮してた……!)
俺は慌てて膝を抱えて下半身を隠す。
「お前、マジでヤバいぞ。妄想と現実の区別つかなくなってるだろ」
太郎は、あきれた顔で俺のスマホを覗き込む。
「うわ、何これ。『ココロダイブ』?お前、こんな怪しいアプリ入れてんの?」
「怪しくない!これは最先端の恋愛支援AIだ!」
「へー。で、そのAIに『アンカリング効果で逆転しろ』って言われてるわけ?」
「……そうだ」
「で、具体的にどうすんの?」
「まだ考え中だ」
「つまり、ノープランってことね」
太郎は、肩をすくめて自分のベッドに戻った。
「まあ、お前が何やっても応援するけどさ。でも、嘘はやめとけよ。絶対バレるから」
「……わかってる」
わかってる。わかってるんだ。
だが、もう誰も俺を止められない。
俺は、最強のアンカーを打ち込むべく、壮大な「嘘」をつくことを決意した。
*
数日後。
俺は、キャンパスの中庭で、その機会を待っていた。
ベンチに座り、親しげに話しているあみさんと高梨。
「あみ、この前のレポート、キャラ分析の視点が鋭かったな。今度の心理学ゼミ、その分析力を活かして一緒に発表しないか?俺、サポートするから」
高梨のやつ、俺の領域(心理学)どころか、あみさんの趣味(ラノベ)の領域にまで踏み込んで、自然に褒めやがった!
「ありがとう、高梨くん。でも、もう佐伯くんと組んでるから」
あみさんがやんわりと断るのが聞こえ、俺は心の中でガッツポーズをする。
やがて、高梨がサークルか何かに向かうのか、手を振ってその場を去った。
(……今だ!)
俺は、呼吸を整え、あみさんの元へと歩み寄ろうとする。
その直前、スマホがブルリと震えた。
【警告:作戦名『虚偽アンカリング』の成功確率、推定3.8%。無謀です。即刻中止を推奨します】
「3.8%!?黙れ!俺の知性と、この作戦の完璧さを舐めるな!」
俺は心の中でAIに悪態をつく。
【反論】知性以前に、嘘の準備が雑すぎます。成功を祈りません。
「うるさい!」
俺は通知をスワイプで消し、確固たる意志を持って彼女の前に立った。
「やあ、吉村さん。いい天気だな」
「あ、佐伯くん。こんにちは」
あみさんは、少し驚きながらも、笑顔で会釈してくれた。
その笑顔に一瞬心が揺らぐが、いかん、今は作戦中だ。
「……吉村さん。実は、君に話しておかなければならないことがある」
「え?なあに?」
俺は、少し悲しげな目を遠くに向け、独り言のようにつぶやいた。
「俺は、ずっと隠してきたんだが……俺の論文が、ドイツの新しい学術誌『Zeitschrift für Psycho-Fantasie(心理幻想ジャーナル)』に掲載されることになってな……」
どうだ。
ドイツ。学術誌。横文字。
これ以上ない知性のアンカーだ。
さあ、驚くがいい。尊敬するがいい!
「え、すごーい!おめでとう!……でも、ごめん、そのジャーナル、聞いたことないな。新しいの?」
「そ、そうだ!まだ創刊されたばかりの、知る人ぞ知る、超マイナーなやつで……」
「へえ!テーマは何?」
「テーマは…『恋愛における認知バイアスのファンタジー的展開』だ!」
俺は、勢いででっち上げた、我ながら秀逸なタイトルを告げた。
しかし、あみさんはきょとんとしている。
「それ……めっちゃラノベっぽいね?」
「いや、学術的に深いんだ!」
「ふーん。で、先行研究はやっぱり、ダニエル・カーネマンのプロスペクト理論あたりを引用した感じ?」
「……え、えーっと……」
まずい。完全に墓穴を掘っている。
「それとも、社会心理学寄りで、ロバート・チャルディーニの影響力の武器シリーズとか?あ、もしくは進化心理学的なアプローチで、デイヴィッド・バスの配偶者選択理論?」
「あ、ああ、その……全部、総合的に、だな……」
冷や汗が止まらない。
あみさんの目が、キラキラと輝いている。
「すごい!それ、絶対読みたい!ドイツ語読めないから、翻訳版が出たら教えて!」
「……う、うん」
(やばい、やばすぎる……!)
俺の脳内で、警告アラームが鳴り響く。
このままでは、嘘がバレるどころか、期待を裏切ることになる。
俺が、顔面蒼白で固まっていると、あみさんは、不思議そうに俺の顔を覗き込んだ。
「佐伯くん……?顔色悪いけど、大丈夫?」
その時、俺の視線は、彼女が手に持っている一冊の本に吸い寄せられた。
『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』
ラノベだ。それも、超有名タイトル。
「それ……『俺ガイル』……?」
俺が、かろうじて声を絞り出すと、あみさんの肩が、ビクッと震えた。
「ち、違う!これは、その……現代日本における高校生の人間関係の力学と、それに伴う心理的葛藤を描いた、高度なケーススタディだから!特に、雪ノ下雪乃の心理描写が、認知バイアスの研究対象として非常に優れていて……!」
さっきまでの冷静さはどこへやら。
顔を真っ赤にして、早口でまくし立てるあみさん。
その姿は、どう見ても「研究」ではなく、「趣味」がバレたオタクのそれだった。
「へえ……ケーススタディ、ねえ……」
俺が、ニヤリと笑うと、あみさんは「うう……」と、さらに顔を赤くして俯いてしまった。そして、小さな声で付け加えた。
「それに…ゆきのんの、いつも本音でぶつかって、でも傷つきやすいところ…なんか、人間らしいっていうか…憧れる、かな」
その不意に見せた本音に、俺の心臓が大きく跳ねる。
(……やられた)
アンカリング効果。
俺は、彼女に「すごい奴」というアンカーを打ち込もうとして、失敗した。
だが、彼女は、無意識のうちに、俺に強力なアンカーを打ち込んでいたのだ。
「知的で、冷静で、真面目な文学部の女の子」
その先入観があったからこそ、今の、慌てふためき、そして本音を漏らす彼女の姿が、とてつもなく、破壊的に、可愛く見える。
俺の心臓は、もはや警報レベルで鳴り響いていた。
「ご、ごめん!私、急用思い出したから!」
あみさんは、そう叫ぶと、脱兎のごとく走り去ってしまった。
一人、中庭に残された俺。
嘘がバレた恥ずかしさと、彼女の新たな一面を発見した高揚感で、感情がぐちゃぐちゃだった。
「……俺、何やってんだ」
ベンチに座り込み、頭を抱える。
アンカリング効果で彼女を落とすどころか、自分がアンカーに縛られてしまった。
「知的で冷静な文学部女子」という先入観。
それが崩れたとき、彼女の本当の姿が見えた。
ラノベオタクで、慌てふためいて、本音をぽろっと漏らす、人間らしい女の子。
その姿が、もう、忘れられない。
「……最初から、こういう風に接してればよかったのかな」
変に心理学テクニックに頼るんじゃなくて。
嘘をつくんじゃなくて。
ただ、素直に、好きだって気持ちを……。
だが、一つだけ、確かなことがある。
「敵わない……でも、最高に、好きだ……!」
俺は、天を仰ぎ、敗北と、そして、どうしようもない恋心を、同時に噛み締めるのだった。
夕焼けが、中庭を赤く染めていく。
その光の中で、俺の影だけが、長く伸びていた。
手の中のスマホが、ブルリと震える。
【アンカリング作戦:失敗】
【評価:D-(嘘が稚拙すぎます。小学生からやり直しなさい)】
【追伸:ほら、言ったでしょう】
【ただし、副次的効果を確認】
【追加データ】心拍数上昇は、佐伯賢司の『稚拙な嘘』への呆れか、それとも『オタク趣味の露見』による動揺か?……あるいは、第三の可能性は?分析中…
「え……どういう、ことだ……?」
ココロダイブが示した、謎めいた分析結果。
それは、俺の新たな混乱の始まりを、静かに告げていた。
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ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
『俺アレルギー』の抗体は、俺のことが好きな人にしか現れない?学園のアイドルから、幼馴染までノーマスク。その意味を俺は知らない
七星点灯
青春
雨宮優(あまみや ゆう)は、世界でたった一つしかない奇病、『俺アレルギー』の根源となってしまった。
彼の周りにいる人間は、花粉症の様な症状に見舞われ、マスク無しではまともに会話できない。
しかし、マスクをつけずに彼とラクラク会話ができる女の子達がいる。幼馴染、クラスメイトのギャル、先輩などなど……。
彼女達はそう、彼のことが好きすぎて、身体が勝手に『俺アレルギー』の抗体を作ってしまったのだ!
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
高校生なのに娘ができちゃった!?
まったりさん
キャラ文芸
不思議な桜が咲く島に住む主人公のもとに、主人公の娘と名乗る妙な女が現われた。その女のせいで主人公の生活はめちゃくちゃ、最初は最悪だったが、段々と主人公の気持ちが変わっていって…!?
そうして、紅葉が桜に変わる頃、物語の幕は閉じる。
幼馴染に告白したら、交際契約書にサインを求められた件。クーリングオフは可能らしいけど、そんなつもりはない。
久野真一
青春
羽多野幸久(はたのゆきひさ)は成績そこそこだけど、運動などそれ以外全般が優秀な高校二年生。
そんな彼が最近考えるのは想い人の、湯川雅(ゆかわみやび)。異常な頭の良さで「博士」のあだ名で呼ばれる才媛。
彼はある日、勇気を出して雅に告白したのだが―
「交際してくれるなら、この契約書にサインして欲しいの」とずれた返事がかえってきたのだった。
幸久は呆れつつも契約書を読むのだが、そこに書かれていたのは予想と少し違った、想いの籠もった、
ある意味ラブレターのような代物で―
彼女を想い続けた男の子と頭がいいけどどこかずれた思考を持つ彼女の、ちょっと変な、でもほっとする恋模様をお届けします。
全三話構成です。
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