【短編】23歳のクソクリスマス

月下花音

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第3話:クリスマス当日

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 12月25日。
 土曜日。
 快晴。
 冬の澄み切った青空が広がっていて、絶好のデート日和だ。
 でも、私の頭の中は土砂降りだった。
 二日酔い。
 ガンガンする。
 昨晩、イブの寂しさを紛らわせるためにストロングゼロ(9%)を2本空けたあと、冷蔵庫に残っていたボックスワインに手を出した記憶がうっすらある。
 やってしまった。
 クリスマス当日に、最悪のコンディションだ。

 新宿駅、東口。
 人多すぎ。
 地面が見えないくらい、人間で埋め尽くされている。
 しかも、その9割がカップルだ(被害妄想込み)。
 みんな手を繋いで、幸せそうな顔をして、プレゼントの袋をぶら下げている。
 邪魔だ。
 爆発しろ。
 こっちは頭痛と吐き気と戦ってんだよ。
 すれ違う人たちの香水の匂いが混ざり合って、鼻の奥を刺激する。
 甘いバニラ、爽やかなシトラス、そして男物の整髪料。
 今の私には、すべてが毒ガスに感じる。

「……わりぃ、待った?」
 10分遅れでケンジが来た。
 ケンジの顔を見て、少し安心した。
 顔色がドブみたいに悪い。
 こいつも飲んだな。
「……飲みすぎ?」
「おう。昨日、一人で缶ビール6本いってもうた」
「バカなの?」
「お前こそ、顔死んでるぞ。化粧ノリ最悪だし」
「うるさい。ストロングゼロのせい」

 私たちはゾンビみたいな足取りで、ネカフェに向かった。
 途中、オシャレなカフェの前を通ったけど、どこも満席で、外まで行列ができていた。
 ガラス越しに見える店内では、カップルがパンケーキをシェアしたりしている。
 別世界だ。
 あそこには、二日酔いの貧困カップルが入れる隙間なんて1ミリもない。
 スタバも激混み。
 ドトールも満席。
 ルノアールは高いから最初から選択肢に入ってない。
 結局、予約していた「コミックバスター」へ。
『インターネットカフェ 3時間パック 1200円~』
 その看板を見た時、実家のような安心感を覚えた自分が悲しい。
「……ここなら落ち着けるな」
「そうだね」
 妥協の極み。
 23歳のクリスマスデートの場所、漫画喫茶。
 しかも「喫煙ペアシート」。

 受付を済ませて、薄暗い店内を進む。
 タバコの染み付いた独特の匂いが、二日酔いの胃にダイレクトアタックしてくる。
「うっ……」
「大丈夫か?」
「なんとか……」
 通されたブースは、狭かった。
 二人で座ると肩が触れ合うくらいの広さしかない。
 リクライニングシートじゃなくて、フラットシートだったから、靴を脱いで上がる。
 マットが少し湿っている気がする。
 誰かの汗か、それともこぼしたドリンクか。
 考えないようにした。
 ファブリーズとヤニの混ざった匂いが充満している。

「お前、何読む?」
 ケンジが漫画の棚を物色し始めた。
 こいつ、ここに来てまで自分の世界に入る気か。
「……ウシジマくん」
「チョイス重すぎだろ。クリスマスだぞ」
「今の気分なの。借金地獄の話読んで、自分の方がマシだって思いたいの」
「病んでんなぁ」

 二人で狭い個室に転がる。
 照明が薄暗い。
 ケンジが靴下を脱いだ。
 親指のところに穴が空きそうになっていて、生地が薄くなっているのが見える。
 そこから覗く親指の爪が少し伸びている。
 萎える。
 100年の恋も冷める(してないけど)。
 なんでクリスマスのデートに、その靴下を選んだ?
 穴空いてないやつなかったの?
 それとも、靴脱ぐと思ってなかったの?
 ネカフェ予約したの自分じゃん。

 スマホを見る。
 手持ち無沙汰で、またインスタを開いてしまう。
 自傷行為だと分かっているのに。
 サヤカの投稿が更新されていた。
『リッツ・カールトンでクリスマスランチ🍽️』
『彼氏くんありがとう大好き💕』
『キャビアとウニのパスタ、ほっぺた落ちそう~!』
 写真には、宝石箱みたいにキラキラしたフレンチのコース料理。
 真っ白なテーブルクロス。
 窓の外に広がる絶景。
 その横に、私たちの今の現状を並べてみる。
 ネカフェのフリードリンク(カルピスソーダ)と、読み古されて手垢のついた『闇金ウシジマくん』。
 テーブル代わりの小さな台には、灰皿と、ケンジが買ってきた柿の種の袋。
 格差社会。
 同じ日本とは思えない。
 同じ23歳とは思えない。
 前世の徳の積み方が違ったんだろうか。
 私は前世で村を焼いたけど、サヤカは村を救ったのかもしれない。

 その時。
 隣のブースから変な音が聞こえてきた。
『……んっ、ぁ……』
 え?
『……ん、んんっ……!』
『……ちょ、声でかいって』
 男の焦ったような囁き声。
『だって……んっ……』
 女の甘えた声。
 明らかに、アレだ。
 事後……いや、真っ最中だ。
 壁がベニヤ板一枚みたいに薄いから、丸聞こえだ。
 衣擦れの音まで聞こえるレベルだ。
 ここ、防音とかないの?

「……おい」
 ケンジと目が合う。
 ケンジもウシジマくんを読む手を止めて、固まっている。
 気まずい。
 死ぬほど気まずい。
 いくらカップル(仮)とはいえ、付き合って3ヶ月、まだそこまで深い関係になってない私たちにとって、このBGMは劇薬すぎる。
「……元気だな、隣」
 ケンジが小声で言った。
 ニヤニヤしてる。きっしょ。
「黙れ。聞きたくない」
「いや、聞こえてくるもんは仕方ないだろ」
「ヘッドホンしてよ」
「俺はいいけど、お前どうすんの」
「私もする」

 慌ててPC備え付けのヘッドホンを掴んだけど、イヤーパッドがボロボロで黒い粉が落ちてきて、つけるのを躊躇った。
 結局、耳を塞ぐしかない。
 地獄だ。
 リッツ・カールトンの優雅なクラシックBGMの代わりに、私たちは見知らぬカップルの情事を聞かされている。
 しかもクリスマスに。
 喘ぎ声と、ウシジマくんの借金取り立てのシーンが同時進行するカオス。
「……俺らも、する?」
 ケンジが冗談めかして言ってきた。
 目が笑ってない。
 半分本気かもしれない。
 殺意が湧いた。
 この状況で?
 このシチュエーションで?
 お前の頭ん中どうなってんの?
「死ね。ここで吐くぞ」
 真顔で言った。
 二日酔いの胃液をぶちまけてやるという脅しは、今の私にはリアルな武器だ。
「うわ、やめろ! 冗談だって!」
 ケンジが慌てて引いた。

 二人で息を潜める。
 隣の声が止むのを待つ。
 長い。
 永遠に感じる。
 その間、私はずっとサヤカのインスタの「フォアグラのソテー」の写真を睨みつけていた。
 私の手にあるのは、機械から出てきた温いコーンスープだけ。
 自分が底辺すぎて、涙も出ない。
 ただ、隣の男の荒い鼻息だけが、私のクリスマスのBGMだった。
 これ、絶対に来年は笑い話にしてやる。
 もし来年も一緒にいたら、の話だけど。

(つづく)
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