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第4話:仕事納め飲み
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12月28日。
仕事納め。
ようやく激動の一年(何もなかったけど)が終わった。
本来なら「パーッと飲みに行こう!」となるところだけど、金がないから結局「宅飲み」することになった。
場所はケンジのアパート。
行く前にスーパーに寄ることにした。
午後8時すぎ。
スーパーの店内は、割引シールお目当てのハイエナみたいな客で溢れている。
独身のサラリーマン、疲れた顔の主婦、そして私たちみたいな貧困カップル。
みんな目が血走っている。
店員のおばちゃんが「半額」のシール貼り機を持って現れると、モーゼの十戒みたいに道ができる。
「おい、これ半額だぞ」
ケンジが目を輝かせて持ってきたのは、しなびた唐揚げのパック。
衣がふやけていて、油が回っているのが見ただけで分かる。
売れ残りの哀愁が漂っている。
「……普通のやつにしようよ。せっかくの仕事納めだし」
私が定価(と言っても298円)のサラダをカゴに入れようとした。
彩りのいいパプリカが入った、ちょっと体に良さそうなサラダ。
今日くらい、少し贅沢してもバチは当たらないはずだ。
ところが。
「は? もったいな! サラダなんて草だろ? こっちの半額のやつでいいじゃん」
ケンジが私の手からサラダを奪い取って、棚に戻した。
乱暴に戻したから、ドレッシングの袋が落ちそうになった。
そして代わりにカゴに入れたのは、茶色く変色した半額のポテトサラダ(20%引き)。
きゅうりの水分が出て、ベチャベチャになっているやつだ。
……引く。
なんか、スーッと冷めた。
100円、200円の話だ。
その数百円をケチる姿に、私の未来が見えた気がした。
もしこいつと結婚したら、一生こうやってスーパーで半額シールを探して彷徨うのかな。
「彩り」より「安さ」を選ぶ人生なのかな。
記念日も、誕生日も、子供の祝い事も、全部「半額」で済ませられるのかな。
虚しい。
虚無感がスーパーの蛍光灯の下で膨れ上がっていく。
アパートに着く。
部屋が寒い。
暖房つけるけど、なかなか暖まらない。
築40年、木造、隙間風あり。
これが私たちの愛の巣(笑)。
カーテンの裾がカビているのが見える。
窓ガラスには結露がびっしりついていて、外の寒さを物語っている。
買ってきた半額惣菜と、発泡酒(ビールではない)で乾杯。
「お疲れー」
「……おつ」
惣菜の味が濃い。
塩分過多。
化学調味料の味が舌に残る。
高血圧になりそう。
ケンジは「うめー!」って言いながら発泡酒を煽っている。
幸せな舌だな。
「でさ、サヤカの結婚式、いつ?」
ケンジが、半額のキムチをつつきながら聞いてきた。
「来年の6月。ハワイだって」
「すげーな。俺らもいつか行きてーな」
「……無理でしょ」
「宝くじ当たったらな」
他力本願。
自分の力で行こうとは言わないんだ。
「死ぬ気で働いて連れてってやるよ」とかいう甲斐性ワードは、こいつの辞書にはないらしい。
こいつの限界が見えた。
底が見えた。
浅い。
水溜りくらい浅い。
しかも濁ってる。
「……なぁ」
ケンジが酔っ払った目で私を見る。
顔が赤い。
目が座っている。
「ミチル、なんか今日元気なくね?」
「……別に」
「仕事でなんかあった?」
「ないよ」
あるよ。
お前のそのケチ臭さに絶望してんだよ。
言っても無駄だから言わないけど。
ケンジが気を使って、私の肩を抱いてくる。
「俺が癒してやるよ」
顔が近づく。
キスする流れだ。
でも、私の頭の中には、さっき棚に戻された定価のサラダの残像が残ってる。
あのパプリカの鮮やかな赤色が、目に焼き付いて離れない。
冷めてる。
完全に冷めてる。
けど、拒否する理由もない。
雰囲気ぶち壊して喧嘩するのも面倒くさい。
目を閉じる。
その瞬間。
『プゥーン』
強烈な匂いが鼻をついた。
さっき食べた半額キムチ。
あと、ニンニクたっぷりの餃子(これも半額)。
そして発泡酒の安っぽいアルコール臭。
……くっさ!!!
バイオハザードかよ。
毒ガス兵器かよ。
なんでキスする前にキムチ食った?
なんで餃子食った?
馬鹿なの?
計画性ゼロなの?
『ピロリロリン!』
タイミングよくスマホが鳴る。
ママからだ。
『お見合い写真、いい加減に見なさい!』
鬼電。
メッセージ連投。
『〇〇さんの息子さん、公務員だって!』
『安定してるわよ!』
現実的な圧力が、画面越しに伝わってくる。
「……ごめん、無理」
私は無意識にケンジを突き飛ばしていた。
「うおっ! は? なんで?」
ケンジが目を丸くして、後ろに倒れ込んだ。
「口、臭いから」
「えっ……」
「キムチと餃子と酒。トリプルパンチ」
「マジ? ……ごめん」
ケンジが傷ついた顔をする。
子犬みたいな目でこっちを見るけど、フォローする気にもなれない。
「ブレスケア飲んで出直してきて。あと、水2リットル飲んで」
「……はい」
ケンジがすごすごと台所に水を飲みに行く。
その背中が丸まっている。
ユニクロのフリース(毛玉だらけ)が、哀愁を漂わせている。
水道水をコップに汲んで、一気に飲み干す音が聞こえる。
私はため息をついて、窓の外を見た。
東京の星は見えない。
あるのは、向かいのマンションの廊下の蛍光灯だけ。
あのマンションはオートロックかな。
床暖房ついてるかな。
あーあ、私の23歳、ずっとこんな感じで終わるのかな。
口の中に残るキムチの味が、私の人生そのものみたいに辛くて、安っぽくて、いつまでも消えない後悔の味がした。
(つづく)
仕事納め。
ようやく激動の一年(何もなかったけど)が終わった。
本来なら「パーッと飲みに行こう!」となるところだけど、金がないから結局「宅飲み」することになった。
場所はケンジのアパート。
行く前にスーパーに寄ることにした。
午後8時すぎ。
スーパーの店内は、割引シールお目当てのハイエナみたいな客で溢れている。
独身のサラリーマン、疲れた顔の主婦、そして私たちみたいな貧困カップル。
みんな目が血走っている。
店員のおばちゃんが「半額」のシール貼り機を持って現れると、モーゼの十戒みたいに道ができる。
「おい、これ半額だぞ」
ケンジが目を輝かせて持ってきたのは、しなびた唐揚げのパック。
衣がふやけていて、油が回っているのが見ただけで分かる。
売れ残りの哀愁が漂っている。
「……普通のやつにしようよ。せっかくの仕事納めだし」
私が定価(と言っても298円)のサラダをカゴに入れようとした。
彩りのいいパプリカが入った、ちょっと体に良さそうなサラダ。
今日くらい、少し贅沢してもバチは当たらないはずだ。
ところが。
「は? もったいな! サラダなんて草だろ? こっちの半額のやつでいいじゃん」
ケンジが私の手からサラダを奪い取って、棚に戻した。
乱暴に戻したから、ドレッシングの袋が落ちそうになった。
そして代わりにカゴに入れたのは、茶色く変色した半額のポテトサラダ(20%引き)。
きゅうりの水分が出て、ベチャベチャになっているやつだ。
……引く。
なんか、スーッと冷めた。
100円、200円の話だ。
その数百円をケチる姿に、私の未来が見えた気がした。
もしこいつと結婚したら、一生こうやってスーパーで半額シールを探して彷徨うのかな。
「彩り」より「安さ」を選ぶ人生なのかな。
記念日も、誕生日も、子供の祝い事も、全部「半額」で済ませられるのかな。
虚しい。
虚無感がスーパーの蛍光灯の下で膨れ上がっていく。
アパートに着く。
部屋が寒い。
暖房つけるけど、なかなか暖まらない。
築40年、木造、隙間風あり。
これが私たちの愛の巣(笑)。
カーテンの裾がカビているのが見える。
窓ガラスには結露がびっしりついていて、外の寒さを物語っている。
買ってきた半額惣菜と、発泡酒(ビールではない)で乾杯。
「お疲れー」
「……おつ」
惣菜の味が濃い。
塩分過多。
化学調味料の味が舌に残る。
高血圧になりそう。
ケンジは「うめー!」って言いながら発泡酒を煽っている。
幸せな舌だな。
「でさ、サヤカの結婚式、いつ?」
ケンジが、半額のキムチをつつきながら聞いてきた。
「来年の6月。ハワイだって」
「すげーな。俺らもいつか行きてーな」
「……無理でしょ」
「宝くじ当たったらな」
他力本願。
自分の力で行こうとは言わないんだ。
「死ぬ気で働いて連れてってやるよ」とかいう甲斐性ワードは、こいつの辞書にはないらしい。
こいつの限界が見えた。
底が見えた。
浅い。
水溜りくらい浅い。
しかも濁ってる。
「……なぁ」
ケンジが酔っ払った目で私を見る。
顔が赤い。
目が座っている。
「ミチル、なんか今日元気なくね?」
「……別に」
「仕事でなんかあった?」
「ないよ」
あるよ。
お前のそのケチ臭さに絶望してんだよ。
言っても無駄だから言わないけど。
ケンジが気を使って、私の肩を抱いてくる。
「俺が癒してやるよ」
顔が近づく。
キスする流れだ。
でも、私の頭の中には、さっき棚に戻された定価のサラダの残像が残ってる。
あのパプリカの鮮やかな赤色が、目に焼き付いて離れない。
冷めてる。
完全に冷めてる。
けど、拒否する理由もない。
雰囲気ぶち壊して喧嘩するのも面倒くさい。
目を閉じる。
その瞬間。
『プゥーン』
強烈な匂いが鼻をついた。
さっき食べた半額キムチ。
あと、ニンニクたっぷりの餃子(これも半額)。
そして発泡酒の安っぽいアルコール臭。
……くっさ!!!
バイオハザードかよ。
毒ガス兵器かよ。
なんでキスする前にキムチ食った?
なんで餃子食った?
馬鹿なの?
計画性ゼロなの?
『ピロリロリン!』
タイミングよくスマホが鳴る。
ママからだ。
『お見合い写真、いい加減に見なさい!』
鬼電。
メッセージ連投。
『〇〇さんの息子さん、公務員だって!』
『安定してるわよ!』
現実的な圧力が、画面越しに伝わってくる。
「……ごめん、無理」
私は無意識にケンジを突き飛ばしていた。
「うおっ! は? なんで?」
ケンジが目を丸くして、後ろに倒れ込んだ。
「口、臭いから」
「えっ……」
「キムチと餃子と酒。トリプルパンチ」
「マジ? ……ごめん」
ケンジが傷ついた顔をする。
子犬みたいな目でこっちを見るけど、フォローする気にもなれない。
「ブレスケア飲んで出直してきて。あと、水2リットル飲んで」
「……はい」
ケンジがすごすごと台所に水を飲みに行く。
その背中が丸まっている。
ユニクロのフリース(毛玉だらけ)が、哀愁を漂わせている。
水道水をコップに汲んで、一気に飲み干す音が聞こえる。
私はため息をついて、窓の外を見た。
東京の星は見えない。
あるのは、向かいのマンションの廊下の蛍光灯だけ。
あのマンションはオートロックかな。
床暖房ついてるかな。
あーあ、私の23歳、ずっとこんな感じで終わるのかな。
口の中に残るキムチの味が、私の人生そのものみたいに辛くて、安っぽくて、いつまでも消えない後悔の味がした。
(つづく)
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