【短編】23歳のクソクリスマス

月下花音

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第4話:仕事納め飲み

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 12月28日。
 仕事納め。
 ようやく激動の一年(何もなかったけど)が終わった。
 本来なら「パーッと飲みに行こう!」となるところだけど、金がないから結局「宅飲み」することになった。
 場所はケンジのアパート。
 行く前にスーパーに寄ることにした。
 午後8時すぎ。
 スーパーの店内は、割引シールお目当てのハイエナみたいな客で溢れている。
 独身のサラリーマン、疲れた顔の主婦、そして私たちみたいな貧困カップル。
 みんな目が血走っている。
 店員のおばちゃんが「半額」のシール貼り機を持って現れると、モーゼの十戒みたいに道ができる。

「おい、これ半額だぞ」
 ケンジが目を輝かせて持ってきたのは、しなびた唐揚げのパック。
 衣がふやけていて、油が回っているのが見ただけで分かる。
 売れ残りの哀愁が漂っている。
「……普通のやつにしようよ。せっかくの仕事納めだし」
 私が定価(と言っても298円)のサラダをカゴに入れようとした。
 彩りのいいパプリカが入った、ちょっと体に良さそうなサラダ。
 今日くらい、少し贅沢してもバチは当たらないはずだ。
 ところが。
「は? もったいな! サラダなんて草だろ? こっちの半額のやつでいいじゃん」
 ケンジが私の手からサラダを奪い取って、棚に戻した。
 乱暴に戻したから、ドレッシングの袋が落ちそうになった。
 そして代わりにカゴに入れたのは、茶色く変色した半額のポテトサラダ(20%引き)。
 きゅうりの水分が出て、ベチャベチャになっているやつだ。

 ……引く。
 なんか、スーッと冷めた。
 100円、200円の話だ。
 その数百円をケチる姿に、私の未来が見えた気がした。
 もしこいつと結婚したら、一生こうやってスーパーで半額シールを探して彷徨うのかな。
「彩り」より「安さ」を選ぶ人生なのかな。
 記念日も、誕生日も、子供の祝い事も、全部「半額」で済ませられるのかな。
 虚しい。
 虚無感がスーパーの蛍光灯の下で膨れ上がっていく。

 アパートに着く。
 部屋が寒い。
 暖房つけるけど、なかなか暖まらない。
 築40年、木造、隙間風あり。
 これが私たちの愛の巣(笑)。
 カーテンの裾がカビているのが見える。
 窓ガラスには結露がびっしりついていて、外の寒さを物語っている。

 買ってきた半額惣菜と、発泡酒(ビールではない)で乾杯。
「お疲れー」
「……おつ」
 惣菜の味が濃い。
 塩分過多。
 化学調味料の味が舌に残る。
 高血圧になりそう。
 ケンジは「うめー!」って言いながら発泡酒を煽っている。
 幸せな舌だな。

「でさ、サヤカの結婚式、いつ?」
 ケンジが、半額のキムチをつつきながら聞いてきた。
「来年の6月。ハワイだって」
「すげーな。俺らもいつか行きてーな」
「……無理でしょ」
「宝くじ当たったらな」

 他力本願。
 自分の力で行こうとは言わないんだ。
「死ぬ気で働いて連れてってやるよ」とかいう甲斐性ワードは、こいつの辞書にはないらしい。
 こいつの限界が見えた。
 底が見えた。
 浅い。
 水溜りくらい浅い。
 しかも濁ってる。

「……なぁ」
 ケンジが酔っ払った目で私を見る。
 顔が赤い。
 目が座っている。
「ミチル、なんか今日元気なくね?」
「……別に」
「仕事でなんかあった?」
「ないよ」
 あるよ。
 お前のそのケチ臭さに絶望してんだよ。
 言っても無駄だから言わないけど。

 ケンジが気を使って、私の肩を抱いてくる。
「俺が癒してやるよ」
 顔が近づく。
 キスする流れだ。
 でも、私の頭の中には、さっき棚に戻された定価のサラダの残像が残ってる。
 あのパプリカの鮮やかな赤色が、目に焼き付いて離れない。
 冷めてる。
 完全に冷めてる。
 けど、拒否する理由もない。
 雰囲気ぶち壊して喧嘩するのも面倒くさい。

 目を閉じる。
 その瞬間。

『プゥーン』

 強烈な匂いが鼻をついた。
 さっき食べた半額キムチ。
 あと、ニンニクたっぷりの餃子(これも半額)。
 そして発泡酒の安っぽいアルコール臭。
 ……くっさ!!!
 バイオハザードかよ。
 毒ガス兵器かよ。
 なんでキスする前にキムチ食った?
 なんで餃子食った?
 馬鹿なの?
 計画性ゼロなの?

『ピロリロリン!』
 タイミングよくスマホが鳴る。
 ママからだ。
『お見合い写真、いい加減に見なさい!』
 鬼電。
 メッセージ連投。
『〇〇さんの息子さん、公務員だって!』
『安定してるわよ!』
 現実的な圧力が、画面越しに伝わってくる。

「……ごめん、無理」
 私は無意識にケンジを突き飛ばしていた。
「うおっ! は? なんで?」
 ケンジが目を丸くして、後ろに倒れ込んだ。
「口、臭いから」
「えっ……」
「キムチと餃子と酒。トリプルパンチ」
「マジ? ……ごめん」

 ケンジが傷ついた顔をする。
 子犬みたいな目でこっちを見るけど、フォローする気にもなれない。
「ブレスケア飲んで出直してきて。あと、水2リットル飲んで」
「……はい」

 ケンジがすごすごと台所に水を飲みに行く。
 その背中が丸まっている。
 ユニクロのフリース(毛玉だらけ)が、哀愁を漂わせている。
 水道水をコップに汲んで、一気に飲み干す音が聞こえる。
 私はため息をついて、窓の外を見た。
 東京の星は見えない。
 あるのは、向かいのマンションの廊下の蛍光灯だけ。
 あのマンションはオートロックかな。
 床暖房ついてるかな。
 あーあ、私の23歳、ずっとこんな感じで終わるのかな。
 口の中に残るキムチの味が、私の人生そのものみたいに辛くて、安っぽくて、いつまでも消えない後悔の味がした。

(つづく)
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