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最終回・白虎の愛玩の末に
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婚礼から、数年の歳月が流れた。
環は悠人の奥方として完璧に振る舞い、その美しさと慎ましやかさは、世間からも良き妻として認められるようになっていた。
そして悠人が環を溺愛してることはかなり広まっており、若いおしどり夫婦として評判だった。
しかし、環の生活の中心は、依然として伯爵邸の離れだ。
最低限の社交はこなすものの、彼女が世間と接触することは、極限まで抑えられていた。
環は、静かな午後の光が差し込む鏡台の前に座り、悠人が選んだ精緻な細工の櫛(くし)で、彼女の艶やかな黒髪をゆっくりと梳(す)かしていた。
「環様。もうすぐ悠人様がこちらにいらっしゃるそうです」
侍女頭の月子が、背後から静かに告げた。
「ええ、わかったわ」
環は鏡越しに微笑む。
その顔は、数年前の不安げな少女の面影はなく、絶対的な愛に満たされた女のものだった。
環はもう、外の世界への興味をとうに失っていた。
今、身に纏っている着物も、箪笥に並ぶ他の全てのものも、悠人が彼女のためだけに選んだものだ。
昔なら、その美しい絹地に胸を弾ませ、どれにしようかと迷う楽しみもあったのだろうが、今はもう、どうでもよかった。
どれを選んでも、悠人の愛の形であることに変わりはないのだから。
食事も、悠人がいる時は、必ず彼の手によって食べさせてもらう。
最初は恥ずかしかったあの行為も、今では二人の愛を確かめ合う、何よりも大切な定例の儀式として定着していた。
悠人が全てを選び、与え、管理する日常。それが、環にとっての最も自然で、最も甘美な愛の形となっていた。
やがて、悠人が部屋に入ってきた。
「環。待たせたね」
「いいえ、悠人様。お待ちしておりました」
悠人は環を優しく抱き上げると、いつもの長椅子に座らせた。
侍女たちが静かに運んできた夕餉(ゆうげ)は、もちろん悠人が彼女の体調を考慮して選んだ食材だけで作られている。
悠人は侍女たちを下がらせると、環の正面に座り、自分の箸で料理を環の口元へ運んだ。
「さあ、環。口を開けてごらん」
その声色は、まるで雛鳥に餌を与えるかのようだ。
「今日は君が好きなかぼちゃの煮物だよ。ほら、ゆっくりと味わって食べてね」
環はうっとりと瞳を閉じ、悠人が運ぶものを、ただ素直に受け入れる。
その行為は、環を無力な存在にする。けれど、悠人に愛でられ、愛玩されていることを骨の髄まで感じさせた。
それが、環には至高の幸福だった。
「美味しいです、悠人様」
こっくりとした甘みが口に広がる。
「あなたが与えてくださるものは、すべてが甘露のようですわ」
「そうだろう?」
悠人は満足げに目を細めた。
「環、これからの君の日々は、すべて僕が守るよ。美味しいものも、心地よい時間も、君のために選びたい。君が笑っていてくれる、この檻の中が――君にとって一番の幸せになるように、僕がずっとそばにいる。」
「はい……」
「君を慈しみ、愛でる、そして守り抜くこと……それこそが、僕の愛の真髄なんだ。……そうだろう?」
悠人は、恍惚と見つめる環の唇の端についた、わずかな米粒を、そっと指で拭った。そして、何のためらいもなく、その指を自らの口に含んだ。
(ああ、私は完全にこの人に囚われている)
環は、その背徳的な光景に、胸の奥がきゅんと熱くなるのを自覚した。
(そして、この人もまた、私がいないと駄目なのだわ)
二人は、互いなしでは息もできないほどに、溶け合っていた。
食後、環が悠人の淹れた茶を飲んでいる時、控えていた月子が、まるで天気の話でもするように小さな噂を報告した。
「環様。ご実家の親族の方から伺ったのですが……」
「なあに?」
「以前、環様との婚姻が持ち上がった、あの柏木の一族が、公金横領の件で完全に凋落したと……世間では騒がれております」
月子は、環の顔色を僅かにうかがった。
しかし、環の表情は、完璧なまでに凪いでいた。
「まあ、そうなの」
彼女は、淡い藤色の湯呑を静かに台に置いた。
環の心は、何の感情も動かさなかった。
かつて自分を蔑んだ親族も、厳しかった祖母も、そして過去のすべての人間関係も、環の心からは遠く離れ、霞の向こう側にあるどうでもいい出来事に過ぎなかった。
「……悠人様が、私を守ってくださったのね」
環は、独り言のように呟いた。
「私を汚そうとする者は、皆、消える運命だったのよ。それをあの方は、ただ実行してくださっただけ」
そう言った環の瞳は、仄暗(ほのぐら)く、熱に浮かされたように恍惚とした笑みを浮かべていた。
環は、悠人が行ったであろう冷酷な行為を、自分への絶対的な愛の証明として受け入れていた。
その様子を見ていた悠人は、環の他者への完璧な冷淡さと、美しく「堕ちた」その姿に、心からの満足と歓喜を覚えていた。
夜が更け、悠人は寝台で環を深く抱きしめた。
「君は、誰のことも気にしないでいい」
「はい……」
「僕だけがいればいい。僕だけを、その美しい瞳に映していてくれ」
悠人の声は、愛しさと狂おしいほどの独占欲に震えていた。
「君のその心が、僕にとっての唯一の陽だまりなんだ。その心が少しでも僕から逸れたら、苦しくて堪らない」
「永遠に、君は僕だけの陽だまりだ。僕が作ったこの楽園(おり)の中で、永遠に輝いていてくれ」
環は目を閉じ、彼の心臓の音を聞きながら、その言葉を全身で受け止める。
環は悠人の奥方として完璧に振る舞い、その美しさと慎ましやかさは、世間からも良き妻として認められるようになっていた。
そして悠人が環を溺愛してることはかなり広まっており、若いおしどり夫婦として評判だった。
しかし、環の生活の中心は、依然として伯爵邸の離れだ。
最低限の社交はこなすものの、彼女が世間と接触することは、極限まで抑えられていた。
環は、静かな午後の光が差し込む鏡台の前に座り、悠人が選んだ精緻な細工の櫛(くし)で、彼女の艶やかな黒髪をゆっくりと梳(す)かしていた。
「環様。もうすぐ悠人様がこちらにいらっしゃるそうです」
侍女頭の月子が、背後から静かに告げた。
「ええ、わかったわ」
環は鏡越しに微笑む。
その顔は、数年前の不安げな少女の面影はなく、絶対的な愛に満たされた女のものだった。
環はもう、外の世界への興味をとうに失っていた。
今、身に纏っている着物も、箪笥に並ぶ他の全てのものも、悠人が彼女のためだけに選んだものだ。
昔なら、その美しい絹地に胸を弾ませ、どれにしようかと迷う楽しみもあったのだろうが、今はもう、どうでもよかった。
どれを選んでも、悠人の愛の形であることに変わりはないのだから。
食事も、悠人がいる時は、必ず彼の手によって食べさせてもらう。
最初は恥ずかしかったあの行為も、今では二人の愛を確かめ合う、何よりも大切な定例の儀式として定着していた。
悠人が全てを選び、与え、管理する日常。それが、環にとっての最も自然で、最も甘美な愛の形となっていた。
やがて、悠人が部屋に入ってきた。
「環。待たせたね」
「いいえ、悠人様。お待ちしておりました」
悠人は環を優しく抱き上げると、いつもの長椅子に座らせた。
侍女たちが静かに運んできた夕餉(ゆうげ)は、もちろん悠人が彼女の体調を考慮して選んだ食材だけで作られている。
悠人は侍女たちを下がらせると、環の正面に座り、自分の箸で料理を環の口元へ運んだ。
「さあ、環。口を開けてごらん」
その声色は、まるで雛鳥に餌を与えるかのようだ。
「今日は君が好きなかぼちゃの煮物だよ。ほら、ゆっくりと味わって食べてね」
環はうっとりと瞳を閉じ、悠人が運ぶものを、ただ素直に受け入れる。
その行為は、環を無力な存在にする。けれど、悠人に愛でられ、愛玩されていることを骨の髄まで感じさせた。
それが、環には至高の幸福だった。
「美味しいです、悠人様」
こっくりとした甘みが口に広がる。
「あなたが与えてくださるものは、すべてが甘露のようですわ」
「そうだろう?」
悠人は満足げに目を細めた。
「環、これからの君の日々は、すべて僕が守るよ。美味しいものも、心地よい時間も、君のために選びたい。君が笑っていてくれる、この檻の中が――君にとって一番の幸せになるように、僕がずっとそばにいる。」
「はい……」
「君を慈しみ、愛でる、そして守り抜くこと……それこそが、僕の愛の真髄なんだ。……そうだろう?」
悠人は、恍惚と見つめる環の唇の端についた、わずかな米粒を、そっと指で拭った。そして、何のためらいもなく、その指を自らの口に含んだ。
(ああ、私は完全にこの人に囚われている)
環は、その背徳的な光景に、胸の奥がきゅんと熱くなるのを自覚した。
(そして、この人もまた、私がいないと駄目なのだわ)
二人は、互いなしでは息もできないほどに、溶け合っていた。
食後、環が悠人の淹れた茶を飲んでいる時、控えていた月子が、まるで天気の話でもするように小さな噂を報告した。
「環様。ご実家の親族の方から伺ったのですが……」
「なあに?」
「以前、環様との婚姻が持ち上がった、あの柏木の一族が、公金横領の件で完全に凋落したと……世間では騒がれております」
月子は、環の顔色を僅かにうかがった。
しかし、環の表情は、完璧なまでに凪いでいた。
「まあ、そうなの」
彼女は、淡い藤色の湯呑を静かに台に置いた。
環の心は、何の感情も動かさなかった。
かつて自分を蔑んだ親族も、厳しかった祖母も、そして過去のすべての人間関係も、環の心からは遠く離れ、霞の向こう側にあるどうでもいい出来事に過ぎなかった。
「……悠人様が、私を守ってくださったのね」
環は、独り言のように呟いた。
「私を汚そうとする者は、皆、消える運命だったのよ。それをあの方は、ただ実行してくださっただけ」
そう言った環の瞳は、仄暗(ほのぐら)く、熱に浮かされたように恍惚とした笑みを浮かべていた。
環は、悠人が行ったであろう冷酷な行為を、自分への絶対的な愛の証明として受け入れていた。
その様子を見ていた悠人は、環の他者への完璧な冷淡さと、美しく「堕ちた」その姿に、心からの満足と歓喜を覚えていた。
夜が更け、悠人は寝台で環を深く抱きしめた。
「君は、誰のことも気にしないでいい」
「はい……」
「僕だけがいればいい。僕だけを、その美しい瞳に映していてくれ」
悠人の声は、愛しさと狂おしいほどの独占欲に震えていた。
「君のその心が、僕にとっての唯一の陽だまりなんだ。その心が少しでも僕から逸れたら、苦しくて堪らない」
「永遠に、君は僕だけの陽だまりだ。僕が作ったこの楽園(おり)の中で、永遠に輝いていてくれ」
環は目を閉じ、彼の心臓の音を聞きながら、その言葉を全身で受け止める。
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