小悪魔からの手紙

はな夜見

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第四章 ビタミン中毒

第二節

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 次に来たのは生成アキラの家だった。根岸の家よりも更に荒れ放題なアパートではあったが、場所的には西区の中では南区よりなところなので、それも仕方ないのだろう。先ほどよりも更に錆びている扉に遠州は触れたくないなと思いながら、チャイムを押す。

 鳴っているのか鳴っていないのか、分からないほど小さいチャイムだったが、生成はすんなりと出てきた。これはまた、と遠州は顔を引きつらせた。先ほどの根岸は細見な感じの男であったが、出てきた生成は女で、かなり太っていたからだった。しかも着ているものもよれよれのTシャツで、どこか不潔な感じが拭えない。

「え、えっとぉ? 集金ですか?」
「いえいえ違います。生成アキラさんですか? 私警察の遠州なんですが、アイドル・ミカンさんについてお話をお聞きしたくて来たんです」
「えっ、えっ! ミカンたそに何かあったんですか? えっ! なんで? どうして?」

「たそ……? あ、いえ、先日遺体で発見されたんですよ。私たちはストーカーによる犯行として捜査しています。人気があったアイドルでしたからね」

 遠州の言葉などまったく心に届いていないようで、生成はそのふくよかな頬に涙を溢れさせた。ぎょっとしている遠州のことなどお構いなしに生成はその場に倒れこむ。

「ミカンたそ……なんで、そんな理不尽なこと……幸せに、幸せに生きていてほしかったのに」

 こりゃまた、と引き気味の遠州とは違い、ムムは倒れこんだ生成の肩を抱き、そして言った。「大丈夫です。彼女、ミカンさんは結婚もなされて幸せな時間を過ごされました。確かに、短かったかもしれませんが、それでも彼女は満足していると思います」
「う、うっ……そうですよね、ミカンたそ……、あんなに徳の高い人が地獄に行くわけないですし、どうか、どうかそっちでも幸せに」

 生成は大胆に鼻をすすると、言った。
「私が知っていることでしたら何でも言います。どうぞ、中に」





 生成の家は外見からは想像つかないほど綺麗にされていた。入り口を入ってすぐのところに洗面所があり、その奥を抜けるとリビングと台所といった間取りらしい。特に目を見張るのは、ミカンのグッズを置く棚がわざわざ作られているところだろうか。ご丁寧に額縁に入れられているものまである。レースやビーズで装飾されたそれらのグッズには、アイドル・ミカンが微笑む写真がたくさん使われている。遠州は見たことあるような気がする笑顔だと思った。

「どうぞ、お茶です」

 生成が持ってきたお茶を一口飲んで、そこで遠州は思い出した。そういえば根岸の家ではこういったことはされていないな、と。それがいいとか悪いとかそういったことではなく、それが人間性の違いなのだろうと遠州は結論付けた。

「ミカンたそ、は、私の生きがいでした。就職活動がうまくいかずフリーターとして生きていた私の暗く何もなかった人生の中で、光を見出してくれたのです」

 生成はズッと鼻をすする。遠州はお茶を一口飲んでから、口を開いた。
「ミカンさんはずいぶんとファンの方たちから慕われていたんですね。その反面、人気すぎるがゆえに過激な方も多いとか。その辺に関して生成さんはご存じないですか?」
「過激、というか、まぁ皆さんとても熱量が強い人が多かったですね。私も例外ではないんですが、グッズを買いあさったり、私物を特定したり。でもファンの民度は良い方だと思います、たまに変な人がいたりしましたけど」「変な人?」

 ムムは聞き逃さないようにと、生成に詰め寄った。生成は少し眉を困らせながら続けた。

「もうすっごいんですよ。お金使ってミカンたそに貢いでいるならともかく、昔からミカンたそのことを知っているからって、新規でミカンたそのことを好きになってくれたファンを統制しようとしてた人がいたんです。自分が偉いんだって」
「もしかしてクッキー星人さん?」「えっ! 何で知ってるんですか?」

 遠州は苦笑いをして言及を避けた。生成は少し申し訳なさそうに続ける。

「彼、いや彼女? わかんないですけど、ほんっとにすっごくって。ファンに偉いも偉くないもないと私は思っているんですけど、クッキー星人さんからしたら、古参が一番偉いみたいで。荒らし屋、なんて言われてました。私、ネットではオレンジ中毒☆タケル☆っていう名前で、写真とか、そういうのを投稿しているんです。ミカンたその私服、というかセンスが大好きで、よく真似して同じものを買ったりして投稿するんですけど、そういう行為も、”ミカンが汚れるからやめろ”ってクッキー星人さんにすっごく攻撃されて。でも、個人の自由じゃん、と思って無視し続けてます。私って、少し他の人よりガタイがいいから、華奢なミカンたそと同じ服が似合うことは少ないんですけど、それでもおしゃれだから。ミカンたそ」

 そう言われて、遠州とムムは気づいた。確かにミカンのグッズが置かれている棚には、グッズだけではなく服や鞄などが置かれているが、生成には少し、いやかなり小さそうなものばかりであった。ムムは慣れていない手つきでケータイを触る。”オレンジ中毒☆タケル☆”と検索すると出てくるその投稿主の画像には、確かに生成が自身の容姿のすべてを隠し、目元だけが載せてあった。

「憧れなんですね。彼女が」
「勿論です。ミカンたそになれたら、ってそう思ったことがあって、何度かミカンたそが着ていた衣装と同じドレスを買って、ライブをしたこととかもあります。あっ、勿論ビタミン中毒の仲間たちと一緒に悪ふざけでやってたことですよ? 私がミカンたそになれるわけないですし」

「それってもしかしてミカンさんがアイドルを急にやめてしまわれたからですか?」

「そうなんです! ミカンたそ私たちに何も言わないでやめちゃって、それがすっごく悲しくて、あのライブを忘れられなくて。再現しようってことになったんですけどファンの中でも女性ってあんまりいないんですよね。だからって、皆に懇願されちゃって」
「じゃあしょうがなくって感じなんですね」

「ほんとにそうですね。しょうがなくです。でもやっぱりビタミン中毒のみんなは優しくって。私なんかミカンたその足元にも及ばないのに手放しで喜んでくれて。それが嬉しくて、嬉しくて。ミカンたその真似をして何度も何度もライブをしました。写真会とか、握手会とか、とりあえずミカンたそがしていたように私もしたのです。そのために、ミカンたそが行っていたライブの映像なんかをお手本にして。今ではアイドルの私を応援してくれる、なんて言ってくれる方もいて。恐れ多いです」


 生成の口が閉じるのを見て、遠州は切り出した。「しかし、何か心当たりはありませんか? 私たちもミカンさんの無念を晴らしてあげたいんです」

 生成は考えるようにして天を仰いだ。首があるのかないのか、埋もれてしまって判別もできないその人体の仕組みに不思議に思いながらも、遠州はそのことで生成に対して口を開くことはしなかった。容姿に対することを、指摘してはならない。ましてや赤の他人ならなおさらだ。これは遠州の友人が教えてくれたことでもある。

「えぇ、っと、でも、うーんそうですね。私の周りにはミカンたそのこと嫌いな人も、過激に好きな人もいないかと思います……。みんなミカンたそのこと大好きで……今ではもういなくなっちゃいましたけど今でもきっと復帰を願っていると思います」
「でも貴女は?」今まで沈黙を徹底していたムムがふと、呟いた。生成は首をかしげる。

「どういうこと、です?」
「貴女はミカンさんの復帰を願ってますか? 本当に?」

 ムムの言葉にはかなりの棘があった。遠州は、今度は止めようとはせず、じっとムムの方を見る。彼女の探偵としての才能を感じたことなどないが、ムムには人を思い通りに操るという面においては、彼女の右に出る者はいない。それこそ、彼女の才能と言ってもいい。

 ムムはとても悲しそうに、悲劇的な口ぶりで生成を見た。生成は何かに怯えるようにムムの目を決して見ようとはしない。
「ミカンさんは私の目から見てもかなり容姿が整っています。たくさんいらっしゃるファンの中には顔がいいからとミカンさんを応援する人たちも少なくないでしょう。そう、この世は容姿が時に人の評判を決定してしまう。この私ですらそういった経験があります」

 ムムの言葉に生成は思い出した。就職活動に失敗し、路頭に迷っていたときも、アルバイトの面接に行って落とされたときも、生成はずっと思っていた。自身の容姿のせいなのだと。そしてこんな顔で産んだ両親を憎んだ。どうもならないと知りながら、それでも呪ったのだ。

「ミカンさんというアイドルにはまった理由は先ほどおっしゃったように、気分を上げてくれる存在だったからでしょう。憧れもありましたか? まぁ、些細な違いです。そしてミカンさんが急にアイドルをやめてから、貴女は気づいた。自身は、かつて憎んでいた見た目が良ければいいという価値観に飲まれてしまっていたのだと」

 ミカンたそが好きなのだ。その気持ちは変わらない。しかし、周りのせいで知ってしまった。ミカンたそを好きでいることすら、否定されるということを。

 なぜ?

 デブがアイドルを好きになってはいけないのだろうか? アイドルと同じものを着て、同じものを身に着けるのが好きだった。ライブ会場でミカンたそを応援するのが好きだった。少し小悪魔だが、本当は優しいミカンたそが好きだった。でも、でも? ミカンたそが妬ましい。可愛く生まれた彼女がうらやましい。自分勝手なことを言っても許される彼女がうらやましい。うらやましい。

「ミカンさんを好きな自分。容姿のせいで嫌な思いをした自分。全部生成さんです。そんな生成さんはミカンさん引退後に、自分の輝ける場所を見つけた。ミカンさんの代わりという立場ではあるものの、周りは生成さんを応援してくれているように行動してくれる。勘違いなのだろうか? いや、これは私の人気だ。ミカンさんの人気じゃない。私が認められたのだ。私が、可愛いから」

 生成自身、努力したのだ。痩せようとか、容姿が醜いのであればせめて心だけでも優しくあろうとか、そういうことを。しかしダイエットは成功しないし、優しさで寄付してみたものの集金しに来るようになっただけだし、ろくなことにはならなかった。つまり結果は出なかった。「でも、私は……っ」

 生成が何かを言う前に、ムムは優しく生成の手を握った。もちもちとした手。醜いと、そういわれ続けた私の唯一の居場所。それを誰かに取られたくない。許せない。ムムは生成のそういった黒い感情を全部包み込む。優しく。それでいて厳しく。誰に教えられたものでもないが、ムムにはそういった対応が染みついていた。


「憎んでいると言うと違いますよね、分かっています。貴女は羨ましかっただけだ。ミカンさんのことが。嫌い? いいえ、ちゃんとファンとしての愛情があったことは分かります。しかし貴女には、それだけでは言い表すことのできない感情がいくつもあるはずなんです。最初にミカンさんの訃報を聞いたときの貴女の涙は本物だ。私が証人です。だからどうか本心をお聞かせください。それがミカンさんの無念を晴らすための、私たちに残された道です」


 空気がしんとした。ムムの言葉には、棘と、それから優しさがあった。遠州からすれば、本心を聞きたいがための優しさであるが、生成にはそんなこと分かりはしない。生成はぽつぽつと語った。ムムの後押しに促されるように。

「ミカンたそ、に、嫉妬してました、私。ミカンたそは誰が見ても可愛くて、それで……だから、少し意地悪な性格でも許される。ビタミン中毒の間でも、”ミカンちゃん可愛い”と、そんな言葉はたくさん見てきました。だからこそ、悲しかった。可愛くない私にとって、可愛いミカンたそが褒められるというのは、その、可愛くない私を否定されるものと同じだったから。つらくて、寂しくて。実は何か月か、ビタミン中毒としての活動をおやすみしていた時期があったんです。可愛いミカンたそを見るだけで、どうしようもなく、悲しくなってしまうのが嫌だった。ミカンたそが悪くないのなんてわかっているんです、それでも、可愛いだけで得をしてきたミカンたそが嫌でした。それがある日」

 生成は大きく息を吐いた。当時の気持ちを思い出したのだ。

「ミカンたそがアイドルとしての活動を停止すると言い出したのです。そりゃ、勿論ですけど、ビタミン中毒のみんなは悲しみました。当たり前です。彼らにとっての光が、彼女だったんですから。私は……彼らを、そして、ミカンたそを、利用しました。自分が、可愛くない私が、認められたくて。ミカンたその私物を特定し、買いあさり、身に着けて。ミカンたそになりきりました。そうしたら、そうしたら彼らは私を、”可愛い”と言ったんです。一度も言われたことなんかなかったけど、彼らは私に何度も言ってくれました。それが、ミカンたそに向けての言葉だって、確かに分かってはいたんですけど、でも、嬉しくて。何度もライブしました。何度も、何度も。可愛いって言われたかったから」

 ムムは優しそうな顔で、生成に問う。
「だから、ミカンさんの復帰を願えなかった?」
「……はい。ミカンたそが復帰さえしなければ、私はミカンたそが作ったこの場所で、輝き続けることができる。それが、どんなに許されないことだとしても。願ってしまいました。このままがいいって」

「願うだけなら罪じゃない」

 遠州は言った。同情ではなく、本心だった。誰しも願うのだ。出来もしない理想を。そして願いを行動に移せるものこそが天才と呼ばれるのだ。

「ミカンさんを、アイドル活動停止してから見かけたことは?」
「あっ、ありません。人に会うのが怖くて普段から外に出ないので……」
「大丈夫ですよ、彼もそれから私も、貴女を犯人と決めてかかっているわけではありません。さっきも言ったでしょう? ミカンさんのために、真実を知りたいのです」
 生成は頷いた。今の生成には心の底からそう願うことができたからだ。

「生成さんのお仕事は?」
「アルバイトで賄っています……フリーターみたいなものです。何個か掛け持ちして、それでどうにかしています。賄いを出してくれるところもあるので、食費はあまり気にせずに、家賃や光熱費、アイドル活動に必要な衣装代とかに充てています」「大変でしょうね。ちなみにどんな?」
「三つしているのですが、そのうち二つが農場でのアルバイトです。もう一つのアルバイトも農場近くのレストランでのアルバイトなので……あっ! 接客とかしているわけではないんです。裏方の仕事を全般的にしているだけなので……前日の夜までに仕込みをしなければならないものとか、そういった感じの仕事内容です」

「もしかして、昨日の夜にもそのアルバイトをされました?」ムムはふと聞いた。「あ、いえ、間違ってなければ、先ほど洗面所にエプロンらしきものがかかっていたのが見えたので」
「そうですそうです! なんでも畑でとれたかぼちゃを使ったスープを新しくメニューに追加するらしくて。その仕込みをしていました。結局、店に一泊するはめになっちゃいましたけど」

 生成への質問はほどほどに、遠州は立ち上がった。「ではそろそろ」

「今度そのお店に伺いますよ。近いうちに」
「えっ、は、はい! ぜひ来てください!」
 生成は笑った。申し分ないほどの笑顔だった。





「何がミカンさんの無念を晴らすためだ。嘘つきめ」「なんで? 結果的にそうなるだろ」
 生成の家を出てすぐに遠州はムムへ暴言を吐いた。

「偽善でも、善は善とか言うなよ、お前」
「なにそれ。言わないよ。偽善は偽善だ」
 ムムは微笑むと、生成に対する自分なりの分析を遠州に打ち明けた。

「生成さんはミカンさんに対して、嫉妬心を持っていた。これはきっと立派な動機だ。街中で相も変わらず容姿が整ったミカンさんを見かけたら、不安に駆られるだろう。今の居場所を取られたくない。その一心で殺人を犯してしまうことだって十分にあり得る。つまり生成さんも、根岸さんと同じく、容疑者の一人ってわけだ」

「なんでこうも動機がある奴らばかりなんだ?」

「願うだけなら、罪じゃないからさ」
 ムムは先ほどの遠州の言葉を復唱した。
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