心と口と行いのなかで

南河 紅狼

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三章 寒空のした

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 温かいシャワーを浴び、ふわふわのタオルで体をくるんだまま部屋に戻ると、大きなソファに座ったエヴァンが、真っ赤なワインを煽っていた。
 ビーシュがまともに酒を飲めないのはもう知っているので、エヴァンは無理に勧めてこようとはしない。
 一緒にグラスを傾けられないのは心苦しいところはあるが、飲めないからといって気分を害したりしないエヴァンの紳士的な対応はありがたい。
「あの、エヴァン様。すみません、放ったつもりはないのですが」
「気にしないで良い、すこし意地悪をしてみたくなっただけだからね。濃厚な夜をともに過ごしてはいるが、俺たちは恋人同士でもない。君は娼婦ではなく、俺も客ではない。互いに自由に過ごす権利ある。かまわないよ」
 エヴァンが薄いグラスを回すと、室内にかぐわしい香りが広がった。
 エヴァンの存在は、どこか浮き世離れしている。
「それで、サファイアはもういらないのかい?」
「はい、その……申し訳、ないです」
 グラスに残ったワインを飲み干し、立ち上がったエヴァンはゆっくりとビーシュに歩み寄ってくる。
 石鹸と混じる甘い香水の匂い。
 ワインの芳醇な香りも混じり、視界がくらくらと眩んで息が荒くなる。
 ごくり、と鳴る喉に、ビーシュは体を包むタオルをぎゅっと握りしめた。
「俺との関係を、終わりにしたいって考えたほうがいいのだろうかな?」
 残念だが。そうつぶやいて、頬に伸びてくる手が、ビーシュを誘うよう唇をもまさぐってくる。
 じり、っと腰がしびれる。
 いつも、意思よりも先に体が動き出す。恥ずかしくてたまらないが、どうしようもない。
 知ってか知らずか、エヴァンはビーシュからタオルをはがし、しっとりと濡れた素肌に手を這わせてゆく。
「それとも、取引ではなく本当に付き合いたくなったのかな?」
 わからない。
 けれど、違うとも言い切れない。
 ゆるゆると首を振ってみせるが、興奮に頭をもたげたものを隠せない。
「俺は、どちらでもかまわないが。できるなら、一緒に故郷まで来て欲しいと思うよ」
「どうして、ぼく……なんですか?」
 ぜえぜえと息を切らすビーシュを宥めるよう頭を撫で、エヴァンは逃げようとする腰を抱き寄せた。
 上質な布でこすりあげられると、先端に滲む先走りがエヴァンの下肢を汚す。
「君をみていると、放っておけない。上質なワインを見たときのように、誰にも渡さず自分だけで飲み干したくなるときと同じように、魅せられてしまうんだ」
 質の良い服にこびりつく欲の証に、ビーシュは眉を寄せて顔を赤くした。
「ぼくは、エヴァン様が言うほどの価値なんて、すこしもありません」
 恐れ多い。
 首を振るビーシュに、エヴァンは「やれやれ」と苦笑を零して、大きな手を堅くなり始めたビーシュのペニスに絡めた。軽くしごかれ、艶めいた声が上がる。
「ほんとうかな? 過小評価しすぎだよ、ビーシュ」
「んっ、ふ……ぁ」
 びくん、びくんと背中が震え。濃い先走りがエヴァンの手を白く汚してゆく。
「今後、お金を出して男を買う生活はやめたほうがいいよ、ビーシュ。そんなことをしなくとも、君はじゅうぶんに魅力的だよ」
 すっと、離れたエヴァンは、視線で寝室を指した。
「体を洗ってくる。俺と夜を楽しみたいのなら、そのまま、ベッドで待っているんだ」
 ビーシュは熱に浮かされた体をもてあましつつ、こくん、と頷いた。
 このまま服を着て部屋を出て行っても、エヴァンは怒りはしないだろう。
 ワインを飲みながら本の続きを読むか、街に出て違う男を引っかけるかもしれない。
(自由な人だ)
 シャワー室に入ってゆくエヴァンを見送り、ビーシュは寝室に入った。
 ふかふかのベッドとシーツの間に滑り込むと、貴族の家で飼われている猫になった気分になる。
 シルクの肌触りは、相変わらず上質だ。
 扉を一枚挟んで聞こえてくる水音を聞きながら、ビーシュは寝室をぼんやりと照らす淡い色の照明を見やる。
 朧月のような、幻想的な明かりはささくれだった胸中をやんわりと包んでくれた。
 エヴァンは、いつまで帝都にいるのだろう。サファイアの取引を反故にしても、エヴァンは夜をともにしてくれそうではある。
(あぁ、何をしているんだろう。……ぼくは)
 男に抱かれるために、夜の街に出た。
 体のほうは乗り気なのに、気持ちはどんよりと曇っている。
 今ここでエヴァンに抱かれるのも、バーで買った行きずりの男に抱かれるのも同じだ。目的は達しているはずだ。
 だというのに、どうして胸は晴れないのか。
 快楽は、すべての嫌な事柄を全部埋めてくれるものであったはずなのに。今は、すこし億劫だ。
 いつの間にかシャワーの水音が止まっていて、空気に少し湿ったものが混じる。エヴァンが出てきたのだろうか。
 息を殺して、ビーシュは分厚い絨毯に隠される足音を探す。
 さくり、さくりと寝室に向かって近づく音。あと一歩、ドアノブに手が掛かるだろう位置で呼び鈴が鳴った。
「誰だろうね。少し、待っていてくれるかな?」
 ドアの向こうから掛かる声に、ビーシュは「はい」と頷いた。
 タオルではなくシーツを頭からかぶってベッドをそっと降りて、ドアの前でしゃがみ込む。
 少しばかりドアを開け様子をうかがったビーシュは、エヴァンと対峙する青年の顔を見て声を上げそうになった。
 ニルフ・アーカムだ。
 貴族らしい整った顔立ち、いつも怒りをたたえているような若者らしい強い視線を、エヴァンに向けている。
 一瞬、ビーシュを追って来たのかとも思ったが、違うだろう。
 椅子の背にかけたままの上着にねじ込んだ手切れ金で、すべて事を済ませた気になっているはずだ。エヴァンに用があってきたのだろう。
「盗み聞きなんて、行儀が悪いよね」
 上層階級同士の、積もる話があるのかもしれない。貧乏人より少し毛の生えたような身分には、なんら関係ないだろう。
「君は、たしかデニス・アーカムの息子さんだね。恐ろしい顔をして、いったい俺に何の用があったきたのかい?」
「メルビスの宝飾品と、エーギル・バロウズという商人についてご存じのことをお聞かせ願いたい」
 気付かれないようにそっと立ち上がろうとして、ビーシュは聞き知った名前に振り返った。
「メルビス? メルビス・ハヌマー?」
 吐息を零す程度の声だったが、ちら、とエヴァンが振り返った。
偶然ではなく、しっかりと絡み合った視線に、ビーシュはへたりと腰を抜かした。
 睦言を操るエヴァンとは全く違う、凍るような冷たい視線だった。
「よろしいでしょう?」
 ニルフは寝室にいるビーシュの存在にも、ビーシュを振り返ったエヴァンの仕草にも気付いていないようで、声だけを荒げている。
「どうしたんだね、血相を変えて。ほかのお客に、迷惑が掛かってはいけない。本来ならば場所を変えるところだが、あいにくと服を身につけていなくてね。ガウン一枚では出歩けない。不本意ではあるが、まあ、部屋に入り給え。話だけなら聞いてあげよう」
 丁寧な返答でいて、はっきりと迷惑だと告げるエヴァンに、ニルフは遠慮のかけらもなく息巻きながら部屋に入った。
「話は聞いてあげるが、手短に頼むよ。この格好を見ればさすがにわかるだろうが、寝室に人を待たせているのでね」
 ちら、と視線を向けてくるエヴァンに、ビーシュは胸を押さえてシーツをかぶった。あり得ないとはいえ、もしもニルフが寝室に乗り込んできたらと思うと気が気でない。
 ののしられるのも、勢い余って殺されるのも御免被りたい。
「え、ええ。ご迷惑をおかけするつもりはありません。ロナード様は父の大切なご友人でございますから」
 さすがに、エヴァンの察するところを理解できたか、ニルフは顔を赤らめた。
 意外と初心な反応に、エヴァンの表情が少しばかり柔らかくなった。
 場の空気の緊張が少し緩み、ビーシュはニルフと一緒になってため息をついていた。
「これは、秘密のお話なのですが……じつはロナード様にお見せしたティアラが何者かに盗まれたのです」
「……俺を疑っているのかね? わざわざ盗まなくとも、式が終われば金次第で手に入れられるのに? 懐の狭い男と思われるのは、心外だな」
 エヴァンはソファーに座り、グラスに新しくワインを注いだ。
「いえ、決してそのような。ただ、父がメルビスのティアラを買い求めたのを知るのは、ごく一部の人間だけ。盗まれたものは、ティアラ一つ。宝物庫にはほかにも価値のある装飾品があったにもかかわらず。ただの物取りとは思えません。何らかの意図を感じるのです」
「脅迫状でも届いたのかね?」
 まともに取り合う気のないエヴァンに屈することなく、ニルフは続けた。「姉、エリスの結婚も控えているなか、弟として、誰が何のために盗んだのかはっきりとさせたいのです」
「エリス嬢に、何らかの危害が与えられるかもしれないと?」
 ニルフは大きく頷いた。
「もしくは、レオンさん……いえ、レオンハルトのほうかもしれません。今日、彼の周りをうろつく怪しい男を見ました」
 確信的な物言いのニルフに、ビーシュは眉根を寄せて、ずれた眼鏡の位置を直した。
(……ぼくのことか)
 冤罪だと飛び出してゆきたいが、あいにく、衣服はエヴァンとニルフが対峙しているリビングにある。
「ロナード様は、メルビスの作品をお集めになっていらっしゃる。なにか、心当たりはございませんか? 怪盗めいた格好の盗人です。ご存じではありませんか?」
「さて、知らないね」
 エヴァンの即答に、ニルフの顔が不満げにゆがんだ。
「すこし、落ち着きたまえ。姉君への思いはとても素晴らしいが、犯人を探る行動は、家長であるデニスの判断かな? あまり、ことを荒げないほうがいいように思えるが?」
 乱暴に言ってしまえば、被害はティアラだけだ。損害を考えれば大きいとはいえない。
「これは、自分の独断での行動になります。お叱りは後々、必ず受けるつもりでおります」
「他家の騒動に、俺を巻き込まないでいただきたい。代わりのティアラの都合はつけられても、怪盗を捕まえる手助けはできないよ」
 するすると喉に消えてゆくワインのように流され、ニルフは激高に頬を赤くさせた。
 貴族のニルフにとって、エヴァンは地方の富豪だ。頭を下げられても、下げる方ではない。
「バロウズ商人の居場所、ご存じではありませんか?」
 爆発しそうな怒りをすんでの所で耐え、ニルフは押し殺した声で問う。
「知らない。が、取引の約束はしている。足を棒にしてもなかなか手に入れられないメルビスの作品をおどろくほどたくさん仕入れているようだ」
「ぜひ、同席させていただきたい」
 エヴァンは首を振って、空になったグラスを乱暴に置いた。
「バロウズに、君が会いたがっていたと伝えておこう。それで、満足していただけないかな? 盗まれたのはティアラだけ、脅迫も無い。メルビス作に固執する理由がないのなら、すっぱり忘れてもっと価値のあるティアラで飾って差し上げればいい」
 すっと立ち上がったエヴァンは、無言のままドアを開けた。
「……言付け、必ずお願いいたします」
 出て行けと促され、食いつこうと口を開くニルフだったが、エヴァンの迫力に負け、すごすごと部屋を出て行った。



 靴音が消えてから一拍おいて、エヴァンが寝室に入ってきた。
「待たせてしまったね」
 盗み聞きを叱るわけでもなく、雰囲気すら別人のように変化させ、ベッドに腰掛けたエヴァンは、ビーシュをシーツごと抱き寄せた。
「メルビス・ハヌマーを知っているんだね?」
 どことなく嬉しそうな声音に、ビーシュはどうしたものかと視線を彷徨わせ……口を開いた。
「祖父です。まさか、エヴァン様みたいな目利きなお方が祖父の作品を集めているだなんて」
 ビーシュがつかうスフォンフィール姓は、父方のものだ。
 何を言っても余裕綽々といったエヴァンの顔が、驚きにゆがんだ。
「なるほど、だから俺は君が気になって仕方が無かったんだね」
 さらにぎゅっと、逃げ出せないくらいに抱きしめられる。
 シーツ一枚のビーシュと同じく、エヴァンもガウンを脱げば年齢を感じさせない立派な裸体が現れる。
 意識しないようにつとめても、ぴったりと体を寄せ合っていれば自然と息が荒くなる。ビーシュはエヴァンから離れようと身じろぐが、余計に強く抱き寄せられてしまった。
「どうして、メルビスの作品を買い求めていらっしゃるんですか? その、ぼくが言うのもなんですが、貴族の方々が取引するような、高額な値段をつけられるような代物ではない……でしょう?」
 口にして、まずかったかとビーシュはうつむいた。
 人の価値観は、千差万別だ。
 エヴァンの審美眼が狂っていると言いたいわけでないが、馬鹿にされたと思われるかもしれない発言だった。
「そう、そのとおりだビーシュ」
 ビーシュの危惧をよそに、エヴァンは機嫌良く頷いた。
「メルビスの作品は美しく細密であるが、一級品とは言いがたい。俺を前にして、手放しでメルビスを評価しなかったのは、君が初めてだ」
 エヴァンはビーシュの肩をするっと撫で、ベッドから立ち上がった。
 ベッドサイドにある棚を開き、鍵の掛かった引き出しを開け、小さな箱を取り出して戻ってくる。
「メルビス作の、首飾りだ。エーギル・バロウズという名の商人から買い付けた」
 差し出される箱に、少し迷ったものの受け取り、見た目よりも重い感触に驚きながら、膝の上に置いた。
「エーギル・バロウズ。その商人とは、まだ取引をするんですね?」
 はっきりとは言えないが、商人はエヴァンの足下を見ているように思えた。
「ただの宝飾を高値で買い取るエヴァン・ロナードという酔狂な富豪の財布を目当てに寄ってきた小汚い商人の一人だ。もう二度と会いたくなかったが、会わねばならない理由がある。先方が言うには、ほかにもメルビスの作品を持っているという話でね」
「どうして、エヴァン様はおじいちゃんの作品をお買いに?」
 祖父、メルビスは手先が器用だったが、あくまで本業は装具技師だ。
 美術品としての価値は無いとまではいわないが、さほど高くはないはずだ。
「父の影響だよ。俺の父は芸術には疎いが、愛したものを愛するのがとても得意でね。メルビスの作品を購入するたび、女を口説くようにどこがいいだのとあそこがいいだのと、熱心に語っていた」
 箱を支えるビーシュの手の上に手を重ね、エヴァンは声を熱くさせてゆく。
「あまりにも熱心に語るものだから、いつしか俺の中に、メルビスへの強い恋心が生まれていた。似合わないと笑うかもしれないが、偉大な芸術家が生み出した高価な美術品でもなければ、宝石でもなく。名の知れぬ作家の、すこしいびつな作品に心を奪われてしまったんだ」
 メルビスの作品は、酔狂な富豪の気を惹くべく高値で取引されるようになり、芸術品のように扱われるようになった。
 おそらく、祖父は自分の手から離れた作品がまさか宝物のように扱われているとは思ってもみなかったろう。
 喜ぶのか、迷惑ぶるのかは、ビーシュにもわからなかったが。
「エヴァン様は、おじいちゃんに会ったことがあるのですか?」
「いいや。けれど、君がメルビスに連なる者であると俺にはちゃんとわかるよ」
 エヴァンの右手が、箱の錠を開けた。
 二枚貝のようにぱくっと開いた蓋の隙間から、きらきらと瞬く光が覗く。
「ビーシュ。君はある意味、メルビスの作品だ。俺の心を惹きつけてやまない芸術品なんだよ」
 体を撫でる手が、官能の火をともそうと怪しくうごめく。
 びくん、びくんと素直に反応を示す体を笑われ、羞恥心にビーシュは唇を噛んだ。
 違うと、思っていた。
 優しい人なのだと、思っていた。
(同じだ。エヴァンさんは……同じだった)
 ビーシュを何かの代用品にしてむさぼる男たちとエヴァンは、本質的には同類だ。
「ん、あっ……うぁ、え、えう゛ぁん、さま」
「今日は、いつもよりも素直だ」
 いったん火がつけば止められない官能の火に、体が溶けだす。
 行きずりの男とさほど変わらないのならば、心配するものなどなにもない。不安は消え、迷っていたぶん安心感が強まった。
 緊張のほぐれた体は、貪欲に快楽を求めてゆく。おぼれるように、逃げるように。
「さあ、一緒に見よう。メルビスの首飾りは、一番好きな作品でね」
 震えるビーシュの代わりに、エヴァンが箱の蓋を持ち上げた。
 クリスタル。
 ダイヤモンド。
 ルビー。
 銀細工が眩しい首飾りが、箱の中でぎらぎらと輝いていた。
「美しいだろう、ビーシュ」
 ふわふわと溶け出した思考の中で頷こうとしたビーシュは、首飾りをじっと見つめ、首を横に振った
「こ、これ……おじいちゃんの作品じゃ、ない」
 エヴァンの表情が曇る。
「まさか、ありえない。この私が、確認したのだよ、ビーシュ」
 声に怒りの色が滲み、肩の肉に爪が食い込むほど強く掴まれる。
 このまま、肉を引きちぎられてしまいそうな痛烈な痛みに快感は吹き飛び、苦痛に視界が明滅する。
 人が変わったようなエヴァンの激高に、ビーシュは呻きながらも首を振った。
「とても精巧な、ほ、本物よりもずっと精巧な……偽物、です」
 本物よりも美しく、形作られた首飾り。
 メルビスのようでいて、その本来のいびつな部分をすべて作り直した、ある意味挑戦的な偽物だ。
「は、はな……して、痛い」
 震える手を伸ばし、肩をつかむエヴァンの手に重ねる。
「すまないね、ビーシュ。怪我をさせてしまった。らしくない姿をみせてしまった。恥ずかしいよ」
 エヴァンが手を離すと、白い肌を血の筋がするりと垂れていった。
「まずは、手当をしないといけないな」
「――いえ、これくらい放っておいても大丈夫です」
「舐めれば治るのかな?」
 腰を上げかけたエヴァンは、そのまま振り返ってビーシュをベッドに押し倒した。
「あっ!」押し倒された拍子に手から離れた箱が、ベッドの上を転がり、首飾りが放り出される。
「本当に、これは偽物なのかね?」
 低い声が鼓膜を揺さぶり、肩に鈍い痛みが走る。
 視線だけを動かしてみれば、肩口の怪我にエヴァンが舌を伸ばし、うっすらと流れる血を舐め取っていた。
「んっ、に、偽物です」
 嘘をつけば、このままのど笛をかみ切られそうな迫力だ。
 快楽と恐怖がない交ぜになって震え出す体を、エヴァンが慰めるように抱きしめてくる。
「なるほど、俺はあの商人にしてやられたというわけか」
 肌に吸い付いてくる唇が、肩から首元、首元から胸へと移動してくる。ぴったりと重なった腰がビーシュを愛撫するよう動き始める。
 どうやら、このまま抱く気らしい。
「ぼくの言うことを、信じてくださるのですか?」
「君の目は、俺以上に確かだよ。君が持つあの、小さなサファイア。たしかに、俺の持つものより等級は低いが、とても良い石だ。君はよりよいものを見極めできる。信じるに値する目を持っていると思っているよ」
 あちこちにキスの華を散らし、顔を上げたエヴァンは「だからこそ、側に置きたい」と耳元に口を寄せてささやいた。
「俺よりもいい男ができたというのなら、君の気が変わるまで愛してあげよう。形だけの取引は、もうやめにしないかね、ビーシュ」
 ぐっと、強引に開かれた足の内側には、レオンハルトがつけた情事の証が残っていた。
 エヴァンは一つ残らず、上から塗りつぶすように肌を吸い上げ、歯を立ててゆく。
 敏感な場所への強い刺激に、びくびくと震える様を至近距離で見つめられ、羞恥心に顔が熱くなる。
「忘れさせてあげよう。忘れるために、俺のところに来たんだろう?」
 いつも以上に快楽に溺れる体は、エヴァンの言葉を肯定しているようなものだ。
 性急なエヴァンの愛撫にもだえながら、ビーシュはシーツに埋もれる首飾りを見た。
(ぼくは、これを知っているような気がする)
 本物以上の贋作。
 まるで作者の存在を誇示するような、そんな意思さえ感じた。やろうと思えばいびつな部分さえ再現できたはずなのに。
 繋がりかけた思考は、すぐに体を揺さぶる強い力によってばらばらに散っていった。
「あっ、ん、んんっ、え、えう゛ぁん……さ、まっ」
「まいったな、こんなにも夢中になるとは思ってもみなかった」
 昨晩、レオンハルトがむさぼっていた場所を、エヴァンが一つも残さない勢いで、ことごとく蹂躙してゆく。
「君を楽しませた男に、年甲斐も無く嫉妬しているよ」
 自虐的に笑うエヴァンに、ビーシュはぞくぞくと背中を反らし、感じ入る。
 行きずりの男とエヴァンは同じだが、少し違う。
 何かの代用品ではあっても、強く求められる心地よさは比べものにもならない。
「できるのならば、君を俺のものにしたい」
 ともに来いと誘うエヴァンに頷いてしまいそうで、ビーシュはゆるゆると首を振って、返答の代わりに嬌声を上げ続けた。
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