悠久の城

蓬屋 月餅

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悠久の始まりの物語

5「ケーキのように、それ以上に」前編

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「いや…だからってこんなに堂々と報告をしに来るかね、俺に。本当に君達は2人共『誠実さの塊』だな」

 玖一からの告白によって正式に付き合いを始めた玖一と律悠。
 彼らは律悠が仕事で事務所を訪れた日に、2人揃って事務所の代表である古平へと自分達が交際を始めたことを報告していた。
 こうして報告する義務などはない以上むしろ交際の件については内密にしておくべきなのだろうが、しかしこの代表は2人を引き合わせてくれた恩人であり、普段から良くしてもらっている間柄でもあるということで、2人はどうしてもきちんと挨拶をしておきたかったのである。
 それに律悠としては代表に対して誠実になることで『自分が付き合ったからといって玖一の“仕事”に影響を及ぼすことはない』という意思を伝えてたいという意図もあった。
 代表はまさに玖一の“仕事”についてを気にしていたようだったが、律悠は「僕は彼の仕事に口を出したりはしません」とはっきりと伝える。

「月ヶ瀬君には今まで通りでいてもらって良いんです。むしろ僕の方が月ヶ瀬君と付き合いたいと思いながらもそういう事情から許してはもらえないだろうと半ば諦めていたので…恋人になることを許してもらえるだけで充分ありがたくて」
「加賀谷さん…」

 気恥ずかしそうにしながらも顔を合わせて微笑みを交わす2人の初々しい甘さを目の当たりにした代表は「なんだよ、見せつけてくれちゃって」と困ったように小さく笑った。

「まぁ、いいよ。2人がそれでいいなら俺は少なくとも事務所の代表としては目を瞑るさ。普通に自分の知り合い2人がこうして付き合うことになったっていうのは俺も嬉しいからな」
「ありがとうございます」
「まったくもう、かしこまって何の話かと思ったら…まさか交際報告とはね。2人がそんな仲になってただなんてちっとも知らなかったよ。きっかけは俺がバーで引き合わせたからだって?そういうことをきっかけに付き合うことになったって話はまぁまぁ聞くけど、でも本当にあるんだなぁ」

 代表に友人としてあらためて交際を喜ばれたことで、玖一と律悠はより一層『恋人同士』という自分達の関係のステータスを尊く大切に思うようになったのだった。


ーーーーーー


 連絡の頻度や会話の内容、テンポ、笑いのツボなどがよくよく似ている彼らの付き合いはとても順調で、特に衝突するようなこともなく穏やかないい雰囲気で毎日が重ねられていく。
 メッセージを送り合ったり電話したり、直接会って食事やお茶をして話したり。
 2人で過ごす時間はどんなものであったとしても とても楽しくてさらに次が恋しくなるほどだ。
 まさに文字通り健全で素晴らしい関係である。
 しかしそんな中でも律悠には1つ強く不満に思っていることがあって、それは日に日に、そして『恋人同士になれて本当に良かった』と思う分際限なく蓄積していっていたのだった。
 彼が抱いている不満…それは自分達の関係があまりにもということだった。
 そう、あまりにも健全で清らかで、純粋だったのだ。
 つまり一切にならなかったのである。
 玖一から昼食を一緒に食べないかと誘われたときは(さすがにこの時間からは…そうはならないか…)と思った律悠だが、しかし夕食に誘われたときは自ら意気揚々と自宅で準備をしていくほど期待したものだ。
 ところが玖一はいつも食事が終わるなり「すごく美味しかったし、楽しかったですね!帰ったらまた連絡します!」「お仕事、忙しいんですよね?体には気をつけてくださいね、加賀谷さん!」と声を弾ませて解散を告げるばかりで指1本触れようとすらしなかったのだった。
 てっきりそのままラブホテルにでも行くとばかり思っていた律悠が唖然として、がっかりしたのは言うまでもない。
 そして初めはそれについてそわそわと期待を寄せていた律悠も、ついには1人頭を抱えて悩むほどにまでなった。

(いや…付き合ってるのにを…セックスをしないなんて、そんなことがあるか…!?)

 1人で悶々と考え込む律悠。
 このような清いお付き合いというものをしたことがなかった彼にとってはとても衝撃的なことだった。
 律悠は過去に彼氏がいたこともあったのだが、その彼氏とは元々 所謂『お友達』として遊んでいた関係からなんとなく恋人として付き合いを始めたという経緯を辿っていたので特に恋愛感情だとかいうものもなく、まぁ、恋人とはいえどもはっきり言って性行為ありきの清らかさとはかけ離れた付き合い方をしていたのだ。
 それに、実のところ彼はそこそこ経験人数が多い男だった。
 真面目な見た目と性格をしているのでそうは思われないだろうが、なんとワンナイトもお手のもので、大学時代には税理士免許取得のための想像もつかないほど厳しい猛勉強が終わった後から就職するまでの期間に毎日違う相手とのワンナイトを5日繰り返したことさえある。
 彼の容姿や纏っている雰囲気はまさに『美人』という2字の通りのものであり、その手のバーに行って1杯飲んでさえいればいくらでも声が掛かってきたので相手探しに苦労することなどは一切なかった。
 さすがに当時のことは『若さに任せて無茶なことをしたよな』と思っているものの、とにかく彼にはそれくらい少々奔放なところがあったわけだ。
 就職していた税理士事務所を辞めて独立することを決めたのだって、あまりにも忙しすぎて自分の時間が取れず随分そうしたことからご無沙汰になり、将来結婚して妻子を養うつもりがあるならともかくとしても『子供を育てるわけでもなし贅沢がしたいわけでもなし、ただそこそこの生活がしたいだけなのにこんなにあくせくと仕事をし続けているのはなんだか違う気がする』と感じたのが理由の1つだった。
 前の彼氏とは特に恋愛感情があったわけでもないので別れても寂しく思うことはなかったが、独立に関するあれこれが一段落ついてきたら彼は“そういった方面”でも毎日を充実させるつもりでいたのだ。

 …とはいえ、彼の貞操観念は狂っているというわけではない。
 たしかに彼はこれまでに数多くの夜を様々な相手と共に過ごしてきたが、それらは相手が“男だからこそ”であり、行為に伴う様々なことは基本的にすべて自己責任であると認識していたためで、もし仮に女性が相手だったとすればそれこそ性行為そのものが本来は生殖のための行為であるという以上もっと慎重になるべきだと理解していた。そのためこのように奔放になることはなかっただろう。(彼は女性にさして興味を抱いたことがないのでどちらにせよそのような未来はなかっただろうが)
 それに彼がワンナイトを繰り返していたのはいずれも恋人がいない時のことであり、一応『恋人』がいる間は付き合っている男以外とは性交渉は持たず、持つべきではないとも思っていた。
 つまりは彼は秘め事がそこそこ好きであるということ以外は“基本的には”至って真面目な男なのである。
 だからこそ、彼にとって玖一との清らかな関係というのはとても もどかしく感じることだったのだ。
 フリーランスになったばかりなのでまだまだ忙しさはあるものの、勤めていたときよりは自分の時間に余裕があり、さらにかつてないほど本気で好きだと思えるような男と付き合い始めた律悠。彼が玖一と早く体を重ねてみたいと思うのは当然のことだっただろう。

(本当に好きな人とするセックスってどんな感じなんだろう…すごく気持ちいいんだろうな……あぁもう彼と一晩中くっついて過ごしてみたくてたまらない。玖一君はそうじゃないのかな?…もしかして、またSNSで見た情報とかに惑わされてる…とか?玖一君て結構SNSに投稿されてる意見についてを気にしたりしてたけど『付き合ってすぐにセックスするなんてありえない』みたいなのを見てたらそれを真に受けてる可能性もあるんじゃないかな?…そんなの…そんなのは個人の問題なんだからさ、カップル間で話し合えばいいことじゃん!SNSでの一般論がなんだっていうんだ、何だよ『一緒にいるだけで幸せだからセックスはしなくて良い、ヤりたくない』って…!恋人とヤりたいって思っちゃいけないのか!?僕はヤりたいよ!そもそもセックスが気持ち良く感じるのは子孫を残すための生物学的な工夫なんじゃないの?なら一緒にいたいと思えるような相手ときちんとした関係性にあるなら、もっとこう…身体的な触れ合いを持つことに興味を持ったっていいはずじゃん!どうしてそんなに悪いことのように言うんだ、そりゃあ僕は男だし結婚も子供を持つこともできないけど…でもセックスしたいと思うことがそんなに悪いことなのか?好きだからこそ抱いたり抱かれたりしたいって思う僕はおかしいのか!?SNSがなんだっていうんだ、もう…!)

(そもそもそういうのって男女のカップルの話じゃないのか!?それを真に受けてるんだとしたら玖一君はそういうのに影響されすぎてるよ…!!僕と付き合うってなったときも『でも…あまり好きな気持ちが強いまま付き合うと良くないとも聞くので…』とかって言ってたけど、付き合う前から別れる未来のことを考えるなんてどうなの?大体さぁ、そうやって自分達のことを客観的に見ることができてるならそんな簡単に別れるだなんてことになんかならないよ!別れるカップルっていうのは初めは『絶対に別れない』とかって言うものなんだからさぁ…僕達とは全然違うじゃん!もう!僕らは男同士なんだし、そんなSNSの意見なんて……)

 そんな風に頭の中でひたすら文句を並べる律悠。
 そんなに玖一と身体的に親密な触れ合いがしたいと思うのならば自分から誘いを掛けるなりホテルに連れ込むなりしてしまえばいいだろうと思われるかもしれない。
 実際、相手がただの男であれば律悠もとっくにそうしていたことだろう。
 しかし相手が玖一である以上はそうすることもできないのだった。
 なぜならば玖一が男優として仕事をしているからである。
 律悠は玖一という男が、男優をする上での避けられないリスクの1つ『性病に罹ってしまう可能性』を誰よりも考慮していて、万が一にも自分が律悠を含む周りの人々にそういった病をうつすことのないようにと細心の注意を払いながら生活しているということを理解していた。そのため不用意に自分が誘いを掛けることで心苦しい思いをせてしまわないようにと気を遣っていたのだ。
 自分には知りえない決まり事などがある業界で仕事をしている玖一には彼なりに守ろうとしている一線があって、そしてそれと同時に恋人となった自分のことをも最大限大切にしようとしてくれていることを律悠は知っている。
 だからこそ自分の『ヤりたいから』という一念だけで突っ走って大切な恋人である玖一を困らせたくなかった。

 …しかしそんな思いとは裏腹に、玖一に対する好きだという想いが深くなっていけばいくほど律悠はさらに親密に触れ合いたいと思うようになっていく。
 彼はその向け先のない欲求に突き動かされるまま 付き合う以前からすでに知っていた【のす】の出演作品を観ることで玖一との行為を想像し、いくらか欲を発散させたりもしようとしたりもした。だが、結局それらは何の役にも立たなかった。
 たしかにAV作品よろしく内容自体はどれもヤラしいものだったとはいえ、それよりも律悠は『羨ましいな…僕はまだこんな風にしてもらったことがないのに』というような 妙なベクトルの嫉妬めいた思いを抱いてしまって欲の高まりようがなかったのである。(恋人が他の男を抱いたり抱かれたりしている様を観るなどというのは普通では考えられないようなことだが、【のす】はさりげないメイクなどでいつもの玖一とは少し容姿が別人のようになっている上、律悠自身も経験人数が多いといったことからそこまで抵抗感がなかった…ようだ)
 たとえ玖一と同一人物だとしても“玖一”に抱かれたいと思っている律悠にとっては【のす】という男優は『美しい肉体の持ち主』『見惚れてしまう対象』としてしか見ることができず、ファンになりはしても実際の玖一の代用などにはならなかった。

(玖一君は男優を引退するまで僕とはシないつもり…なのかな。そりゃあ もちろん それありきで付き合ってるわけじゃないからそれでも僕は良いんだけどね、自分のことはどうとでもなるし。寂しくないと言ったら嘘になるけど、でもそれ以上に僕は本当に玖一君のことが好きだから彼の意思を尊重したい。仕事のことも含めて僕は玖一君のことを受け入れると決めたんだし…彼の意思を無視して何かを強制することはしたくないから)

(だから本当はこのことについてもきちんと話し合って互いの認識を確かめておきたいんだけど…だけどもし本当に玖一君がSNSがどうのって言い出したらその時は……もう、押し倒してやる)

 いつか期を見て玖一とはそういったところの考えも共有しておいた方が良いだろうなとは思いながらも、なかなかその手の話題を持ち出すことができずにいた律悠。
 何も言い出せないまま自らを慰める日々を過ごしていた彼だったが、そうして少し経った時、ついに玖一から次のようなメッセージが送られてきたのだった。

《加賀谷さんの誕生日ってもうすぐじゃないですか
 その前後で丸2日くらいお休みがとれる日とかって、ありませんか?》

 それは付き合い始めてから迎える初めての律悠の誕生日だった。


ーーーーーー


 恋人、つまり玖一から送られてきた自らの誕生日の予定について訊ねるメッセージを読むなり、律悠のテンションが頂点に達したのは言うまでもない。

《誕生日の日は実家に帰るから無理だけど、次の週だったら休みにできるよ》

 淡い期待を抱きつつ平然を装いながらそう返信した彼がそわそわとした気持ちを抑えきれずに《もしかしてお祝いしてくれるの?》とも付け加えると、トーク画面には玖一の照れた様子が伝わってくるかのような《はい》という2文字が表示されて律悠はさらに嬉しさを爆発させる。

《俺、加賀谷さんのお誕生日を2人きりになれるところでお祝いできたらいいなと思っていて…ホテルのバースデープランを予約するのはどうかなと考えているところなんです
 でも加賀谷さん的にはそういうのって、やっぱりちょっと張り切りすぎっていうか、引いちゃいますかね?》

 遠慮がちな文面。
 大人ぶって返信してしまうとせっかくの嬉しい話が立ち消えになってしまいそうで、律悠は思わず歓喜の声を上げながら《え!すごく嬉しいよ!》とかつてない速さで返信した。彼にとってそれは願ってもない提案であり、どうしても逃したくない機会だったのだ。律悠のその喜びようが本物であると感じ取ったらしい玖一も、それから色々と詳しく話をし始める。

 その計画は単にホテルでディナーをしようというのとは違っていた。
 ホテルに一泊し『2人で一夜を過ごすこと』が前提の計画だった。

 メッセージでそうしたやり取りをすると後からその時のことを読み返すことができるので便利だが、律悠は送られてくるメッセージを読んでいるうちにどうしても玖一の声が聞きたくなってきてしまい、結局その後2人で電話をしながら夜を過ごした。


ーーーーーー


 そうして迎えた律悠の誕生日 翌週のこと。
 ホテルにチェックインするまでは普通にデートをしようということで午前中から一緒に買い物などをしてまわっていた2人はそれだけでも十分だというほど一日を楽しみながら過ごし、絵に描いたような“デート”というものを心ゆくまで堪能した。
 もちろん手をつないだり腕を組んだりなどということではないが、それでもふと笑いかければ同じく笑みが返ってきて何気ない会話を交わせるということを一日中当たり前のように行えることが 彼らは本当に嬉しく、楽しかったのだ。
 いつもであればそれで“デート”は解散となっていただろう。
 しかし、今日は違う。
 ホテルのラウンジやダイニングでもスイーツなどを楽しむことができるようにとランチをごく軽く済ませていた2人は、散歩がてら歩くなどもしていたことによってホテルのチェックイン時間が迫る頃にはすっかり小腹がすくぐらいになり、そのままいよいよ今夜の宿となるホテルへと向かうことにした。
 宿泊プランなどは話し合ったものの、玖一が予約したホテルがどこのどんなホテルなのかについては当日のお楽しみということで一切知らされていなかった律悠。
 彼は(2人で一緒に過ごせるならどこでも嬉しいけどなぁ)などと思いながら胸を弾ませて玖一について行く。
 だが、到着した場所を見て思わず『自分は今 夢でも見ているのではないだろうか』と現実を疑ってしまうほど驚いたのだった。

 なんと到着したのは誰もが知る超有名ホテルだったのだ。

 『名前を聞いたことはあっても泊まったことはない』というような、要人も宿泊するというホテルである。

 厳かな気品ある内装が施された広いロビーはもちろんのこと、ドアスタッフやベルスタッフ、そしてフロントクラークなどのホテリエによって品格が保たれているホテルはさすがその名に恥じない佇まいをしていて、たとえどんな人物だとしても気軽な服装などでは足を踏み入れることすら躊躇われてしまうだろうという雰囲気に満ちているホテルだ。
 格式あるホテルに泊まった経験などそうそうあるものではなく、律悠はそこはかとなく緊張してしまう。
 しかし彼は元から品のある雰囲気を纏っているので、ロビーに足を踏み入れたとしても何の違和感もなく溶け込むことができる。玖一に関しても同様で、律悠はフロントでチェックインを済ませる玖一の姿に内心で胸をときめかせていた。

 どこもかしこも足音が一切立たないようなふかふかとした分厚い絨毯にしっかりと覆われたフロアの上を移動し、ついに今夜宿泊する部屋に辿りついた玖一と律悠。
 鍵を開けて部屋に入ってみると、すぐに素晴らしい景観が望める窓と品よく纏められた調度品が目に飛び込んできた。
 さりげなくあしらわれているホテルのロゴは細かく色味が調整されていているからか主張しすぎないくらいの程よい存在感で空間を飾っている。
 アメニティなどの香りもなかなかのものだ。
 律悠は「わ…すごい、こんな部屋に泊まれるだなんて……」と部屋を見渡した。

「すごく有名なところだけど泊まる機会なんて僕にはないなと思ってたから…ちょっと未だに信じられないよ」

 部屋自体の広さもなかなかのものだ。
 窓近くにはソファとテーブルがあり、景観を楽しみながらくつろげるようになっている他、僅かに空間が隔てられている奥の方にはやはり大きな窓を前にしたベットルームがある。
 どうやらツインベッドのようだ。
 しかしベッドはそれぞれ通常よりも一回りほど大きいように思える。
 浴室などは出入り口そばにあるが、こういう場所にしては珍しく浴槽と洗い場が分けられていて、何がとは言わないが律悠にとってかなり都合が良い造りをしていた。
 一通り部屋を見た律悠が「とってもいい部屋だね」と声を弾ませると、玖一もはにかんだ表情になる。

「喜んでもらえたようで本当に良かった、気に入ってもらえるかどうかって実はすごく心配だったから…」
「え!気に入るに決まってるよ、嬉しいに決まってるって!予約するのとか大変だったんじゃない?うわぁ…もう、本当にすごいよ、見て!」

 玖一は相当色々なことに気を遣ってこの計画を進めていたに違いないのだが、律悠の喜ぶ姿や弾む声を聴いたことでそうした苦労もすっかり消え失せてしまったようだ。
 午前中からほぼずっと歩き続けていた2人はラウンジにお茶をしに行くのは少し後にして、せっかくなのでまずは眺めのいい窓のそばにあるソファで足を休めることにした。
 防音性も確かであるらしい部屋の中はわずかに空調の音がするくらいで本当に静かに過ごすことができる。
 2人してすっかりくつろぎながらホテルのことなどについて話すうち、話題は実家で過ごしたという律悠の誕生日当日のことについても及んでいく。
 「先週は実家で過ごしたんでしたよね?」と訊ねる玖一に、律悠は「うん、僕の家では基本的に誕生日は家族で祝うってことになってるんだ」と肩をすくめて答えた。

「小さい頃からそれが当たり前でさ、成人した今もそうなんだよ。だから今年も有無を言わさず実家でご飯を食べることになってて…ごめんね、せっかくお祝いしてくれようとしたのに」
「いえ、そんな。実は俺の家でもそうなんです、家族の誕生日は全員揃って家でお祝いするものだからって。なので大丈夫ですよ」
「そうだったんだ!一緒だね、結構珍しがられることが多かったから嬉しいな」

「あ、もし良かったら先週の写真とか見る?そんなに大した写真でもないし、ただの家族写真みたいなものだけど」
「えっ!見たいです…!」
「あははっ!ちょっと待ってね、父さんが家族の共有メッセージに送ってきてたのがあって…」

 律悠は先日実家に帰った時の写真を携帯端末で玖一に見せる。
 
「これが僕の母さんだよ。こっちにいるのが1番上の兄さんでその隣にいるのは奥さん。このちょっとチョけてるのが2番目の兄さんで父さんは…父さんが写ってる写真はどれだったかな……たしか…あ、いたいた、これが僕の父さん。父さんは僕達の写真を撮ってばかりだから逆に写ってる写真が少ないんだよね」

 律悠が自分の家族について紹介していると玖一は律悠が母親似であることに驚いて目を見張った。
 たしかに3兄弟は全員どちらかというと父親似なのだが、その中では末っ子の律悠が最も母親に似た雰囲気を受け継いでいて、たとえ親子であると知らない人が見たとしてもきっと血縁関係にあることをすぐさま見抜くに違いないというくらいなのだ。
 その他の写真も見ながら楽しそうにする玖一と、そんな彼を愛らしく思う律悠。
 ふと前を見れば窓越しに良い景色が広がっている。
 律悠は少し考えた後で「…せっかくならさ、僕達も今この景色を背景にして1枚撮らない?」と持ちかけた。

「滅多に見れない景色だし、まだ僕達ってそんなにツーショットとかも撮ったことないでしょ。ね、どう?」

 記念に撮ろうよ、という律悠の提案を拒むはずもなく、玖一は「いいね、じゃあこっちに座って…」と窓を背にした位置に移動する。
 律悠もいそいそ とその隣に移動すると、カメラを起動させた携帯端末を掲げて自分達と背景とのバランスを細かく調整し、写り具合を確かめた。
 律悠はそもそも写真に写ることがあまり得意ではないので自然な感じを装おうとしても少しぎこちなくなってしまっているが、玖一はさすがに慣れているようで非常にかっこよく、写りが良い。
 まるでこの部屋を紹介するためのパンフレットや広告に使用する写真でも撮っているかのようにすら思えてくるほどだ。
 綺麗めな格好をしているからということもあって洗練されたビジネスマンのような『品のある男性』という感じである。
 あまりのかっこよさに画面越しに目を奪われてしまった律悠は「撮るよ?はいっ、チーズ…」とシャッターボタンを押す瞬間に玖一の方へとわずかに頬を寄せた。
 そうして撮れたのは『頬を少しくっつけ合う2人』といういかにも恋人らしい1枚だ。
 「言ってくれたらもっとくっついたのに…!」と笑う玖一と共に新たに写真フォルダーへと加わったその1枚を眺めた律悠は(まさか自分がこんな写真を撮る日が来るだなんて…思いもしなかったな)とどこか感慨深く思いながら写真を玖一の携帯端末にも共有する。
 律悠としては どこにも欠点がないというほど完璧に写っている玖一の隣にいる少々ぎこちない自分のことを残念に思ってしまうが、しかしその写真が2人の思い出の1枚となったことは間違いない。
 共有された写真をすぐさま大切に保存する玖一に、律悠は「この写真さ、今度僕の母さんにも見せてあげていい?」と訊ねた。

「先週、母さんと話してたときに僕が『今付き合ってる人がいる』って言ったら…すごく喜んでてね、会ってみたいとも言ってたんだ。『すごく素敵な人だよ』って僕が紹介したから尚更 気になったんだと思う。もし良ければ今日のことも自慢したいんだけど…どうかな、いいかな」

 恋人の親に自分の写真を見られることは避けたいだろうか、重く思われてしまうだろうかという心配からそう訊ねる律悠。
 だが玖一は写真を見られることがどうとかいう以前のことを気にして「…でも俺、男だよ……?」と言葉を詰まらせる。

「恋人だって言っていきなり俺の写真なんか見せたら、お母さんもびっくりされるんじゃないかな…まさか交際してるのが俺みたいな男だなんて、夢にも思わないだろうから……だって、やっぱり付き合うっていったら普通は…」

 玖一のその反応と口ぶりからするとどうやら彼自身は家族に自分の性指向を話していない、もしくは芳しく受け取られていないようだと分かる。
 律悠は「大丈夫だよ、母さんも皆も僕の性指向のことは知ってるから」と彼を安心させるように話した。

「まぁ、実際に恋人だって家族に紹介するのは初めてだけどね…でもとにかくその点は気にしなくていいよ。現に母さんも『どんな男の子なの?』って訊いてきてたからさ」

 それでも(本当に大丈夫なのだろうか)というように心配そうな表情を浮かべている玖一に、律悠は穏やかに理解を示す。

「君が戸惑うのも分かるよ、僕も自分の家族はそういうのに対してあまりにもって思ってるからね。でも自分がそうだからって僕は君にも同じようにしてもらいたいとは思ってないんだ。ただ僕は母さんが君のことを知りたがってるから紹介したいって…それだけだよ。そんなに重く考えなくても大丈夫、負担に思わないで大丈夫」

 『僕が家族に紹介したからといって、君も自分の家族に僕のことを紹介しなきゃいけないってことはないんだよ』という思いをまっすぐに伝えた律悠。
 すると、玖一もようやく「…うん」と頷いて応えた。

「俺はただ、加賀谷さんが俺のことを家族に紹介することで辛い思いをしたりするのは嫌だなって思ってるだけだから…写真を見せること自体はもちろん良いです、むしろ嬉しいですから」
「ほんと?なら良かった、母さんに君のことを自慢しちゃおう」

 律悠が微笑むと、玖一は「あっ、でもそれなら今の写真じゃなくてもっときちんとしたのを撮らないと…もっと、こう…真面目な感じの。やっぱり初めて見たときの印象ってすごく大事でしょう?」と写真を撮り直そうとし始める。
 「こういう風にしようか」とまるで証明写真でも取るかのように身を整えだす玖一を見た律悠は「ちょっ…そんなんじゃなくていいから…!さっきので充分だよ…!」と笑いを堪えるので必死になってしまったのだった。
 おそらく、玖一の言う通り『きちんとした感じ』で写真を撮ったとしたら、その1枚は背景も相まって もれなく『新しく興されたビジネス企業の若社長』というようなものになってしまっていたことだろう。
 雑誌や会社ホームページのプロフィール写真を撮るんじゃあるまいし、と2人は顔を見合わせながらケラケラと笑い合った。

 ひとしきり ゆっくりとした後、部屋にあったホテル館内の案内に目を通した玖一と律悠は『そろそろ本館1階にあるっていうこのラウンジにでも行ってみようか』ということで1度部屋を出る。
 さすが有名ホテルというだけあって館内には様々なショッピングができる店の類も充実しており、特に本館などは百貨店かのようだ。
 「滅多に来れるところじゃないし、お店とかの雰囲気だけでも味わってみたいよね」という意見が合致した彼らは夕食までの時間をそうしたショップが集まるフロアなどを歩いて見て回ることにする。
 まだまだ楽しい2人の時間。
 だがそんな中でも、律悠の胸はひそかに期待感でいっぱいになっていたのだった。

ーーーーーー
※甘々な後編は4月28日(月曜日)の20時に更新予定です。
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