14 / 20
番外編
僕の魚へ
しおりを挟む
僕がずっと使ってきた刃物は元々父親のものだった。
父親が姿を消す前から長年研いで使っていたため、いよいよ刃が薄くなり、新しいものを製作してもらおうと鉱業地域の奥地にある刃物の工房を目指していた時だ。
僕は初めて彼を見かけた。
その時の、ひどく不健康そうな姿を僕はよく覚えている。
『不健康そう』というよりも『健康そうだと言える部分がない』と言った方が正しいかもしれない。
身なりが汚れているわけではないのに、痩せ細っているわけではないのに、どこか陰があって若者らしい気力が感じられないのは、その生気のない瞳のせいもあっただろう。
そんな姿のまま荷を運んでいく彼の背中を、僕は何気なく見送ってから目当ての工房に向かって歩いた。
次に彼を見たのはそれから1週間後のことだ。
頼んでおいた調理器具の受け取りをするために同じ場所を通りかかると、彼が荷を運んでいるのを見た。
よく見ずとも先週見たあの人だと、すぐに分かる。
(あれ…この前にも見た人だ。まだ具合が悪そう、というかもっと疲れていそうな感じ…?そんなに休めないものなのかな、それとも何か大変な仕事をした後とか?)
僕は何故か目を離すことができず、彼が遠くの方を歩いていくのを見ていた。
その時、彼の後ろから小走りで男がやってきて何か話しかける。
彼に親しげに接するのを見て、僕は胸を撫で下ろした。
(あぁ、やっぱりあの様子は普通じゃないよね。あの人は友達かな?心配してあんな風に駆け寄るくらいだし、とにかくこれであの人も休ませてもらえるでしょ)
ところが、その話しかけてきた男は彼を心配するどころかただ一方的にいくつか話をして早々に去っていった。
親しいような、親しくないような。
その異様な雰囲気に首を傾げていると、彼は唇を噛み締め、突然口を手で覆って体を震わせた。
その姿は吐きそうになっているのを抑えようとしているのに違いなかった。
(えっ、すっ…ごく苦しそうだけど大丈夫なのか!?話しかけるとかしたほうがいいかな、でもどうしたら…さっきの人は何だったの?どう見ても体調が悪そうなのに、そのまま行っちゃうなんて…)
僕が狼狽えている間に、吐き気を飲み込んだらしい彼は荷を持ち直して再び歩いていってしまった。
この時はまだ彼の身に何が起こっているのかなど知る由もなかったが、それからしばらくして、男達が歩きながら話をしているのを偶然聞いたことで全てを知ることになる。
「なぁ、皆サカりすぎじゃないか?あいつ、ここ最近ずっと相手させられてるらしいぞ」
「はぁ?」
「俺さ、昨日楽しみに行ったんだけど、いやに痛がるから後ろを見てみたんだ、そしたら真っ赤になってて。仕方ないから口でヤらせたんだ。悪くなかったぞ、喉の奥が動くのなんかすごいんだ」
「なんだよ、お前もサカってんのか?人のこと言えないじゃないか」
「笑うなよ、俺はすごく久しぶりだったんだぞ!なのに挿れられなくて…また少ししたら楽しみに行くよ、今度は中までな」
「なんだ、口が良かったとか言っておきながら結局は後ろのほうが好きなのか。はははっ…」
自分たちしかいないと思っているのか、その男2人組は猥談を繰り広げながら何処かへと行ってしまった。
少し離れたところにいた僕はそれらを聞き、酷い嫌悪感に包まれてしばらくその場から動くことができなかった。
嫌悪感を抱いたのはあの彼に対してではない。
彼の『感想』を恥じることもなく話す男達に対してだ。
(今の『あいつ』って、あの子のこと…だよね?そんなことをさせられてたの?…そっか、だから具合が悪そうだったんだ。あんなに、吐きそうになるほど苦しんでるのに今の人達は…自分のことしか考えてないんだな…)
僕は今日の彼の様子が気になり、少しでも彼の様子が伺えないかといつもの場所を時間の許す限り往復したが、結局その日は彼の姿を見ることはなかった。
ーーーーーー
(好きでそんなことをさせられているとは思えない、あんなに苦しんでたんだから。何か僕にできることはないのかな…どうしたらいいんだろう、どうしたら…)
僕は新調した刃物を受け取り、食堂への帰路を歩きながらずっと彼のことを考えていた。
陰鬱とした雰囲気を漂わせていた彼は本来どんな風に話し、笑うのだろう。
今になって思えば、初めて彼を見かけたときからその様子を気にかけていたのだと気付く。
(とにかく…このまま放っておくなんてできない、なんとかしてそんなことは止めさせないと。そのためにまずは接点を持つんだ、鉱業地域に通って、僕のことを知ってもらって…)
都合のいいことに、食堂の調理器具や金属製の食器類に修復が必要なものが出始めていて、僕はそれらを鉱業地域のそれぞれの工房へ持って行ったり引き取りに行ったりとほぼ毎日のように通い詰めた。
ところがそうして彼の姿を探しても一向に出会えない。
(何かあったのかな…それとも、もうどこか他の所へ行ったとか?それならいいんだ、逃げ出せたのなら。でも、もしあの人達が絡んでいるなら…彼の名前も知らないのに捜し出せるだろうか。陸国は広いし、一体どこを捜したら…)
次第に不安になり始めていたある日、ついに僕は彼を見つけた。
あまりにも出会えないために時間をずらしてみようと、食堂にはもっともらしい理由をつけて昼頃に来たのだが、ようやくそこで彼を見つけることができたのだ。
先の方を歩いているのが彼だと分かった瞬間の、まるで心臓が止まってしまうのではないかという感覚は忘れられそうにない。
「あっ、おい、あのさ…」
彼は馴れ馴れしく話しかけてきた男に対して鋭い視線を向けており、2人が何の話をしているのかは内容を聞くまでもない。
僕は考えるまでもなくそこへ近付き、話しかけていた。
「…すみません」
ーーーーーー
荷物を持ってほしいと言った手前、それなりに量がないと彼に嘘をついたことになると思った僕は、なるべく多くの食器や調理器具を受け取り、あたかも本当に「1人では持ちきれない」と思われるような量の荷物に仕立てた。
食堂の女性達には『受け取りは皆それぞれで行くから』と言われていたものの、この際構うものか。
彼は以前見た時よりも多少体調は良さそうに見えたが、それでも重いものを持たせたくなかった僕は1番重い鍋と調理器具を自分で持ち、彼には軽いものばかりを持たせる。
一緒に食堂への道を歩き始めたものの、いざ彼と2人になってみると、一体何を話せばいいのか分からなくなってしまった。
彼からしてみれば僕は見知らぬ人だ。
見知らぬ人から体調のことを聞かれるのも変だし、馴れ馴れしいなと思われでもすれば僕は彼に話しかけていたあの男達と同じになってしまう。
そうした思いと緊張から、つい彼への返答も無愛想に思えるものになる。
(あぁ、こんなんつもりじゃ…何かもっと気の利いたことは言えないのかな、せっかく話しかけてきてるのに…)
そうして考えながら少し後ろを歩く彼を気遣っていると、あっという間に食堂へ帰り着いてしまった。
荷物を持って帰ってきた僕と彼を見て、食堂の皆は扉を開けて出迎えてくれる。
「あら、おかえりなさい」
「…ただいま帰りました」
「ご苦労さま。…まぁ、みんなの分まで持って帰ってきてくれたの?ありがとうね」
僕が荷物を置くと彼もその隣に荷を下ろす。
彼にお礼を言おうとするも、以前から食堂の中で話していた大きな肉の仕入れが明日になりそうだという話を聞かされ、僕がそれに応じている間に彼はすでに食堂を去ってしまっていた。
「…一緒に来た人は?」
「あぁ、あの子なら今しがた帰ったわよ。軽食を持たせたんだけど、何かあった?」
「そっか…ううん、それならいいんだ」
「ねぇ、あの子って鉱業地域で配達とかをしてる子?力持ちのように見えたけど、あなたの知り合いなの?」
「知り合い…というのか、なんなのか…」
「あんな子がここに居てくれたらとってもいいと思わない?ね、働き者そうだったもの。どうかしら、知り合いなら話をしてみてよ」
「う、うん…」
目を輝かせながら話す女性達に、僕も自然と笑みを浮かべる。
彼がここにいる光景を思い描いてみると、なぜだかとてもしっくりくる気がした。
ーーーーーー
「え、あんたこの間の…」
僕はあれから数日後、荷物運びの『お礼』を口実に彼の元へ向かった。
彼は『何しに来たんだ?』と言わんばかりに目を丸くして僕を見る。
「この間のお礼…できていないので」
「あんた真面目だなぁ。もうあの時に食堂のおばさんからメシをもらったよ」
「…僕からはなにもお礼できていませんから」
「だからってこんなとこまで来るか?料理人なんだろ?昼時の1番忙しい時間にいいのかよ」
「途中まで荷車に乗ってきたので、そんなに時間はかかってません」
事実、僕が鉱業地域へ言ってくると言うと、食堂の女性達は快く送り出してくれた。
女性達はひと目見ただけだというのに彼のことがよほど気に入ったらしく、僕がなんとかして彼をこの食堂へ連れてきてくれないだろうかと期待しているようだ。
僕は小さな泉のそばの岩に座る彼の隣に腰を下ろし、持ってきた料理を差し出した。
「うわ、美味っ!なんだこれ、お前が作ったのか?」
「…はい」
「へぇ?てっきりお前はあの食堂で雑用ばっかりしてるようなやつなんだと思ってたよ。本当に料理ができるんだな、なぁ、これ全部食っていいの?」
「はい」
「太っ腹なお礼だなぁ、じゃ遠慮なく」
彼は本当に美味しそうに料理を口に運ぶ。
自分が作った料理を『美味しい』と言ってもらうのは初めてのことではないのにもかかわらず、彼の言葉はまるで初めてそう言われた時のような気分にさせる。
それほど、彼は『作ってよかった』と心の底から思わせる表情と食べ方をするのだ。
「はぁー、どれも美味かった!」
「…それなら良かったです」
「こんな美味いもん食えたし、人助けも悪くないな。あはは!」
満足そうな彼の表情は僕が少し彼に近付けたことを表しているようで、ふと嬉しくなる。
だが、その次に彼は「もうここへは来るな」と言い始めた。
彼自身の置かれている状況から滲み出ているようなその言葉は僕に突き刺さる。
その上、「ちょっとは自分の事も考えろよ」と言われたことで、僕は自然と問いかけていた。
「…君は?」
「は?」
「君こそ…自分のこと、考えてる?」
僕は慎重に言葉を選んで続ける。
「…この辺りにはロクなやつがいないって…君は違うでしょ。どうしてこんなところに…」
だが、彼はまったく取り合わない様子でその場を去ろうとしてしまう。
その言葉や態度から、彼は自分自身や周りの状況に無関心、諦めの考えでいるようだと分かる。
それは彼が自らの名前を言った時にも表れていた。
「名前の意味は『清い水に住む魚』だ。食われるだけの、魚だよ!」
ーーーーーー
(彼をあの場に引き留めているのは何なんだろう、どうしてあんなところに居続けているんだろうか…)
僕はとにかく、何度も何度も彼に料理を届けることにした。
彼の様子を見るためと親しくなるため、そして健康になってもらいたいからというのも もちろんあるが、何よりも彼に話しかけてくる男達を退けるためだ。
毎日、彼と話をしていると目の端に人影が現れる。
その人影は日によって身長が違うものの、僕の姿を見るとそのまま踵を返していくのはどれも同じだ。
(おおかた僕が今日の彼の相手だと思ってるんだろうな。…それでいい、相手なんかさせない)
僕はただ料理を届けるのではなく、今晩 彼と楽しむのは自分だと勘違いさせるために人影が消えてから持ってきた料理を手渡すようにした。
彼はみるみる顔色が良くなっていき、その作戦が上手く行っていることは尋ねなくても充分すぎるほど分かった。
ーーーーーー
「あら、なんだかそれ使いづらそうね」
「うん。切れ味はいいけど、なんだか扱いづらくて…」
「それなら早めに調整してもらった方がいいと思うわよ、持ち手とかを少し見てもらうだけで随分変わるもの。また今日も鉱業地域へ行くでしょ?ついでにそれも工房へ持って行きなさいな」
新しい刃物を使い始めて何週間にもなるが、それでもなかなか手に馴染めなかったのを見かねた女性達の助言により、僕は刃物をきちんと包んでその日の料理と共に彼の元へ向かうことにした。
(料理を渡してから工房に行こう。…あのおじいさんに上手く伝えられるかな、この手に馴染まない感じ…なんて言おうか、『食材が刃で捉えづらい』?…いや、もっと…こう…)
そう考えていると、先の方に彼の姿が見えた。
いつものように声をかけようとしたその時、突然現れた人影が彼の腕を掴み、強引に引っ張って行く。
「な、なんだ!お前…俺をどこに連れて行くつもりだ!?」
(あ、あいつ…!!)
僕はすぐに2人の後を追いかけた。
途中で見失ってしまうものの、神経を張り詰めながら必死に気配を辿った。
ーーーーーー
僕がようやく森の中で2人を見つけた時、すでに彼は男のものを口で『奉仕』させられている最中だった。
跪かされ、抵抗ができない彼の喉奥を貫くように腰を打ち付ける男は恍惚とした表情を浮かべている。
「…なにをしてるんだ」
込み上げる怒りを抑えずに男を威圧すると、「え、なにって、取り込み中なんだけど」という悪びれない答えが返ってきた。
「悪いね、失せてくんない?」
「…失せるのはそっちだ」
「はぁ…こんなとこに来るなんてさ、つけてきたの?他人のこういうとこを見るなんて、変態だね」
「…黙れ」
「もしかして俺達のを見て興奮しちゃった?だったらもうちょっと待っててよ、すぐに出してこいつを渡してやるからさ」
男の手が彼の頭を掴んでいる。
彼の髪を、あの男は力任せに握っている。
まったく彼から離れる様子のない男に、僕は自然と包んできた刃物の柄へと手を伸ばしていた。
「…え、それなんのつもり?」
さすがに怯んだらしい男は「どうせそれ、持ち手だけなんだろ?」と半笑いになって言うものの、男の手から抜け出した彼が「あの爺さんが持ち手だけなんか寄越すわけないだろ…」と呟いた瞬間、深くため息をついて「萎えたなぁ」と苛立たしげに言い放った。
「ツイてない、最悪。おい、近いうちに遊ぼうぜ。邪魔が入んないとこでさ」
ようやく男が立ち去り、僕は項垂れたままの彼がよろよろと小川の方へ行くのを少し後ろから見守った。
もっと早く来ていれば。
もっと早く彼の元へ来れていれば。
怒りの後を追うように込み上げてきたのは自己嫌悪だった。
「えっと…俺ん家、わりとすぐそこだからさ。寄ってかない?ここじゃゆっくり話もできないし」
「…うん」
僕はいつもと変わらないように振る舞う彼について行った。
ーーーーーー
彼の家の中はまるで生活感がなく、本当にここで毎日寝起きしているのかと不思議に思えるほどだ。
僕の部屋も物は少ない方だが、工芸地域の建物というだけあって柱や棚には彫刻がされており、年月を経て美しく染まった温もりを感じさせる天井、壁、床板のお陰もあって殺風景というわけではない。
それに比べ、この部屋はなんの飾り気もなく、ただ雨風を凌ぐためだけというような寒々しいものだ。
つとめて明るく話す彼は喉元を痛めたらしく、無意識に擦りながら話しているのだが、それがまた痛々しい。
「…君はどうして」
「うん?」
「どうして君は…こんな所にいるの」
僕が尋ねると、彼は屈託ない笑みを浮かべて自らが男達の慰みものになっていることや過去の境遇を語り出した。
今まで僕は彼を救い出したいと考えてきたが、それにはまず彼自身がそれを望まなければ意味がない。
そのために少しずつ打ち解け、男達の相手をせずに済むよう計らってきたのだが、どうやら彼には元からそういった考えがなかったようだ。
僕から「…アテとツテなら、もうある」と聞いた時の彼の表情がそれを物語っていた。
どうか僕を頼って、自らこの生活から逃れたいと思ってほしい。
そう願っての僕の心からの言葉だったが、それさえも彼には届いていないことが思い知らされる。
「…なぁ、熊ちゃんさ、俺を抱きたいの?」
僕はすっかり打ちのめされてしまった。
彼の自己肯定感は想像していた以上に深い底にあったのだ。
そうならざるを得なかった彼の境遇への哀しみ。
彼をそこまで追い詰めた男達への怒り。
僕も所詮は彼の体を求める男達と同じに見られていたのだという虚しさ。
様々な思いが胸のうちに渦巻き、それらは言葉となって止めどなく口から出ていく。
「く、熊ちゃん…俺が悪かったって…その、俺が聞きたかったのはさ…」
彼は戸惑った様子で言い繕おうとしているものの、それ以上彼の言葉を聞くのは耐えられないと思った僕は今日の分の料理を渡して帰ることにした。
あんなことがあったばかりの彼を外で歩かせるわけにはいかず、彼があと1つ残していた今日の届け物はちょうど僕が向かおうとしていた工房のすぐ近くの所宛ということもあって、僕が代わりに届けに行くことにする。
「…とにかく、もう今日は外に出ないで。きちんと鍵をかけて、誰が来ても応じちゃだめだ。そうして、お願いだから」
「う、うん…分かったよ…」
「……それじゃ」
きちんと扉に鍵がかかったことを確認してから、僕は彼の家をあとにした。
本当は彼から離れたくない。
僕が去った後から誰かが彼の家に押し入る可能性が十分にあるからだ。
薄い扉にかけられた鍵は粗末なもので、工芸地域の職人達が造る重厚な木の扉と強固な鍵に比べれば施錠する意味など無いに等しい。
それでも僕には彼の意志に反することはどうしてもできなかった。
彼の側にいて守ることも、手を引いてこの場から去ることも。
彼の意志無くそんなことをしてしまえば、結局は彼の体を無理矢理拓いた男達となんら変わりないのだ。
(僕は守れているつもりでいただけだったのかな。僕の知らない間にあんなことをさせられ続けていたのかもしれない…だとしたら、僕は、どうしたらいいんだろうか。身体を大切にしてほしいだけ、ただそれだけなんだ。…いっそのこと僕の所へ来てほしいと言ってしまおうか。もし彼にそれを拒絶されたとしても、傷つくのは僕だけじゃないか。それならそれで構わない、僕の所でなくても、それでも構わないから…)
荷物を届けた後で刃物の調整をしに行くと、ほんの少し持ち手を整えてもらっただけでよく手に馴染むようになり、僕はそのまま帰路へついた。
「おかえりなさい。あら、刃物の調整は?そのまま帰ってきたの?」
「あ…ちょっと持ち手を削ってもらったら良くなったから、預けなかったんだ」
「そう!それなら良かったわね」
食堂は相変わらず女性達が賑やかに調理や翌日のための支度をしている。
昼の片付けが全て終わった後、余った食材で今晩のおかずはどんなものを作ろうかと話し合ったり、自分の家族が好む味付けを披露し合ったりする様子は、見ているだけでも和やかな気分になるものだ。
(彼は元々賑やかなのは嫌いじゃなさそうだから…ここを気に入るんじゃないかな、きっと。だけど…それもそういう風に見えているだけなのかもしれない、本当の彼を僕は知れてないんだ…)
僕は1人、そんな思いを抱えながら食堂を眺めていた。
ーーーーーー
「そろそろ出そう…なぁ、飲めよ。俺のを飲む顔、見せろよ」
「うっ……うぅ…」
「はぁ…泣き顔とかもそそる、わざとじゃないよな?わざとなのか?おい、大人しくもっと奥まで咥えろ、喉にこのまま出してやるから…」
〘や、やめろ!〙
「うぅっ…ゲホッ…」
〘苦しがってるじゃないか!彼から離れろ、やめろ!!〙
「ほら、こっちを見ろ、うん?出すからな、全部飲めよ……」
「『…や、やめろ!!』」
僕は寝台から飛び起きた。
窓の外は白み始めたばかりで、いつもよりも随分と早く目が覚めたのだと分かる。
すでに全身汗をかいていたが、今見ていた夢が現実ではなくて良かったという安堵感と、目に焼き付いて離れない光景のせいでさらに汗をかいてしまった。
(夢だ…夢…止めろと言いたいのに声が出ないあの感覚…あんな夢を見るなんて。まさか彼の身に何か…?…いや、夢を見たのは昨日の『あの事』のせいだ、そのはずだ。彼は無事、彼は無事のはず…あぁ、頼む…頼むから無事でいて)
すっかり目が覚めてしまった僕は階下の浴室で水を浴び、そのまま朝食の自宅に取り掛かることにした。
昨夜はなかなか寝付くことができなかった上、朝早くに飛び起きてしまったせいで体が重く感じて仕方ない。
それでも午前中の仕事を終えると、料理をかごに詰め、見慣れた景色が広がる鉱業地域への道を歩き始めた。
たとえ彼が僕のことを他の男達と同じだと思っていたとしても、きっと心から話せば実際はそうではないと信じてもらえるはずだ。
そう心に決め、道中で何度も話す内容を考えて彼に会ったのだが、それらは彼の言葉を聞いた瞬間に全てどこかへと飛んでいってしまった。
「熊ちゃんてさ、その…俺のこと、好き…なの…?」
真面目に聞きたいことがある、と前置きしてから話した彼は緊張の面持ちで、見ようによっては怯えているようにもとれる。
僕はそんな彼の表情を、不覚にも『愛おしい』と感じていた。
(『好き』…あぁそうか、僕は彼のことが好き…なのか。様子が気になって、他の男達には触れさせたくなくて、笑顔にさせたくて、幸せにしてあげたいんだ。他の誰かじゃなくて、僕が幸せにしてあげたいんだ。僕がこの人の隣に居たいんだ)
漠然と彼を『幸せにしたい』と思ってきたのだが、その気持ちが彼を『好き』ということだとは今の今まで知らずにいた。
彼から尋ねられなかったら、この先もずっと自覚することはなかったかもしれない。
僕が頷くと、彼は「それは…友達…として…?」と再び尋ねてきたため、今度はしっかりと否定してみせる。
とにかく、何をおいても彼を幸せにしたい。
彼を初めて見た時のことから話していると、自然とそんな想いが溢れて目を潤ませる。
昨日の彼を守りきれなかったという事実がより深く胸を突き刺すものの、頬を伝う雫を拭う手のひらと温かな声がそれさえも癒やしていった。
「ありがとう、熊ちゃん。こんな俺を助けてくれて、好きになってくれて。俺のために…怒ってくれて。…熊ちゃん。ねぇ、熊ちゃん。明日もさ、ここへ来てよ。何とは言わないけど…必ず、ね」
少し気恥ずかしそうに言う彼。
彼の言葉が何を意味しているのかは、尋ねなくてもよく分かる。
僕は涙を堪えるために歯を食いしばりながら、力強く頷いた。
「おかえり…あら、あらあら!なに、なにか良いことでもあったの?」
「本当ね!なぜそんなに嬉しそうなの、どうしたのよ?」
僕が食堂へ帰り着くなり、女性達は口々に「何があったの?」「教えてちょうだいよ」とはやし立てる。
「実は…」と彼が明日、ここへ引っ越してくることを伝えると、一斉に歓喜の声が上がり、まるで百年に一度の祭りかのような騒ぎになった。
「よくやったわ、よくやってくれた!もう本当に…いつそう言ってくれるのかと思ってたのよ!」
「私もよ!だけど本当に来てくれるか分からないし、あまり期待するのも…と思ってたの!だからすごく嬉しい!」
「明日、明日ね?明日のいつ?」
「夕方には迎えに行くよ、だけど道中で越してくるのに必要なものも見てくるかもしれないから、遅くなると思う。明後日かその次の日にはここに…」
「明後日には!楽しみね、新しい人が、それも男手が増えるなんて!」
話は騒ぎを聞きつけて倉庫から戻ってきた人達にも伝えられ、食堂は一層賑やかになる。
僕も(いよいよ彼がここへやってくる)と思うと、微笑まずにはいられなかった。
ーーーーーー
翌日、何が彼の身に起こったかはもう語るまでもないだろう。
その日、僕は間違いなく産まれて初めて『強烈な怒り』というものを経験した。
彼の姿を探して走り回った末に見つけた『それ』は僕を一瞬にして烈火の如き怒りで包み、「早く彼をここから連れ出さなければ」という思いがなければ自分でも何をしていたかわからないほどだ。
彼の素体をこれ以上男達の目に晒しておきたくないという思いから、手近にあった窓掛けを引きちぎると彼の体に覆い被せる。
中にいた男達は一見すると屈強そうだったものの、不意を突かれたためなのか、掴みかかってきたところを軽く体当りしただけでも壁まで吹っ飛んでいった。
とにかく追って来れないようにして、早く彼をこの場から連れ出さなければならない。
僕を取り抑えようとする男達の腕を捻り、『急所』を軽く、あくまでも『軽く』蹴り上げ、1人として起き上がれなくなったことを確認した僕は被せた窓掛けごと彼を担いで走り出した。
2度と彼をこんな目に遭わせるものか。
そう堅く誓って。
ーーーーーー
「ん…くま…まだ寝てないのか…」
「…うん、君のことを見てた」
「ふふっ…まったく…よく飽きないなぁ…」
今、僕の腕の中には口の端に笑みを浮かべて微睡む彼がいる。
ひとしきり身体を重ねたあとで疲れきっているにも関わらず、僕を精一杯の力を込めて抱きしめてくる姿が愛らしくてたまらない。
僕が彼の額に唇をつけると、彼はまた「ふふっ…」と軽く笑った。
僕は彼が受けてきた『仕打ち』を生涯忘れることはないだろう。
彼の尻には男達の相手をさせられた時についた傷や痣が消えずに残っていて、僕は彼と身体を重ねる度に嫌でもそれらを目にすることになる。
明らかに人の手によってつけられたそれらの傷や痣は、彼がどんなことをされてきたのかと思わずにはいられない。
せめてもの救いはこの傷や痣が自分では見えないところにあって、彼自身はその存在を知らずにいるということだ。
彼には過去に縛られず、ただ幸せな思いだけを残していってほしい。
胸元の彼の温もりを感じていると僕も次第に目を開けていられなくなる。
僕は彼をしっかりと抱きしめ直した。
(僕の、僕だけの『魚』…愛しい君が、どうかずっと幸せでいられますように…)
父親が姿を消す前から長年研いで使っていたため、いよいよ刃が薄くなり、新しいものを製作してもらおうと鉱業地域の奥地にある刃物の工房を目指していた時だ。
僕は初めて彼を見かけた。
その時の、ひどく不健康そうな姿を僕はよく覚えている。
『不健康そう』というよりも『健康そうだと言える部分がない』と言った方が正しいかもしれない。
身なりが汚れているわけではないのに、痩せ細っているわけではないのに、どこか陰があって若者らしい気力が感じられないのは、その生気のない瞳のせいもあっただろう。
そんな姿のまま荷を運んでいく彼の背中を、僕は何気なく見送ってから目当ての工房に向かって歩いた。
次に彼を見たのはそれから1週間後のことだ。
頼んでおいた調理器具の受け取りをするために同じ場所を通りかかると、彼が荷を運んでいるのを見た。
よく見ずとも先週見たあの人だと、すぐに分かる。
(あれ…この前にも見た人だ。まだ具合が悪そう、というかもっと疲れていそうな感じ…?そんなに休めないものなのかな、それとも何か大変な仕事をした後とか?)
僕は何故か目を離すことができず、彼が遠くの方を歩いていくのを見ていた。
その時、彼の後ろから小走りで男がやってきて何か話しかける。
彼に親しげに接するのを見て、僕は胸を撫で下ろした。
(あぁ、やっぱりあの様子は普通じゃないよね。あの人は友達かな?心配してあんな風に駆け寄るくらいだし、とにかくこれであの人も休ませてもらえるでしょ)
ところが、その話しかけてきた男は彼を心配するどころかただ一方的にいくつか話をして早々に去っていった。
親しいような、親しくないような。
その異様な雰囲気に首を傾げていると、彼は唇を噛み締め、突然口を手で覆って体を震わせた。
その姿は吐きそうになっているのを抑えようとしているのに違いなかった。
(えっ、すっ…ごく苦しそうだけど大丈夫なのか!?話しかけるとかしたほうがいいかな、でもどうしたら…さっきの人は何だったの?どう見ても体調が悪そうなのに、そのまま行っちゃうなんて…)
僕が狼狽えている間に、吐き気を飲み込んだらしい彼は荷を持ち直して再び歩いていってしまった。
この時はまだ彼の身に何が起こっているのかなど知る由もなかったが、それからしばらくして、男達が歩きながら話をしているのを偶然聞いたことで全てを知ることになる。
「なぁ、皆サカりすぎじゃないか?あいつ、ここ最近ずっと相手させられてるらしいぞ」
「はぁ?」
「俺さ、昨日楽しみに行ったんだけど、いやに痛がるから後ろを見てみたんだ、そしたら真っ赤になってて。仕方ないから口でヤらせたんだ。悪くなかったぞ、喉の奥が動くのなんかすごいんだ」
「なんだよ、お前もサカってんのか?人のこと言えないじゃないか」
「笑うなよ、俺はすごく久しぶりだったんだぞ!なのに挿れられなくて…また少ししたら楽しみに行くよ、今度は中までな」
「なんだ、口が良かったとか言っておきながら結局は後ろのほうが好きなのか。はははっ…」
自分たちしかいないと思っているのか、その男2人組は猥談を繰り広げながら何処かへと行ってしまった。
少し離れたところにいた僕はそれらを聞き、酷い嫌悪感に包まれてしばらくその場から動くことができなかった。
嫌悪感を抱いたのはあの彼に対してではない。
彼の『感想』を恥じることもなく話す男達に対してだ。
(今の『あいつ』って、あの子のこと…だよね?そんなことをさせられてたの?…そっか、だから具合が悪そうだったんだ。あんなに、吐きそうになるほど苦しんでるのに今の人達は…自分のことしか考えてないんだな…)
僕は今日の彼の様子が気になり、少しでも彼の様子が伺えないかといつもの場所を時間の許す限り往復したが、結局その日は彼の姿を見ることはなかった。
ーーーーーー
(好きでそんなことをさせられているとは思えない、あんなに苦しんでたんだから。何か僕にできることはないのかな…どうしたらいいんだろう、どうしたら…)
僕は新調した刃物を受け取り、食堂への帰路を歩きながらずっと彼のことを考えていた。
陰鬱とした雰囲気を漂わせていた彼は本来どんな風に話し、笑うのだろう。
今になって思えば、初めて彼を見かけたときからその様子を気にかけていたのだと気付く。
(とにかく…このまま放っておくなんてできない、なんとかしてそんなことは止めさせないと。そのためにまずは接点を持つんだ、鉱業地域に通って、僕のことを知ってもらって…)
都合のいいことに、食堂の調理器具や金属製の食器類に修復が必要なものが出始めていて、僕はそれらを鉱業地域のそれぞれの工房へ持って行ったり引き取りに行ったりとほぼ毎日のように通い詰めた。
ところがそうして彼の姿を探しても一向に出会えない。
(何かあったのかな…それとも、もうどこか他の所へ行ったとか?それならいいんだ、逃げ出せたのなら。でも、もしあの人達が絡んでいるなら…彼の名前も知らないのに捜し出せるだろうか。陸国は広いし、一体どこを捜したら…)
次第に不安になり始めていたある日、ついに僕は彼を見つけた。
あまりにも出会えないために時間をずらしてみようと、食堂にはもっともらしい理由をつけて昼頃に来たのだが、ようやくそこで彼を見つけることができたのだ。
先の方を歩いているのが彼だと分かった瞬間の、まるで心臓が止まってしまうのではないかという感覚は忘れられそうにない。
「あっ、おい、あのさ…」
彼は馴れ馴れしく話しかけてきた男に対して鋭い視線を向けており、2人が何の話をしているのかは内容を聞くまでもない。
僕は考えるまでもなくそこへ近付き、話しかけていた。
「…すみません」
ーーーーーー
荷物を持ってほしいと言った手前、それなりに量がないと彼に嘘をついたことになると思った僕は、なるべく多くの食器や調理器具を受け取り、あたかも本当に「1人では持ちきれない」と思われるような量の荷物に仕立てた。
食堂の女性達には『受け取りは皆それぞれで行くから』と言われていたものの、この際構うものか。
彼は以前見た時よりも多少体調は良さそうに見えたが、それでも重いものを持たせたくなかった僕は1番重い鍋と調理器具を自分で持ち、彼には軽いものばかりを持たせる。
一緒に食堂への道を歩き始めたものの、いざ彼と2人になってみると、一体何を話せばいいのか分からなくなってしまった。
彼からしてみれば僕は見知らぬ人だ。
見知らぬ人から体調のことを聞かれるのも変だし、馴れ馴れしいなと思われでもすれば僕は彼に話しかけていたあの男達と同じになってしまう。
そうした思いと緊張から、つい彼への返答も無愛想に思えるものになる。
(あぁ、こんなんつもりじゃ…何かもっと気の利いたことは言えないのかな、せっかく話しかけてきてるのに…)
そうして考えながら少し後ろを歩く彼を気遣っていると、あっという間に食堂へ帰り着いてしまった。
荷物を持って帰ってきた僕と彼を見て、食堂の皆は扉を開けて出迎えてくれる。
「あら、おかえりなさい」
「…ただいま帰りました」
「ご苦労さま。…まぁ、みんなの分まで持って帰ってきてくれたの?ありがとうね」
僕が荷物を置くと彼もその隣に荷を下ろす。
彼にお礼を言おうとするも、以前から食堂の中で話していた大きな肉の仕入れが明日になりそうだという話を聞かされ、僕がそれに応じている間に彼はすでに食堂を去ってしまっていた。
「…一緒に来た人は?」
「あぁ、あの子なら今しがた帰ったわよ。軽食を持たせたんだけど、何かあった?」
「そっか…ううん、それならいいんだ」
「ねぇ、あの子って鉱業地域で配達とかをしてる子?力持ちのように見えたけど、あなたの知り合いなの?」
「知り合い…というのか、なんなのか…」
「あんな子がここに居てくれたらとってもいいと思わない?ね、働き者そうだったもの。どうかしら、知り合いなら話をしてみてよ」
「う、うん…」
目を輝かせながら話す女性達に、僕も自然と笑みを浮かべる。
彼がここにいる光景を思い描いてみると、なぜだかとてもしっくりくる気がした。
ーーーーーー
「え、あんたこの間の…」
僕はあれから数日後、荷物運びの『お礼』を口実に彼の元へ向かった。
彼は『何しに来たんだ?』と言わんばかりに目を丸くして僕を見る。
「この間のお礼…できていないので」
「あんた真面目だなぁ。もうあの時に食堂のおばさんからメシをもらったよ」
「…僕からはなにもお礼できていませんから」
「だからってこんなとこまで来るか?料理人なんだろ?昼時の1番忙しい時間にいいのかよ」
「途中まで荷車に乗ってきたので、そんなに時間はかかってません」
事実、僕が鉱業地域へ言ってくると言うと、食堂の女性達は快く送り出してくれた。
女性達はひと目見ただけだというのに彼のことがよほど気に入ったらしく、僕がなんとかして彼をこの食堂へ連れてきてくれないだろうかと期待しているようだ。
僕は小さな泉のそばの岩に座る彼の隣に腰を下ろし、持ってきた料理を差し出した。
「うわ、美味っ!なんだこれ、お前が作ったのか?」
「…はい」
「へぇ?てっきりお前はあの食堂で雑用ばっかりしてるようなやつなんだと思ってたよ。本当に料理ができるんだな、なぁ、これ全部食っていいの?」
「はい」
「太っ腹なお礼だなぁ、じゃ遠慮なく」
彼は本当に美味しそうに料理を口に運ぶ。
自分が作った料理を『美味しい』と言ってもらうのは初めてのことではないのにもかかわらず、彼の言葉はまるで初めてそう言われた時のような気分にさせる。
それほど、彼は『作ってよかった』と心の底から思わせる表情と食べ方をするのだ。
「はぁー、どれも美味かった!」
「…それなら良かったです」
「こんな美味いもん食えたし、人助けも悪くないな。あはは!」
満足そうな彼の表情は僕が少し彼に近付けたことを表しているようで、ふと嬉しくなる。
だが、その次に彼は「もうここへは来るな」と言い始めた。
彼自身の置かれている状況から滲み出ているようなその言葉は僕に突き刺さる。
その上、「ちょっとは自分の事も考えろよ」と言われたことで、僕は自然と問いかけていた。
「…君は?」
「は?」
「君こそ…自分のこと、考えてる?」
僕は慎重に言葉を選んで続ける。
「…この辺りにはロクなやつがいないって…君は違うでしょ。どうしてこんなところに…」
だが、彼はまったく取り合わない様子でその場を去ろうとしてしまう。
その言葉や態度から、彼は自分自身や周りの状況に無関心、諦めの考えでいるようだと分かる。
それは彼が自らの名前を言った時にも表れていた。
「名前の意味は『清い水に住む魚』だ。食われるだけの、魚だよ!」
ーーーーーー
(彼をあの場に引き留めているのは何なんだろう、どうしてあんなところに居続けているんだろうか…)
僕はとにかく、何度も何度も彼に料理を届けることにした。
彼の様子を見るためと親しくなるため、そして健康になってもらいたいからというのも もちろんあるが、何よりも彼に話しかけてくる男達を退けるためだ。
毎日、彼と話をしていると目の端に人影が現れる。
その人影は日によって身長が違うものの、僕の姿を見るとそのまま踵を返していくのはどれも同じだ。
(おおかた僕が今日の彼の相手だと思ってるんだろうな。…それでいい、相手なんかさせない)
僕はただ料理を届けるのではなく、今晩 彼と楽しむのは自分だと勘違いさせるために人影が消えてから持ってきた料理を手渡すようにした。
彼はみるみる顔色が良くなっていき、その作戦が上手く行っていることは尋ねなくても充分すぎるほど分かった。
ーーーーーー
「あら、なんだかそれ使いづらそうね」
「うん。切れ味はいいけど、なんだか扱いづらくて…」
「それなら早めに調整してもらった方がいいと思うわよ、持ち手とかを少し見てもらうだけで随分変わるもの。また今日も鉱業地域へ行くでしょ?ついでにそれも工房へ持って行きなさいな」
新しい刃物を使い始めて何週間にもなるが、それでもなかなか手に馴染めなかったのを見かねた女性達の助言により、僕は刃物をきちんと包んでその日の料理と共に彼の元へ向かうことにした。
(料理を渡してから工房に行こう。…あのおじいさんに上手く伝えられるかな、この手に馴染まない感じ…なんて言おうか、『食材が刃で捉えづらい』?…いや、もっと…こう…)
そう考えていると、先の方に彼の姿が見えた。
いつものように声をかけようとしたその時、突然現れた人影が彼の腕を掴み、強引に引っ張って行く。
「な、なんだ!お前…俺をどこに連れて行くつもりだ!?」
(あ、あいつ…!!)
僕はすぐに2人の後を追いかけた。
途中で見失ってしまうものの、神経を張り詰めながら必死に気配を辿った。
ーーーーーー
僕がようやく森の中で2人を見つけた時、すでに彼は男のものを口で『奉仕』させられている最中だった。
跪かされ、抵抗ができない彼の喉奥を貫くように腰を打ち付ける男は恍惚とした表情を浮かべている。
「…なにをしてるんだ」
込み上げる怒りを抑えずに男を威圧すると、「え、なにって、取り込み中なんだけど」という悪びれない答えが返ってきた。
「悪いね、失せてくんない?」
「…失せるのはそっちだ」
「はぁ…こんなとこに来るなんてさ、つけてきたの?他人のこういうとこを見るなんて、変態だね」
「…黙れ」
「もしかして俺達のを見て興奮しちゃった?だったらもうちょっと待っててよ、すぐに出してこいつを渡してやるからさ」
男の手が彼の頭を掴んでいる。
彼の髪を、あの男は力任せに握っている。
まったく彼から離れる様子のない男に、僕は自然と包んできた刃物の柄へと手を伸ばしていた。
「…え、それなんのつもり?」
さすがに怯んだらしい男は「どうせそれ、持ち手だけなんだろ?」と半笑いになって言うものの、男の手から抜け出した彼が「あの爺さんが持ち手だけなんか寄越すわけないだろ…」と呟いた瞬間、深くため息をついて「萎えたなぁ」と苛立たしげに言い放った。
「ツイてない、最悪。おい、近いうちに遊ぼうぜ。邪魔が入んないとこでさ」
ようやく男が立ち去り、僕は項垂れたままの彼がよろよろと小川の方へ行くのを少し後ろから見守った。
もっと早く来ていれば。
もっと早く彼の元へ来れていれば。
怒りの後を追うように込み上げてきたのは自己嫌悪だった。
「えっと…俺ん家、わりとすぐそこだからさ。寄ってかない?ここじゃゆっくり話もできないし」
「…うん」
僕はいつもと変わらないように振る舞う彼について行った。
ーーーーーー
彼の家の中はまるで生活感がなく、本当にここで毎日寝起きしているのかと不思議に思えるほどだ。
僕の部屋も物は少ない方だが、工芸地域の建物というだけあって柱や棚には彫刻がされており、年月を経て美しく染まった温もりを感じさせる天井、壁、床板のお陰もあって殺風景というわけではない。
それに比べ、この部屋はなんの飾り気もなく、ただ雨風を凌ぐためだけというような寒々しいものだ。
つとめて明るく話す彼は喉元を痛めたらしく、無意識に擦りながら話しているのだが、それがまた痛々しい。
「…君はどうして」
「うん?」
「どうして君は…こんな所にいるの」
僕が尋ねると、彼は屈託ない笑みを浮かべて自らが男達の慰みものになっていることや過去の境遇を語り出した。
今まで僕は彼を救い出したいと考えてきたが、それにはまず彼自身がそれを望まなければ意味がない。
そのために少しずつ打ち解け、男達の相手をせずに済むよう計らってきたのだが、どうやら彼には元からそういった考えがなかったようだ。
僕から「…アテとツテなら、もうある」と聞いた時の彼の表情がそれを物語っていた。
どうか僕を頼って、自らこの生活から逃れたいと思ってほしい。
そう願っての僕の心からの言葉だったが、それさえも彼には届いていないことが思い知らされる。
「…なぁ、熊ちゃんさ、俺を抱きたいの?」
僕はすっかり打ちのめされてしまった。
彼の自己肯定感は想像していた以上に深い底にあったのだ。
そうならざるを得なかった彼の境遇への哀しみ。
彼をそこまで追い詰めた男達への怒り。
僕も所詮は彼の体を求める男達と同じに見られていたのだという虚しさ。
様々な思いが胸のうちに渦巻き、それらは言葉となって止めどなく口から出ていく。
「く、熊ちゃん…俺が悪かったって…その、俺が聞きたかったのはさ…」
彼は戸惑った様子で言い繕おうとしているものの、それ以上彼の言葉を聞くのは耐えられないと思った僕は今日の分の料理を渡して帰ることにした。
あんなことがあったばかりの彼を外で歩かせるわけにはいかず、彼があと1つ残していた今日の届け物はちょうど僕が向かおうとしていた工房のすぐ近くの所宛ということもあって、僕が代わりに届けに行くことにする。
「…とにかく、もう今日は外に出ないで。きちんと鍵をかけて、誰が来ても応じちゃだめだ。そうして、お願いだから」
「う、うん…分かったよ…」
「……それじゃ」
きちんと扉に鍵がかかったことを確認してから、僕は彼の家をあとにした。
本当は彼から離れたくない。
僕が去った後から誰かが彼の家に押し入る可能性が十分にあるからだ。
薄い扉にかけられた鍵は粗末なもので、工芸地域の職人達が造る重厚な木の扉と強固な鍵に比べれば施錠する意味など無いに等しい。
それでも僕には彼の意志に反することはどうしてもできなかった。
彼の側にいて守ることも、手を引いてこの場から去ることも。
彼の意志無くそんなことをしてしまえば、結局は彼の体を無理矢理拓いた男達となんら変わりないのだ。
(僕は守れているつもりでいただけだったのかな。僕の知らない間にあんなことをさせられ続けていたのかもしれない…だとしたら、僕は、どうしたらいいんだろうか。身体を大切にしてほしいだけ、ただそれだけなんだ。…いっそのこと僕の所へ来てほしいと言ってしまおうか。もし彼にそれを拒絶されたとしても、傷つくのは僕だけじゃないか。それならそれで構わない、僕の所でなくても、それでも構わないから…)
荷物を届けた後で刃物の調整をしに行くと、ほんの少し持ち手を整えてもらっただけでよく手に馴染むようになり、僕はそのまま帰路へついた。
「おかえりなさい。あら、刃物の調整は?そのまま帰ってきたの?」
「あ…ちょっと持ち手を削ってもらったら良くなったから、預けなかったんだ」
「そう!それなら良かったわね」
食堂は相変わらず女性達が賑やかに調理や翌日のための支度をしている。
昼の片付けが全て終わった後、余った食材で今晩のおかずはどんなものを作ろうかと話し合ったり、自分の家族が好む味付けを披露し合ったりする様子は、見ているだけでも和やかな気分になるものだ。
(彼は元々賑やかなのは嫌いじゃなさそうだから…ここを気に入るんじゃないかな、きっと。だけど…それもそういう風に見えているだけなのかもしれない、本当の彼を僕は知れてないんだ…)
僕は1人、そんな思いを抱えながら食堂を眺めていた。
ーーーーーー
「そろそろ出そう…なぁ、飲めよ。俺のを飲む顔、見せろよ」
「うっ……うぅ…」
「はぁ…泣き顔とかもそそる、わざとじゃないよな?わざとなのか?おい、大人しくもっと奥まで咥えろ、喉にこのまま出してやるから…」
〘や、やめろ!〙
「うぅっ…ゲホッ…」
〘苦しがってるじゃないか!彼から離れろ、やめろ!!〙
「ほら、こっちを見ろ、うん?出すからな、全部飲めよ……」
「『…や、やめろ!!』」
僕は寝台から飛び起きた。
窓の外は白み始めたばかりで、いつもよりも随分と早く目が覚めたのだと分かる。
すでに全身汗をかいていたが、今見ていた夢が現実ではなくて良かったという安堵感と、目に焼き付いて離れない光景のせいでさらに汗をかいてしまった。
(夢だ…夢…止めろと言いたいのに声が出ないあの感覚…あんな夢を見るなんて。まさか彼の身に何か…?…いや、夢を見たのは昨日の『あの事』のせいだ、そのはずだ。彼は無事、彼は無事のはず…あぁ、頼む…頼むから無事でいて)
すっかり目が覚めてしまった僕は階下の浴室で水を浴び、そのまま朝食の自宅に取り掛かることにした。
昨夜はなかなか寝付くことができなかった上、朝早くに飛び起きてしまったせいで体が重く感じて仕方ない。
それでも午前中の仕事を終えると、料理をかごに詰め、見慣れた景色が広がる鉱業地域への道を歩き始めた。
たとえ彼が僕のことを他の男達と同じだと思っていたとしても、きっと心から話せば実際はそうではないと信じてもらえるはずだ。
そう心に決め、道中で何度も話す内容を考えて彼に会ったのだが、それらは彼の言葉を聞いた瞬間に全てどこかへと飛んでいってしまった。
「熊ちゃんてさ、その…俺のこと、好き…なの…?」
真面目に聞きたいことがある、と前置きしてから話した彼は緊張の面持ちで、見ようによっては怯えているようにもとれる。
僕はそんな彼の表情を、不覚にも『愛おしい』と感じていた。
(『好き』…あぁそうか、僕は彼のことが好き…なのか。様子が気になって、他の男達には触れさせたくなくて、笑顔にさせたくて、幸せにしてあげたいんだ。他の誰かじゃなくて、僕が幸せにしてあげたいんだ。僕がこの人の隣に居たいんだ)
漠然と彼を『幸せにしたい』と思ってきたのだが、その気持ちが彼を『好き』ということだとは今の今まで知らずにいた。
彼から尋ねられなかったら、この先もずっと自覚することはなかったかもしれない。
僕が頷くと、彼は「それは…友達…として…?」と再び尋ねてきたため、今度はしっかりと否定してみせる。
とにかく、何をおいても彼を幸せにしたい。
彼を初めて見た時のことから話していると、自然とそんな想いが溢れて目を潤ませる。
昨日の彼を守りきれなかったという事実がより深く胸を突き刺すものの、頬を伝う雫を拭う手のひらと温かな声がそれさえも癒やしていった。
「ありがとう、熊ちゃん。こんな俺を助けてくれて、好きになってくれて。俺のために…怒ってくれて。…熊ちゃん。ねぇ、熊ちゃん。明日もさ、ここへ来てよ。何とは言わないけど…必ず、ね」
少し気恥ずかしそうに言う彼。
彼の言葉が何を意味しているのかは、尋ねなくてもよく分かる。
僕は涙を堪えるために歯を食いしばりながら、力強く頷いた。
「おかえり…あら、あらあら!なに、なにか良いことでもあったの?」
「本当ね!なぜそんなに嬉しそうなの、どうしたのよ?」
僕が食堂へ帰り着くなり、女性達は口々に「何があったの?」「教えてちょうだいよ」とはやし立てる。
「実は…」と彼が明日、ここへ引っ越してくることを伝えると、一斉に歓喜の声が上がり、まるで百年に一度の祭りかのような騒ぎになった。
「よくやったわ、よくやってくれた!もう本当に…いつそう言ってくれるのかと思ってたのよ!」
「私もよ!だけど本当に来てくれるか分からないし、あまり期待するのも…と思ってたの!だからすごく嬉しい!」
「明日、明日ね?明日のいつ?」
「夕方には迎えに行くよ、だけど道中で越してくるのに必要なものも見てくるかもしれないから、遅くなると思う。明後日かその次の日にはここに…」
「明後日には!楽しみね、新しい人が、それも男手が増えるなんて!」
話は騒ぎを聞きつけて倉庫から戻ってきた人達にも伝えられ、食堂は一層賑やかになる。
僕も(いよいよ彼がここへやってくる)と思うと、微笑まずにはいられなかった。
ーーーーーー
翌日、何が彼の身に起こったかはもう語るまでもないだろう。
その日、僕は間違いなく産まれて初めて『強烈な怒り』というものを経験した。
彼の姿を探して走り回った末に見つけた『それ』は僕を一瞬にして烈火の如き怒りで包み、「早く彼をここから連れ出さなければ」という思いがなければ自分でも何をしていたかわからないほどだ。
彼の素体をこれ以上男達の目に晒しておきたくないという思いから、手近にあった窓掛けを引きちぎると彼の体に覆い被せる。
中にいた男達は一見すると屈強そうだったものの、不意を突かれたためなのか、掴みかかってきたところを軽く体当りしただけでも壁まで吹っ飛んでいった。
とにかく追って来れないようにして、早く彼をこの場から連れ出さなければならない。
僕を取り抑えようとする男達の腕を捻り、『急所』を軽く、あくまでも『軽く』蹴り上げ、1人として起き上がれなくなったことを確認した僕は被せた窓掛けごと彼を担いで走り出した。
2度と彼をこんな目に遭わせるものか。
そう堅く誓って。
ーーーーーー
「ん…くま…まだ寝てないのか…」
「…うん、君のことを見てた」
「ふふっ…まったく…よく飽きないなぁ…」
今、僕の腕の中には口の端に笑みを浮かべて微睡む彼がいる。
ひとしきり身体を重ねたあとで疲れきっているにも関わらず、僕を精一杯の力を込めて抱きしめてくる姿が愛らしくてたまらない。
僕が彼の額に唇をつけると、彼はまた「ふふっ…」と軽く笑った。
僕は彼が受けてきた『仕打ち』を生涯忘れることはないだろう。
彼の尻には男達の相手をさせられた時についた傷や痣が消えずに残っていて、僕は彼と身体を重ねる度に嫌でもそれらを目にすることになる。
明らかに人の手によってつけられたそれらの傷や痣は、彼がどんなことをされてきたのかと思わずにはいられない。
せめてもの救いはこの傷や痣が自分では見えないところにあって、彼自身はその存在を知らずにいるということだ。
彼には過去に縛られず、ただ幸せな思いだけを残していってほしい。
胸元の彼の温もりを感じていると僕も次第に目を開けていられなくなる。
僕は彼をしっかりと抱きしめ直した。
(僕の、僕だけの『魚』…愛しい君が、どうかずっと幸せでいられますように…)
0
あなたにおすすめの小説
BL 男達の性事情
蔵屋
BL
漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。
漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。
漁師の仕事は多岐にわたる。
例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。
陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、
多彩だ。
漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。
漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。
養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。
陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。
漁業の種類と言われる仕事がある。
漁師の仕事だ。
仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。
沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。
日本の漁師の多くがこの形態なのだ。
沖合(近海)漁業という仕事もある。
沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。
遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。
内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。
漁師の働き方は、さまざま。
漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。
出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。
休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。
個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。
漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。
専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。
資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。
漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。
食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。
地域との連携も必要である。
沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。
この物語の主人公は極楽翔太。18歳。
翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。
もう一人の主人公は木下英二。28歳。
地元で料理旅館を経営するオーナー。
翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。
この物語の始まりである。
この物語はフィクションです。
この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
ノリで付き合っただけなのに、別れてくれなくて詰んでる
cheeery
BL
告白23連敗中の高校二年生・浅海凪。失恋のショックと友人たちの悪ノリから、クラス一のモテ男で親友、久遠碧斗に勢いで「付き合うか」と言ってしまう。冗談で済むと思いきや、碧斗は「いいよ」とあっさり承諾し本気で付き合うことになってしまった。
「付き合おうって言ったのは凪だよね」
あの流れで本気だとは思わないだろおおお。
凪はなんとか碧斗に愛想を尽かされようと、嫌われよう大作戦を実行するが……?
あなたの隣で初めての恋を知る
彩矢
BL
5歳のときバス事故で両親を失った四季。足に大怪我を負い車椅子での生活を余儀なくされる。しらさぎが丘養護施設で育ち、高校卒業後、施設を出て一人暮らしをはじめる。
その日暮らしの苦しい生活でも決して明るさを失わない四季。
そんなある日、突然の雷雨に身の危険を感じ、雨宿りするためにあるマンションの駐車場に避難する四季。そこで、運命の出会いをすることに。
一回りも年上の彼に一目惚れされ溺愛される四季。
初めての恋に戸惑いつつも四季は、やがて彼を愛するようになる。
表紙絵は絵師のkaworineさんに描いていただきました。
強制悪役劣等生、レベル99の超人達の激重愛に逃げられない
砂糖犬
BL
悪名高い乙女ゲームの悪役令息に生まれ変わった主人公。
自分の未来は自分で変えると強制力に抗う事に。
ただ平穏に暮らしたい、それだけだった。
とあるきっかけフラグのせいで、友情ルートは崩れ去っていく。
恋愛ルートを認めない弱々キャラにわからせ愛を仕掛ける攻略キャラクター達。
ヒロインは?悪役令嬢は?それどころではない。
落第が掛かっている大事な時に、主人公は及第点を取れるのか!?
最強の力を内に憑依する時、その力は目覚める。
12人の攻略キャラクター×強制力に苦しむ悪役劣等生
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる