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二年目の春の話

四 お花見

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 午後七時。
 レンはルイスを連れて、公園にやってきた。商店街の裏手にある。
 ホテルの川沿いの数百メートルにもなる桜街道には及ばないが、小さな公園は遊具などを取り囲むように桜が植えられ、遠い街灯とこの季節だけつく行灯が花びらを照らして幻想的だ。花は満開だった。時々、ひらひらと花弁が落ちてくる。
 今夜は風がない。気温が低くないので風がないととても過ごしやすい。
 一番いい点は、穴場であることだ。誰もいないし、道を一本入っているので、人目もない。
 ルイスは咲き乱れる桜を眺めながら、深呼吸して言った。

「いい場所ですね」
「でしょう。もうひとつお花見スポットがあって、そっちは広くて地元民に人気なんですけど、こっちは知る人ぞ知るなんです」

 桜の下のベンチに二人で掛ける。レンは手提げからタッパーを取り出した。

「おにぎりとだし巻き卵とウィンナーです」
「レンにしてはシンプルですね」
「これがいいんです」

 レンのこだわりがあるらしいとみて、ルイスは納得した。
 おにぎりは梅とおかか、昆布だ。ルイスはシーチキン党なので、どれも自分で選んで食べる具ではないのだが、レンが握ったと聞いたら食べたくなるのだから不思議だ。
 出汁巻き卵は、密度が高いのにふわふわしている。ウィンナーは市販のものだが胡椒がきいている。

「美味しい」

 二人で夜桜を仰ぎながら、のんびりと食べる。
 ルイスは美味しいものを食べ慣れている方だ。だが、レンが作ったものは格別に美味しいとルイスはいつも思う。
 レンが作るからなのだろうか。それとも一緒に食べるからか。
 レンの店は人気店で、美味しいと思っている人がたくさんいる。だから自分だけではないとはわかっている。
 たとえばクリスティナは、小さい頃から味覚が繊細なたちで、そこに料理音痴のエマが母親ときて、ずいぶん苦労していた。
 外の食事は嫌がり、家でも食べられないといって泣いていた。
 このままだと病気になるのではと危惧していたとき、美味しい食堂を見つけたので通い詰めるようになったという。
 約束を破った謝罪のために、学校帰りのクリスティナを探していたルイスは、レンに出会った。クリスティナがあの商店街に入らなければ、レンとは出会っていなかった。

「レン」
「はい」
「レンの作るものは本当に美味しいです」
「ありがとうございます」

 春に関係を持ち、数ヶ月放置する形になった。気になってはいた。身体の相性が良かったせいで、度々思い出す存在だった。
 ただ、連絡しようと思ってもタイミングが合わず、日本に戻ったら会いに行こうと思っていたら、長引いてしまった。気づけば夏になっていた。
 真っ先に会いに行ったあの帰り道で、彼が無意識に流した涙を見たときに、申し訳ないことをしたと思ったものだ。そのときはまだ、ただ気になる存在というだけだった。
 当時は、こうして公園で桜を眺めたり、一緒に食事をしていることなど、想像すらしていなかった。そして、自分の心情の変化も。
 隣のレンも、のんびりとおにぎりを食べている。
 なんて穏やかな時間なのだろうとルイスは思う。気がつけば、自分は彼をとても必要としている。

「美味しかったです。ごちそうさま」
「おやつもありますよ。桜餅です」

 レンは、もうひとつのタッパーを開ける。水筒に温かい緑茶をいれてきた。
 過ごしやすいとはいえ、夜風は冷える。いつもは薄着のレンも、今日は暖かい格好をしてきた。ルイスに叱られるからだ。

「桜餅は、関東が長命寺、関西ではつぶつぶの道明寺が主流です。今回は長命寺です。平たく薄く焼いた生地でこしあんを包んだものです」

 ルイスは無言で口を開けた。
 レンは用心深く周囲を確認して、黙ってルイスの口に桜餅を入れる。小ぶりに作ったそれを、ルイスはもぐもぐ食べた。
 塩気のある葉に、柔らかい薄い生地で巻いた甘さ控えめのこしあんだ。
 受け取った温かい緑茶で流し込む。

「レンはお菓子も作れるんですね」
「ええ。時々季節のものを。学校でお菓子も習ったんですよ」
「調理師の専門学校?」
「そうです。日本料理、フレンチ、イタリアン、中華、製菓」

 まるでずっと昔のようだとレンは思う。あっという間の二年間だった。
 ホテルに就職してからの二年も、ただ毎日を一所懸命こなすだけで過ぎていった。
 よぞらを継いでからの日々は、何年も経ったというのに、もはや一瞬の出来事のように思える。

「レンは昔から料理が好きなんですか」
「料理は……どうでしょう。うちのごはんは俺が作るものだったから、好きというか、そういうものだと思ってました。親も専門学校卒の調理師だったので、自然な流れで」
「なるほど」

 ルイスは念のため周囲を確認の上、ベンチの上に横たわった。
 レンの膝を借り、仰向けになる。
 レンを見上げる。
 膝枕をすることになったレンは困っている。困っていて可愛い。

「……ルイスさん」
「もっと話してください。レンのことを知りたいです」
「え、なんでしょう……。俺、勉強はあまりできなかったです。すぐそこの公立小学校、中学校を出て、家から一番近い、偏差値五十の公立高校をなんとか卒業しました」
「ふふ。地頭は良いのに。勉強する習慣がなかったんでしょう」
「遊んでばっかでした」
「幼い頃の写真はありますか? 見てみたいです」
「ありますけど恥ずかしいです」

 大半の写真で淳弥が隣に写っていることを忘れてはならない。
 ルイスは言った。

「レンの人生にとって、僕という存在が、まだ出会ったばかりの、新しい時期の人間だと思うと、何もかもに妬けてきます」
「仕方がない人ですね」

 苦笑しながら、レンはルイスの顔に手のひらをかざした。
 仕事中もプライベートでも、ネックレスに通して持っている指輪を、食事の支度のあとに指につけてきている。
 ルイスからもらったものだ。

「……!」

 ルイスは目を丸くした。つけないと宣言していたのに。
 レンは少し得意気に微笑んでいる。
 ルイスはつけていない。ルイスもレンと同じく仕事中はつけられないし、ルイスにはプライベートの時間自体がない。全部仕事といえる。
 指輪は、日本の自宅マンションに置きっぱなしにしてある。帰国してから一度も自宅に戻っていないので、つけてくるという考えすら思い浮かばなかった。
 ルイスはレンの手のひらに重ねるように手をあげる。
 レンの手を握る。
 自分の頬に引き寄せた。
 目を閉じる。
 若干冷たい手のひらに、固い感触がする。なぜか胸がいっぱいになる。
 ルイスは静かに問いかけた。

「いつか君を、アメリカに連れて帰っていいですか」
「アメリカですか?」

 ルイスは頷いた。

「ずっと先の話かもしれませんが――将来の約束をしたいです」
「えーっと、病めるときも健やかなるときも?」

 ルイスは目を開ける。
 レンに言い聞かせるようにゆっくりと口にする。

「……喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、敬い、慰め、助け、その命ある限り、真心を尽くすことを、誓いますか」

 レンは同じくゆっくりと頷いた。

「誓います」

 空いている手を伸ばして、ルイスはレンの頬を撫でる。神妙な顔が可愛い。

「いま誓うようなら、すぐに連れていってしまいますよ」

 レンは何も言わずに、身を屈めて、ルイスにキスをした。
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