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四 ホワイトデーの話
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仕事が終わって帰るとき、裏口から出てすぐの従業員用の駐車場に、寿人さんの車を見つけた。
まだ会社の敷地のどこかにいるのだろうかと思いながらそばを通ると、運転席のシートを倒して、寿人さんはスーツのままで寝ていた。予想外の出来事に俺はやや驚く。
なんちゅう渋い表情なんだろう。悪夢でも見ているのだろうか。
起こすのも悪いだろうかと迷っていると、陰になったことに気づいたのか、寿人さんが目を開ける。
俺に気づき、少し表情がゆるんだ。すぐさま車を降りてくる。
「お帰りですか。送りましょうか」
「え!? いえ、大丈夫です」
「お礼に」
「いや、ここからはふつうに帰れるますよ。俺あとは帰るだけですし、寿人さん忙しいでしょ」
固辞すると寿人さんは諦めた。
疲れているように気が抜ける。
「……今日はありがとうございました。おかげで助かりました」
「あ、じゃあ色つけておいてください」
「出張手当?」
「やったー!」
俺が万歳をして喜ぶと寿人さんは笑った。
笑ったのを見たのは、本日初めてだ。今日は一日、表情が凍りついていたから。
そこで、おかしいなと俺は思う。
寿人さんは普段、とても無表情だ。笑わないのが通常運転である。
なのになぜ、笑わない彼では物足りないから、笑わせたくなったのだろう。なんだか気を張って疲れていそうな彼を見て、笑ったり、幸せそうにしているほうがいいと思ったのだ。寝かせておいてあげたほうがいいとわかっていたが、なんとなく話したかった。
「……これからご実家ですか?」
「いえ。言伝の件はもう済みました。家に帰って寝るだけです。少し疲れてしまって、ここで仮眠を」
「疲れますよね」
「ひとりになって、少し回復しました」
「あ、お邪魔でしたね」
「……狭山さんを邪魔だなんて思っていないこと、わかってるでしょ」
そう言ったとき、寿人さんの電話が鳴る。表示を見て、「またか」とため息を吐き、音を切ってマナーモードにし、電話には出なかった。
スーツのポケットに押し込んだスマホは、しばらく震えて、音が止み、静かになる。緊張の糸が切れるみたいに、ふたりでほっと息を吐いた。
目を合わせて笑った。
それからぼそりと呟いた。
「近くにいたくて。すみません」
寿人さんは運転席のドアにもたれて、黙っていた。
俺もしばらく黙っていた。
何も言わないことにした。会話をする必要がないように思えたからだ。沈黙はとくに苦でもなく、不思議な時間が流れる。
暮れかけて薄暗くなりつつある、人通りのない砂利敷の駐車場で、ただ、ふたりで立っている。そういう時間を共有するだけで、なんとなく分かり合える気がする。
近くにいてほしいと望まれている。俺もわかっていた。
時々目が合うと表情をゆるめて、どちらともなく、声を立てずに笑った。
寿人さんが、大きく息を吐いて、足を組み替えて砂利が鳴る。
そろそろ行かないといけないのだろうか。
と惜しく思ったところで、ふたたびスマホが振動しはじめた。着信に気づかないはずがないのに、寿人さんは素知らぬ顔で無視を決め込んだ。
一回、二回、三回、四回……。
十回ほどの粘り強いコールを出ることなく切れる。
寿人さんの勝ちだった。
寿人さんの顔を見上げると、横顔は妙にさっぱりしていて、俺の視線に気づいて、こちらを見てふっと力が抜けたように微笑む。
ふと自分の荷の存在を思い出した俺は、背負っているリュックを前に持ち、チャックを開ける。
小分けにした、どこにも行くあてのない福利厚生の失敗クグロフラスクが入っている。ドライフルーツがたくさん入っているところを選りすぐったので、美味しいとこ取りだ。
俺は袋の中のそれを、別の袋に移し替えようとした。
俺の手を寿人さんが掴んで止めた。その拍子にリュックに落ちた欠片を、俺はぽいと自分の口に放り込む。大きめのいちじくの部分で美味しい。
「……半分ください」
手を掴まれたままだ。
寿人さんを仰ぐ。距離が近い。目を細めている。美しい顔の鼻先が触れそうになる。すぐに触れる。
冷たい。
縋るような瞳を見つめ返した。
俺は言った。
「……あげます」
寿人さんは俺の唇に噛みついた。
<続く>
仕事が終わって帰るとき、裏口から出てすぐの従業員用の駐車場に、寿人さんの車を見つけた。
まだ会社の敷地のどこかにいるのだろうかと思いながらそばを通ると、運転席のシートを倒して、寿人さんはスーツのままで寝ていた。予想外の出来事に俺はやや驚く。
なんちゅう渋い表情なんだろう。悪夢でも見ているのだろうか。
起こすのも悪いだろうかと迷っていると、陰になったことに気づいたのか、寿人さんが目を開ける。
俺に気づき、少し表情がゆるんだ。すぐさま車を降りてくる。
「お帰りですか。送りましょうか」
「え!? いえ、大丈夫です」
「お礼に」
「いや、ここからはふつうに帰れるますよ。俺あとは帰るだけですし、寿人さん忙しいでしょ」
固辞すると寿人さんは諦めた。
疲れているように気が抜ける。
「……今日はありがとうございました。おかげで助かりました」
「あ、じゃあ色つけておいてください」
「出張手当?」
「やったー!」
俺が万歳をして喜ぶと寿人さんは笑った。
笑ったのを見たのは、本日初めてだ。今日は一日、表情が凍りついていたから。
そこで、おかしいなと俺は思う。
寿人さんは普段、とても無表情だ。笑わないのが通常運転である。
なのになぜ、笑わない彼では物足りないから、笑わせたくなったのだろう。なんだか気を張って疲れていそうな彼を見て、笑ったり、幸せそうにしているほうがいいと思ったのだ。寝かせておいてあげたほうがいいとわかっていたが、なんとなく話したかった。
「……これからご実家ですか?」
「いえ。言伝の件はもう済みました。家に帰って寝るだけです。少し疲れてしまって、ここで仮眠を」
「疲れますよね」
「ひとりになって、少し回復しました」
「あ、お邪魔でしたね」
「……狭山さんを邪魔だなんて思っていないこと、わかってるでしょ」
そう言ったとき、寿人さんの電話が鳴る。表示を見て、「またか」とため息を吐き、音を切ってマナーモードにし、電話には出なかった。
スーツのポケットに押し込んだスマホは、しばらく震えて、音が止み、静かになる。緊張の糸が切れるみたいに、ふたりでほっと息を吐いた。
目を合わせて笑った。
それからぼそりと呟いた。
「近くにいたくて。すみません」
寿人さんは運転席のドアにもたれて、黙っていた。
俺もしばらく黙っていた。
何も言わないことにした。会話をする必要がないように思えたからだ。沈黙はとくに苦でもなく、不思議な時間が流れる。
暮れかけて薄暗くなりつつある、人通りのない砂利敷の駐車場で、ただ、ふたりで立っている。そういう時間を共有するだけで、なんとなく分かり合える気がする。
近くにいてほしいと望まれている。俺もわかっていた。
時々目が合うと表情をゆるめて、どちらともなく、声を立てずに笑った。
寿人さんが、大きく息を吐いて、足を組み替えて砂利が鳴る。
そろそろ行かないといけないのだろうか。
と惜しく思ったところで、ふたたびスマホが振動しはじめた。着信に気づかないはずがないのに、寿人さんは素知らぬ顔で無視を決め込んだ。
一回、二回、三回、四回……。
十回ほどの粘り強いコールを出ることなく切れる。
寿人さんの勝ちだった。
寿人さんの顔を見上げると、横顔は妙にさっぱりしていて、俺の視線に気づいて、こちらを見てふっと力が抜けたように微笑む。
ふと自分の荷の存在を思い出した俺は、背負っているリュックを前に持ち、チャックを開ける。
小分けにした、どこにも行くあてのない福利厚生の失敗クグロフラスクが入っている。ドライフルーツがたくさん入っているところを選りすぐったので、美味しいとこ取りだ。
俺は袋の中のそれを、別の袋に移し替えようとした。
俺の手を寿人さんが掴んで止めた。その拍子にリュックに落ちた欠片を、俺はぽいと自分の口に放り込む。大きめのいちじくの部分で美味しい。
「……半分ください」
手を掴まれたままだ。
寿人さんを仰ぐ。距離が近い。目を細めている。美しい顔の鼻先が触れそうになる。すぐに触れる。
冷たい。
縋るような瞳を見つめ返した。
俺は言った。
「……あげます」
寿人さんは俺の唇に噛みついた。
<続く>
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