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3 新婚旅行の申し込みと発育不良のΩ
五 おうちに帰ろう
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薬局を出て、駅のほうへ向かって歩く。ふとスマホを取り出して、メッセージが入ってきていると気づいた。三十分ほど前。文弥さんだ。
『いま電話してもいい?』
俺がかけ直そうとすると、文弥さんから電話がかかってきた。なんてタイミング。
『あっ、尚くん?』
「はい」
『えへへ、電話しちゃった。体調はどう? いつものクリニックに行くって言ってたけど、無事着いた? お医者さん、なんて言ってた?』
文弥さんの声は優しい。文弥さんは、いつも俺に優しい。
身勝手なんじゃないんだ。お互いに相手が必要だっただけ。それだけなんだ。でも、先生には言えなかった。
そうだ、食事をしたら抑制剤を飲まないといけない。薬の入った袋を見ると、避妊薬も入っている。あ、胃薬も出てる。胃が荒れるかもしれないからと粘膜を保護するためのものだ。
「あ……えっと……、診察してもらって……、胃腸風邪みたいです」
『そっかぁ。大事にしないとね』
なんだか残念そう。
「はい。俺、家に帰って寝ますね」
診察をしてもらったっていう心理的な安心からか、症状は少し落ち着いたけれど、それでもだるい。早く帰らないと体調不良のままだ。早く帰って、飲んで寝たら、明日にはおさまっているはず。
『病院、前のアパートの近くって言っていたよね。実は近くまで来てるんだ』
「えっ」
駅で待ち合わせることにして、俺が駅に着くと、待ち合わせ場所に文弥さんは先に着いていた。本当に、俺を迎えに来てくれてたんだ……。
「尚くん」
「文弥さん」
嬉しそうに片手を振る文弥さんは、いかにも仕事を抜け出してきた、という感じ。荷物も持っていなくて、スーツ姿で、首から名札を下げていて、コートを羽織ってそのまま。
俺の荷物を、持つよといって持って、さらに俺の両手を両手で取る。
「尚くん、手、冷たいな。具合悪かったね。今日、ひとりで行かせてごめん。次からはついていくよ。電車じゃなくてタクシーにしようね」
「あ……いえ、そんなに重い症状じゃないですし、大丈夫です」
「胃腸風邪なんでしょ。重くなくても心配だよ。吐き気は? おなか痛くない?」
「いえ……今は平気です」
「早く帰って休もうね。今夜はゆっくり寝よう」
文弥さんは、若干俺の頭を嗅ぎつつ、ふらついているのを支えてくれる。俺もつい文弥さんを嗅いじゃう。
いいにおい。落ち着く。でもなんだかそわそわする。ふわっと熱い。
やばい。熱が出てきたのかも。
電車に乗って、文弥さんの家の最寄り駅に着くころには、熱が急速にあがってきた。意識も朦朧として、頭がふわふわする。
支えてもふらふらの俺を、文弥さんはとうとう背負った。
「ごめんなさい」
「迎えにきてよかった。僕の出番」
文弥さんは明るく言った。嬉しそう。でも俺、そんなに軽くないよ。ひ弱だけど成人男性だもん。
マンションまではあと少しだ。ほぼ駅直結。アーケードや地下街を駆使すれば雨に濡れずにたどり着ける。
そのあと少しが歩けないなんて。
周りのひとは、大の男をおんぶしている文弥さんに、好奇心旺盛な視線を無遠慮に向けてくる。
あんまり見ないでほしい。こんなにも目立つかたちで、文弥さんに背負わせてしまうなんて。
「ごめんなさい……」
「あと少しだからね。大丈夫。僕がついてる」
文弥さんは言った。目立ってしまっていることなんて、何とも思っていないみたい。
文弥さんの背中、広いな。
あったかいし、いいにおいがするし、この体温にも声にも安心する……。
俺は文弥さんのコートの襟に頬を寄せる。
「ごめんなさい……」
「尚くん、ごはんは食べられそう? うどん作ろうか。実は僕、少しは料理できるよ。ひとりのときは実家で食べてたけど。あっ、うるさくてごめん」
「いえ……話していてください……文弥さんの声……落ち着くんです……」
「無理させてたの、ごめんね」
「俺のほうこそ……」
文弥さんは、ことさらゆっくりと言った。
「尚くんはなーんにも謝ることないよ。あ、そうだ、うどんに何の具をいれようね。しいたけ、わかめ、かつおぶし、かまぼこ、たまご。油揚げはよくないかな。胃腸にやさしいものにしよう。野菜も入れて、あんかけにしようか。何が好き? 何が苦手?」
「きのこ、きらい……」
「わかった。しいたけは、フープロでみじんぎりにしておこうね」
「えっ……、入れるんですか……?」
「だって出汁がでるし健康にもいいもん」
嫌ですと笑いながら、息を吐くたび、意識が遠のいていく。
「尚くんが早くよくなりますように」
もう少しでマンションに着く。とりあえず一眠りしよう。起きて食事をして、薬を飲んで、また寝たら大丈夫。
そうしたら、たぶん、けろっとしてる。抑制剤はよくきくほう。
文弥さんの声が遠くなっていく。眠いなぁ。瞼も落ちていく。
でも大丈夫。文弥さんがいて、背負って帰ってくれる。
だから大丈夫なんだ。
「ねむい……すみません……ねそう……」
「寝ていいよ。おやすみ尚くん」
意識が途切れる直前、俺はぼんやりと思ったんだ。
薬を飲んだら、いつも通り。抑制剤がきいて、今までどおりの俺に戻れる。
先生はああいったけれど、俺は就職口がなくて、経済的に自立できない。いまの俺は文弥さんを頼るしかない。一年間は、この関係を続けるしかない。
だけど、先生のいうとおり、身ごもってしまったり、噛まれ続けたら、別れた後に俺のほうがリスクを負う。文弥さんはαだから、Ωの生態を知らないんだと思う。
文弥さんは、相手が俺である必要はないだろうから、俺が離れたらすぐ他の相手が見つかるはず。でも俺には文弥さんしかいない。
だから俺がちゃんと、意識して、自分の身を守らなきゃいけない。抑制剤はちゃんと飲んで、なんとか一年をやり過ごすしかないんだ。
だけど……。
先生が言っていた、「将来のない関係」という言葉が過ぎる。俺と文弥さんには、一年っていう取り決めがあって、そこで断ち切れてしまう。期間限定。当然、将来のある関係じゃない。
わかってる。
でも。
……将来のある関係って、いいな。
だって、文弥さんは、俺が歩けなくなっても、こうしてあたたかい背中で、背負ってくれる。
抑制剤なんかやめちゃってさ。Ωも診てくれるっていう産科で、検査をしたり治療もしたりして、パートナー同士で子どもを望んで……。信頼できる相手と人生を共にするって、どんなふうなんだろう。
俺と文弥さんにも、そういう未来があったなら。
文弥さんはきっといつか、誰か、俺の知らない人とそういう関係になるんだ。そして、子どもができたりして、未来を歩んでいくんだろう。でも、隣を歩くのは俺じゃない。
俺に、文弥さんの子どもが産めたらよかったのに。
『いま電話してもいい?』
俺がかけ直そうとすると、文弥さんから電話がかかってきた。なんてタイミング。
『あっ、尚くん?』
「はい」
『えへへ、電話しちゃった。体調はどう? いつものクリニックに行くって言ってたけど、無事着いた? お医者さん、なんて言ってた?』
文弥さんの声は優しい。文弥さんは、いつも俺に優しい。
身勝手なんじゃないんだ。お互いに相手が必要だっただけ。それだけなんだ。でも、先生には言えなかった。
そうだ、食事をしたら抑制剤を飲まないといけない。薬の入った袋を見ると、避妊薬も入っている。あ、胃薬も出てる。胃が荒れるかもしれないからと粘膜を保護するためのものだ。
「あ……えっと……、診察してもらって……、胃腸風邪みたいです」
『そっかぁ。大事にしないとね』
なんだか残念そう。
「はい。俺、家に帰って寝ますね」
診察をしてもらったっていう心理的な安心からか、症状は少し落ち着いたけれど、それでもだるい。早く帰らないと体調不良のままだ。早く帰って、飲んで寝たら、明日にはおさまっているはず。
『病院、前のアパートの近くって言っていたよね。実は近くまで来てるんだ』
「えっ」
駅で待ち合わせることにして、俺が駅に着くと、待ち合わせ場所に文弥さんは先に着いていた。本当に、俺を迎えに来てくれてたんだ……。
「尚くん」
「文弥さん」
嬉しそうに片手を振る文弥さんは、いかにも仕事を抜け出してきた、という感じ。荷物も持っていなくて、スーツ姿で、首から名札を下げていて、コートを羽織ってそのまま。
俺の荷物を、持つよといって持って、さらに俺の両手を両手で取る。
「尚くん、手、冷たいな。具合悪かったね。今日、ひとりで行かせてごめん。次からはついていくよ。電車じゃなくてタクシーにしようね」
「あ……いえ、そんなに重い症状じゃないですし、大丈夫です」
「胃腸風邪なんでしょ。重くなくても心配だよ。吐き気は? おなか痛くない?」
「いえ……今は平気です」
「早く帰って休もうね。今夜はゆっくり寝よう」
文弥さんは、若干俺の頭を嗅ぎつつ、ふらついているのを支えてくれる。俺もつい文弥さんを嗅いじゃう。
いいにおい。落ち着く。でもなんだかそわそわする。ふわっと熱い。
やばい。熱が出てきたのかも。
電車に乗って、文弥さんの家の最寄り駅に着くころには、熱が急速にあがってきた。意識も朦朧として、頭がふわふわする。
支えてもふらふらの俺を、文弥さんはとうとう背負った。
「ごめんなさい」
「迎えにきてよかった。僕の出番」
文弥さんは明るく言った。嬉しそう。でも俺、そんなに軽くないよ。ひ弱だけど成人男性だもん。
マンションまではあと少しだ。ほぼ駅直結。アーケードや地下街を駆使すれば雨に濡れずにたどり着ける。
そのあと少しが歩けないなんて。
周りのひとは、大の男をおんぶしている文弥さんに、好奇心旺盛な視線を無遠慮に向けてくる。
あんまり見ないでほしい。こんなにも目立つかたちで、文弥さんに背負わせてしまうなんて。
「ごめんなさい……」
「あと少しだからね。大丈夫。僕がついてる」
文弥さんは言った。目立ってしまっていることなんて、何とも思っていないみたい。
文弥さんの背中、広いな。
あったかいし、いいにおいがするし、この体温にも声にも安心する……。
俺は文弥さんのコートの襟に頬を寄せる。
「ごめんなさい……」
「尚くん、ごはんは食べられそう? うどん作ろうか。実は僕、少しは料理できるよ。ひとりのときは実家で食べてたけど。あっ、うるさくてごめん」
「いえ……話していてください……文弥さんの声……落ち着くんです……」
「無理させてたの、ごめんね」
「俺のほうこそ……」
文弥さんは、ことさらゆっくりと言った。
「尚くんはなーんにも謝ることないよ。あ、そうだ、うどんに何の具をいれようね。しいたけ、わかめ、かつおぶし、かまぼこ、たまご。油揚げはよくないかな。胃腸にやさしいものにしよう。野菜も入れて、あんかけにしようか。何が好き? 何が苦手?」
「きのこ、きらい……」
「わかった。しいたけは、フープロでみじんぎりにしておこうね」
「えっ……、入れるんですか……?」
「だって出汁がでるし健康にもいいもん」
嫌ですと笑いながら、息を吐くたび、意識が遠のいていく。
「尚くんが早くよくなりますように」
もう少しでマンションに着く。とりあえず一眠りしよう。起きて食事をして、薬を飲んで、また寝たら大丈夫。
そうしたら、たぶん、けろっとしてる。抑制剤はよくきくほう。
文弥さんの声が遠くなっていく。眠いなぁ。瞼も落ちていく。
でも大丈夫。文弥さんがいて、背負って帰ってくれる。
だから大丈夫なんだ。
「ねむい……すみません……ねそう……」
「寝ていいよ。おやすみ尚くん」
意識が途切れる直前、俺はぼんやりと思ったんだ。
薬を飲んだら、いつも通り。抑制剤がきいて、今までどおりの俺に戻れる。
先生はああいったけれど、俺は就職口がなくて、経済的に自立できない。いまの俺は文弥さんを頼るしかない。一年間は、この関係を続けるしかない。
だけど、先生のいうとおり、身ごもってしまったり、噛まれ続けたら、別れた後に俺のほうがリスクを負う。文弥さんはαだから、Ωの生態を知らないんだと思う。
文弥さんは、相手が俺である必要はないだろうから、俺が離れたらすぐ他の相手が見つかるはず。でも俺には文弥さんしかいない。
だから俺がちゃんと、意識して、自分の身を守らなきゃいけない。抑制剤はちゃんと飲んで、なんとか一年をやり過ごすしかないんだ。
だけど……。
先生が言っていた、「将来のない関係」という言葉が過ぎる。俺と文弥さんには、一年っていう取り決めがあって、そこで断ち切れてしまう。期間限定。当然、将来のある関係じゃない。
わかってる。
でも。
……将来のある関係って、いいな。
だって、文弥さんは、俺が歩けなくなっても、こうしてあたたかい背中で、背負ってくれる。
抑制剤なんかやめちゃってさ。Ωも診てくれるっていう産科で、検査をしたり治療もしたりして、パートナー同士で子どもを望んで……。信頼できる相手と人生を共にするって、どんなふうなんだろう。
俺と文弥さんにも、そういう未来があったなら。
文弥さんはきっといつか、誰か、俺の知らない人とそういう関係になるんだ。そして、子どもができたりして、未来を歩んでいくんだろう。でも、隣を歩くのは俺じゃない。
俺に、文弥さんの子どもが産めたらよかったのに。
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