エリート先輩はうかつな後輩に執着する

みつきみつか

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3 ある長期休暇の頃

十四 またつけてる

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 午前七時。雨。
 平日だけど俺の会社は休みで、カズ先輩も休みのはずだったんだけど、そろそろ起きるかと微睡んでいるときに、スマホが鳴ってカズ先輩は出た。

「あ、はい。わかりました、出社します」

 眠たげな声を抑えて、カズ先輩は咳払いをして答えて、ベッドをおりていく。俺もそろそろ起きようと思っていたのでついていく。

「昨日までの書類出すの忘れてた……」
「ありゃりゃ」
「やることもあるから、会社行くね」
「はい」
「午前中だけにしよ……」

 カズ先輩はぶつぶつ呟きつつ、シャツを着て、寝室のクローゼットに掛けてるスーツを着る。俺はキッチンで、昨晩、朝飯用に作っておいたおにぎりを温める。
 あと何するって言ってたっけ。
 お湯を沸かして、インスタント味噌汁。きちんとした食事を無理に作ろうとするとすぐ限界が来るから、できることからしていこうって言って、時間がないときはこういうものから始めることになった。
 朝飯を食う習慣自体ないって言ったら、知ってたみたいだけどやんわり注意された。食べたほうがいいのはわかってるんだけどさ。だからこれからは一緒に食べる約束。
 コップに味噌汁を入れて、温めたおにぎり。お茶を淹れる。上着を着るだけになったカズ先輩が出てきて、カウンターテーブルに座って、食べ始める。

「多紀くん、今日はどうする?」
「掃除して、散歩でもしてきます。何か思い出すかもしれないし」
「そっか。俺、午後には帰ってくるね。多紀くんがよければ、外でお昼食べない?」
「あ、はい。そうしましょう」
「あとで連絡するね」

 カズ先輩が出勤した後、俺は部屋を軽く掃除したり、ベッドを整えたり。
 ブラック企業で働いていた俺は、休日なんてなくて、自分のことする暇もなくて全部放置って感じだったんだけど、ホワイト企業で働くと、休日があって、全部やっても時間が余るというね。
 雨はそれほどひどくない。傘を差して外に出ると、少し肌寒い。
 俺はマンションを出て、この部屋の前に暮らしていたという北千住のマンションに向かう。昨日も寄った。やっぱり何も思い出せない。
 雨が冷たくて、呼吸が気持ちいい。
 俺が行きそうなラーメン屋、中華屋、カフェチェーン、本屋。でもどれも、チェーンだなってことはわかるけれど、記憶を呼び覚ましたりはしない。
 あ、そうだ。と思いついて、俺は転職前の会社に向かってみる。
 俺が勤めていたブラック企業。どうせ皆いるよな。
 でも辞めて長いし、顔を出すのもなあ。どうせ辞めるときは社長と揉めてるだろうし。退職を決めた人で揉めてない人いないもんね。
 ああ、この道、ほんの数日前に通ったような感覚がある道。
 でも懐かしい。そう、俺はここを辞めて、もう三年近く経ってる。
 雨空、雑踏、俺はこの街で働いてた。
 一歩進むたびに、視界がクリアになっていく。
 このまま真っ直ぐ行けば会社の入っている雑居ビル。
 十八歳で就職して、雑用みたいな営業やってて、地方への出張も多くて、一ヶ月休みなしとかざら。
 社宅が大宮だったから、終電に間に合わなければ泊まり。会社に泊まってると、経費削減ってことで暖房や冷房を切られてしまうから、ネカフェに移動してたな。
 ふと、人混みの中に、上司の背中を見つけた気がした。
 ナチュラルモラハラ主任。ほんの数メートル先を歩いてる。
 会社に戻るところかな。
 挨拶のひとつくらいしたほうがいいんだろうな。
 そう思って、声を掛けようとする。
 あ、だめだ。
 声。

『あなたは、相田くんに話しかけてはいけないんですよ』

 あ、そうだ。話しかけてはいけない。
 辞めたんだ。
 名古屋営業所に応援に行って、条件はそのままだけれど就業時間は短くなるって聞いて、異動したいって言ったけれど一瞬で却下されたっていうか、鼻で笑われただけだった。真剣に取り合ってくれなくて、扱いがひどくなって毎日終電。
 葉子さんが具体的な話進んでるー? って電話くれて、葉子さんとカズ先輩で、西さんに話を通してくれた。
 俺から西さんに連絡させてもらって、西さんは「ほな会おか」って軽い感じ。気を遣ってくれて、近々東京に行くからそこで会おうってことで、カフェで会った。
 次の日には、「うちにおいで」って言ってもらえて……。
 だから前の会社に退職届を出したものの、何度か突き返されたあげく、上司に「これは預かっておく」って言われて、そのまま引き出しの中に仕舞いこまれてしまって、退職の話がちっとも進まなかったんだ。扱いはさらにひどくなるし。
 もうどうしたらいいのやら。
 葉子さんと野村さんに相談したんだよな。そうしたら、専門家に任せようってことになって、法律事務所を紹介してもらったんだ。
 俺は知らなかったけれど、カズ先輩のお兄さんの勤務先で、会社と交渉してくれたのはカズ先輩のお兄さん。
 点と点を結んで線になっていく。
 全部が繋がっていくように、するする思い出してくる。
 思い出す。
 覚えてる。
 俺の身に起きたこと、すべて。何もかも。
 なぜ会社を辞めることになったのか。葉子さんと出会ったこと。出会う経緯。前の晩の名古屋駅前の修羅場。さらに、あれがなぜ起きたことなのか。
 歩いていると、後ろから声を掛けられた。

「多紀くん!」

 俺は立ち止まって振り返る。
 傘を差したスーツ姿のビジネスマン。背が高くて、柔和で、優しそうで、やたらめったらイケメンで、やわらかくて甘い雰囲気。スーツ似合いすぎ。恐ろしくモテそう。
 笑顔で駆け寄ってくる。目の前に来る。
 仰ぐ。
 この人と俺の間に起きた出来事は、俺とこの人だけが知っている。
 和臣さん。

「……なんで」

 驚いて訊ねる。
 和臣さんはドヤ顔。

「俺、多紀くんがどこにいるのか、だいたいわかるんだ」

 おい、紛失防止用GPSタグ、またつけてるだろ!
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