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第三部 1 ある事件直後の土日
十四* 好きなひとができませんように
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ベランダに続く掃き出し窓を開けて、部屋の換気。
今日も天気がよかったし、日が長くて少し暑い。一日一日、夏に近づいていってる。初夏と梅雨の間の時期。
網戸にした窓に向かって、シャワー後の俺はパンツ一枚でベッドの端っこに座って、裸足の両足を投げ出す。和臣さんも一緒にシャワーを浴びて、下着一枚。
バックハグ。俺の背中にくっついてくる。肌が触れ合う。ちょっと汗かいてる。腕を回して、俺の肩を抱いてる。好きだね、この体勢。耳朶をかぷかぷ食べられる。くすぐったいよ。
俺は和臣さんを背もたれにしつつ訊ねる。
「今日の晩飯はなんですか?」
「山手線ゲーム。当ててみて」
以前、寝る前に山手線ゲームで、世界の肉料理を言い合った。夏までに作ろうって話。
和臣さんは律儀に作ってくれてる。
「えー、買ったのは、豚バラブロックですよね。あ、角煮? なんだっけ。中華風の」
「トンポーロー」
「それ」
「大正解。ルーロー飯にもできるよ。どっちがいい?」
「ルーロー飯って、丼でしたっけ」
「うん。のせるだけ」
「あ、いいな。俺、タレの染みた白米が好きなんです」
と言うと、和臣さんはくすくす笑ってる。
「知ってる」
「ビール買ってありましたよね」
「あるよ。呑もうか」
「ちょっと呑みたい気分。花火はまだですけど」
「花火、観たいね。多紀くんとみたい」
「はい」
いつなんだろう。あとで調べておこう。
年に何回観れるのかな。二、三回くらいか。
「ルーロー飯か……」
絶対に美味しい。
キッチンから漂ってくるにおいで腹がぐうぐう鳴ってる。
「たくさん作ったよ。冷凍しておいて、お弁当に入れようと思って。一緒に食べられなくても、多紀くんのお弁当、作りたいな」
「朝、忙しくなりません?」
「平気。ねえ、多紀くん」
「はい?」
和臣さんは、俺の首に顔をこすりつけてる。仕草が猫っぽい。さらさらした髪の毛。髪の毛もきれいなんだよな、このひと。
夕方の風が入ってくる。空は水色で透き通ってる。雲はそれほど出ていない。植物の香りがしている。空の色が刻々と変わっていく、夕方。
つい数時間前のドタバタが嘘みたいに、平和そのものだ。
和臣さんは言った。
「多紀くんが、誰かを本当に好きになったらと思うと、不安なんだ。俺のことを捨てて、去っていく日が、いつか来る」
本気でそう思ってるんだろうけど。
「そんなこと、いったい誰が言ってるんですか?」
「俺……」
「和臣さん以外は?」
「誰も……言ってません……」
「先輩相手にこんなこと言うのは気が引けるんですけど」
「うん」
「もう、アホかと、バカかと思ってます」
「だよね……」
何の自信もない俺だけど、誰かを裏切ることだけは許せないからやらない。大切にしたいひとをきちんと大切にするんだ。モットー。
和臣さんは俺の肩を右腕で抱きつつ、左手に左手を重ねて、俺の指先を弄んでいる。左手。俺は、ずっと指輪してる。つけっぱなし。今日は和臣さんも指輪をしてる。約束したじゃん。そんな不安になるようなことある?
でも、肩のあたり、ちょっと濡れてくる。
ほんと泣き虫。
「多紀くんに、この先、一生、好きなひとができませんように」
ばーか。
付き合いきれないっつーの。
「やっぱり、ビールには唐揚げですね」
「多紀くん」
「スペアリブも美味しかったな」
抱く力が強くなる。逃げられないし、逃げるつもりも別にないよ。
で、あんただって俺だけ見ていればいいんだ。この先、ずっと。
俺しか見てないのは知ってるけど、他にいいのが現れて余所見をしない保証はない。まして、周りはきれいどころばかり。
このひと自身はとにかくいい男。見た目は。
中身はこんなんだけど、この見た目でこの中身だからこそ可笑しくて、もしかしたら俺以外にも、こんな和臣さんをまるごと好きだっていうひとが出てくる。そんな気がする。
だけど、だけどさ。
心地好い気候。空が気持ちいい。夏が好きだ。風が心地いい。夜まで暑い季節に差し掛かっている。絶品肉料理もあるし。静かな部屋と、遠い音。
触れている肌が少し汗ばんでいる。
そういう、すべて。
「多紀くん」
「ガイヤーンなんですけど。次回はパクチーも入れてもらえます?」
「いやだ。いれない」
すでに一生分食べてあるから無理は言えないな。
「花火のお供、どれにするか悩ましいんですよね。唐揚げ、スペアリブ、ガイヤーン。シュラスコもよかったし……」
今夜のトンポーローも絶対にレギュラー入りだろうし。どれも外せない。だけど全部は食べられない。
だから、今年の花火もあるし、来年も、再来年だってある。さすがに二年も経てば、パクチーも入れてくれるだろ。
バンコクで食べたコームーヤーンって豚トロ焼きも美味しかったな。
焼き鳥もいいし、手羽先もいい。肉巻きおにぎり、つくね、餃子、フライドチキン、チャーシュー、豚足、ナンコツ、ホルモン。
肉ばっかだ。好きだから。枝豆と塩キャベツも食べよう。豆腐も。玉ねぎも焼いて。
和臣さんの独り言。
「多紀くんに、この先、一生、好きなひとができませんように」
また言ってる。ばーかばーか。わかってるのか。作るのは自分だって。
季節が夏で、ビールとつまみがあって、部屋を暗くして、窓を開けて、夜の空に花火が打ち上がって、そこに、俺も、和臣さんもいること。
いまは、それだけでよくないか?
俺は呟いた。
「年に二、三回じゃ、メニュー消化しきれないですよ」
それこそ、一生かけないとさぁ。
<次の話に続く>
今日も天気がよかったし、日が長くて少し暑い。一日一日、夏に近づいていってる。初夏と梅雨の間の時期。
網戸にした窓に向かって、シャワー後の俺はパンツ一枚でベッドの端っこに座って、裸足の両足を投げ出す。和臣さんも一緒にシャワーを浴びて、下着一枚。
バックハグ。俺の背中にくっついてくる。肌が触れ合う。ちょっと汗かいてる。腕を回して、俺の肩を抱いてる。好きだね、この体勢。耳朶をかぷかぷ食べられる。くすぐったいよ。
俺は和臣さんを背もたれにしつつ訊ねる。
「今日の晩飯はなんですか?」
「山手線ゲーム。当ててみて」
以前、寝る前に山手線ゲームで、世界の肉料理を言い合った。夏までに作ろうって話。
和臣さんは律儀に作ってくれてる。
「えー、買ったのは、豚バラブロックですよね。あ、角煮? なんだっけ。中華風の」
「トンポーロー」
「それ」
「大正解。ルーロー飯にもできるよ。どっちがいい?」
「ルーロー飯って、丼でしたっけ」
「うん。のせるだけ」
「あ、いいな。俺、タレの染みた白米が好きなんです」
と言うと、和臣さんはくすくす笑ってる。
「知ってる」
「ビール買ってありましたよね」
「あるよ。呑もうか」
「ちょっと呑みたい気分。花火はまだですけど」
「花火、観たいね。多紀くんとみたい」
「はい」
いつなんだろう。あとで調べておこう。
年に何回観れるのかな。二、三回くらいか。
「ルーロー飯か……」
絶対に美味しい。
キッチンから漂ってくるにおいで腹がぐうぐう鳴ってる。
「たくさん作ったよ。冷凍しておいて、お弁当に入れようと思って。一緒に食べられなくても、多紀くんのお弁当、作りたいな」
「朝、忙しくなりません?」
「平気。ねえ、多紀くん」
「はい?」
和臣さんは、俺の首に顔をこすりつけてる。仕草が猫っぽい。さらさらした髪の毛。髪の毛もきれいなんだよな、このひと。
夕方の風が入ってくる。空は水色で透き通ってる。雲はそれほど出ていない。植物の香りがしている。空の色が刻々と変わっていく、夕方。
つい数時間前のドタバタが嘘みたいに、平和そのものだ。
和臣さんは言った。
「多紀くんが、誰かを本当に好きになったらと思うと、不安なんだ。俺のことを捨てて、去っていく日が、いつか来る」
本気でそう思ってるんだろうけど。
「そんなこと、いったい誰が言ってるんですか?」
「俺……」
「和臣さん以外は?」
「誰も……言ってません……」
「先輩相手にこんなこと言うのは気が引けるんですけど」
「うん」
「もう、アホかと、バカかと思ってます」
「だよね……」
何の自信もない俺だけど、誰かを裏切ることだけは許せないからやらない。大切にしたいひとをきちんと大切にするんだ。モットー。
和臣さんは俺の肩を右腕で抱きつつ、左手に左手を重ねて、俺の指先を弄んでいる。左手。俺は、ずっと指輪してる。つけっぱなし。今日は和臣さんも指輪をしてる。約束したじゃん。そんな不安になるようなことある?
でも、肩のあたり、ちょっと濡れてくる。
ほんと泣き虫。
「多紀くんに、この先、一生、好きなひとができませんように」
ばーか。
付き合いきれないっつーの。
「やっぱり、ビールには唐揚げですね」
「多紀くん」
「スペアリブも美味しかったな」
抱く力が強くなる。逃げられないし、逃げるつもりも別にないよ。
で、あんただって俺だけ見ていればいいんだ。この先、ずっと。
俺しか見てないのは知ってるけど、他にいいのが現れて余所見をしない保証はない。まして、周りはきれいどころばかり。
このひと自身はとにかくいい男。見た目は。
中身はこんなんだけど、この見た目でこの中身だからこそ可笑しくて、もしかしたら俺以外にも、こんな和臣さんをまるごと好きだっていうひとが出てくる。そんな気がする。
だけど、だけどさ。
心地好い気候。空が気持ちいい。夏が好きだ。風が心地いい。夜まで暑い季節に差し掛かっている。絶品肉料理もあるし。静かな部屋と、遠い音。
触れている肌が少し汗ばんでいる。
そういう、すべて。
「多紀くん」
「ガイヤーンなんですけど。次回はパクチーも入れてもらえます?」
「いやだ。いれない」
すでに一生分食べてあるから無理は言えないな。
「花火のお供、どれにするか悩ましいんですよね。唐揚げ、スペアリブ、ガイヤーン。シュラスコもよかったし……」
今夜のトンポーローも絶対にレギュラー入りだろうし。どれも外せない。だけど全部は食べられない。
だから、今年の花火もあるし、来年も、再来年だってある。さすがに二年も経てば、パクチーも入れてくれるだろ。
バンコクで食べたコームーヤーンって豚トロ焼きも美味しかったな。
焼き鳥もいいし、手羽先もいい。肉巻きおにぎり、つくね、餃子、フライドチキン、チャーシュー、豚足、ナンコツ、ホルモン。
肉ばっかだ。好きだから。枝豆と塩キャベツも食べよう。豆腐も。玉ねぎも焼いて。
和臣さんの独り言。
「多紀くんに、この先、一生、好きなひとができませんように」
また言ってる。ばーかばーか。わかってるのか。作るのは自分だって。
季節が夏で、ビールとつまみがあって、部屋を暗くして、窓を開けて、夜の空に花火が打ち上がって、そこに、俺も、和臣さんもいること。
いまは、それだけでよくないか?
俺は呟いた。
「年に二、三回じゃ、メニュー消化しきれないですよ」
それこそ、一生かけないとさぁ。
<次の話に続く>
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