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第3章 終着
第25話 赤ワイン
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「結衣、こんな時間にどこ行くって言うんだ?! もう電車は無いぞ!」
突然、亀からウサギに変貌した私。琢磨君は思考がついてって無いみたい。でも一度走り始めたウサギは、物語と違って立ち止まることは無かった。
「タクシー拾うから!」
「結衣......これだけは言っておく。あいつは既婚者だ。左の薬指のリング見ただろ。それと......俺達は愛し合ってるんだよな? 間違い無いよな?!」
喜太郎さんは既婚者......それは確かに正論。でも正論なんてものは、感情までを支配出来るものじゃ無い。そして今の私は、感情こそが全てだった。
「正直......今日一日色んなことが有り過ぎて、わたしも自分の心がよく分からない。でもただ一つだけ間違い無く言えることが有る。それは今行かなかったら、一生後悔するってこと。自分に嘘はつけない。ごめんね琢磨君、私行くから!」
「待ってくれ! 行くな、結衣!」
ギー、バタン。タッ、タッ、タッ......
そんな琢磨君の呼び止めに対し、振り返ることは無かった。私は喜太郎さんが私の目の前から居なくなって、初めて分かった気がする。
自分に取って、今一番大事な人は誰かってことを......その人が既婚者だってことはもちろん分かってる。でも今はもう、そんなことどうでも良かった。
「はい、タクシー!」
「どちらまで?」
「柱時計の裏手、『LA・BAR・SOUL』へ」
「柱時計? ああ......かしこまりました」
闇夜を走り抜けて行くタクシーの向かった先、もしかしてそれは、私の未来そのものだったのかも知れない......
※ ※ ※ ※ ※ ※
一方その頃、オフィス街を抜けた並木道では......
最終電車が去って行き、灯りを落とした街は、暫しの静寂に包み込まれていた。少し前までの賑わいが、まるで嘘のようにひっそりとしている。昨今では家庭を大事にする各々も多いみたいだ。
そんな中......『LA・BAR・SOUL』の窓からは、未だおぼろ気な灯りが漏れ出ている。水の音が聞こえているところを察するに、まだ一日の仕事を終えていないのだろう。
よし、これでOK......
大量の食器を洗い終えたマスターは、額に浮かんだ汗を袖で拭いながら、漸く訪れた静寂に安堵の表情を浮かべている。やがてそんな勤勉なるマスターは、ワインセラーからスペシャルな1本を取り出すと、並べられた2つのグラスに赤なるそれを注いでいった。トクトクトク......
グラスの1つは自身の左手で摘み、もう1つのグラスは厳かに置かれた写真立ての前に。そしてそんな写真は、今日も優しい笑顔を振り撒いている。
「春子......今日も俺、よく働いたぞ。どうだ? 偉いだろう」
そんなマスターの問い掛けに対し、春子なる写真の美人も『ご苦労様!』、きっと労いの言葉を返しているに違い無い。とにかく困っている人を見ると、助けずにはいられない......そんなタイプの女性であったが故に。
「今日はな、お前の若い時にそっくりなマドモアゼルが店に来てくれたんだ。頑張り屋で我慢強くて、突っ張ってるって言うか、小生意気って言うか......なんかお前のことを思い出しちゃってな......おう、もう1杯飲むか?」
するとマスターは写真の前に置かれた赤ワインを飲み干し、再び、グラスに注いでいく。
「今日来てくれたマドモアゼルはな、ほんとズタボロだったんだ。そうそう......このケーキみたいにな」
見ればカウンターの内側に、すっかり溶け落ちたケーキが悲しそうな目でこちらを見詰めてる。そんな視線に気付いたマスターはと言うと、
「おい、そんな悲しそうな顔するなよ。お前のご主人様はな、今大好きな人と一緒に居て幸せの絶頂なんだぞ。だと......良いんだけどな」
一瞬不安そうな表情を浮かべはするものの、直ぐにそれを打ち消すかのように、自身のワインを一気に飲み干していった。そして再び赤を注いでいく。
グラス片手に、あらためて店内を見渡してみると、思いの外、この空間の広さに驚かされてしまう。
「お前が居なくなってからもう1年か......あっと言う間だ。やっぱこの店はお前が居ないとダメだな。そろそろ閉め時か......」
見れば壁紙は所々剥がれ落ち、テーブルやら椅子やらもシミ、汚れが目立ち始めてる。キャパを超えた労働環境は、こう言うところでほころびが出てしまうんだろう。
「春子......ちょっと今日はお前に懺悔しなきゃならないことが有るんだ。それはな......さっきからどうしてもマドモアゼルのことが頭から離れないんだ。
あの場に置いてきちまって良かったのか? とか、それで彼女は幸せになれるのか? とかさ......何だかよく分からんけど、さっきから頭がモヤモヤしてどうにもならないんだ。おっといかん! どうやら俺は酔っ払っちまってるみたいだな......」
マスターが写真から目を離し、今日はこれで打ち止めと言わんばかりに、ワインボトルをセラーにし戻そうとしたその時のことだった。
ゴゴゴッ......キキキー。
何やらカーテンの隙間から目映い光が差し込んで来ている。どうやら車が店の前で止まったようだ。時刻は深夜1時過ぎ。こんな時間の来訪者などは考えられなかった。ある一人を除いては......
突然、亀からウサギに変貌した私。琢磨君は思考がついてって無いみたい。でも一度走り始めたウサギは、物語と違って立ち止まることは無かった。
「タクシー拾うから!」
「結衣......これだけは言っておく。あいつは既婚者だ。左の薬指のリング見ただろ。それと......俺達は愛し合ってるんだよな? 間違い無いよな?!」
喜太郎さんは既婚者......それは確かに正論。でも正論なんてものは、感情までを支配出来るものじゃ無い。そして今の私は、感情こそが全てだった。
「正直......今日一日色んなことが有り過ぎて、わたしも自分の心がよく分からない。でもただ一つだけ間違い無く言えることが有る。それは今行かなかったら、一生後悔するってこと。自分に嘘はつけない。ごめんね琢磨君、私行くから!」
「待ってくれ! 行くな、結衣!」
ギー、バタン。タッ、タッ、タッ......
そんな琢磨君の呼び止めに対し、振り返ることは無かった。私は喜太郎さんが私の目の前から居なくなって、初めて分かった気がする。
自分に取って、今一番大事な人は誰かってことを......その人が既婚者だってことはもちろん分かってる。でも今はもう、そんなことどうでも良かった。
「はい、タクシー!」
「どちらまで?」
「柱時計の裏手、『LA・BAR・SOUL』へ」
「柱時計? ああ......かしこまりました」
闇夜を走り抜けて行くタクシーの向かった先、もしかしてそれは、私の未来そのものだったのかも知れない......
※ ※ ※ ※ ※ ※
一方その頃、オフィス街を抜けた並木道では......
最終電車が去って行き、灯りを落とした街は、暫しの静寂に包み込まれていた。少し前までの賑わいが、まるで嘘のようにひっそりとしている。昨今では家庭を大事にする各々も多いみたいだ。
そんな中......『LA・BAR・SOUL』の窓からは、未だおぼろ気な灯りが漏れ出ている。水の音が聞こえているところを察するに、まだ一日の仕事を終えていないのだろう。
よし、これでOK......
大量の食器を洗い終えたマスターは、額に浮かんだ汗を袖で拭いながら、漸く訪れた静寂に安堵の表情を浮かべている。やがてそんな勤勉なるマスターは、ワインセラーからスペシャルな1本を取り出すと、並べられた2つのグラスに赤なるそれを注いでいった。トクトクトク......
グラスの1つは自身の左手で摘み、もう1つのグラスは厳かに置かれた写真立ての前に。そしてそんな写真は、今日も優しい笑顔を振り撒いている。
「春子......今日も俺、よく働いたぞ。どうだ? 偉いだろう」
そんなマスターの問い掛けに対し、春子なる写真の美人も『ご苦労様!』、きっと労いの言葉を返しているに違い無い。とにかく困っている人を見ると、助けずにはいられない......そんなタイプの女性であったが故に。
「今日はな、お前の若い時にそっくりなマドモアゼルが店に来てくれたんだ。頑張り屋で我慢強くて、突っ張ってるって言うか、小生意気って言うか......なんかお前のことを思い出しちゃってな......おう、もう1杯飲むか?」
するとマスターは写真の前に置かれた赤ワインを飲み干し、再び、グラスに注いでいく。
「今日来てくれたマドモアゼルはな、ほんとズタボロだったんだ。そうそう......このケーキみたいにな」
見ればカウンターの内側に、すっかり溶け落ちたケーキが悲しそうな目でこちらを見詰めてる。そんな視線に気付いたマスターはと言うと、
「おい、そんな悲しそうな顔するなよ。お前のご主人様はな、今大好きな人と一緒に居て幸せの絶頂なんだぞ。だと......良いんだけどな」
一瞬不安そうな表情を浮かべはするものの、直ぐにそれを打ち消すかのように、自身のワインを一気に飲み干していった。そして再び赤を注いでいく。
グラス片手に、あらためて店内を見渡してみると、思いの外、この空間の広さに驚かされてしまう。
「お前が居なくなってからもう1年か......あっと言う間だ。やっぱこの店はお前が居ないとダメだな。そろそろ閉め時か......」
見れば壁紙は所々剥がれ落ち、テーブルやら椅子やらもシミ、汚れが目立ち始めてる。キャパを超えた労働環境は、こう言うところでほころびが出てしまうんだろう。
「春子......ちょっと今日はお前に懺悔しなきゃならないことが有るんだ。それはな......さっきからどうしてもマドモアゼルのことが頭から離れないんだ。
あの場に置いてきちまって良かったのか? とか、それで彼女は幸せになれるのか? とかさ......何だかよく分からんけど、さっきから頭がモヤモヤしてどうにもならないんだ。おっといかん! どうやら俺は酔っ払っちまってるみたいだな......」
マスターが写真から目を離し、今日はこれで打ち止めと言わんばかりに、ワインボトルをセラーにし戻そうとしたその時のことだった。
ゴゴゴッ......キキキー。
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