淀むモノクローム

古河さかえ

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序章

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 突如ビルの中で響く銃声に二人は足を止めた。離れた場所で銃声に驚いたのであろう小さな悲鳴も聞こえる。
 有森は緩やかにしかし大きくバランスを崩し、右側に倒れそうになる所をレニーが咄嗟に支える。膝を付いたことで転倒は免れたが、レニーの目に映る有森の様子がどこかおかしかった。暗がりで良く見えはしないがレニーの手にはぬるりと液体のような感触がした。
「何のつもりだ有森テメエ……」
 背後から投げ掛けられる声、そこに立っていたのは有森の相棒である徳馬。彼の放った銃弾は背後から有森の右肩を撃ち抜いた。
 相棒の裏切りなど信じたくは無かったが、目の前にある光景は対象と共に逃亡を図るという組織への離反以外の何物でもなく、徳馬は怒りに身を震わせ銃口を有森へと向けていた。歯を食いしばっても治まらぬ震えは有森への純然たる怒りだった。今まで幾つもの仕事を共にこなしてきた相棒へ向ける銃口。信頼を置いていた相手ならば尚更の事だった。
「ねえ貴方、血が!」
 それが銃創による出血だとレニーにも理解が出来た。痛みに眉を顰める有森の額には薄ら汗が滲み始めていた。この状況で助けなど呼べるはずもない、レニーは踞蹲する目の前の有森と僅か十数メートル背後にいる徳馬を交互に見遣った。
「……オイ、聞け」
 絞り出すように発した有森の声がレニーの耳に届く。レニーの肩を掴みその耳元に唇を寄せるが、肩を掴むその力は尋常で無いほどに強かった。
「そこの路地を左に曲がると、すぐに錆びた通用口の扉がある。夜までそこに隠れて……誰も居なくなったら逃げろ」
 言葉混じりに聞こえる吐息が荒かった。想像を絶する以上の痛みに耐えながら有森はこの状況から打開出来る道をレニーに示す。辛うじて徳馬の隙さえ縫えばレニーだけでも逃がす事は出来そうだった。今ここで自分が犠牲になったとしてもレニーを逃さなければ助けた意味が無い。
 有森の決死の提案をレニーは毅然とした表情で固辞する。
「貴方を置いて逃げるなんて出来ない」
「バカ野郎……」
 自分を殺すつもりだった男が何故今自分を助けようとしているのかレニーには分からなかった。だからといって自分が助かる為に彼の命を犠牲にするつもりは毛頭無い。
 有森の提案は徳馬にも聞こえていた。組織に逆らってでもレニーを生かそうとするその言葉に徳馬の瞳孔が急速に縮む。
「死にてえのか有森ィ!!」
 神経質そうな徳馬の叫び声が建物に反響する。徳馬の銃口の先がレニーの頭部へと向けられる。引金に指を掛ける音が耳に届くと、有森は感覚が鈍くなっている右手で胸元の拳銃を掴む。
 次の瞬間、空気を切る音がした。それがサイレンサーの音と気付き、咄嗟に有森は左手でレニーの頭を掴み低頭させると共に拳銃を背後の徳馬へと向けた。
「なっ……!?」
 驚きの声をあげたのは徳馬の方だった。明らかに有森ではない第三者の手によって徳馬の手元はピンポイントに撃ち抜かれ、その反動で徳馬は拳銃を地面に落とした。
 続いて二度同様に乾いた音がした。そのそれぞれが徳馬の足元、顔の横を狙い徳馬へ警告していた。有森と徳馬はほぼ同時に狙撃角度から有森側のビルの三階を見上げる。電気さえ灯されていない暗い部屋の中、割れた硝子の奥に確かに人影があった。
 人影の持つ拳銃の銃口がゆっくりと動き徳馬へと向けられる。反射的に徳馬は銃口に注視したまま撃たれた右手を抑えて一歩ずつ後退していく。何者かは分からないが三階の人物は有森とレニーの味方のようだった。
「有森、テメ」
 徳馬が何かを言い終わるより前に空気を切った弾は徳馬の頬を掠める。血管が切れそうなほど眉を吊り上げ正に鬼の形相を浮かべたまま徳馬は有森とは反対方向へと走り出す。
「助かった……の?」
 何が起こったのかも分からないで目の前の危機を脱したレニーは、有森の体を支えたままその場に腰を落とす。
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