『夜の太陽-シェブ・ホルシード-』〜顔出しNGの吟遊詩人は『あいのうた』を奏でる〜

燈利

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第六章 白薔薇の秘密 建国の神話に隠された従者の謎

022 闇に結実し召喚された者

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 光の痕跡を頼りに、ジャヒーはグンデシャープール学院の廊下を静かに歩く。
 この街はおかしい。
 転移ができない。影が無い、まるで存在を拒絶されているようだ。
 影法師は確かに見える——だが、その輪郭には闇の要素が欠片もない。

 商船の男も、街に入った瞬間に態度を変え、どこかへ去ってしまった。昨晩のうちに紹介状を書いてもらったおかげで、学院への侵入はできたが……。

 ジャヒーは歩みを止める。学院長室の扉が開いた。一人の男が出てくる。

 出てきたのはアミールだった。だが、魔術遮断のピアスのせいで、ジャヒーには非魔導士にしか見えない。
 そもそもラシュクは「王」や「ゴバールの娘」について言及するものの、名前や容姿を細かく伝えてはくれなかった。ジャヒーは魔力量や魔力の属性で相手を判断するしかない。

 扉がもう一度開いた。白髪交じりの男がジャヒーに気づき、興味深げに近づいてきた。男たちはジャヒーに興味を示すものだが、この視線にはいつもと違う種類の好奇心が滲んでいる気がする。

「ほぉ、ほぉ、これはこれは、実に面白い」

 好奇心一杯の声が響き、ジャヒーの前に現れたのは——グンデシャープール学院長、ファルハード・ナッサーだった。

 学院長はジャヒーを見つめるや否や、興味を抑えきれない様子で前へ進み、じろじろと眺めてくる。
 ジャヒーは男の視線を受けることには慣れているが、これは勝手が違う。思わず後ずさりした。
 それなのに、ますますその男の目は、どこか狂気じみた好奇心に満ちていた。

「君はここで何をしているのだね?」

 ジャヒーは少々引き気味になりながらも、恭しく言葉を紡ぐ。

わたくしは、ジャヒー・ナクシュバンディと申します。研究職を求めて参りました。紹介状を——」

 学院長はそれをひらりと受け取る。そして、流し見しながら適当に机へと放り投げた。

「うむうむ、なるほど、なるほど……君は白薔薇研究室に行ってもらうよ」

 ジャヒーは思わず眉をひそめる。あまりにも簡単すぎる。
 しかし、好都合だ。

わたくしも白薔薇魔法の歴史を研究しております。この学院の知識に触れることができれば、研究の助けになるかと」

 彼女は、さりげなく白薔薇魔法を発現させたゴバール令嬢に関する情報を引き出そうとした。
 学院長は、いかにも面白そうだと言わんばかりに笑う。
 鑑定魔法に特化している学院長は、ジャヒーの正体にいち早く気付いたのだ。

 この街で闇魔法は封じられる。今の彼女は非魔法師とほぼ変わらないのだ。さりげなく、背に隠しながらもう一度鑑定魔法を発動させた。

(なるほど。あまり熟練されていない魅了魔法を持っているな。かわいいものだね。まずは、ナシール先生に面会させよう。きっと彼も喜ぶだろう。魅了魔法のほうも封じてしまおうか)

 学院長は、後ろ手に組んだ手を返した。するとそこにグンデシャープール学院の校章を象ったピンが現れる。

「ほぉ~う! ゴバール家の令嬢か。小生は、まだ到着していないと聞いているよ。しかもなぁ……発現した魔法は白薔薇ではないと言っていたな」

「白薔薇魔法ではない? 魔力量は多くないという噂ですが……」

「そうかな? 小生もまだ会っていないのでわからないが、薔薇のモスクで白薔薇が咲いた全ての人に白薔薇魔法が発現するわけでは無いだろう? そうそう、これはわが校の職員の証だ。必ず胸に着けるように」

 学院長はさりげなく魔封じの護符を渡すことに成功した。ジャヒーという悪霊は警戒心があるほうでは無いようだ。闇の魔法が封じられていることも気付かない。そう、ここの結界はそう創られている。闇魔法の使い方や存在もじわじわと忘れるのだ。

(『飛んで火にいる夏の虫』とは、この事だな。こんな好都合なことは無い)

「はい、わかりました」

 学院長は急に手に持った書物をめくり始める。

「ふぉぉぉ~……これは興味深い記述だ……いや待て待て、こっちの古文書と照らし合わせれば……いやいや、実に面白い、いやはや、最高に面白いぞ!」

 ジャヒーは思った。
 明らかに、良い研究材料を前にした時の、変態気味な学者の反応だった。逃げ出したくなったが、ゴバール家の令嬢だけはどうにかしなければと思い直した。

 その瞬間、彼はジャヒーをちらりと見た。
 ——多分、蓮の花を闇に結実させたな。

 学院長はほくそ笑み、ジャヒーに興味深い視線を向けた。
 ジャヒーは、どこか嫌な予感を覚えながらも、その場を動かずじっと学院長を見つめるしかなかった。



 ナシール・ダリアの研究室にアミールが到着したのは、アーナヒターにミリア・シェリスを紹介した直後だった。
 アミールの顔色が優れない。
 心配そうに話し掛けるアーナヒターに、アミールは「なんでもない」と返答するが、明らかに様子がおかしい。

 アミールは、アーナヒターと同じように、心配そうに自分の顔を覗き込むミリア・シェリスの存在に気づいた。

「この子は?」

 ミリアは恥ずかしそうに視線を落とした。しかし、決意したかのように顔を上げると、ちょこんと頭を下げ、アミールに愛らしく挨拶をした。

「ミリアよ。アミール。彼女にはまだ従者がいないの」
「ああ。学院長がそう言ってたな。アナの従者のアミールだ。婚約者でもある」
「えっと、はじめまして」
「従者がいないと、心細いか?」
「はい」
「それなら、ミリアに本物の従者ができるまで、私が守ろう」
「本当?」
「ああ」

 ナシールは微笑みながら、その様子を見守っていた。そして、何かを思いついたように隣の部屋の扉を開け、自分の従者の名を呼んだ。

 奥から出てきたのは、意志の強そうな灰色の瞳をした女性戦士だった。若葉の色の髪をきつく縛りうしろでまとめている。アミールとアナに向かって頭を下げた。

「僕の従者、ライラ・セファだ。隠密行動が得意だから、たまに探すのが大変だ」
「はじめまして。世話のかかる師匠ですがよろしくお願いします」

 ミリアが不思議そうな顔をしてナシールに質問する。

「ナシール先生。アナお姉さまとアミールお兄様は婚約者なのに、どうしてライラは先生の婚約者じゃないの?」

 ナシールとライラが顔を見合わせた。

「どうしてかな? ライラと僕は十歳以上歳が離れていて、ライラが僕の従者になったのは、僕が二十二歳でライラが十歳だったんだよね。恋人になるには若かったかな。それにライラは恋人が別にいるし、僕は二十五歳で結婚したしね。ライラが僕に恋した様子は無いな」
「恋は無いですね」

 ライラはナシールに穏やかに微笑みかけた。

「最初はあたしが従者というより、先生が保護者のようでしたね」
「ああ、そうだね。ライラもミリアのように可愛らしかったよ。僕の妻にもよく懐いていた」
「あたしは孤児だから、ラフィーヤに育ててもらったようなものです」

 ミリアは不思議そうに首を傾げ、キョトンとした表情を浮かべた。
 このミリアにもいつか従者が現れる。それは、恋人とも限らないのだ。

 そこに、ジャヒーを連れたファルハード・ナッサー学院長が研究室のドアを開けた。

 学院長は、真っすぐにナシール・ダリアに近付き、こっそりと耳打ちをした。
 ナシール・ダリアは驚き顔を上げた。そして、ジャヒーをじっと見る。

 ジャヒーは人形のように張り付いた不気味な笑みを浮かべ、静かに立っていた。
 アミールはミリアを抱き上げ、安心するように言った。それほどまでに、ジャヒーは異質な存在だった。ミリアはジャヒーの事を無言で見つめている。そして、小さな声で「泥の匂いがする」とつぶやいた。

 そこで学院長がコホンと咳払いをしてアーナヒターとアミールに告げる。
「もしよかったら、ミリアに外泊許可を与えるから、一晩あずかってはくれないか?」

 アーナヒターとアミールは顔を見合わせた。そして、二人ともミリアに笑顔を見せた。

「ミリア。ぜひ家に泊まりに来てほしいな」
「ミリアね。学校に来てから初めて外に行くの」
「初めての外出のお供ができるとは、光栄だな。一緒においで」
「はい。行きたいです」
「よし、決まりだ」


「今度、白薔薇研究室を手伝ってもらうことになった、ジャヒー・ナクシュバンディ君だ」

 学院長が軽くジャヒーとみんなに紹介し、アーナヒターたちに今日は帰るように伝えた。



 帰り際にミリアがそっとアーナヒターとアミールに耳打ちする。

「ミリアね。召喚士だからわかっちゃった。あのお姉さんは、闇に結実したお花だよ」
「ミリアは凄いな」
「えへへ」
「まずは、お家に帰って、ご飯をたくさん食べて、お風呂に入りましょうね」
「うん」

 闇のない街では、異質なものへの違和感がより浮き彫りになる。アーナヒターはそう考えを巡らせた。



 続く
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