『夜の太陽-シェブ・ホルシード-』〜顔出しNGの吟遊詩人は『あいのうた』を奏でる〜

燈利

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第六章 白薔薇の秘密 建国の神話に隠された従者の謎

029 セフィード・グル・ナザード(白薔薇の束縛の解除)

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 いよいよ、契約が解かれるかもしれない。時間を稼ぐには、アズダールをミリアから引き離す必要がある。
 アミールはアズダールに向かって走り込み、剣を振り上げた。アミールが斬りかかるとアズダールはそれを腕で受け止める。
 鱗に覆われた腕は鋼のように固く刃が通らない。剣は跳ね返された。

(想定内だ。なにも斬り殺したいわけではない)

 アミールは驚異的な脚力でアズダールの首を目掛けて蹴りを繰り出す。
 アズダールは一瞬反応が遅れた。強力な魔法力と鱗の防御力を持っているため、守りが手薄なのだ。アズダールはまともに受けて、衝撃で弾き飛ばされた。
 このタイミングを待っていた。アミールはアーナヒターの元へ戻り、耳元で囁く。

「えっ、そんな……」
「私は正当な白薔薇の女神の血を引いている。そして、曲がりなりにも狼の王だ。アナからは契約も解除もできない。私が契約を解除したら、すぐにジャムシードを従者にするんだ。いいな」

 アミールと引き離されるようで辛かった。しかし、ジャムシードの命を守るにはそれしかない。
 アーナヒターは短く息をつき、決意を込めて頷く。

「分かったわ」

 彼女はナシールに視線を送る。ナシールは頷き、回復魔法の出力を上げた。



「よくも……まずはお前から始末してやる」

 アズダールの両手に、地獄のような黒炎が燃え上がる。
 その炎がアミールに向かって放たれようとした瞬間——。

「やめてー!」

 ミリアの叫びが響く。それは、胸が痛くなるような悲痛な声だった。

「ミリアが悪いの。ミリアがアズダールと同じ魔物になる勇気がなかったのが悪いの。だから、もうやめて。ずっと一緒にいるから……誰も傷付けないで!」

 ミリアは薔薇色の光に包まれる。祈るように両手を組み、ジャムシードに向かって契約解除の呪文を紡ぐ。

 ―――セフィード・グル・ナザード―――

 途端にジャムシードは苦しみだす。

 アーナヒターはふと深いところに喪失感を感じた。いつも感じていた存在の気配が消える。それが、アミールとの契約解除のしるしだった。

 急ぐ必要がある。彼女はすぐに新たな契約の呪文を唱えた。
 アーナヒターの言霊が流麗なナスタアリーク文字となり、空中へと舞う。文字は真珠色の輝きを増しながら、やがて一か所に集まり、円環を描き始めた。
 フルーティーなミルラの香りが広がる。

 ジャムシードは白い炎に包まれた。
 それは、アーナヒターが薔薇のモスクで前世を思い出した時と同じ炎だった。

 焼け爛れた皮膚が見る見るうちに癒され、呼吸が安定する。ジャムシードは意識を失ったままだが、生命の危機は過ぎ去ったのは誰の目にも明らかだった。

 アミールとアズダールが向き合い、激しく睨み合う。白薔薇の契約を阻止しなくてはならない。
 誰もが緊迫したその瞬間に目を奪われていた。
 その隙を突かれたのだ。誰もがミリアを見ていなかった。

「きゃー!」

 ミリアの悲鳴が響く。油断だ。アミールは拳を握りしめた。

 ミリアの首元に短剣を突き付けられ、その背後にはジャヒーが立っていた。

「光と闇の魔法。金色の瞳。アミール、お前がシャープール・ササーンだったのか。そして、アーナヒターが『面紗ニカーブの吟遊詩人』。敵に飼い慣らされていたとは、我ながら情けない」

 ジャヒーの口元に嘲笑の笑みが浮かぶ。明らかに自分自身に向けたものだった。

「アミール、武器を捨てろ。そこの坊や、狼の王を生け捕りにしたら、この子をお前に渡してやる。我が主ラシュク様も庇護を与えるはずだ」
「へぇー、話くらいは聞いても良いかもな。ただし、ミリアを傷つけたら許さない」
「お前次第だ。人間の子供など簡単に死ぬ。わたくしを傷付けたら、必ず先に殺す」

 アミールは剣を手放し、両手を上げる。
 アズダールは拘束魔法を唱えた。黒い炎がアミールの両手を拘束し、じりじりと焼く。
 炎は熱く、腕には痺れるような痛みが焼き付けられる。だが、アミールはうめき声さえ上げずに、アズダールを睨み返す。

 ジャヒーはミリアの首に短剣を押し付けたまま、影と影の交差する場所を踏んだ。

「ラシュク様、門をお開けください——」

 壊れた水盤から染み出す水が濁り、沼のような色に変わっていく。そして、その中心には黒檀のように真っ黒な闇の扉が開いた。
 抵抗するアミールをアズダールは殴り倒す。何度も殴られ、アミールは気を失った。

 アズダールはアミールを引きずり、暗黒の扉へと飛び込む。
 続けてジャヒーとミリアがその闇へ消えていった。
 門は閉ざされ、水は元の色に戻る。


 そこに残るのは静けさと、4弦のバルバットの形をした、シェブ・ホルシード(夜の太陽)だけだった。


 続く
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