28 / 34
第六章 白薔薇の秘密 建国の神話に隠された従者の謎
028 東洋の黒い邪竜 アズダール
しおりを挟むジャムシードにマグマのような黒い炎の塊が直撃し、瞬く間に黒煙が立ちこめた。灼熱の奔流がジャムシードを包み込み、辺りには焦げた臭いが漂う。
「ジャムシードお兄様!!」
ミリアは叫ぶ。そして、またひとつ後悔が積み重なる。なぜ、人はこれほどまでに罪深いのだろう。
***
——障壁が消えた。嫌な予感がよぎる。
遅れて白薔薇魔法研究室へと駆け込んだアーナヒターは、ジャヒーの姿が見る間に凶悪な悪霊へと変わっていくのを目の当たりにした。息を呑む。
下品に歪む口元。悲しいほど低俗な笑みを浮かべていた。茜色の髪は蛇のようにうねり、凶悪な色香が漂う。
凛として控えめで美しい。そんな人だったのに、今目の前にいる異形の者は、もう彼女ではなかった。
「ジャヒー、駄目よ。しっかりして、闇の者にならないで!」
アーナヒターは声の限り叫んだ。
それは無駄な足掻きなのだろうか。ジャヒーは一瞬だけ、悲しそうな表情をしたように見えた。アーナヒターには、「ごめんなさい」と言う小さな声が聞こえた気がした。
ジャヒーはアーナヒターの視線を振り切り、影と影が重なる闇に足を踏み込み消えていった
大好きだった。愛する人に一途に想いを寄せる彼女が眩しかった。
彼女はアーナヒターのように守られるだけの存在ではない。彼女は彼女の意志で、好きな人を支えていた。
失ってしまった。もう戻らない。アーナヒターは勝手に思い込んでいたのだ。彼女は学院にずっと居て、闇でも光でも無い普通の存在になると。
しかし、本当は違う。
彼女は無理やりここに居させられていただけだ。足枷がとれれば、唯一の男のところに戻るのは当然だ。
アーナヒターの髪で簪が冷たい音を響かせる。
喪失はこれだけでは終わらない。
「―――アミール」
唯一人の男の名を呼ぶ。
「……アーナヒター」
引き寄せられるように転移した彼の、優しい手が肩に触れる。耳元で囁かれる名前。
喪失は恐ろしい。だけど、行かなければならない。
「きっと、ミリアだわ。女神の神殿の前に直ぐに行かなくては…」
アーナヒターの胸に激しい後悔が押し寄せる。
本当は、こうなることを予想していた。銀の簪は不安を暗示していた。これは予想できることだった。
甘いのはわかっていた。それでも、ミリアを信じたかった。
だから、自分がミリアに注意を払っていれば防げたかもしれないのだ。
そんなアーナヒターをアミールは背中から抱きしめる。
アーナヒターの不安が伝わっているのかもしれない。そして、これから起こる恐ろしい事も。
「アナ。私はどこに居ようとも、この心も、血の一滴、髪の一本まで君のものだ。大丈夫。だから、この両耳の魔封じのピアスを外してくれ」
アミールは戦うことになっているのがわかっているのだ。
魔封じ護符は、一度装着したら自身では外せない。外せてしまっては意味がないからだ。
戸惑い震える手がアミールの耳元に伸ばされる。
ピアスに触れると、その時を待っていたかのように護符が光となり弾ける。
次の瞬間、彼の瞳が金色に輝き、黒い狼の影が床に伸びる。それは、まさしく光と闇の魔力を象徴するようだった。
アミールはアーナヒターを見つめ、力強く抱き寄せる。次の瞬間には女神の神殿の前へと転移していた。
焼けつくような熱気が襲い、焦げた匂いが立ちこめる。
アーナヒターの目の前に広がるのは、まさに地獄のような光景だった。
黒炎に焼かれ、うめき声をあげるジャムシード。
高らかに嘲笑うアズダール。
怯え、立ち尽くすミリア。
アミールは躊躇なく『シェブ・ホルシード』を抜き放ち、剣を振りかざしながら駆け抜ける。その軌道には金色の光が尾を引き、闇へ伸びる。
ジャムシードを覆い尽くす暗黒の炎が切り裂かれ、焼けつく熱風とともに霧散した。
炎に包まれたジャムシードは酷い火傷を負い、虫の息だった。
彼の命の輝きは、今にも闇に飲み込まれようとしていた。
ジャムシードが赤黒く焼け爛れた腕を伸ばす。その先にはミリアがいた。
白薔薇の従者とは、こんな時にも守り手を気にかけるのか。
「お兄様!」
アーナヒターはジャムシードに駆け寄る。、二人を守るようにアミールがアズダールの前に立ちはだかった。
まだ間に合う——。
間に合わせてみせる。
アーナヒターは回復魔法を唱える。
白く輝くナスタアリーク文字が円環を描き、ジャムシードを包み込む。
彼女の祈りが言霊となり、真珠色の輝きを増す。
しかし、損傷はあまりに深い。回復には時間がかかるだろう。
次の瞬間、ファルハード・ナッサーとナシール・ダリアが転移してきた。
ナシールはジャムシードの容態を確認し、厳しい表情を浮かべる。
アミールはアズダールと睨み合いながらも、ジャムシードが気がかりだった。
「ナシール先生。ジャムシードは大丈夫か?」
「今はミリアの魔力が流れ込んでいるから何とか持ちこたえている。だが、早急に回復させなければ危険だ」
ナシールは呪文を唱え始める。彼の言霊は青灰色のナスタアリーク文字となり、鎖のようにジャムシードを包み込んだ——。
ファルハード・ナッサーはアミールの隣に立ち、小声で告げた。
「従者の魔法を解かれたらジャムシードが危ない。小生たちで時間を稼ぐしかない」
アミールは頷き、剣を構える。黄金に輝く刃は黒い影を引く。
アズダールが動きを見せたら、封じるのはアミールしかいない。
ファルハード・ナッサーは一歩前へ進み、教育者の貫禄でアズダールに向かって穏やかに問いかける。
「従者になりたいなら、ミリアにそう言えばよかっただろう? 従者になれば大人しくしてくれるのかな?」
アズダールは嘲笑しながら答えた。
「ミリアはボクの色に染まるのが嫌なんだ。ボクを従者にすれば純白ではいられない」
ミリアは下を向く。
彼女は恐怖に震えている。
アズダールの色に染まり、変わってしまう自分が怖いのだ。
竜胆の種を拾った時、ミリアは種の中には神がいると気づいていた。
それでも、一人ぼっちになるのが怖くて、魔物にしてしまった——すべては自分の責任。
「ミリア、従者は燃えちゃったよ。ボクを従者にしてくれないなら、何人でも焼くよ。さぁ、あの男の契約を破棄しなよ」
「アズダール、それは……ジャムシードが死んでしまうから駄目よ」
「どっちにしろ、殺すよ」
続く
0
あなたにおすすめの小説
完璧(変態)王子は悪役(天然)令嬢を今日も愛でたい
咲桜りおな
恋愛
オルプルート王国第一王子アルスト殿下の婚約者である公爵令嬢のティアナ・ローゼンは、自分の事を何故か初対面から溺愛してくる殿下が苦手。
見た目は完璧な美少年王子様なのに匂いをクンカクンカ嗅がれたり、ティアナの使用済み食器を欲しがったりと何だか変態ちっく!
殿下を好きだというピンク髪の男爵令嬢から恋のキューピッド役を頼まれてしまい、自分も殿下をお慕いしていたと気付くが時既に遅し。不本意ながらも婚約破棄を目指す事となってしまう。
※糖度甘め。イチャコラしております。
第一章は完結しております。只今第二章を更新中。
本作のスピンオフ作品「モブ令嬢はシスコン騎士様にロックオンされたようです~妹が悪役令嬢なんて困ります~」も公開しています。宜しければご一緒にどうぞ。
本作とスピンオフ作品の番外編集も別にUPしてます。
「小説家になろう」でも公開しています。
【完結済】私、地味モブなので。~転生したらなぜか最推し攻略対象の婚約者になってしまいました~
降魔 鬼灯
恋愛
マーガレット・モルガンは、ただの地味なモブだ。前世の最推しであるシルビア様の婚約者を選ぶパーティーに参加してシルビア様に会った事で前世の記憶を思い出す。 前世、人生の全てを捧げた最推し様は尊いけれど、現実に存在する最推しは…。 ヒロインちゃん登場まで三年。早く私を救ってください。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
「転生したら推しの悪役宰相と婚約してました!?」〜推しが今日も溺愛してきます〜 (旧題:転生したら報われない悪役夫を溺愛することになった件)
透子(とおるこ)
恋愛
読んでいた小説の中で一番好きだった“悪役宰相グラヴィス”。
有能で冷たく見えるけど、本当は一途で優しい――そんな彼が、報われずに処刑された。
「今度こそ、彼を幸せにしてあげたい」
そう願った瞬間、気づけば私は物語の姫ジェニエットに転生していて――
しかも、彼との“政略結婚”が目前!?
婚約から始まる、再構築系・年の差溺愛ラブ。
“報われない推し”が、今度こそ幸せになるお話。
「25歳OL、異世界で年上公爵の甘々保護対象に!? 〜女神ルミエール様の悪戯〜」
透子(とおるこ)
恋愛
25歳OL・佐神ミレイは、仕事も恋も完璧にこなす美人女子。しかし本当は、年上の男性に甘やかされたい願望を密かに抱いていた。
そんな彼女の前に現れたのは、気まぐれな女神ルミエール。理由も告げず、ミレイを異世界アルデリア王国の公爵家へ転移させる。そこには恐ろしく気難しいと評判の45歳独身公爵・アレクセイが待っていた。
最初は恐怖を覚えるミレイだったが、公爵の手厚い保護に触れ、次第に心を許す。やがて彼女は甘く溺愛される日々に――。
仕事も恋も頑張るOLが、異世界で年上公爵にゴロニャン♡ 甘くて胸キュンなラブストーリー、開幕!
---
【完結】年下幼馴染くんを上司撃退の盾にしたら、偽装婚約の罠にハマりました
廻り
恋愛
幼い頃に誘拐されたトラウマがあるリリアナ。
王宮事務官として就職するが、犯人に似ている上司に一目惚れされ、威圧的に独占されてしまう。
恐怖から逃れたいリリアナは、幼馴染を盾にし「恋人がいる」と上司の誘いを断る。
「リリちゃん。俺たち、いつから付き合っていたのかな?」
幼馴染を怒らせてしまったが、上司撃退は成功。
ほっとしたのも束の間、上司から二人の関係を問い詰められた挙句、求婚されてしまう。
幼馴染に相談したところ、彼と偽装婚約することになるが――
借金まみれで高級娼館で働くことになった子爵令嬢、密かに好きだった幼馴染に買われる
しおの
恋愛
乙女ゲームの世界に転生した主人公。しかしゲームにはほぼ登場しないモブだった。
いつの間にか父がこさえた借金を返すため、高級娼館で働くことに……
しかしそこに現れたのは幼馴染で……?
【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました
佐倉穂波
恋愛
転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。
確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。
(そんな……死にたくないっ!)
乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。
2023.9.3 投稿分の改稿終了。
2023.9.4 表紙を作ってみました。
2023.9.15 完結。
2023.9.23 後日談を投稿しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる