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第六章 白薔薇の秘密 建国の神話に隠された従者の謎
027 『暗黒の黒い炎』と『白薔薇従者の黒い炎』
しおりを挟む銀色の簪から冷たい音が響く。その波動を感じた。
アーナヒターは目を覚ます。
その時にはすでに、ミリアが転移の円環の中に消えて行くところだった。
ミリアはアズダールに会いに行っているのだろう。アーナヒターはそう直感した。
アーナヒターは深い溜息を吐く。
アズダールは最近不安定だ。それに引きずられるようにミリアも不安定になっている。
(本人に自覚が無いだけで、ミリアはアズダールに恋をしている)
しかし、ミリアが白薔薇の従者に選んだのはジャムシードだった。
彼女は何故、アズダールを選ばなかったのだろうか。闇に結実した種でも従者にすることは、理論上は可能だとナシール・ダリアは言っていた。
ただ、それが魔法師にどのような影響を与えるかは定かではない。
幼い恋心。何にも代えられない唯一の存在。
古の女神の神話のように、二人も結ばれてほしい。それには、白薔薇魔法の秘密を紐解くしかない。
言葉には出さないが、ファルハード学園長もナシール研究室長も、同じ考えで取り組んでいると思う。
二人が懸命に研究するのは、恐らくミリアのためだ。
今はミリアとアズダールの様子を注意深く見守るしかない。
アーナヒターは眠れずに、転移の円環を見つめていた。
ミリアは、封印の部屋に転移した。そこには、暗闇の中アズダールが瞳を開けていた。
彼の瞳は、ミリアにだけは優しい光を灯す。
「時間はかかると思うけど、待ってほしいの。必ずそこから出られるようにするから。二人でこの国で暮らせるようにするから」
彼女の言葉に、アズダールはゆっくりと首を振る。唇が動く——出してほしい、一刻も待てない。
彼の焦燥が空気を震わせるようだった。
ミリアが白薔薇魔法師の従者を得てから、彼の懇願が激しくなった。ミリアの顔を見るたび、出してほしいと必死に訴える。
魔封じの白薔薇を消すか、結界の部屋の扉を壊す、または、この国の結界を壊す。どれか一つだけ壊すことができれば、均衡は崩れアズダールは自分の魔法で外に出ることができる。
「ごめんなさい。ミリアの力では、―――どれも壊すことができないの」
ミリアは膝をつき、冷たい床に手を添えながら、ただひたすらに謝るしかなかった。
彼を救いたい。それでも、今は何もできない——その思いがミリアを締め付ける。
アズダールとの接見は、しばらく禁止と言付けられていた。だから、真夜中にこっそり会いにくるしかなかった。
そんな日が何日か続いていた。夜眠ることもできず、ミリアは酷く疲れていた。
そして、その日。
アーナヒターはクラスの課題が長引き、白薔薇研究室にまだ姿を現していなかった。
ミリアはジャヒーと二人きりで、アーナヒターを待つ。
今日こそ、アーナヒターに全てを打ち明けてしまおう。ミリアは何度も扉を気にしていたが、一向にアーナヒターは姿をみせない。
ふと見ると、ジャヒーは、育てている睡蓮に肥料を与えている。
睡蓮が育つためには豊富な栄養が必要なのだ。
ジャヒーはとても気分が良いのか、ニコニコと笑顔を浮かべている。
ジャヒーが水盤に植えた睡蓮は、すくすくと成長し、丸い葉が水に浮いている。水底の土からは、茎が伸び可愛いピンク色の蕾が顔を出していた。
ジャヒーが楽しそうに睡蓮に語りかける。
「昔、この国が暗黒に支配されていた時代。蛇王が聖獣の宿るオオカミ草の種を使って、狼の王を闇に結実し召喚したの。その黒い狼は、金色の瞳をしていて、――とても邪悪だったわ」
古の女神は狼の王を捕らえようとして、水盤を作り、そこに地下から湧き出す豊かな水を注ぎこんだ。呪文を唱えると空高くに円環が現れ、狼を捕らえる結界ができた。
黄金の金木犀の騎士が狼と戦い、その水盤の上に誘い込んだ。すると、結界魔法が発動し、狼を捕らえることができた。しかし、残念なことに邪悪な狼は水盤を破壊し、結界から逃れてしまった。
「作戦には失敗したけれど、月の光を浴びて黄金に輝く金木犀の騎士はとても美しかったわ」
ジャヒーがうっとりと話している。
その話を聞いたミリアはふと気が付いた。
広場にある円環の下にも水盤があり、豊かな水が注ぎこまれている。
街の中心にある水盤でできた噴水が、もしかしたら結界の要かもしれない。
それを壊すことができたなら、狼の話と同様に結界魔法を壊すことができる。
(やってみればわかる。アズダールを助けるにはもうそれしかない)
ミリアは、心の奥で決意を固めた。
アズダールを助けて、どこか遠くへ逃げよう。
敵国のザイマル帝国に行けば、誰も追っては来れないはずだ。アズダールにはその力がある。
ミリアは女神の神殿の前に立つ。
ポケットから、オークの実を取り出した。
呪文を唱えると、薔薇色のナスタアリーク文字が水盤の大きさの円環を描く。ミリアは、その中心に種を落とした。
種はくるくると回り始める。
「森の賢者にて恵みとなる者よ。光に結実し、我が願いを聞き届けよ」
瞬間、オークの実が結実し、頑健な鎧を纏った戦士が姿を現す。
戦士は迷うことなく噴水を粉々に破壊し、石をその内部へと投げ込んだ。
ミリアの願いが聞き届けられると、戦士の体は霧散し光となって消え去る。
そう、願いを込め光に結実した存在は、使命を果たせば光に還る。
ミリアは、アズダールだけは消えないように闇に結実させた。
全ての罪はミリアの弱さに回帰する。
ミリアは青ざめた顔で、審判を待つ人間のように上空を見据えた。
すると——。
上空の円環は、内側から光の爆発を起こし消え去った。
罪は罪を呼ぶ。一度犯した間違いは修復できない。その恐ろしさにミリアは茫然と立ち尽くした。
封印の部屋では、アズダールが唇を歪め、鋭い目つきで魔封じの白薔薇を睨んだ。
「力が満ちている―――」
その言葉とともに、暗黒の炎が荒々しく爆ぜた。ガラスケースは粉々に砕け散り、封印は完全に解かれる。
アズダールは、狂ったように嗤い、ミリアの元に転移の扉を開いた。
ミリアは激しく動揺し、震える肩を自ら抱いていた。
彼女の魔法が、想像以上の結果を引き起こした。
してしまったことの罪深さに、恐怖が込み上げる。無意識にジャムシードを呼んでいた。
ジャムシードが異変を察知し、転移してくる。
彼は周りを見渡し、その惨状に一瞬絶句した。
「ミリア。なんてことを——」
ミリアは唇を震わせ、瞳に涙を浮かべながら、小さく呟いた。
「……しかたなかったの」
彼女の肩は小刻みに震え、怯え、錯乱していた。
ミリアは自分に絶望したように崩れ落ちた。しかし、この惨状をこのままにしておくことはできない。
ジャムシードは何が最善かを考え、まずは学院長を呼ぶことが先決だと考えた。
そして、学院のほうを見る。
空は不吉に赤く、夕暮れは闇を連れて来るようだった。
赤い空に黒い蛇。東洋の竜は蛇のような姿をしている。みるみるうちに人型に変化した。
アズダールは空より舞い降りてくる。その顔は邪悪な喜びが張り付いている。
アズダールは、封印が辛かったのではない。ミリアに守護者ができたのが我慢ならなかったのだ。
ジャムシードに向かってニヤリと頬を歪める。
「この瞬間を待っていた」
それは一瞬のできごとだった。
アズダールの両手から、ジャムシードに向かって、マグマのような黒い炎の塊が放つ。
間に合わない。
燃え盛る炎の塊がジャムシードを襲う―――。
続く
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