長い散歩

rin of the chanchan

文字の大きさ
1 / 1

長い散歩

しおりを挟む
「こないだの斉藤組のオーディション、落ちたって」

台所でキャベツを刻んでいる母が言った。今晩はとんかつだからそのお供だろう。

私はiPadでシューティングゲームをやりながら、あっそ、とだけ言った。

キャベツを刻む音は止まらない。
その小気味よいリズムが、妙に私をイライラさせた。

「ちょっと出かける」

そう言ってiPadをソファーに放り投げ、履き慣れたシューズで家を出た。
玄関まで来たとき、何処に行くのと母の声が聞こえたが、無視した。

強く生ぬるい風が全身に当たる。今日はずいぶん蒸し暑い。

ぼうぼうと吹く風の流れを基調にして、行く当てのない私の足は動き出す。

十年後二十年後、私は何者になっているのだろう。

もしかしたら、何者にもなっていないのかもしれない。

截然としない将来が漠然とした不安となって、私の心に降り積もる。

ちょうど曲がり角にさしかかったとき、ジャージのポケットに入れていた携帯が鳴った。

茉莉のお母さんからだった。

茉莉というのは二年前くらいまで、私が今いる事務所にいた子だ。
私より一つ年下で、誰にでも人懐っこく周りから好かれるような存在だった。クラスも同じでよく一緒にいたが、声優を専攻したいからとそっち専門の小さな事務所に移ってからは、もうほとんど連絡は取っていない。
ましてや茉莉ママから直接連絡をもらうことなんて無かったので、私は少し躊躇ったが、いつもの癖でさっさと画面をスライドさせてしまった。

「…もしもし」

「あ、もしもし凜子ちゃん?」

茉莉ママにしては控えめな、いつもよりも少しくぐもった声が聞こえた。

「どうしたんですか」

「…いや、特に用もないんだけどねぇ、少し声が聞きたくなっちゃって。どう?最近はオーディションとか受けてるの?」

私は、茉莉ママがあまり得意ではない。

こういうタイミングの悪いところもそうだが、何より私は、この人のいつもの「テンション高めマシンガントーク」についていけないのだ。

「…まあ、ちょっとは。でももういい加減高一なんで、控えてます。定期テストもあるし、学校は休めないんで」

「あー、そうよねぇ」

茉莉ママはそういうと、何か言いたげに黙ってしまった。

私は驚いて、「え?」という言葉が口をついて出てきてしまった。
しかし幸いなことに、それは茉莉ママには聞こえていなかったらしい。

その後少しの沈黙を経て、茉莉ママはやっと口を開いた。

「あのね、凜子ちゃん。茉莉、死んだのよ」

「…え?」

 一瞬、聞き間違いかと思った。



…死んだ?茉莉が?



じりじりと照っている太陽が、目の前の景色をぐわんとかき混ぜる。



しんだ?

だれが?



しかし茉莉ママは待ってはくれなかった。

私の頭の中で「茉莉」と「死んだ」のワードは一致せず、ピントが合わないまま話は進む。

「ごめんなさいね、いきなりこんなこと。五月に交通事故に遭ってね、うちの主人の意向で葬式は親族だけで行うってことにしたから、葬式には呼べなくって」

 茉莉ママは淡々と事の次第を話していく。

 私はかろうじて「ああ」「はい」などという気のない返事を返していたが、詳しい話は殆ど入ってこなかった。

「でもほら、凜子ちゃんには仲良くしてもらってたからね、伝えようと思って」

何かのドッキリではないだろうか。

「あの子、凜子ちゃんのこと大好きだったから」

腹の奥で、ずくずく音がする。






ずくずく。






ずくずくずく。






やがてその「ずくずく」はからだ全体に伝わって、私は遂になんの言葉も発さなくなった。

「いきなり驚くよね、そりゃあね…ごめんなさいね、凜子ちゃん。もっと早くに伝えられれば良かったんだけど。…私もろくな状態じゃなかったから」

またもや沈黙が流れる。

私は多分、茉莉の死に直接悲しんでいる訳ではない。

「私は大丈夫です、気にしないでください」

 今度は自分でもびっくりするほど冷静に返事が出来た。

そして長い長い沈黙の後、茉莉ママはハムスターのように喉を鳴らし、微かな喉の隙間から声を発した。

「茉莉と、仲良くしてくれて、ありがとうねぇ、凛子ちゃん」

通話は切れた。

私は携帯の画面を暫く眺めた後、ポケットにしまい、また歩き始めた。



なんだろう。



ふわふわ浮いている。



きっと「ずくずく」が気化されて「ふわふわ」になってしまったのだ。


でも、私は普通だ。


いくら私がふわふわしていても、ずくずくしていても、きっと側から見れば電話を受ける前となんら変わらない。


私はまっすぐ前を見て腕を揺らし、足もきれいに動かしているのだから。


私は普通なんだ。



人が死んだのに。



この感覚は、なんだろう。
寂しさでもない、哀しさでもない、驚きでもない。

いつも見ている家の近くの風景は、全く違う異世界のようだった。



あっけない。



なんだ、そんなものなのか、と思ってしまった。

私は自分で言うのもなんだが、割とこまめな性格だ。事務所で知り合った人たちのその後が気になり、自分で定期的に調べたりする事も多かった。

事務所のホームページを見る限り、茉莉はちょうど最近仕事が入り始めたところだった。これから伸びるだろうな、と私は思っていた。
茉莉が役をもらった深夜アニメも、毎週録画して見ていた。

あの頃よりも、格段に上手くなっていた。

茉莉は滑舌が良くない方だったが、そんな影を一欠片も残す事なく変わっていた。声の出し方から、抑揚まで。
根本的に発声を習い直したんだろう。



努力を、したんだろう。



私の周りで芸能界を目指している人たちの大半は大学へは行かず、高校を卒業したら芸能活動に専念すると腹を決めていた。
茉莉もその一人で、楽しそうに高校卒業後の自分の理想を語っていた。



なんだ。



私は内心焦っていた。

私立でお金のかかる中高一貫校に通わせてもらっておいて、大学を出ないという訳にはいかない。
周りが活動に割く時間が増えるのに対して、私はテストだ行事だとかける時間がどんどん少なくなっていた。

だから私は、最近成長してきている茉莉を、少し、ほんの少しだけ、妬ましく思っていた。



でも茉莉は死んだ。



もう、何もかもが無に帰してしまったのだ。茉莉に対してどうこうなどという感情はない。



なんだ。

なぁんだ。



この、なんとも言えない空虚な心を、どう表現したら良いのか。



私の足は止まらない。



どんどんどんどん前へ進む。



道は決まらない。



ああ。









長い散歩になりそうだ。













 
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

妻を蔑ろにしていた結果。

下菊みこと
恋愛
愚かな夫が自業自得で後悔するだけ。妻は結果に満足しています。 主人公は愛人を囲っていた。愛人曰く妻は彼女に嫌がらせをしているらしい。そんな性悪な妻が、屋敷の最上階から身投げしようとしていると報告されて急いで妻のもとへ行く。 小説家になろう様でも投稿しています。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

あなたへの愛を捨てた日

柴田はつみ
恋愛
公爵夫人エステルは、冷徹な夫レオニスを心から愛していた。彼の好みを調べ、帰宅を待ちわび、献身的に尽くす毎日。 しかし、ある夜会の回廊で、エステルは残酷な真実を知る。 レオニスが、未亡人クラリスの手を取り囁いていたのだ。 「君のような(自立した)女性が、私の隣にいるべきだった」 エステルは悟る。自分の愛は彼にとって「重荷」であり、自分という人間は彼にとって「不足」だったのだと。その瞬間、彼女の中で何かが音を立てて砕け散る。

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

幸せになれると思っていた

里見知美
恋愛
18歳になったら結婚しよう、と約束をしていたのに。 ある事故から目を覚ますと、誰もが私をいないものとして扱った。

降っても晴れても

凛子
恋愛
もう、限界なんです……

処理中です...