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1章. 謎のプロローグ
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人口1400万人の首都東京。
その発展は鉄道の発達に支えられている。
幹線道路の整備は、車の増加に追いつけず、渋滞都市の連鎖は断ち切れていない。
そんな中、経済都市としての発展を成し得たのは、戦後早くから進められた、鉄道都市計画の賜物《たまもの》である。
現在、東京都の鉄道路線数は85線にも及び、その駅数は国内第1位の717駅。
2位の北海道536駅をはるかに凌《しの》ぐ数の駅が、この狭い東京都に密集しているのである。
こうして満員電車と、年間300件を超える人身障害事故という問題を抱えながらも、鉄道網はほぼ完成の域に達していた。
~品川駅~
ここ品川には、550両を収容可能な、東京総合車両センターと呼ばれる車両基地があり、深夜の車両の収容や、点検・整備を担っていた。
腰に付けた専用無線が鳴る。
「おい、また運転士から、あの信号機が赤のままだったとのクレームだ。まだ直してないのか?さっさとやれ!」
「分かってますよ、丁度今着いたとこです」
熊谷拓哉《くまがいたくや》、品川基地に勤務する整備士である。
少々性格に難はあれど、腕は認められていた。
「全く、いつの時代の代物《しろもん》だよ。」
いつもの様に独り言の愚痴を吐きながら、駅の状況を示す信号塔を蹴った。
「ガンッ」
すると、ずっと赤であった信号が、緑に変わったのである。
「おっと、古い物は古いやり方で直るってか」
そう言って、途中であった本来の車両整備作業へと戻って行った。
その頃。
浅井哲夫は焦っていた。
彼が園長を務める清和幼稚園は、各界の著名人御用達とも言える、文部科学省推奨の教育施設であった。
「まだ来ませんか?」
引率《いんそつ》の望月明音《もちづきあかね》が急かす。
今日は年長組20名を連れて、山手線を利用した園外授業、つまりは都会の遠足であった。
「あ、もしもし、園長の浅井です。梨香お嬢様が、まだお見えにならないのですが…」
「すみませんが、ただ今義光様は、話ができる状況ではないので、失礼します」
慌ただしく電話を切られた。
「困りましたね~。もう出て貰わないと、後ろが全て止まってしまいますので」
駅長が運転士に、待ての合図を送る。
11両編成の山手線。
時計方向の外回りと、反時計方向の内回り、常に各26本の電車が、30の駅を巡回している。
そのうちの1本。
内回り最後尾の車両を、11:00~13:00の間、誠和幼稚園が貸し切っていた。
その裏では、1番の有力者である帝都銀行専務、菅原義光が、両者に金を回していたのである。
その義光の娘、菅原梨香が遅れていた。
ホームには、内回りを示す女性の自動音声が流れて、次の電車が近いことを知らせていた。(※外回りは男性の声である)
内回り線、品川の一つ手前の大崎駅。
運転士が交代し、ベテランの山岸裕司《やまぎしゆうじ》が電車を走らせる。
山手線で、この大崎ー品川間2kmと、品川ー田町間2.2kmは、カーブも緩く最高時速90kmが出せる区間であった。
品川が近づき、減速に入る。
「おっ、やっと信号機を直したか」
シッカリ指を差す山岸。
「前方良好」
緑のランプを確認し、声を出した…
~岐阜県美濃加茂市~
東京から名古屋経へ。
帰省のついでに、かつての師匠が経営する、名古屋駅セントラルタワー内の和食レストランで、その料理を披露した。
名古屋からは、中央線で多治見へ。
そこから、ローカルな太多線を乗り継ぎ、故郷である、美濃加茂市の美濃太田駅で下車。
鈴蘭恭子。
和食を極め、数々の賞も受賞した巨匠。
今は東京で割烹料亭、『鈴蘭』を経営し、故郷に2号店をオープンさせたのである。
もう終電一つ前の電車であり、売店も片付けに入っていた。
「あら?恭子ちゃん!」
ふと覗いた売店から、懐かしい声がした。
「おばちゃん!うそ、まだ頑張ってたの?」
「懐かしいわね~綺麗になってまぁ。聞いたわよ、お店っ!故郷の町おこしに貢献ね。私も一度でいいから行ってみたいわ~」
「じゃあ…これ、ここの店は当面私の弟子に任せるから、これ持って家族で来てくださいな」
無料招待券を渡す恭子。
「いいのかかしら…あんな高そうなお店へ」
「大丈夫よ、ここは美濃加茂よ。畏《かしこ》まることはないわ。えっと…私は、これとこれと、あとビール頂戴」
「はいはい」
袋に入れて渡す。
「お代はいいわよ、お返しお返し」
「ありがとうございます」
「今日は何処に?」
故郷とはいえ、両親は若くして他界し、家は既に売却済みであった。
「そこに予約してあるから」
駅前のビジネスホテルを指さす。
「じゃあ、おやすみなさい」
そう言って、行きかけた恭子が立ち止まる。
少し考えてる風で、売店に戻ってきた。
「おばちゃん、もう遅いからビールだけでいいや。三十路も半ばになると我慢しなきゃね」
「そうかい…ならもう一本」
「それじゃ意味ないじゃない。アハハ」
笑いながら受け取り、ホテルへと向かった。
そこへ、駅の中から運転士が1人出てきた。
売店に前のベンチに座る。
「地元の人かい?」
「ええ、ここが誇れる美人料理人よ。東京でお偉いさん相手に、料理屋をやっててね」
店を閉めた店主も、隣に座る。
多治見方面の終電は終わり、明日の朝に多治見を始発する回送電車を送り届けるのが、彼の本日最後の仕事である。
売れ残りを食べながら、雑談をするのが日課の様になっていた。
暫くして。
「さて、そろそろ行くとするか」
そう言って立ち上がりかけた彼が、ふらついた。
「大丈夫かい?」
心配する店主。
「あ、ああ…歳には勝てんな」
帽子を被り、駅の中へと入って行った。
~東京~
お台場、警視庁凶悪犯罪対策本部。
23:00、刑事課の電話が鳴る。
「はい刑事課」
「練馬署交通課の轟《とどろき》です。信号無視で走る不審な車を追跡中。運転手は、電話で誰かと話しています。例の事件の可能性が」
「分かったから無理に停めないで、それからあまり近付き過ぎない様に」
電話を固定から自分の携帯へ移し、スピーカーフォンに切り替える。
「ナンバーをこれに送って」
直ぐにメールで写真が届いた。
「昴、ナンバー照会を!」
素早くキーを叩く。
「咲さん出ました。浜田智久 35歳、前科なし。派遣会社に勤務」
と、その時。
「危ないッ❗️」轟の叫び声。
「ガン❗️ギュルギュルギュル、ガシャン❗️」
激しいスリップ音と衝突音。
「轟さん、なに…」
「ドドーン💥」
赤信号で交差点に突っ込んだ浜田の車が、左からきたトラックに跳ね飛ばされ、爆発した。
「クソッ!」
悔しがる咲。
「昴、救急車と鑑識班を現場へ!」
「手配済みです」
咲の携帯が鳴る。
「咲さん、紗夜です。爆発した車のナンバーから、持ち主は加藤吾郎 33歳。暴力沙汰で数回拘留歴はありますが、他には特に」
「了解。次は今から送る練馬に向かって。6軒目発生よ」
「え~またですか?」
紗夜の隣でボヤく宮本淳一。
目で注意する妻の紗夜。
「咲さん、怪我人は?」
「ダメみたいだわ」
「鑑識班が足りないわね…本庁へ応援要請をお願いします」
(いったい、何が起きてるの…)
つい3日前から都内では、車を対象とした爆破事件が続いていた。
ただし、人身被害は今夜が初めてである。
「今までのは、予行演習ってことか」
刑事課長の富士本恭介が、ボソリと呟く。
そして、同時に始まったのが、裏サイトの『デス・トレイン』。
駅の監視カメラなどに映った過去の事故映像が流れ、フォロワー数は100万人を超えていた。
「こんな時に限って、豊川さんは…全く」
鑑識部と科学捜査部を束ねる豊川勝政は、珍しく休暇を取り、妻と2人旅の最中であった。
「咲、昴、二人の共通点を探すんだ。必ず何かある」
それは犯人の誘導かもしれない。
長い刑事の勘が、その予感を生む。
しかし、今はそれが唯一の糸口であった。
~岐阜県多治見市~
「結局、終電になってしまいましたね」
「ああ、疲れたな」
警視庁対策本部、鑑識部兼科学捜査部長、豊川勝政と、その妻雅恵。
夫婦仲良く名古屋~飛騨高山の旅に来ていた。
ことの発端は、警視庁御用達の料亭『鈴蘭』の女将《おかみ》、恭子から名古屋の和食会に招待されたことから始まった。
「しかし、あなた達ってあんな美味しいものを、いつも食べているなんてねぇ」
「ばか言うな。いつもは本部にこもって、出前か弁当だ💦」
「ホホ、分かっていますよ。でも鈴蘭恭子さん、料理もいいけど、素敵な方でしたね」
「かなり苦労して来たみたいだからな」
平日のローカル線の終電。
2両編成のワンマン電車は、ガラガラである。
多治見を始点に、小泉、根元、姫、下切、可児、川合、終点の美濃太田までの30分。
夜になると、途中の駅は全て無人駅となる。
1線路がほとんどで、レールが分岐した駅で待ち合わせ、すれ違うのである。
豊川夫婦の電車が下切駅に着いた頃。
美濃太田からの回送電車が、待ち合わせの可児駅に差し掛かっていた。
が…いつもとは違っていた。
全く減速すらせず、最高速のまま無人の駅を通り過ぎたのである。
この異常事態に気付く者もいない。
2人の乗った終電が、下切駅を出る。
「次は~可児。お忘れ物のない様……えっ?」
アナウンスをしかけた運転士が、異常を告げる赤信号に気付いた。
「あら?どうかしたのかしら?」
「んん?」
その途端、急ブレーキの金切音が響いた。
横向きの長椅子に座っていた2人。
咄嗟に妻の体を片手で抱き止め、片手はポールに巻き付けて堪える豊川。
2両編成の先頭車両で、ふと進行方向を見た。
眩しい電車のライトが近づいて来る。
「うわっああ⁉️」
止まった電車から、運転士が慌てて車外へ飛び降りる。
「バカな⁉️」
と思った瞬間。
「ヅガッシャーン❗️」
激しい衝撃に、何人かが宙を舞う。
「グッォオオ❗️」
渾身の力で踏ん張り、妻とポールを抱えた両手を組んで耐える。
「ガガガガガーッ❗️」
正面から、ぶつかった車両が、互いに潰れながら迫る。
思わず目を閉じて、死を覚悟した。
ほんの一瞬。
しかしそう感じない不思議な時空。
全てが止まっても、少しの間は動けず、状況を理解する為の間が空く。
呻き声と、電気のスパーク音、焦げ臭い煙。
我に返った豊川。
「おまえ、大丈夫か?」
「は、はい。いったい何が…」
「とりあえず、ここにいてくれ」
妻の無事を確かめて、怪我人の救助に向かう。
重症者を優先して、横にして安定させる。
(ひでぇな、こりゃ…)
豊川を見て、動ける若者数人が手を貸す。
「シッカリしろよ! 君、ここを強く抑えて!」
向かいの車両に、飛ばされた一人が見えた。
「君、ついて来い!」
繋がった空間を潜《くぐ》って、座席に貼り付いている乗客をゆっくり起こし、床に寝かせる。
「クソッ。君もベルトを外してくれ!」
まずは自分のベルトで、ちぎれた片腕の上部をキツく縛る。
「グァ❗️」
(まだ助かる)
呻き声でそれを確信する豊川。
「シッカリするんだ」
渡されたベルトで出血の酷い片足も締付けた。
「ありがとな、君は外へ出るんだ」
(運転士はどこに?飛び降りたか?)
その疑問は、次の瞬間、絶望に変わった。
「そんな…」
回送電車の運転士は、1/3程まで潰れた、車両の固まりの中にいたのである。
救急車、パトカー、消防車が続々と集まる。
「あなた、大丈夫ですか?」
呆然《ぼうぜん》としていた豊川に、警察官が話しかけた。
「おぉ、俺は大丈夫だ、怪我人を!…雅恵!」
慌てて元の車両に戻る。
「私はいいから、あの方を早く!」
この夫にして、この妻である。
警察官の妻として、冷静な対応をしていた。
「雅恵、あとは救命士に任せて出るぞ」
軽く妻の体を抱き上げ、外へと出た。
妻を下ろし、惨事を改めて眺める。
「ギリッ」
奥歯を噛み締める豊川。
「雅恵…」
「分かっておりますよ」
「すまん」
近くにいた警察官を呼び、警察手帳を見せる。
「警視庁の豊川だ、悪いが妻をホテルまで送ってもらえるか?タクシーでもいいから頼む」
まさかの警視庁に驚く。
「ご、ご苦労様です。畏《かしこ》まりました」
「すみません。タクシーをお願いします」
「はい!ただいま」
その雅恵にまで敬礼し、タクシーを呼ぶ。
再び電車へと戻る豊川。
結局、彼がホテルへ行くことは無かった。
大勢の人員と重機を用い、3時間かけて、何とか運転士の遺体が回収された。
その運転士の様を見るなり、警察と救命士は、全身圧迫による即死で済まそうとした。
しかし豊川は、わずかに覗いた顔や、千切れた腕の様相から、疑問を抱いていたのである。
「まてまて、警視庁鑑識部の豊川だ。ちゃんと検死した方がいいぜ。あの様相は普通じゃねぇ。対応できる病院はどこだ?」
「け…警視庁の方がどうして?」
驚くのも無理はない。
普通ではあり得ない偶然である。
「そんなこたぁどうでもいい。検死は時間が命だ、今すぐできる病院はどこだ?」
「わ…わかりました。愛知の大学病院へ搬送して検死しますが、明日の朝になります」
さすがに、警視庁のしかも鑑識部長からの指示を、無視する訳にはいかない。
「分かった。俺も付き合うから、乗せていけ」
強引に入り込む豊川。
プロの血が騒いでいた。
少し場を外して、電話を掛ける。
「遅くにすまん。俺は明日の検死に立ち会う。悪いが旅行は…」
「はいはい、大丈夫ですよ。丁度ホテルで鈴蘭恭子様にお会いして、明日は彼女のお店へ寄らせて貰い、夜はあなたが予約してくれた、下呂温泉へ二人で泊まらせてもらいますから」
「恭子さんと!…そ、そうか、それは良かった。この埋め合わせは、また必ずするからな」
「期待しないで待つとしますわ。ではお気をつけてくださいね。おやすみなさい」
それはそれで予想外の事に、暫し呆然とする。
「では警部殿、行きましょう」
可児市警の交通課長と救急車に乗り込んだ。
こうして、豊川の短い休日は終わった。
~東京 対策本部~
今夜は泊まりを覚悟した、咲、紗夜、淳一、昴、そして富士本。
何気に付けたWebニュース。
「岐阜県でローカル線の正面衝突だってよ」
「眠れないのは何処も同じ様ね、あら?」
映像を見ていた咲が気付いた。
「あれって…豊川さんじゃない?」
「あっ、本当ですね」
昴も冷静に驚いていた。
「休暇返上ですか…お気の毒に」
紗夜には、何故かそれが運命の様に思えた。
『…なお、事故にあった電車に、偶然乗り合わせていた警視庁 豊川警部の処置により、奇跡的に乗客の命は助かったとのことで…』
「やるじゃねぇか、なぁ紗夜」
「さすがですね。きっとそのまま、検死にも立ち合うんでしょうね、彼なら」
「さあさあ皆んな、明日は朝9時から、対策会議だ、少しでも休んでおけ」
富士本の声に、疲れを感じた紗夜と昴。
紗夜と昴には、人の心を読む能力があった。
「富士本さんも、無理しないで休んで下さい」
「ああ、そうするよ。はぁ…」
それぞれが無意識の内に、大きな事件の始まりを感じていたのであった。
その発展は鉄道の発達に支えられている。
幹線道路の整備は、車の増加に追いつけず、渋滞都市の連鎖は断ち切れていない。
そんな中、経済都市としての発展を成し得たのは、戦後早くから進められた、鉄道都市計画の賜物《たまもの》である。
現在、東京都の鉄道路線数は85線にも及び、その駅数は国内第1位の717駅。
2位の北海道536駅をはるかに凌《しの》ぐ数の駅が、この狭い東京都に密集しているのである。
こうして満員電車と、年間300件を超える人身障害事故という問題を抱えながらも、鉄道網はほぼ完成の域に達していた。
~品川駅~
ここ品川には、550両を収容可能な、東京総合車両センターと呼ばれる車両基地があり、深夜の車両の収容や、点検・整備を担っていた。
腰に付けた専用無線が鳴る。
「おい、また運転士から、あの信号機が赤のままだったとのクレームだ。まだ直してないのか?さっさとやれ!」
「分かってますよ、丁度今着いたとこです」
熊谷拓哉《くまがいたくや》、品川基地に勤務する整備士である。
少々性格に難はあれど、腕は認められていた。
「全く、いつの時代の代物《しろもん》だよ。」
いつもの様に独り言の愚痴を吐きながら、駅の状況を示す信号塔を蹴った。
「ガンッ」
すると、ずっと赤であった信号が、緑に変わったのである。
「おっと、古い物は古いやり方で直るってか」
そう言って、途中であった本来の車両整備作業へと戻って行った。
その頃。
浅井哲夫は焦っていた。
彼が園長を務める清和幼稚園は、各界の著名人御用達とも言える、文部科学省推奨の教育施設であった。
「まだ来ませんか?」
引率《いんそつ》の望月明音《もちづきあかね》が急かす。
今日は年長組20名を連れて、山手線を利用した園外授業、つまりは都会の遠足であった。
「あ、もしもし、園長の浅井です。梨香お嬢様が、まだお見えにならないのですが…」
「すみませんが、ただ今義光様は、話ができる状況ではないので、失礼します」
慌ただしく電話を切られた。
「困りましたね~。もう出て貰わないと、後ろが全て止まってしまいますので」
駅長が運転士に、待ての合図を送る。
11両編成の山手線。
時計方向の外回りと、反時計方向の内回り、常に各26本の電車が、30の駅を巡回している。
そのうちの1本。
内回り最後尾の車両を、11:00~13:00の間、誠和幼稚園が貸し切っていた。
その裏では、1番の有力者である帝都銀行専務、菅原義光が、両者に金を回していたのである。
その義光の娘、菅原梨香が遅れていた。
ホームには、内回りを示す女性の自動音声が流れて、次の電車が近いことを知らせていた。(※外回りは男性の声である)
内回り線、品川の一つ手前の大崎駅。
運転士が交代し、ベテランの山岸裕司《やまぎしゆうじ》が電車を走らせる。
山手線で、この大崎ー品川間2kmと、品川ー田町間2.2kmは、カーブも緩く最高時速90kmが出せる区間であった。
品川が近づき、減速に入る。
「おっ、やっと信号機を直したか」
シッカリ指を差す山岸。
「前方良好」
緑のランプを確認し、声を出した…
~岐阜県美濃加茂市~
東京から名古屋経へ。
帰省のついでに、かつての師匠が経営する、名古屋駅セントラルタワー内の和食レストランで、その料理を披露した。
名古屋からは、中央線で多治見へ。
そこから、ローカルな太多線を乗り継ぎ、故郷である、美濃加茂市の美濃太田駅で下車。
鈴蘭恭子。
和食を極め、数々の賞も受賞した巨匠。
今は東京で割烹料亭、『鈴蘭』を経営し、故郷に2号店をオープンさせたのである。
もう終電一つ前の電車であり、売店も片付けに入っていた。
「あら?恭子ちゃん!」
ふと覗いた売店から、懐かしい声がした。
「おばちゃん!うそ、まだ頑張ってたの?」
「懐かしいわね~綺麗になってまぁ。聞いたわよ、お店っ!故郷の町おこしに貢献ね。私も一度でいいから行ってみたいわ~」
「じゃあ…これ、ここの店は当面私の弟子に任せるから、これ持って家族で来てくださいな」
無料招待券を渡す恭子。
「いいのかかしら…あんな高そうなお店へ」
「大丈夫よ、ここは美濃加茂よ。畏《かしこ》まることはないわ。えっと…私は、これとこれと、あとビール頂戴」
「はいはい」
袋に入れて渡す。
「お代はいいわよ、お返しお返し」
「ありがとうございます」
「今日は何処に?」
故郷とはいえ、両親は若くして他界し、家は既に売却済みであった。
「そこに予約してあるから」
駅前のビジネスホテルを指さす。
「じゃあ、おやすみなさい」
そう言って、行きかけた恭子が立ち止まる。
少し考えてる風で、売店に戻ってきた。
「おばちゃん、もう遅いからビールだけでいいや。三十路も半ばになると我慢しなきゃね」
「そうかい…ならもう一本」
「それじゃ意味ないじゃない。アハハ」
笑いながら受け取り、ホテルへと向かった。
そこへ、駅の中から運転士が1人出てきた。
売店に前のベンチに座る。
「地元の人かい?」
「ええ、ここが誇れる美人料理人よ。東京でお偉いさん相手に、料理屋をやっててね」
店を閉めた店主も、隣に座る。
多治見方面の終電は終わり、明日の朝に多治見を始発する回送電車を送り届けるのが、彼の本日最後の仕事である。
売れ残りを食べながら、雑談をするのが日課の様になっていた。
暫くして。
「さて、そろそろ行くとするか」
そう言って立ち上がりかけた彼が、ふらついた。
「大丈夫かい?」
心配する店主。
「あ、ああ…歳には勝てんな」
帽子を被り、駅の中へと入って行った。
~東京~
お台場、警視庁凶悪犯罪対策本部。
23:00、刑事課の電話が鳴る。
「はい刑事課」
「練馬署交通課の轟《とどろき》です。信号無視で走る不審な車を追跡中。運転手は、電話で誰かと話しています。例の事件の可能性が」
「分かったから無理に停めないで、それからあまり近付き過ぎない様に」
電話を固定から自分の携帯へ移し、スピーカーフォンに切り替える。
「ナンバーをこれに送って」
直ぐにメールで写真が届いた。
「昴、ナンバー照会を!」
素早くキーを叩く。
「咲さん出ました。浜田智久 35歳、前科なし。派遣会社に勤務」
と、その時。
「危ないッ❗️」轟の叫び声。
「ガン❗️ギュルギュルギュル、ガシャン❗️」
激しいスリップ音と衝突音。
「轟さん、なに…」
「ドドーン💥」
赤信号で交差点に突っ込んだ浜田の車が、左からきたトラックに跳ね飛ばされ、爆発した。
「クソッ!」
悔しがる咲。
「昴、救急車と鑑識班を現場へ!」
「手配済みです」
咲の携帯が鳴る。
「咲さん、紗夜です。爆発した車のナンバーから、持ち主は加藤吾郎 33歳。暴力沙汰で数回拘留歴はありますが、他には特に」
「了解。次は今から送る練馬に向かって。6軒目発生よ」
「え~またですか?」
紗夜の隣でボヤく宮本淳一。
目で注意する妻の紗夜。
「咲さん、怪我人は?」
「ダメみたいだわ」
「鑑識班が足りないわね…本庁へ応援要請をお願いします」
(いったい、何が起きてるの…)
つい3日前から都内では、車を対象とした爆破事件が続いていた。
ただし、人身被害は今夜が初めてである。
「今までのは、予行演習ってことか」
刑事課長の富士本恭介が、ボソリと呟く。
そして、同時に始まったのが、裏サイトの『デス・トレイン』。
駅の監視カメラなどに映った過去の事故映像が流れ、フォロワー数は100万人を超えていた。
「こんな時に限って、豊川さんは…全く」
鑑識部と科学捜査部を束ねる豊川勝政は、珍しく休暇を取り、妻と2人旅の最中であった。
「咲、昴、二人の共通点を探すんだ。必ず何かある」
それは犯人の誘導かもしれない。
長い刑事の勘が、その予感を生む。
しかし、今はそれが唯一の糸口であった。
~岐阜県多治見市~
「結局、終電になってしまいましたね」
「ああ、疲れたな」
警視庁対策本部、鑑識部兼科学捜査部長、豊川勝政と、その妻雅恵。
夫婦仲良く名古屋~飛騨高山の旅に来ていた。
ことの発端は、警視庁御用達の料亭『鈴蘭』の女将《おかみ》、恭子から名古屋の和食会に招待されたことから始まった。
「しかし、あなた達ってあんな美味しいものを、いつも食べているなんてねぇ」
「ばか言うな。いつもは本部にこもって、出前か弁当だ💦」
「ホホ、分かっていますよ。でも鈴蘭恭子さん、料理もいいけど、素敵な方でしたね」
「かなり苦労して来たみたいだからな」
平日のローカル線の終電。
2両編成のワンマン電車は、ガラガラである。
多治見を始点に、小泉、根元、姫、下切、可児、川合、終点の美濃太田までの30分。
夜になると、途中の駅は全て無人駅となる。
1線路がほとんどで、レールが分岐した駅で待ち合わせ、すれ違うのである。
豊川夫婦の電車が下切駅に着いた頃。
美濃太田からの回送電車が、待ち合わせの可児駅に差し掛かっていた。
が…いつもとは違っていた。
全く減速すらせず、最高速のまま無人の駅を通り過ぎたのである。
この異常事態に気付く者もいない。
2人の乗った終電が、下切駅を出る。
「次は~可児。お忘れ物のない様……えっ?」
アナウンスをしかけた運転士が、異常を告げる赤信号に気付いた。
「あら?どうかしたのかしら?」
「んん?」
その途端、急ブレーキの金切音が響いた。
横向きの長椅子に座っていた2人。
咄嗟に妻の体を片手で抱き止め、片手はポールに巻き付けて堪える豊川。
2両編成の先頭車両で、ふと進行方向を見た。
眩しい電車のライトが近づいて来る。
「うわっああ⁉️」
止まった電車から、運転士が慌てて車外へ飛び降りる。
「バカな⁉️」
と思った瞬間。
「ヅガッシャーン❗️」
激しい衝撃に、何人かが宙を舞う。
「グッォオオ❗️」
渾身の力で踏ん張り、妻とポールを抱えた両手を組んで耐える。
「ガガガガガーッ❗️」
正面から、ぶつかった車両が、互いに潰れながら迫る。
思わず目を閉じて、死を覚悟した。
ほんの一瞬。
しかしそう感じない不思議な時空。
全てが止まっても、少しの間は動けず、状況を理解する為の間が空く。
呻き声と、電気のスパーク音、焦げ臭い煙。
我に返った豊川。
「おまえ、大丈夫か?」
「は、はい。いったい何が…」
「とりあえず、ここにいてくれ」
妻の無事を確かめて、怪我人の救助に向かう。
重症者を優先して、横にして安定させる。
(ひでぇな、こりゃ…)
豊川を見て、動ける若者数人が手を貸す。
「シッカリしろよ! 君、ここを強く抑えて!」
向かいの車両に、飛ばされた一人が見えた。
「君、ついて来い!」
繋がった空間を潜《くぐ》って、座席に貼り付いている乗客をゆっくり起こし、床に寝かせる。
「クソッ。君もベルトを外してくれ!」
まずは自分のベルトで、ちぎれた片腕の上部をキツく縛る。
「グァ❗️」
(まだ助かる)
呻き声でそれを確信する豊川。
「シッカリするんだ」
渡されたベルトで出血の酷い片足も締付けた。
「ありがとな、君は外へ出るんだ」
(運転士はどこに?飛び降りたか?)
その疑問は、次の瞬間、絶望に変わった。
「そんな…」
回送電車の運転士は、1/3程まで潰れた、車両の固まりの中にいたのである。
救急車、パトカー、消防車が続々と集まる。
「あなた、大丈夫ですか?」
呆然《ぼうぜん》としていた豊川に、警察官が話しかけた。
「おぉ、俺は大丈夫だ、怪我人を!…雅恵!」
慌てて元の車両に戻る。
「私はいいから、あの方を早く!」
この夫にして、この妻である。
警察官の妻として、冷静な対応をしていた。
「雅恵、あとは救命士に任せて出るぞ」
軽く妻の体を抱き上げ、外へと出た。
妻を下ろし、惨事を改めて眺める。
「ギリッ」
奥歯を噛み締める豊川。
「雅恵…」
「分かっておりますよ」
「すまん」
近くにいた警察官を呼び、警察手帳を見せる。
「警視庁の豊川だ、悪いが妻をホテルまで送ってもらえるか?タクシーでもいいから頼む」
まさかの警視庁に驚く。
「ご、ご苦労様です。畏《かしこ》まりました」
「すみません。タクシーをお願いします」
「はい!ただいま」
その雅恵にまで敬礼し、タクシーを呼ぶ。
再び電車へと戻る豊川。
結局、彼がホテルへ行くことは無かった。
大勢の人員と重機を用い、3時間かけて、何とか運転士の遺体が回収された。
その運転士の様を見るなり、警察と救命士は、全身圧迫による即死で済まそうとした。
しかし豊川は、わずかに覗いた顔や、千切れた腕の様相から、疑問を抱いていたのである。
「まてまて、警視庁鑑識部の豊川だ。ちゃんと検死した方がいいぜ。あの様相は普通じゃねぇ。対応できる病院はどこだ?」
「け…警視庁の方がどうして?」
驚くのも無理はない。
普通ではあり得ない偶然である。
「そんなこたぁどうでもいい。検死は時間が命だ、今すぐできる病院はどこだ?」
「わ…わかりました。愛知の大学病院へ搬送して検死しますが、明日の朝になります」
さすがに、警視庁のしかも鑑識部長からの指示を、無視する訳にはいかない。
「分かった。俺も付き合うから、乗せていけ」
強引に入り込む豊川。
プロの血が騒いでいた。
少し場を外して、電話を掛ける。
「遅くにすまん。俺は明日の検死に立ち会う。悪いが旅行は…」
「はいはい、大丈夫ですよ。丁度ホテルで鈴蘭恭子様にお会いして、明日は彼女のお店へ寄らせて貰い、夜はあなたが予約してくれた、下呂温泉へ二人で泊まらせてもらいますから」
「恭子さんと!…そ、そうか、それは良かった。この埋め合わせは、また必ずするからな」
「期待しないで待つとしますわ。ではお気をつけてくださいね。おやすみなさい」
それはそれで予想外の事に、暫し呆然とする。
「では警部殿、行きましょう」
可児市警の交通課長と救急車に乗り込んだ。
こうして、豊川の短い休日は終わった。
~東京 対策本部~
今夜は泊まりを覚悟した、咲、紗夜、淳一、昴、そして富士本。
何気に付けたWebニュース。
「岐阜県でローカル線の正面衝突だってよ」
「眠れないのは何処も同じ様ね、あら?」
映像を見ていた咲が気付いた。
「あれって…豊川さんじゃない?」
「あっ、本当ですね」
昴も冷静に驚いていた。
「休暇返上ですか…お気の毒に」
紗夜には、何故かそれが運命の様に思えた。
『…なお、事故にあった電車に、偶然乗り合わせていた警視庁 豊川警部の処置により、奇跡的に乗客の命は助かったとのことで…』
「やるじゃねぇか、なぁ紗夜」
「さすがですね。きっとそのまま、検死にも立ち合うんでしょうね、彼なら」
「さあさあ皆んな、明日は朝9時から、対策会議だ、少しでも休んでおけ」
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紗夜と昴には、人の心を読む能力があった。
「富士本さんも、無理しないで休んで下さい」
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