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第2章 改革と戦争の足音編
第13話 模擬戦を終えて
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・・13・・
僕がリイナに勝利した事により、訓練場は大いに盛り上がっていた。まるで大会の決勝戦直後のような雰囲気だ。
その中で僕は、いつまでもリイナを地に伏せさせたままなのも良くないので声を掛けて手を差し伸べる。
「自分でやっておいて言うのもなんだけど、大丈夫?」
「まさか土壇場で、あんな手を使ってくるとは思わなかったわ……」
リイナは差し伸べられた僕の手を掴み、起き上がりながら苦笑いをする。彼女は背中から落下したのでローブが砂で汚れてしまっている。僕は届かないであろう部分の砂埃を払っていると。さらに格闘術でのダメージはしっかり受けているはずだから初級回復魔法もリイナへ唱える。初級の回復魔法程度なら治癒術専門じゃない僕でも出来るからね。
「あら、優しいのね。嫁になるのが決まっている私を全力で殴って蹴って、投げ飛ばしたのに」
「そうでもしなきゃ勝てないからだよ!? リイナだって明らかにオーバーキルの魔法を連発してたよね!?」
「ふふっ、冗談よ。私が負けた理由はA-ランク相手なら余裕で勝てると思っていた私の慢心が原因だもの。けれど、お陰で目が覚めたわ。ありがとうね、旦那様」
「ど、どういたしまして……?」
礼儀正しく頭を下げるリイナ。
まさか殴った僕が殴られた彼女に感謝されるとは思わなくて、戸惑いながら返す。
だけど、この時の僕はとある事をすっかり忘れていたんだ。
原因は模擬戦でありながら、さながら殺すか殺されるかのような展開だったから。とある事を思い出させてくれたのは見学者達の言葉だった。
「A+のリイナ少佐に、A-のアカツキ大佐が勝った……」
「負けだと思ってたが、まさか最後の最後で大逆転とはな……」
「最後にアカツキ大佐が使ってた格闘術、見たことあるか? お前そういうの詳しいから知ってるだろ?」
「いや、目にしたこともねえ……。だが、それよりもだ。アカツキ大佐は……」
「リイナ少佐を思いっきり殴ってたよな……」
「あぁ……。それも腹部を……」
「えげつねえ……。だが、リイナ少佐も同じくらいだったしなあ……」
「マーチス大将閣下がもし目撃されたら……。想像するんじゃなかった……」
「同じく……」
試合を振り返るにつれて、リイナに対して行った僕の行動に対して見学者達は色々と言い合う。
僕がリイナにした動作は覚えている。自分がした事だし。
問題はそこではない。マーチス侯爵という固有名詞で記憶が繋がったんだ……。
「マーチス侯爵……。あっ……」
「あら旦那様。今更思い出したの?」
「っべえ……」
僕はマーチス侯爵が変装してこの場にいるのを思い出し、一気に血の気が引いて顔を青くする。
まずい、まずいぞ。模擬戦中は必死でマーチス侯爵がいるのが頭から消えて、勝つことのみを考えていたから配慮もへったくも無かった。
娘に対して、腹部への本気での殴打。からの蹴り上げと一本背負い。
…………あかん。マーチス侯爵はどんな表情をしているだろう……。
僕は恐る恐る彼の方に目線を向ける。
「…………」
む、無表情だー! 無我の境地みたいにピクリとも表情筋が動いてない! 憤怒より逆に怖いよ!
どうやらそれについてはリイナも気付いたようで、冷や汗を流しながら。
「……私からも弁明するわ」
「そうしてくれると凄い心強い……。早く行かないと……」
とにかく早めに行動しないといけないと危機感を抱きながら、僕は審判役の人に礼を述べるとすぐにマーチス侯爵のもとへ向かう。
「あ、あの!」
僕は早速、事の次第を弁解しようとするけれど。
「……ここで話すのではなく、馬車に向かおか」
「……はい」
「お父様、旦那様は……!」
「リイナも、話は馬車の中だ」
「……分かりました」
歩きながら言おうとするも、マーチス侯爵は相変わらず表情をぴくりとも動かさず、あくまで馬車の中でしか話すつもりはないと言う。
戦々恐々としながら僕はリイナとマーチス侯爵の隣を歩く。
馬車に乗り込む前、マーチス侯爵は御者に王都のヨーク家屋敷に向かうよう指示する。さらに待機していた僕の乗ってきた馬車の御者にアカツキはヨーク家の馬車で移動するし帰りもこちらでする旨を伝えるよう、彼の部下に伝言を命令していた。
終わったー! 待ち受けてるのは説教ですか!? それとも、もっと酷いのですか!?
僕はまるで世界の終わりを迎えたような気持ちになる。
馬車に乗り込むと、すぐに動き出した。車内は沈黙の空気に包まれていて、とても声を出そうなだなんて気にはなれない。
果たして何が待ち受けているのだろうかとこの世界に生まれ変わって初めて怯える僕。脂汗が出てきそうだ……。
ところがだった。それまで無言を貫いていたマーチス侯爵はいきなり顔を伏せたかと思いきや。
「くっ、くくくっ。ははははっ!」
「へっ?」
急に何かを抑えきれなくなったのか笑い出したのだ。それも大笑い。
え、なにこれ。どういうことなの。マーチス侯爵は娘を殴られておかしくなってしまったの!?
目の前でこんな光景が繰り広げられるもんだから僕は困惑するし、隣に座っていたリイナは口を開けてぽかんとしていた。
「くくっ、くははっ。すまんすまん。まさかこの世の終末みたいな顔つきをされるとは思っていなくてな」
「ど、どういうことですかマーチス侯爵……」
「なに、ちょっとした悪戯心さ。オレがまるで怒ったているかのような振る舞いをしたらアカツキがどんな反応を示すか見てみたくてな。なあに、実際は全く怒ってなんざおらんよ」
「は? はいいいいいい!?」
「ええええええ?!」
茶目っ気丸出しの発言と表情のマーチス侯爵に、僕とリイナは大が幾つ付いても足りないくらい驚愕するし言葉にも出る。
え、じゃあ何、今までのは全部演技だったってことおおおおお!?
「悪戯が過ぎますよマーチス侯爵ぅぅぅ……」
「くく、くくくっ。まさかそんなに深刻に取られるとは思わなくてな。少しやり過ぎたようだ、謝るよ」
「私、本気で旦那様を庇うつもりだったのにぃぃぃ……」
マーチス侯爵は笑いをこらえながらもそう言う。対して僕は、緊張の糸が一気に途切れて座り心地の良い座席に深く深く腰かける。リイナも覚悟して擁護するつもりだったみたいで、にも関わらず実際はマーチス侯爵の悪戯だったのを知って体の力が抜けきっていた。
「幾ら模擬戦とはいえ最後は少々過激だったのは終了後に自覚してましたから、正直最低でも叱責は覚悟しておりましたよ……」
「叱責? なぜオレが君を叱らねばならんのだ?」
「父親であるマーチス侯爵の目の前で、リイナを……」
「模擬戦で、だろう? アレが日常で暴力を振るう夫の光景であるのならば首の一つくらい飛ばしてやろうかと激怒するが、互いに手を抜かずに宣言して本気でぶつかった結果だ。戦闘に遠慮無し。男だろうが女だろうが、戦争であったら関係ないだろう? 手を抜いたら命取りではないか?」
「ご最もでありますが……」
「第一だ。君は戦闘終了後にリイナを気遣って手を差し伸べてローブの砂を払い、さらには初級の回復魔法もかけていた。相手に対して十分な配慮をしていたではないか。初級回復魔法の消費量は少ないとはいえ、あれだけの激戦で魔力をかなり消費しているにも関わらずだ。現に倦怠感があるだろう?」
「え、ええまあ……」
模擬戦直後にマーチス侯爵に対しての事で頭がいっぱいだったから余裕が無かったけれど、緊張から解き放たれた今は魔力消費の弊害を実感している。
魔力というのは使い過ぎると倦怠感を抱くようになるし、体内の魔力が枯渇する魔力切れになると失神するんだ。なので魔法能力者にとっては魔力管理は必須だし、細かい数字までは分からないけど感覚で大体残りどれくらいかは自覚可能。今回の場合、僕が消費した魔力はおよそ七割強。魔力残量が三割を切ると風邪の時のような倦怠感を抱くようになってしまう。
自身も魔法能力者であるマーチス侯爵は、それを知っているからか。
「だからアカツキ、これを飲みたまえ」
「それは……、魔力回復薬ですね。ありがとうございます」
「お前はまだ余裕はあるだろうが、リイナも飲みなさい」
「ありがとう、お父様」
マーチス侯爵は軍服の内ポケットから、僕とリイナに澄んだ青色をした液体が入っているガラスの小瓶を手渡す。僕とリイナはそれを飲む。味は良くもなく悪くもなくというか、見た目の割にただの水みたいだった。
マーチス侯爵がくれたのは魔力回復薬だ。前世のゲームとかであった魔力回復アイテムみたいなものだね。
ただこれは、ゲームとかみたいに魔力がすぐに回復する便利アイテムではないんだよね。この魔力回復薬の効果は空気中の魔法粒子を体内に取り込んで自然回復を促進するもので、回復薬の純度によるけれど、上級なものでも通常に比べて五倍程度自然回復が早くなる。マーチス侯爵から貰ったのはその上等な魔力回復薬。僕の魔力なら自然回復に一日はかかるから一時間もしないうちにある程度は回復するだろう。
ちなみに魔力回復薬は国の全人口の二割が魔法能力者だけあって市販でも販売されている。下級なら四ネシアから五ネシアと、連合王国国民の月平均所得三千ネシア――一ネシアは前世日本の日本円で百円程度。だからこの国の月平均所得は三十万くらい――を考えれば手頃な価格で購入できる。上級の回復薬はその百倍くらい高いけどね。その上級回復薬をあっさり出せるのは流石侯爵家の主ってとこだね。
「それを飲めばオレの屋敷に着く頃には気だるさも取れているだろう」
「助かります。長い時間ではありませんでしたが、激戦でしたので……」
「模擬戦の様子には驚嘆させられたぞ。申し訳ないがリイナと君とでは魔力量に絶対的な格差がある。にも関わらず、物怖じせず不利を自覚した上で短期決戦に持ち込んだ。さらには、最後の格闘戦だ。魔法能力者は基本的に近接戦はしない。そこを逆手に取って、あの行動だ。賞賛に値する」
「ありがとうございますマーチス侯爵。魔法の撃ち合いでは到底リイナには勝てませんから、常識を破って近接戦に持ち込みました。しかし、正直賭けでしたよ。運が良かっただけです」
「まさかアブソリュート・ソロを回避されるとは思わなかったわ」
「ああ、白熱の試合とはまさにあの事を言うのだと感じたぞ」
「当たればおしまいのあの技が当たらなかったのは本当にラッキーでした。お陰で思惑通りに動けましたから」
「そして直後の格闘戦、強烈な一発だったわ……。旦那様が回復魔法をかけてくれたからもう平気だけれども」
「オレはてっきりあの一撃で隙を作って終わりかと思っていた。だが、あの投げ技と言うべきか? 初めて見たぞ。一体どこで覚えたんだ?」
マーチス侯爵は恐らく一本背負いの事を言っているんだろう。興味津々といった様子で聞いてくる。
しかし、前世にあった柔道の技の一つですなんてとても言えないので僕はお茶を濁すように。
「あの時は必死でしたから、咄嗟に体が動いただけです」
「その割には随分と考えられた行動のように思えたわよ?」
「あそこで『アブソリュート』を蹴り上げたところでまだ手が空いているだろう? 下手すれば反撃を受けてしまうかもしれない。だからリイナを投げて完全に無抵抗にさせようとしたんだ」
「なるほどね。そういう意図があったのなら納得だわ。旦那様の予想は当たっていて、痛みを無視すれば魔法は行使できたもの」
やっぱりやろうと思えば出来たんだ。彼女の発言で一本背負いは正解だったんだと感じてホッとする。
「なんにせよ見事な模擬戦だった。親心という訳ではないが、客観的に考察してもリイナ有利は揺るぎなくあの場にいた誰もがリイナが勝つと思っていただろうからな」
「僕も見学者ならそう思っていたでしょう。ランクが二つも違うのは隔絶的な差がありますから」
「故にだ、アカツキ。褒章も兼ねて君に振る舞いたいものがある」
ニヤリと笑うマーチス侯爵。一体褒章ってなんだろうか?
「振る舞いたいもの、ですか」
「実は勝っても負けても慰労の為に夕食を振舞おうと思っていた。だが、君は勝った。我が家の別邸にある秘蔵の葡萄酒はどうだね? フラスルイト南部産の三十年ものだ」
「フラスルイトの葡萄酒ですか!? とても嬉しいです!」
「フラスルイトは平和惚け甚だしいが、だからこそだろう。食については人類諸国一と名高いしあの地の葡萄酒は評判がいい。アカツキの為に開けよう」
「ありがとうございます! わぁ、楽しみだなあ!」
この世界での食事情は蘇った当初は不安だったけれど、貴族に生まれ変わったのと時代水準相応に美味しいものが多く、葡萄酒いわゆるワインも美味なものが豊富だった。飲酒可能な年齢だしとたまに嗜んでいたのでこのご褒美は心躍るほど嬉しいね。
「君は勝利者だ。今日は遠慮せずに楽しんでいきなさい」
「はい、ぜひ!」
「楽しみましょうね、旦那様?」
「もちろん!」
「はははっ、微笑ましい光景だ」
その後、ヨーク家別邸に到着してからティータイムと歓談を挟んでからの夕食会ではとびっきり美味しい葡萄酒と共に楽しい時間を過ごしたのだった。
ちなみに今回初めて行ったリイナとの模擬戦。訓練場の使用都合から隔週で行うという変更があったけれど定期的にするようになった。
二回目の模擬戦はどうなったって?
慢心しなくなったリイナはえげつないくらい強くてボロ負けだったとも!
僕がリイナに勝利した事により、訓練場は大いに盛り上がっていた。まるで大会の決勝戦直後のような雰囲気だ。
その中で僕は、いつまでもリイナを地に伏せさせたままなのも良くないので声を掛けて手を差し伸べる。
「自分でやっておいて言うのもなんだけど、大丈夫?」
「まさか土壇場で、あんな手を使ってくるとは思わなかったわ……」
リイナは差し伸べられた僕の手を掴み、起き上がりながら苦笑いをする。彼女は背中から落下したのでローブが砂で汚れてしまっている。僕は届かないであろう部分の砂埃を払っていると。さらに格闘術でのダメージはしっかり受けているはずだから初級回復魔法もリイナへ唱える。初級の回復魔法程度なら治癒術専門じゃない僕でも出来るからね。
「あら、優しいのね。嫁になるのが決まっている私を全力で殴って蹴って、投げ飛ばしたのに」
「そうでもしなきゃ勝てないからだよ!? リイナだって明らかにオーバーキルの魔法を連発してたよね!?」
「ふふっ、冗談よ。私が負けた理由はA-ランク相手なら余裕で勝てると思っていた私の慢心が原因だもの。けれど、お陰で目が覚めたわ。ありがとうね、旦那様」
「ど、どういたしまして……?」
礼儀正しく頭を下げるリイナ。
まさか殴った僕が殴られた彼女に感謝されるとは思わなくて、戸惑いながら返す。
だけど、この時の僕はとある事をすっかり忘れていたんだ。
原因は模擬戦でありながら、さながら殺すか殺されるかのような展開だったから。とある事を思い出させてくれたのは見学者達の言葉だった。
「A+のリイナ少佐に、A-のアカツキ大佐が勝った……」
「負けだと思ってたが、まさか最後の最後で大逆転とはな……」
「最後にアカツキ大佐が使ってた格闘術、見たことあるか? お前そういうの詳しいから知ってるだろ?」
「いや、目にしたこともねえ……。だが、それよりもだ。アカツキ大佐は……」
「リイナ少佐を思いっきり殴ってたよな……」
「あぁ……。それも腹部を……」
「えげつねえ……。だが、リイナ少佐も同じくらいだったしなあ……」
「マーチス大将閣下がもし目撃されたら……。想像するんじゃなかった……」
「同じく……」
試合を振り返るにつれて、リイナに対して行った僕の行動に対して見学者達は色々と言い合う。
僕がリイナにした動作は覚えている。自分がした事だし。
問題はそこではない。マーチス侯爵という固有名詞で記憶が繋がったんだ……。
「マーチス侯爵……。あっ……」
「あら旦那様。今更思い出したの?」
「っべえ……」
僕はマーチス侯爵が変装してこの場にいるのを思い出し、一気に血の気が引いて顔を青くする。
まずい、まずいぞ。模擬戦中は必死でマーチス侯爵がいるのが頭から消えて、勝つことのみを考えていたから配慮もへったくも無かった。
娘に対して、腹部への本気での殴打。からの蹴り上げと一本背負い。
…………あかん。マーチス侯爵はどんな表情をしているだろう……。
僕は恐る恐る彼の方に目線を向ける。
「…………」
む、無表情だー! 無我の境地みたいにピクリとも表情筋が動いてない! 憤怒より逆に怖いよ!
どうやらそれについてはリイナも気付いたようで、冷や汗を流しながら。
「……私からも弁明するわ」
「そうしてくれると凄い心強い……。早く行かないと……」
とにかく早めに行動しないといけないと危機感を抱きながら、僕は審判役の人に礼を述べるとすぐにマーチス侯爵のもとへ向かう。
「あ、あの!」
僕は早速、事の次第を弁解しようとするけれど。
「……ここで話すのではなく、馬車に向かおか」
「……はい」
「お父様、旦那様は……!」
「リイナも、話は馬車の中だ」
「……分かりました」
歩きながら言おうとするも、マーチス侯爵は相変わらず表情をぴくりとも動かさず、あくまで馬車の中でしか話すつもりはないと言う。
戦々恐々としながら僕はリイナとマーチス侯爵の隣を歩く。
馬車に乗り込む前、マーチス侯爵は御者に王都のヨーク家屋敷に向かうよう指示する。さらに待機していた僕の乗ってきた馬車の御者にアカツキはヨーク家の馬車で移動するし帰りもこちらでする旨を伝えるよう、彼の部下に伝言を命令していた。
終わったー! 待ち受けてるのは説教ですか!? それとも、もっと酷いのですか!?
僕はまるで世界の終わりを迎えたような気持ちになる。
馬車に乗り込むと、すぐに動き出した。車内は沈黙の空気に包まれていて、とても声を出そうなだなんて気にはなれない。
果たして何が待ち受けているのだろうかとこの世界に生まれ変わって初めて怯える僕。脂汗が出てきそうだ……。
ところがだった。それまで無言を貫いていたマーチス侯爵はいきなり顔を伏せたかと思いきや。
「くっ、くくくっ。ははははっ!」
「へっ?」
急に何かを抑えきれなくなったのか笑い出したのだ。それも大笑い。
え、なにこれ。どういうことなの。マーチス侯爵は娘を殴られておかしくなってしまったの!?
目の前でこんな光景が繰り広げられるもんだから僕は困惑するし、隣に座っていたリイナは口を開けてぽかんとしていた。
「くくっ、くははっ。すまんすまん。まさかこの世の終末みたいな顔つきをされるとは思っていなくてな」
「ど、どういうことですかマーチス侯爵……」
「なに、ちょっとした悪戯心さ。オレがまるで怒ったているかのような振る舞いをしたらアカツキがどんな反応を示すか見てみたくてな。なあに、実際は全く怒ってなんざおらんよ」
「は? はいいいいいい!?」
「ええええええ?!」
茶目っ気丸出しの発言と表情のマーチス侯爵に、僕とリイナは大が幾つ付いても足りないくらい驚愕するし言葉にも出る。
え、じゃあ何、今までのは全部演技だったってことおおおおお!?
「悪戯が過ぎますよマーチス侯爵ぅぅぅ……」
「くく、くくくっ。まさかそんなに深刻に取られるとは思わなくてな。少しやり過ぎたようだ、謝るよ」
「私、本気で旦那様を庇うつもりだったのにぃぃぃ……」
マーチス侯爵は笑いをこらえながらもそう言う。対して僕は、緊張の糸が一気に途切れて座り心地の良い座席に深く深く腰かける。リイナも覚悟して擁護するつもりだったみたいで、にも関わらず実際はマーチス侯爵の悪戯だったのを知って体の力が抜けきっていた。
「幾ら模擬戦とはいえ最後は少々過激だったのは終了後に自覚してましたから、正直最低でも叱責は覚悟しておりましたよ……」
「叱責? なぜオレが君を叱らねばならんのだ?」
「父親であるマーチス侯爵の目の前で、リイナを……」
「模擬戦で、だろう? アレが日常で暴力を振るう夫の光景であるのならば首の一つくらい飛ばしてやろうかと激怒するが、互いに手を抜かずに宣言して本気でぶつかった結果だ。戦闘に遠慮無し。男だろうが女だろうが、戦争であったら関係ないだろう? 手を抜いたら命取りではないか?」
「ご最もでありますが……」
「第一だ。君は戦闘終了後にリイナを気遣って手を差し伸べてローブの砂を払い、さらには初級の回復魔法もかけていた。相手に対して十分な配慮をしていたではないか。初級回復魔法の消費量は少ないとはいえ、あれだけの激戦で魔力をかなり消費しているにも関わらずだ。現に倦怠感があるだろう?」
「え、ええまあ……」
模擬戦直後にマーチス侯爵に対しての事で頭がいっぱいだったから余裕が無かったけれど、緊張から解き放たれた今は魔力消費の弊害を実感している。
魔力というのは使い過ぎると倦怠感を抱くようになるし、体内の魔力が枯渇する魔力切れになると失神するんだ。なので魔法能力者にとっては魔力管理は必須だし、細かい数字までは分からないけど感覚で大体残りどれくらいかは自覚可能。今回の場合、僕が消費した魔力はおよそ七割強。魔力残量が三割を切ると風邪の時のような倦怠感を抱くようになってしまう。
自身も魔法能力者であるマーチス侯爵は、それを知っているからか。
「だからアカツキ、これを飲みたまえ」
「それは……、魔力回復薬ですね。ありがとうございます」
「お前はまだ余裕はあるだろうが、リイナも飲みなさい」
「ありがとう、お父様」
マーチス侯爵は軍服の内ポケットから、僕とリイナに澄んだ青色をした液体が入っているガラスの小瓶を手渡す。僕とリイナはそれを飲む。味は良くもなく悪くもなくというか、見た目の割にただの水みたいだった。
マーチス侯爵がくれたのは魔力回復薬だ。前世のゲームとかであった魔力回復アイテムみたいなものだね。
ただこれは、ゲームとかみたいに魔力がすぐに回復する便利アイテムではないんだよね。この魔力回復薬の効果は空気中の魔法粒子を体内に取り込んで自然回復を促進するもので、回復薬の純度によるけれど、上級なものでも通常に比べて五倍程度自然回復が早くなる。マーチス侯爵から貰ったのはその上等な魔力回復薬。僕の魔力なら自然回復に一日はかかるから一時間もしないうちにある程度は回復するだろう。
ちなみに魔力回復薬は国の全人口の二割が魔法能力者だけあって市販でも販売されている。下級なら四ネシアから五ネシアと、連合王国国民の月平均所得三千ネシア――一ネシアは前世日本の日本円で百円程度。だからこの国の月平均所得は三十万くらい――を考えれば手頃な価格で購入できる。上級の回復薬はその百倍くらい高いけどね。その上級回復薬をあっさり出せるのは流石侯爵家の主ってとこだね。
「それを飲めばオレの屋敷に着く頃には気だるさも取れているだろう」
「助かります。長い時間ではありませんでしたが、激戦でしたので……」
「模擬戦の様子には驚嘆させられたぞ。申し訳ないがリイナと君とでは魔力量に絶対的な格差がある。にも関わらず、物怖じせず不利を自覚した上で短期決戦に持ち込んだ。さらには、最後の格闘戦だ。魔法能力者は基本的に近接戦はしない。そこを逆手に取って、あの行動だ。賞賛に値する」
「ありがとうございますマーチス侯爵。魔法の撃ち合いでは到底リイナには勝てませんから、常識を破って近接戦に持ち込みました。しかし、正直賭けでしたよ。運が良かっただけです」
「まさかアブソリュート・ソロを回避されるとは思わなかったわ」
「ああ、白熱の試合とはまさにあの事を言うのだと感じたぞ」
「当たればおしまいのあの技が当たらなかったのは本当にラッキーでした。お陰で思惑通りに動けましたから」
「そして直後の格闘戦、強烈な一発だったわ……。旦那様が回復魔法をかけてくれたからもう平気だけれども」
「オレはてっきりあの一撃で隙を作って終わりかと思っていた。だが、あの投げ技と言うべきか? 初めて見たぞ。一体どこで覚えたんだ?」
マーチス侯爵は恐らく一本背負いの事を言っているんだろう。興味津々といった様子で聞いてくる。
しかし、前世にあった柔道の技の一つですなんてとても言えないので僕はお茶を濁すように。
「あの時は必死でしたから、咄嗟に体が動いただけです」
「その割には随分と考えられた行動のように思えたわよ?」
「あそこで『アブソリュート』を蹴り上げたところでまだ手が空いているだろう? 下手すれば反撃を受けてしまうかもしれない。だからリイナを投げて完全に無抵抗にさせようとしたんだ」
「なるほどね。そういう意図があったのなら納得だわ。旦那様の予想は当たっていて、痛みを無視すれば魔法は行使できたもの」
やっぱりやろうと思えば出来たんだ。彼女の発言で一本背負いは正解だったんだと感じてホッとする。
「なんにせよ見事な模擬戦だった。親心という訳ではないが、客観的に考察してもリイナ有利は揺るぎなくあの場にいた誰もがリイナが勝つと思っていただろうからな」
「僕も見学者ならそう思っていたでしょう。ランクが二つも違うのは隔絶的な差がありますから」
「故にだ、アカツキ。褒章も兼ねて君に振る舞いたいものがある」
ニヤリと笑うマーチス侯爵。一体褒章ってなんだろうか?
「振る舞いたいもの、ですか」
「実は勝っても負けても慰労の為に夕食を振舞おうと思っていた。だが、君は勝った。我が家の別邸にある秘蔵の葡萄酒はどうだね? フラスルイト南部産の三十年ものだ」
「フラスルイトの葡萄酒ですか!? とても嬉しいです!」
「フラスルイトは平和惚け甚だしいが、だからこそだろう。食については人類諸国一と名高いしあの地の葡萄酒は評判がいい。アカツキの為に開けよう」
「ありがとうございます! わぁ、楽しみだなあ!」
この世界での食事情は蘇った当初は不安だったけれど、貴族に生まれ変わったのと時代水準相応に美味しいものが多く、葡萄酒いわゆるワインも美味なものが豊富だった。飲酒可能な年齢だしとたまに嗜んでいたのでこのご褒美は心躍るほど嬉しいね。
「君は勝利者だ。今日は遠慮せずに楽しんでいきなさい」
「はい、ぜひ!」
「楽しみましょうね、旦那様?」
「もちろん!」
「はははっ、微笑ましい光景だ」
その後、ヨーク家別邸に到着してからティータイムと歓談を挟んでからの夕食会ではとびっきり美味しい葡萄酒と共に楽しい時間を過ごしたのだった。
ちなみに今回初めて行ったリイナとの模擬戦。訓練場の使用都合から隔週で行うという変更があったけれど定期的にするようになった。
二回目の模擬戦はどうなったって?
慢心しなくなったリイナはえげつないくらい強くてボロ負けだったとも!
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物語の序盤で悪魔を召喚させ、学園をめちゃくちゃにする。
それを主人公たちが倒し、レオスは学園を追放される。
その後領地で幽閉に近い謹慎を受けていたのだが、悪魔教に目を付けられ攫われる。
そしてその体を魔改造されて終盤のボスとして主人公に立ちふさがる。
それもヒロインの聖魔法によって倒され、彼の人生の幕は閉じる。
これが、悪役転生ってことか。
特に描写はなかったけど、こいつも怠惰で堕落した生活を送っていたに違いない。
あの肥満体だ、運動もろくにしていないだろう。
これは努力すれば眠れる才能が開花し、死亡フラグを回避できるのでは?
そう考えた俺は執事のカモールに頼み込み訓練を開始する。
偏った考えで領地を無駄に統治してる親を説得し、健全で善人な人生を歩もう。
一つ一つ努力していけば、きっと開かれる未来は輝いているに違いない。
そう思っていたんだけど、俺、弱くない?
希少属性である闇魔法に目覚めたのはよかったけど、攻撃力に乏しい。
剣術もそこそこ程度、全然達人のようにうまくならない。
おまけに俺はなにもしてないのに悪魔が召喚がされている!?
俺の前途多難な転生人生が始まったのだった。
※カクヨム、なろうでも掲載しています。
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