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第15章 戦間期編2
第15話 妖魔帝国工作員チェーホフの活動(前)
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・・15・・
1844年2の月17の日
午後6時半過ぎ
ロンドリウム協商連合北西部・ドラスゴー市
こんばんは、妖魔帝国臣民の皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
俺ことチェーホフは今、ロンドリウム協商連合北西部の街、ドラスゴーにいます。
親愛なる上司のゾリャーギ様が任務を達成してある女を連れてもう何年か経ちますが、俺はそれから皇帝陛下直々に本国へ帰られたゾリャーギ様の後継として任務を引き継いで、ロンドリウム協商連合に二十数人いる部下を纏めてせっせと諜報活動に勤しんでいます。
…………ダメだわこの語り調。どうもしっくりこねえ。やめだやめ。
てわけで、俺は敵国たる人類諸国の雄が一国ロンドリウム協商連合にいるわけで、わざわざロンドリウムから離れた北西部のドラスゴーにいるのは当然任務が理由だ。
ドラスゴーは人口二十八万の協商連合じゃまあそこそこの街。こっから東に行った先にあるエディンバリと並んで協商連合北部じゃ主要都市と評されてんだよな。
基幹産業は首都ロンドリウムや軍港のあるドゥーターと並んで造船が盛んだ。ドラスゴーにも軍港はあるしな。ま、いわゆる軍都でもあるってわけだ。
だからだろう、あの女が死を偽装するまでは協商連合の好景気を牽引していた。
だが、あの女が俺達に寝返ってから協商連合はガラリと変わっちまったようだ。
まずは政治戦争のゴタゴタで景気が一時低迷。あの女がある意味では抑えていた政争が再び勃発して纏まるもんも纏まりにくくなっちまったから、景気刺激策が思うように進んでいないらしい。
そらそうだよな。新聞じゃ連日実権を握った反対派閥達が内部分裂を起こしたり互いに足を引っ張りあって賄賂だのなんだのと呆れたザマさ。
そのせいで戦中は連合王国と同じくらいかそれに追随する程度、時期によっては連合王国を越える経済成長率があったこの国は、あの女が妖魔に鞍替えして以降は成長率が低迷してるが赤字国家だが領土を得てからは景気が良くなった法国よりも成長率が低いんだからよっぽどだ。
となると、街の様子はあんまり明るくないわけだ。
「前にこっちに来たのは四年前だけど、湿気た面が増えた気がすんなあ。あんまり顔が明るくねえ。軍縮傾向もあるからか」
ドラスゴー市中心街、いわゆる歓楽街を歩いているんだが、どうにも活気が前より無い。賑わって無いわけじゃないんだが、休日だってのに出歩く人間共が減ってるのは間違いじゃないようだ。
街の様子を観察しながら歩いていると、部下から目的の人物の一人がいると報告のあったパブに着く。
店に入ると労働者や中産階級者達が思い思いの会話をしていた。所々政治に対する愚痴が聞こえてくる。これは前よりずっと増えてるな。
適当にカウンターに座って店のマスターに注文がてら話を切り出してみた。
「おや、見ない顔だね。旅行客か?」
「そうとも。普段はロンドリウムで商いをしてるんだがな、息抜きに旅行に来たわけさ」
「そいつは景気のいい話だね」
「とんでもない。以前に比べちゃ稼げなくなってしまったよ」
「あんたんとこもか……。ウチもだよ。例の少将が死んじまってから、国の雰囲気が良くねえのなんのって。お陰で景気は悪くなるし、そこへ軍縮の話も相まって造船も調子が悪いみたいでさ。失業者こそあんまり増えていないが、例の英雄さんのいる連合王国に比べちゃ全然。数年前まではどっこいかそれ以上だってのにねえ……」
「俺は仕事でもあちこちに行くことがあるんだが、どこもそんな調子らしい。連合王国が羨ましいとか。こんな事なら反対派閥、保守党に任せるんじゃなかったとかな」
「全くだね。でも、今の政治じゃ良くならないだろうなあ。賄賂だの、権力闘争だの、オレ達庶民なんてどうでもいいと言わんばかりだからね」
「やな話だな」
「そうともさ」
パブのマスターは大きな溜息をついて首を横に振った。
マスター曰くここ一年か二年だけでも一割か二割近く客が減ったらしく、風光明媚な街を訪れる観光客も余裕のある奴が減って減少しているんだとか。
以前の高成長はなりを潜め、マイナス成長しないだけマシなんていうお世辞にも明るいとは言えない空気が蔓延してるってわけだ。
こんな調子だから、そりゃ戦争もしたくないわな。俺ら妖魔帝国からぶんどった旧東方領に投資が集中しているわけだし。いやそれはちょっと違うか。国内経済的にリソースが限られてるから成長の望めるあっちに振り分けてると言うべきかもしれねえ。
ま、この国の大体の様子はかれこれ数年滞在している俺ならよく分かる。
間違いなく、連合王国に比べれば悪いし法国よりも悪いとなればロンドリウムのプライドが傷ついているわけだ。それでも政府は身内争いしてるんだから、庶民にとっちゃ笑えねえわけさ。
マスターと幾つか話題を交わすと、俺は目的の人物に接触する為の話を切り出す。
俺の席から少し離れてカウンターの端っこに突っ伏している男についてだ。
「なあマスター。さっきからずっと俯いているアイツは大丈夫なのか……?」
「あぁ、彼か……。開店からずっといて、この時間に早々に潰れてしまったんだ」
「この時間にもう潰れてるのかよ……。なんだ、飲んだくれか?」
「お客さん、もう少し声を小さくした方がいい。聞こえたら面倒だぞ」
「おっとすまねえ」
何らかの事情があるらしくて諌められた俺は謝罪をすると、声を潜めて。
「で、どうしてまた?」
「あそこにいるのは、例の少将の側近の一人さ。確か名前が…………、ヨルン。そうだヨルンだ。軍を辞める前の階級は少佐だったはずさ」
「へぇ、少佐様が土曜とはいえこんな時間から泥酔とはな」
「いや違うよ。ほぼ毎日だ」
「毎日ぃ?」
「お客さん」
「わ、悪い……」
驚くふりをして謝る素振りもしたが、ヨルンが飲んだくれになっているのは知っている。
ヨルンと言えばあの女がリチリアで指揮していた師団の中でも最精鋭とされる第七〇一大隊の元大隊長で、かつては軍隊で腐っていたがあの女によって更生。荒くれ者の雰囲気は残しつつも部下の信任も厚く、あの女からも非常に信頼されていた。
だが、リチリアの一件以降はあの女に近しい人物だからと左遷させられた挙句召喚武器も半強制的に没収され不名誉除隊。これまでの蓄えを食い潰しながら日々街で飲んでは潰れのかつての栄光も消え無惨な有様になっていた。
ドラスゴーにいるのは反対派閥によって半ばロンドリウムを追放されたからで、ここは反対派閥の中心たる保守党の影響力が薄いから。店に来る客もコイツの素性は知っていたが事情を知っているだけに同情的な目線を送っているらしい。
簡潔に言うならば、コイツも保守党の被害者って訳だ。
「実はよ、俺はロンドリウムにいるから以前の彼を見た事があるんだよ。でも、見る影もねえな……」
「当然さ。保守党の政治家と息のかかった官僚や軍人に袋叩きにされたのだからね。歳下の同僚の、可愛がっていたレイミー少佐の末路はお客さん知ってるかい?」
「あぁ。知ってる。首吊り自殺だろ……。それも部屋の壁一面に怨念みてえな遺言残してのな……」
俺にしか聞こえない位にトーンを落としてマスターは悲しそうな顔つきで言う。
ヨルンと同じくあの女の側近的立ち位置で第七〇二大隊のレイミー少佐の末は飲んだくれがまだマシに思えるくらい酷いモンだったのは、諜報してる俺達じゃなくても庶民に至るまでよーく知ってる事実だ。
レイミーが自殺したのは年明けの頃だった。
元々中産階級出身の彼女はリチリアの一件以降ヨルンと同じくレイミーも左遷の後に不名誉除隊。一家の恥とされたこいつは家を追い出されて一人エディンバリに移り住んだ。その後の消息はかなり掴めていない。どうやらほとんど引きこもりの生活をしていたらしい。
だが、今年の年明けしたばかりの頃だ。とある用事で訪れた彼女の部下が死体を発見。既に死後から数日は経過していたんだってよ。えげつねえモンを見たんだろうな。
だが、それよりもっとやべえのは壁一面に書かれた真っ赤な書き殴りの字。
『親愛なる上官をヤツらは殺した』
『親愛なる上官を軍は殺した』
『親愛なる上官を国は殺した』
『親愛なる上官を国民は殺した』
『親愛なる上官を親愛なる上官を親愛なる上官を親愛なる上官を親愛なる上官を親愛なる上官を皆が皆が皆が皆が殺した!』
『協商連合に災いあれ! 人類諸国に災いあれ!』
『全て全てが、滅んでしまえ!』
最早呪詛の羅列を目撃した部下は大きな精神的なショックを受けて隔離病棟行きになったんだってよ。当然だよな。こんなの、俺が見たとしても鳥肌が立つからな。
こうしてレイミーは死んだ。片腕のクリス大佐はあの事件以来病院から一度も出られていない。恐らくはもう二度と普通の生活には戻れないだろう。そしてすぐそこにいるヨルン少佐は廃人にこそなっていないが、半ば道を踏み外している。
なんともまあ、憐れな話だ。
「レイミー少佐の死は彼にも伝わってね。だからあの様子なわけさ」
「なるほどね。マスターありがとう。ちょっと話しかけてくらぁ」
「ちょ、おいおい。やめとけって」
「俺だって協商連合の政治には鬱憤が溜まってんだ。彼に慰めの一つでもかけさせてくれよ」
「…………はぁ。分かったよ。だけどね、どうなったって知らないよ?」
「大丈夫大丈夫」
俺は今まで座っていた席から移り、ヨルンの隣に行く。
すると泥酔していたにも関わらず奴はすぐに反応した。軍人時代の勘は鈍ってないようだな。
「…………誰だ、おめえ」
「ここにたまたま飲みに来た客だよ。ロンドリウムで商いをしてる」
「…………商人が何の用だ。オレは見世物じゃねえぞ」
「分かってる。気分が悪いんだろう? 水でも飲みなよ」
「いらねえ。ほっといてくれ……。商人なら新聞はよく読んでんだろうからオレのこたぁ知ってるだろ……」
「知ってて声をかけたとしたら?」
「…………はぁ?」
「で、あんたの上官を少しだが知ってるとしたら?」
「おい、今なんつった?」
伏せていた顔をヨルンは起こす。頬は痩せていて、瞳は濁ってこそいたがギラギラと光っていた。
「ツレ伝いで聞いたよ。なんなら一度は会ったことある。あんたが知る事の出来なかった時期の頃だ。だから話しかけた」
「意図が読めねえ。てめえは何がしたい」
「詳しい話はここではしない。今の政治に気に入らない者の一人とだけ言っておく」
「……物好きが。だが話は聞かせろ。亡き閣下の空白期間は誰も知らねえ。知ってたとしてもタブーみてえに口を閉ざす。だから聞かせろ」
「あいよ。ここの代金は持ってやる。肩を貸してやるから来な」
「…………すまねえ」
ちょろいなコイツ。大概酒が回って思考回路が鈍ってるだろうし、何よりあの女の名前は出したら一発だった。
俺が立ち上がってマスターにこいつの分の会計も渡すと、身体を起こそうとしたヨルンはよろめくもんだから俺は支える。
くっそ、めちゃくちゃ酒クセえな。
「てわけでマスター、彼は俺が介抱しとくわ」
「お、おお。観光客なのにすまないね」
「いいってことよ。俺だって潰れた時はこうして助けてくれた奴がいるし」
「そうか。滞在がそこそこならまた来てくれ」
「あいよ」
酔っ払いを連れて俺は店を出る。
すっかり夜も深くなり、店に入る前より人の数はいくらか減っていた。
「なあ、家まで連れてけばいいか?」
「……そう、だな。ここからそう遠くないから頼むぜ……」
「あいよ」
「……すまねえな兄ちゃん。観光客ってマスターと話してたろ。こんな男運ぶなんて、色もへったくれもねえし、迷惑かけちまって」
「構わないさ。一人旅だから変更なんざいくらでも効く」
「んだよ、一人旅か。女はいねえんだな」
「うっせえ。仕事一筋なんだよ」
「くはは。そいつぁすまねえ」
ヨルンは暫くの間ほとんど誰とも会話なんてしなかったんだろう。初見の旅行客相手にペラペラと喋ってくれた。
ヨルンの家は本人の言う通り徒歩三十分程度でパブからそんなに離れてはいなかった。
こいつの自宅は一人で住むには広いくらいで、流石は元佐官だけはあるようだ。小さい庭はあんまり整えられていなかったが、家の中は意外な事にそれなりに片付いていた。いや、モノが余りないって言うべきか。
「水を持ってきたぞ」
「助かる……」
度の強い酒を開店から飲みまくってたからかソファにぶっ倒れていたヨルンに声を掛け、俺はテーブルにコップを置くと彼は一気に飲み干した。
俺は向かいにある一人がけのソファに座った。
「…………改めてここまで運んでくれたのに感謝するぜ」
「ああ。ま、酒飲みも程々にするんだな。っつても、無理な話か」
「オレは亡霊みてえなもんだ。彷徨うしかねえ。理由は聞かなくても分かんだろ」
「察しちゃいるさ」
俺はあえて多くは言わなかった。コイツは同情を欲しているわけではないだろうし、コイツから見たら俺はただの商人で旅行客でしかないからだ。
「なあ、お前は名前を何て言うんだ」
「ジェイソンだ」
「ジェイソン。お前はさっき言っていたよな。ツレが閣下に、フィリーネ少将閣下を知っていてお前も会ったことがあるって。教えてくれ。空白期間に、何があったかを」
「分かった。俺が知る限りでいいなら、事の顛末を伝える」
「頼む」
いかつい男は頭を下げた。
俺は、半分本当で半分嘘の話を始めた。
1844年2の月17の日
午後6時半過ぎ
ロンドリウム協商連合北西部・ドラスゴー市
こんばんは、妖魔帝国臣民の皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
俺ことチェーホフは今、ロンドリウム協商連合北西部の街、ドラスゴーにいます。
親愛なる上司のゾリャーギ様が任務を達成してある女を連れてもう何年か経ちますが、俺はそれから皇帝陛下直々に本国へ帰られたゾリャーギ様の後継として任務を引き継いで、ロンドリウム協商連合に二十数人いる部下を纏めてせっせと諜報活動に勤しんでいます。
…………ダメだわこの語り調。どうもしっくりこねえ。やめだやめ。
てわけで、俺は敵国たる人類諸国の雄が一国ロンドリウム協商連合にいるわけで、わざわざロンドリウムから離れた北西部のドラスゴーにいるのは当然任務が理由だ。
ドラスゴーは人口二十八万の協商連合じゃまあそこそこの街。こっから東に行った先にあるエディンバリと並んで協商連合北部じゃ主要都市と評されてんだよな。
基幹産業は首都ロンドリウムや軍港のあるドゥーターと並んで造船が盛んだ。ドラスゴーにも軍港はあるしな。ま、いわゆる軍都でもあるってわけだ。
だからだろう、あの女が死を偽装するまでは協商連合の好景気を牽引していた。
だが、あの女が俺達に寝返ってから協商連合はガラリと変わっちまったようだ。
まずは政治戦争のゴタゴタで景気が一時低迷。あの女がある意味では抑えていた政争が再び勃発して纏まるもんも纏まりにくくなっちまったから、景気刺激策が思うように進んでいないらしい。
そらそうだよな。新聞じゃ連日実権を握った反対派閥達が内部分裂を起こしたり互いに足を引っ張りあって賄賂だのなんだのと呆れたザマさ。
そのせいで戦中は連合王国と同じくらいかそれに追随する程度、時期によっては連合王国を越える経済成長率があったこの国は、あの女が妖魔に鞍替えして以降は成長率が低迷してるが赤字国家だが領土を得てからは景気が良くなった法国よりも成長率が低いんだからよっぽどだ。
となると、街の様子はあんまり明るくないわけだ。
「前にこっちに来たのは四年前だけど、湿気た面が増えた気がすんなあ。あんまり顔が明るくねえ。軍縮傾向もあるからか」
ドラスゴー市中心街、いわゆる歓楽街を歩いているんだが、どうにも活気が前より無い。賑わって無いわけじゃないんだが、休日だってのに出歩く人間共が減ってるのは間違いじゃないようだ。
街の様子を観察しながら歩いていると、部下から目的の人物の一人がいると報告のあったパブに着く。
店に入ると労働者や中産階級者達が思い思いの会話をしていた。所々政治に対する愚痴が聞こえてくる。これは前よりずっと増えてるな。
適当にカウンターに座って店のマスターに注文がてら話を切り出してみた。
「おや、見ない顔だね。旅行客か?」
「そうとも。普段はロンドリウムで商いをしてるんだがな、息抜きに旅行に来たわけさ」
「そいつは景気のいい話だね」
「とんでもない。以前に比べちゃ稼げなくなってしまったよ」
「あんたんとこもか……。ウチもだよ。例の少将が死んじまってから、国の雰囲気が良くねえのなんのって。お陰で景気は悪くなるし、そこへ軍縮の話も相まって造船も調子が悪いみたいでさ。失業者こそあんまり増えていないが、例の英雄さんのいる連合王国に比べちゃ全然。数年前まではどっこいかそれ以上だってのにねえ……」
「俺は仕事でもあちこちに行くことがあるんだが、どこもそんな調子らしい。連合王国が羨ましいとか。こんな事なら反対派閥、保守党に任せるんじゃなかったとかな」
「全くだね。でも、今の政治じゃ良くならないだろうなあ。賄賂だの、権力闘争だの、オレ達庶民なんてどうでもいいと言わんばかりだからね」
「やな話だな」
「そうともさ」
パブのマスターは大きな溜息をついて首を横に振った。
マスター曰くここ一年か二年だけでも一割か二割近く客が減ったらしく、風光明媚な街を訪れる観光客も余裕のある奴が減って減少しているんだとか。
以前の高成長はなりを潜め、マイナス成長しないだけマシなんていうお世辞にも明るいとは言えない空気が蔓延してるってわけだ。
こんな調子だから、そりゃ戦争もしたくないわな。俺ら妖魔帝国からぶんどった旧東方領に投資が集中しているわけだし。いやそれはちょっと違うか。国内経済的にリソースが限られてるから成長の望めるあっちに振り分けてると言うべきかもしれねえ。
ま、この国の大体の様子はかれこれ数年滞在している俺ならよく分かる。
間違いなく、連合王国に比べれば悪いし法国よりも悪いとなればロンドリウムのプライドが傷ついているわけだ。それでも政府は身内争いしてるんだから、庶民にとっちゃ笑えねえわけさ。
マスターと幾つか話題を交わすと、俺は目的の人物に接触する為の話を切り出す。
俺の席から少し離れてカウンターの端っこに突っ伏している男についてだ。
「なあマスター。さっきからずっと俯いているアイツは大丈夫なのか……?」
「あぁ、彼か……。開店からずっといて、この時間に早々に潰れてしまったんだ」
「この時間にもう潰れてるのかよ……。なんだ、飲んだくれか?」
「お客さん、もう少し声を小さくした方がいい。聞こえたら面倒だぞ」
「おっとすまねえ」
何らかの事情があるらしくて諌められた俺は謝罪をすると、声を潜めて。
「で、どうしてまた?」
「あそこにいるのは、例の少将の側近の一人さ。確か名前が…………、ヨルン。そうだヨルンだ。軍を辞める前の階級は少佐だったはずさ」
「へぇ、少佐様が土曜とはいえこんな時間から泥酔とはな」
「いや違うよ。ほぼ毎日だ」
「毎日ぃ?」
「お客さん」
「わ、悪い……」
驚くふりをして謝る素振りもしたが、ヨルンが飲んだくれになっているのは知っている。
ヨルンと言えばあの女がリチリアで指揮していた師団の中でも最精鋭とされる第七〇一大隊の元大隊長で、かつては軍隊で腐っていたがあの女によって更生。荒くれ者の雰囲気は残しつつも部下の信任も厚く、あの女からも非常に信頼されていた。
だが、リチリアの一件以降はあの女に近しい人物だからと左遷させられた挙句召喚武器も半強制的に没収され不名誉除隊。これまでの蓄えを食い潰しながら日々街で飲んでは潰れのかつての栄光も消え無惨な有様になっていた。
ドラスゴーにいるのは反対派閥によって半ばロンドリウムを追放されたからで、ここは反対派閥の中心たる保守党の影響力が薄いから。店に来る客もコイツの素性は知っていたが事情を知っているだけに同情的な目線を送っているらしい。
簡潔に言うならば、コイツも保守党の被害者って訳だ。
「実はよ、俺はロンドリウムにいるから以前の彼を見た事があるんだよ。でも、見る影もねえな……」
「当然さ。保守党の政治家と息のかかった官僚や軍人に袋叩きにされたのだからね。歳下の同僚の、可愛がっていたレイミー少佐の末路はお客さん知ってるかい?」
「あぁ。知ってる。首吊り自殺だろ……。それも部屋の壁一面に怨念みてえな遺言残してのな……」
俺にしか聞こえない位にトーンを落としてマスターは悲しそうな顔つきで言う。
ヨルンと同じくあの女の側近的立ち位置で第七〇二大隊のレイミー少佐の末は飲んだくれがまだマシに思えるくらい酷いモンだったのは、諜報してる俺達じゃなくても庶民に至るまでよーく知ってる事実だ。
レイミーが自殺したのは年明けの頃だった。
元々中産階級出身の彼女はリチリアの一件以降ヨルンと同じくレイミーも左遷の後に不名誉除隊。一家の恥とされたこいつは家を追い出されて一人エディンバリに移り住んだ。その後の消息はかなり掴めていない。どうやらほとんど引きこもりの生活をしていたらしい。
だが、今年の年明けしたばかりの頃だ。とある用事で訪れた彼女の部下が死体を発見。既に死後から数日は経過していたんだってよ。えげつねえモンを見たんだろうな。
だが、それよりもっとやべえのは壁一面に書かれた真っ赤な書き殴りの字。
『親愛なる上官をヤツらは殺した』
『親愛なる上官を軍は殺した』
『親愛なる上官を国は殺した』
『親愛なる上官を国民は殺した』
『親愛なる上官を親愛なる上官を親愛なる上官を親愛なる上官を親愛なる上官を親愛なる上官を皆が皆が皆が皆が殺した!』
『協商連合に災いあれ! 人類諸国に災いあれ!』
『全て全てが、滅んでしまえ!』
最早呪詛の羅列を目撃した部下は大きな精神的なショックを受けて隔離病棟行きになったんだってよ。当然だよな。こんなの、俺が見たとしても鳥肌が立つからな。
こうしてレイミーは死んだ。片腕のクリス大佐はあの事件以来病院から一度も出られていない。恐らくはもう二度と普通の生活には戻れないだろう。そしてすぐそこにいるヨルン少佐は廃人にこそなっていないが、半ば道を踏み外している。
なんともまあ、憐れな話だ。
「レイミー少佐の死は彼にも伝わってね。だからあの様子なわけさ」
「なるほどね。マスターありがとう。ちょっと話しかけてくらぁ」
「ちょ、おいおい。やめとけって」
「俺だって協商連合の政治には鬱憤が溜まってんだ。彼に慰めの一つでもかけさせてくれよ」
「…………はぁ。分かったよ。だけどね、どうなったって知らないよ?」
「大丈夫大丈夫」
俺は今まで座っていた席から移り、ヨルンの隣に行く。
すると泥酔していたにも関わらず奴はすぐに反応した。軍人時代の勘は鈍ってないようだな。
「…………誰だ、おめえ」
「ここにたまたま飲みに来た客だよ。ロンドリウムで商いをしてる」
「…………商人が何の用だ。オレは見世物じゃねえぞ」
「分かってる。気分が悪いんだろう? 水でも飲みなよ」
「いらねえ。ほっといてくれ……。商人なら新聞はよく読んでんだろうからオレのこたぁ知ってるだろ……」
「知ってて声をかけたとしたら?」
「…………はぁ?」
「で、あんたの上官を少しだが知ってるとしたら?」
「おい、今なんつった?」
伏せていた顔をヨルンは起こす。頬は痩せていて、瞳は濁ってこそいたがギラギラと光っていた。
「ツレ伝いで聞いたよ。なんなら一度は会ったことある。あんたが知る事の出来なかった時期の頃だ。だから話しかけた」
「意図が読めねえ。てめえは何がしたい」
「詳しい話はここではしない。今の政治に気に入らない者の一人とだけ言っておく」
「……物好きが。だが話は聞かせろ。亡き閣下の空白期間は誰も知らねえ。知ってたとしてもタブーみてえに口を閉ざす。だから聞かせろ」
「あいよ。ここの代金は持ってやる。肩を貸してやるから来な」
「…………すまねえ」
ちょろいなコイツ。大概酒が回って思考回路が鈍ってるだろうし、何よりあの女の名前は出したら一発だった。
俺が立ち上がってマスターにこいつの分の会計も渡すと、身体を起こそうとしたヨルンはよろめくもんだから俺は支える。
くっそ、めちゃくちゃ酒クセえな。
「てわけでマスター、彼は俺が介抱しとくわ」
「お、おお。観光客なのにすまないね」
「いいってことよ。俺だって潰れた時はこうして助けてくれた奴がいるし」
「そうか。滞在がそこそこならまた来てくれ」
「あいよ」
酔っ払いを連れて俺は店を出る。
すっかり夜も深くなり、店に入る前より人の数はいくらか減っていた。
「なあ、家まで連れてけばいいか?」
「……そう、だな。ここからそう遠くないから頼むぜ……」
「あいよ」
「……すまねえな兄ちゃん。観光客ってマスターと話してたろ。こんな男運ぶなんて、色もへったくれもねえし、迷惑かけちまって」
「構わないさ。一人旅だから変更なんざいくらでも効く」
「んだよ、一人旅か。女はいねえんだな」
「うっせえ。仕事一筋なんだよ」
「くはは。そいつぁすまねえ」
ヨルンは暫くの間ほとんど誰とも会話なんてしなかったんだろう。初見の旅行客相手にペラペラと喋ってくれた。
ヨルンの家は本人の言う通り徒歩三十分程度でパブからそんなに離れてはいなかった。
こいつの自宅は一人で住むには広いくらいで、流石は元佐官だけはあるようだ。小さい庭はあんまり整えられていなかったが、家の中は意外な事にそれなりに片付いていた。いや、モノが余りないって言うべきか。
「水を持ってきたぞ」
「助かる……」
度の強い酒を開店から飲みまくってたからかソファにぶっ倒れていたヨルンに声を掛け、俺はテーブルにコップを置くと彼は一気に飲み干した。
俺は向かいにある一人がけのソファに座った。
「…………改めてここまで運んでくれたのに感謝するぜ」
「ああ。ま、酒飲みも程々にするんだな。っつても、無理な話か」
「オレは亡霊みてえなもんだ。彷徨うしかねえ。理由は聞かなくても分かんだろ」
「察しちゃいるさ」
俺はあえて多くは言わなかった。コイツは同情を欲しているわけではないだろうし、コイツから見たら俺はただの商人で旅行客でしかないからだ。
「なあ、お前は名前を何て言うんだ」
「ジェイソンだ」
「ジェイソン。お前はさっき言っていたよな。ツレが閣下に、フィリーネ少将閣下を知っていてお前も会ったことがあるって。教えてくれ。空白期間に、何があったかを」
「分かった。俺が知る限りでいいなら、事の顛末を伝える」
「頼む」
いかつい男は頭を下げた。
俺は、半分本当で半分嘘の話を始めた。
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【第一章完結】映画の撮影中に死んだのか、開始五分で処刑されるキャラに転生してしまったけど死にたくなんてないし、原作主人公のメインヒロインになる幼馴染みも可愛いから渡したくないと冤罪を着せられる前に死亡フラグをへし折ることにします。
そこで転生特典スキルの『超越者』のお陰で色んなトラブルと悪名の原因となっていた問題を解決していくことになります。
【第二章】
原作の開始である学園への入学式当日、原作主人公との出会いから始まります。
原作とは違う流れに戸惑いながらも、大切な仲間たち(増えます)と共に沢山の困難に立ち向かい、解決していきます。
ダンジョンでオーブを拾って『』を手に入れた。代償は体で払います
とみっしぇる
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スキルなし、魔力なし、1000人に1人の劣等人。
食っていくのがギリギリの冒険者ユリナは同じ境遇の友達3人と、先輩冒険者ジュリアから率のいい仕事に誘われる。それが罠と気づいたときには、絶対絶命のピンチに陥っていた。
もうあとがない。そのとき起死回生のスキルオーブを手に入れたはずなのにオーブは無反応。『』の中には何が入るのだ。
ギリギリの状況でユリアは瀕死の仲間のために叫ぶ。
ユリナはスキルを手に入れ、ささやかな幸せを手に入れられるのだろうか。
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