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秦野まお

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神様

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目の前の少女は、私の声を聞き、そっと目を細めて笑った。

「かなちゃん」

 鈴を転がしたような可愛らしい声に、子どもなのに大人びた笑みを浮かべる姿を見て、ゆきちゃんなのだと理解する。それと同時に誰もいなかったはずの所へ突然現れたことで、さっき言われた言葉が急に現実味を帯びてきて私はおそるおそる尋ねた。

「本当に、ゆきちゃんは雪女なの……?」
「……ごめんね、かなちゃん」

 ゆきちゃんは、はっきりとは返事をしなかった。代わりに、そっと佳奈の手に触れる。
 その手は、明らかに人のものではないほど冷たかった。

 そこで初めて、ぞっとした。

 人じゃない。人ではない存在と、遊んでたのだ。

 身体が震えた。
 あの日、寝込んだ後散々叱られた。生きていたからよかったものの、あんな寒いところにずっといたら死んでいたかもしれなかったと。
 あの日私が帰ろうと言い出さなかったら、一体どうなっていたのだろう。

 すっと身体が冷えていく。私の顔を見て、はっとしたようにゆきちゃんは手を離した。それから、そっと微笑む。

「たくさん遊んでくれてありがとう。楽しかったわ」
「あ……」
「水を差すようで悪いが」

 言葉を失った私に、黒崎が温かいお茶を渡す。戸惑いながら佳奈はそれを受けとる。冷え切った手に熱が伝わる。

「これで、信じたか」
「……は」
「そのお茶を渡せばお前と雪女の縁は切れる。古典的なやり方だが、効果はあるだろう。雪女、文句はあるか」
「……ないわ」

 ゆきちゃんは、寂しげに笑いながら答える。二人のやりとりを佳奈は半ば放心しながら見ていた。一気に情報が入ってきて混乱しているのと、突然今まで知らなかった世界を見せられていて、訳がわからない。うれしさもあったはずなのにそれを上回る恐ろしさで心が塗りつぶされている感覚だった。
 ゆきちゃんが再度こちらを向く。その笑顔は、子どものはずなのにまるで子を見る親のように温かい。そっとゆきちゃんの手が私の方へとへと伸ばされ、私は身を固くした。
 伸びてきた手は、そっと私の頭を撫でた。
 
「お茶を渡して頂戴。そうしたら、おしまい。あなたを怖がらせる私はどこにもいなくなるわ」
「え……」
「ごめんなさい。あなたともう一度、遊べなくて」

「たくさんの幸せが、あなたに降るよう、祈っているわ」

 優しい笑みを、彼女は浮かべていた。
 そっとゆきちゃんは、私の手からお茶をもらおうとした。はっとして佳奈は自分の手を引く。ゆきちゃんがその目を丸く見開くのを見ながら、ぐい、とお茶を一気に飲んだ。

「……っ、あっつー!」
「何してんだ、火傷するぞ⁉ というか、雪女に渡すための茶を飲み干すな!」
「ゆきちゃん!」
 
 黒崎の呆れた様な声を聞きながら、私はお茶の熱さで僅かに涙目になった瞳を、真っ直ぐと彼女へ向けた。ゆきちゃんは、と言えば、呆けたような顔をしていた。
 
「友達になってくれてありがとう!」

 叫ぶように私は言った。
 先ほどまでは、恐ろしいしか思わなかった。もしかしたら死んでいたかもしれないという思いと、人じゃないものを初めて見た恐怖で、埋め尽くされていた。
 だけど、ゆきちゃんはそんな目を向けられても、私の幸せを祈ってくれたのだ。
 人じゃないのがなんだというのだろう。ひとりぼっちだった私に優しくしてくれた最初の存在なのだ。

 ずっと、会いたかった。

「ゆきちゃんのおかげで私、変われたの! あの日ゆきちゃんと遊べてよかった!」
「かなちゃん……」
「あと、約束、破ってごめん!」

 言い切って、それからすう、と大きく息を吸った。すがすがしい気分だった。
 目の前のゆきちゃんは、目線を泳がせていた。それから意を決したように口を開く。

「かなちゃん、あのね――」
「お前は約束、破ってないぞ」

 黒崎の低い声が、その言葉を遮った。

「会っていたが、お前には見えなかっただけだ。いくら人間らしくてもこいつらは怪異だからな。約束を破っていれば、容赦ない罰がある」
「罰……」
「あぁ。昔話や伝承は大概そうだろう。約束を守れば、褒美があって、破れば罰だ」

 ただ、と黒崎は続ける。

「今回ばかりは中途半端な叶え方になったせいで、良くも悪くもお前と雪女の縁は切れなかった。それを、あるべき形に戻さなきゃならない」

 ほら、ともう一度温かなお茶を渡された。佳奈はそれを手に持つ。そしてぽつりと呟いた。

「本当に、縁を切らなきゃいけないんですか……?」
「……あぁ。人と怪異は深く関わるべきじゃない。今回はラッキーだっただけだ。お前が約束を破っていれば、命を取られていてもおかしくなかった」

 雪女とは、そう言う怪異だ。
 黒崎の言葉を聞きながら、私はちらりとゆきちゃんの方を見た。

 彼女は、能面のような笑みを浮かべていた。

 その姿に再びぞっとし、それから深く息を吐く。黒崎の言葉は多分正しいのだろう。

「ゆきちゃん」
「なぁに」

 そっと、温かいお茶を差し出す。

「ありがとう」
「かなちゃん」

 そして、彼女はそれを受け取った。

「バイバイ」

 次の瞬間だった。
 室内なのに何故か強い風が吹いた。思わずぎゅっと目を閉じる。
 目を開けたときには、ゆきちゃんはもう消えていた。

「あ……」
「これで終わり、だな」
「よかったねぇ、会えて」
「はい。ありがとうございました。黒崎さん、しろさき、さ……」

 二人にお礼をしようとして、私は言葉を詰まらせた。何度か目を擦る。

「あ、れ?」
「どうかしたのか」

 黒崎が怪訝そうに佳奈を見る。

「なんか白崎さんにしっぽ? 白いしっぽみたいなものが、見えるんですけど……」
「は……」
「あららぁ、見えるようになっちゃったかぁ」

 息を吞んだような表情をする黒崎に対して、白崎は相変わらずのんびりとした様子だった。ずい、と黒崎が身を乗り出す。

「お前、見えてるのか?」
「へ?」
「シロの姿だ! 蛇の!」
「やっぱり血かなぁ。おばあちゃんが拝み屋って言ってたもんねぇ」
「拝み屋⁉ シロ! なんでそう言う大事なことを言わないんだ!」
「ごめんってぇ」

 黒崎が白崎の胸ぐらを掴みながらゆさゆさ揺する。知っていたら許可出さなかったのに! と黒崎は怒っているが、まったく響いていないようだった。

「どうするんだよ⁉ 俺は誰かの人生の責任まではとれないぞ!」
「あ、あのお」
「あ⁉」

 おそるおそる声をかけた私に、黒崎のぎろりとした視線が向けられた。状況もよくわからないまま、私は尋ねる。

「白崎さんって、一体」
「あのねぇ、僕、神様なの」
「は?」

 助けを求めるように私は黒崎の方を見た。彼はふーっ、と怒りをしずめるように息を吐くと言った。

「……今こいつが言ったとおりだ。シロはうちの御祭神の白蛇が人の形をとった姿。つまりこいつも怪異だ」
「えっ……えー⁉」
「それで、だ!」

 驚く私を遮るように、黒崎は大きな声で続ける。

「こいつの力を借りてお前でも雪女が見えるようにした結果、どうやら、怪異が見えるようにしてしまったらしい」
「えぇ」
「すまない。主に悪いのはこいつだが」
「痛い痛い! 耳引っ張らないでよぉ」

 ぎろりと黒崎は白崎を睨む。それからはぁ、と深く溜息をついた。

「それが一過性のものかは俺にはわからん。だが、きっと不都合もあるだろう。だから一応名刺を渡しておく。何かあったらここに連絡しろ。力になれるかもしれん。ここの社務所に来てもいい」
「あ、はい……」

 差し出された名刺には、シンプルに名前と、この神社の住所のようなものが書いてあった。そして怪異専門探偵、と書いてある。

「怪異専門探偵……」
「一応、な。じゃあ今日はもう営業終了だから。ほらほら、早くお前ら出ろ」
「えっ⁉」

 黒崎の勢いに押されるように私も白崎も社務所を出る。プレハブ小屋のような小さな社務所の戸締まりを黒崎はあっという間に済ませると、じゃあなといいながら石段を下っていく。

「まってよぉ、しょうちゃーん! じゃあまたね、佳奈ちゃん!」
「えっ、あ、はい!」

 そして、日の傾き始めた神社には、佳奈が一人、取り残された。
 
「えー……」

 なんだか、あっという間の出来事で頭が追いついていないような気がする。だが手の中には確かに名刺があって、そこには彼の名前がある。
 
 夢じゃない。

「帰ろうか」

 なんだかすがすがしい気分で、私は石段を降りていった。
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