大和―YAMATO― 第二部

良治堂 馬琴

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第157章『召喚』

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第157章『召喚』

 窓の外から聞こえて来るのは虫の声、旧営舎の時と違って今は一階角部屋、今迄よりも地面はずっと近く、直ぐ近くの茂みから聞こえて来る鈴の様な羽音が耳に心地良い。
「……虫が多いよ……そして意外と寒いよこの時期でも……」
 窓の外で美しい音色を奏でてくれる分には構わないのだが、窓から侵入されてあちこち刺されて血を吸われるのは勘弁だ、タカコはそんな事を思いつつ蚊の気配を感じた己の手の甲をぱちんと叩き、これでは何時になっても眠れやしないと零しつつ起き上がり、靴を履いて外へと出た。
 仮設営舎は旧営舎と違って自室を出れば直ぐに屋外、上には二階部分の通路が有るから雨が降っても横殴りでない限り直撃は受けないが、それでも外気と自分を遮る物は何も無いから段々と熱と湿気を失い始めた夜の空気が肌へと触れ、思いの外冷たいそれに思わず身体を小さく震わせる。
 ポケットから煙草を取り出して火を点け、夜空へと向けて煙を吐き出しながら歩き出し、向かったのは本部一号棟の中に在る敦賀の執務室。未だ自室へは戻って来ていない様子だし仕事が溜まっているのだろう、眠れないし手伝ってやるかと辿り着いた部屋の扉を数度叩いて中へと入れば、やはりそこでは敦賀が自分の机でペンを手に書類と睨み合っていた。
「……どうした、こんな時間に」
「いやぁ、眠れなくてさ、書類の仕分け程度なら手伝えるから、どうだ?」
「……心的なもんじゃなくて蚊に食われまくって眠れねぇんだろうが……自業自得だ」
 若干呆れを含んだ言葉と面持ちの敦賀、タカコはそんな彼に曖昧に、誤魔化す様に笑い掛け、彼が差し出して来た書類の束を受け取ろうと机へと歩み寄る。
「こんなに溜まってるんなら私に言えば良かっただろうが、担当の仕事なんか無ぇんだし、言われれば普通にやったのに」
「いや……仕事しながらでも一人で色々考えたい事も有ったんでな」
「へー、下士官の癖に頭使う事も有るんだ」
「……ブン殴られてぇのかてめぇは」
 軽口を叩きながら書類を受け取り、自分へと向けて伸ばされて来た敦賀の腕をひらりと躱して応接セットのソファへと腰を下ろした。書類の束の厚さは十五cm程、随分と溜め込んだものだと思いつつ仕分けを始め、三分の一程片付けた頃だろうか、先程から物音がしなくなった上に視線を感じると顔を上げてみれば、ペンを持つ手を止めてじっとこちらを見詰めている敦賀と視線がかち合う。
「……何、何見詰めてんの、手が止まってるぞ」
「……てめぇを見てた」
「それは分かってる、何で見てるのか聞いてるんだが」
「見てちゃいけねぇのか」
「いけなかねぇがよ……何、旧営舎爆破したの怒ってんの?それとも自室の窓硝子ブチ破った事?」
「驚きはしたが怒ってはいねぇよ、てめぇや周囲の命を危険に晒す様な無茶でもしねぇ限りな。てめぇが色々とやらかすのにはもう慣れた」
「……じゃあ何なのさ、一体」
 タカコのその問い掛けに敦賀は答えず、変わらずにタカコをじっと見詰めたまま。一体何がしたいのかと訝しむタカコに何を言うでもなく立ち上がり、応接セットの方へと歩いて来て彼女の隣へと腰を下ろす。
「……分かんねぇ事だらけなんだよ、てめぇは」
 その言葉と共に手にしていた書類の束を取り上げられ、ソファへとそっと押し倒された。見上げればそこには段々と近くなる敦賀の顔、こんなところで何をする気だと両腕に力を込めて胸板を押し返そうとするがそれは簡単に敦賀に往なされ、手首を掴まれて頭の両脇でソファへと縫い付けられる。
「へらへらしてるかと思えばとんでもなく鋭いツラしやがったり、ヴィンスとケインみてぇな部下がいる指揮官かと思えば洒落になんねぇ悪戯しやがったり、予想がつかねぇんだよ、てめぇは」
「それは分かったけど、この体勢――」
「――てめぇの事をもっと知りたいと思われるのは、嫌か?」
 触れ合い、そして離れた敦賀の唇から零れ出た言葉に、どう反応すれば良いのか分からず固まるタカコ。敦賀は彼女のそんな心持ちと挙動を知ってか知らずか、今度は深く口付け、舌がタカコの唇と歯列を割り、ゆっくりと口腔内へと侵入して来た。場所を考えろと身を捩っても下半身はいつの間にか彼の脚で封じ込められ、上半身は厚い胸板と二本の腕に押さえ込まれ自由は無い。
「苦手なものは地震!」
 唇が離れた隙に何とか気を逸らそうと口を開いてみれば、敦賀はほんの一瞬動きを止めたものの直ぐに今度は頬へと口付け、
「知ってる」
 と、短くそう言った。
「あ!卵焼きは甘めの出汁巻き派!」
「知ってる」
「納豆は出汁醤油で薬味は刻んだ葱!」
「それも知ってる」
「煎餅とかおかきは塩とか醤油よりも砂糖醤油派!」
「それも知ってる」
「鮭は皮迄食べる派!」
「それも知ってる……食い物の話ばっかりか、てめぇは」
「うー……年齢は三十三で身長は百六十cm、体重は――」
「……年齢と身長は知ってるが、体重は知らねぇな、そういや。何キロなんだ?」
「……女に体重聞くとか無いわ!」
「てめぇが言いかけたんだろうが、オラ、吐け」
「ぜってぇ言わねぇ」
「言っただろうがよ、もっと知りてぇって……教えろよ」
 その言葉と共に敦賀の双眸が僅かに細められるのを見て、
(あ……笑った……)
 と、そう思うと同時にタカコは自分の胸が一つ大きな鼓動を打ち、顔が熱くなるのを自覚する。滅多に見る事の無い敦賀の『笑顔』、目を細めるだけの彼のこの仕草が笑顔なのだと、そう気付いている人間が自分以外にいるかどうかは分からない。もしかしたら自分しか気付いていないのかも知れないと最初にそう思った時に感じた妙な優越感、少しずつ大きくなっているそれは、今では何とも言えない胸の高鳴りを伴っている。
「教えねぇならここで食っちまうぞ、もうこんな時間だ、誰も来ねぇだろうしな」
 その言葉と共に今度は首筋へと落とされる口付け、緩く吸い上げられる感触に小さく喉の奥で啼けば、次の瞬間何の前触れも無く扉が開かれ、その向こうから高根が姿を現した。
「おい、ちょっと厄介な――、って……何やってんだお前等」
 敦賀を弾き飛ばす様にして起き上がれば、高根から向けられるのは呆れきったとでも言いた気な眼差し、私は悪くない、敦賀がいきなりと言い募るタカコに歩み寄り彼女の頭を軽く数度叩いた高根は、身体を起こした敦賀の向かい側へと腰を下ろす。
「執務室で何盛ってやがると説教してぇところだが、それどころじゃなくなって来たんでな」
「……何が有った」
「タカコも座れ、お前も関係有るっつーか、お前が当事者だ」
「は?私?」
 高根の眼差しが口調よりも随分と鋭い、何か拙い事でも有ったのかと敦賀の隣へとタカコが腰を下ろせば、二人を交互に見た高根がゆっくりと口を開いた。
「……統幕から召喚された……『清水多佳子という人物を統幕自ら確かめたい』だそうだ」
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