犬と子猫

良治堂 馬琴

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第83章『幕切れ』

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第83章『幕切れ』

 もうどれだけの時間が経ったのか、時間の経過と共に周囲の言葉は少なくなり、今では皆俯いたまま言葉を交わそうともしていない。漂うのはぴりぴりと張り詰めた空気と糞尿の臭いだけ、一体後どれだけこの苦痛が続くのか、高根はそんな事を考えながら舌を打ち、俯いたまま視線だけを上へとやれば、同じ様にしていた副長と目が合い小さく頷き合う。
 今が何時なのかは分からないが、体感的には恐らくは夜になっているだろう、先程から無線での連絡が活発化しているし振動や銃声も微かではあるが伝わって来ているから、恐らくは奪還の為の部隊が行動を開始している筈だ。後少しすればその部隊、恐らくはタカコ達がここに突入して来るのかも知れない、どんな形で何処からやって来るのか、と、そこ迄考えた時、ふと、何とも言い表し様の無い奇妙な感覚が高根の身体を包み込む。
 一体何が、そう思いながらやはり視線だけを上に向けてみれば、目に入ったのは壁に開いた通気口。網目の蓋の被せられたそれを目にした瞬間、高根は自分の感じた感覚の答えへと辿り着く。
(……『来る』……!!)
 そう直感したのと室内の電気が消え暗闇に包まれたのはほぼ同時。突然の暗転に人質達だけでなく敵からも小さな声が上がる中、四方と上方から何かを壊す様なそんな金属音が聞こえて来て、直後、
「ごろんして!!」
 という、何とも緊迫しきった場にはそぐわない大和語が女性の声で闇の中に響き渡った。タカコだ、そう思いながら言葉に従い身体を床へと伏せさせれば、周囲の人質達にも意味は伝わったのか同じ様に動く気配が伝わって来て、直後、非常用へと切り替わったのか室内が再び光で満たされる。
 それと同時に響き渡る銃声、流れ弾に当たったら洒落にならないと身体を極限迄屈めれば、タカコ達の放った銃弾は的確に敵だけを貫いているのか床に伏せた誰からも叫びが上がる事は無く、自分達の身体の上から呻き声や叫び、そして小銃を上へと向けて乱射する激しい銃声が降って来た。
 決して楽な状況ではない事は人質となった高根にも最初から分かっていた、自分達大和人にこういった事への対処の経験が殆ど無い上に、現在指揮を執っているのは自分や黒川の腹心である小此木や横山であろう事を考慮に入れれば、タカコが現場指揮官として乗り込んで来る事はほぼ確定ですらあった。しかし、彼女にどれだけの力量が有ったとしても一人の犠牲も出さずとはいっていないだろう、恐らくは教導隊に選抜された海兵を中心として組織された救出部隊、その中の一人や二人は既に戦死しているのかもしれない。それでも尚彼女は、そして彼等はここへと到達した、そして今まさに敵を制圧しようと急襲をかけている真っ最中だ。
 来てくれて有り難う、よくやってくれた、この先はせめて俺達には弾は当てないでくれと更に身体を屈め頭を両腕で庇う中、人が一人二人と床へ倒れる音と振動が凄まじい銃声に混じり伝わって来る。そして、やがて室内には静けさと硝煙と血の匂いだけが漂うのみとなった。
「人数確認しろ!顔もだぞ!!紛れてないとも限らん!!」
 静まり返った室内に突如響き渡るタカコの怒声、それに応えて四方から声が上がり、通気口から人が室内へと出て床へと飛び降りる気配と音が伝わって来る。
「顔上げて!」
 やがて走り寄って来た気配にそう言われ、高根が頭を抱えていた手を解き顔を上げてみれば、そこに在ったのは目出し帽を被った男が身に付けた、見慣れた海兵隊の戦闘服、体格と目出し帽から覗く双眸にジュリアーニだと思い至り、助かった、と、身体から力が抜けて行く。
「まだ暫くはこの部屋に、正面口から敷地の外迄の動線が確保出来次第移動します!」
 天井に開けた穴、そこから飛び降りて来たタカコがそう言いながら高根達の方へと近寄って来る。手にしているのは拳銃のみ、周りに転がった死体を見てみれば弾が貫通した様子は殆ど無く、人質の安全を少しでも高める為に殺傷力が低く有効範囲も狭い拳銃に切り替え、更に念を入れて弾頭も貫通せずに潰れて体内に残留し易い、軟金属製のものを選定した事が窺えた。ここの中央制御室への突入迄もそうだったのだろうが、制圧よりも救出を優先させ自分達の身を危険に曝す事になった事は明らかなその決定に、本来なら何の関係も無いワシントン勢にここ迄してもらえるとは感謝してもしきれないな、そんな事を思いつつ高根はまた一つ大きく息を吐く。
「負傷者の救護急げ!!他は警戒に当たれ、ここへ突入出来たに過ぎん、脱出する迄に敵の増援が来ないとも限らんぞ!」
「了解です!!」
 タカコ達が細心の注意を払ったとは言ってもやはり混乱は如何ともし難く、敵が放った銃弾が壁や天井に当たりその跳弾に被弾した者、敵が倒れつつも引き金から完全に指が離れなかった所為でそれで被弾した者、そんな負傷者はやはり数名程は出てしまっている。ジュリアーニとマクギャレットがその彼等の応急処置に取り掛かるのを見つつ、横にいた筈の副長はどうしたかとそちらを見てみれば、そこに在った視線の鋭さに、高根は内心、しまった、と、そこで漸く思い至った。
 副長の真っ直ぐで鋭い視線が向けられているのはタカコ、目出し帽を被っていて顔は分からないとは言えど、小柄な体格と戦闘服を脱ぎ捨てた上半身の曲線で直ぐに女性だという事は察しが付く。その上、彼女は副長とは何度か言葉を交わしており、声を聞けば直ぐに彼女だという事は分かるだろう。
 任官からそう長い年月は経っていないという設定の彼女が小隊長の任に就き部隊を率いるという事自体おかしいのだ、どんな地位にいようがどんな職種に就いていようが、軍人ならその事について違和感を覚えない筈が無い。状況的にしょうがなかったとは言え何とも拙い雲行きになって来た、恐らくは完全に解放され事態が落ち着いた時には必ずこの事について副長から突っ込まれるだろう。その時にどう言い繕ったものか、と、高根が内心で舌を打ち吐き捨てれば、それに気付いているのかいないのか、職員達の様子を見ていたタカコがこちらへとやって来る。
「外部の安全が確認される迄、もう暫くの御辛抱を願います。指揮所との連絡に使われていた電話で、我々が中央制御室へ突入し制圧した事は既に指揮所に伝えました。柵の外ももう動き始めている筈です、もう少しだけこのままで」
 そう言うタカコの佇まいは実に堂々としたもので、長時間の拘束と精神的苦痛に疲弊しきっている中央の面々は、副長以外は誰もタカコについて違和感を感じる事も無く、中にはほっとした様な面持ちを浮かべた後に涙ぐむ者までいる。命の危険を常に感じ続けていた事を考えればそちらの方が自然であり、副長もそうであってくれれば良かったのに、そう思わずにはいられなかった。
 と、そこで思い出したのは以前ウォーレンが持っていた写真の中で見、そして今回自分達の目の前に現れて黒川を連れ去って行った男の事。そうだ、自分達だけではない、黒川も救出してもらわねば、そう思った高根が顔を上げたのと、黒川がいない事に気が付いたのか目出し帽から覗くタカコの眉間が険しくなったのとはほぼ同時だった。
「真吾、タツさんがいない。どうしたんだ、何処に行った?」
「連れて行かれた、何処にいるかは俺等にも分からん。制御棟の中の別室じゃないかとは思うんだが」
 近寄って来て膝を突き、怪我が無いかを確かめる素振りをしながらタカコが小声で話し掛けて来る。副長の目が有る状況でこれ以上不自然な接触は持たない方が良いのだが、かと言って大声で話せる事でもなく、とにかくタカコをここから離れさせよう、高根はそう考えながら、ゆっくり、そして静かに口を開き、自分が見たものを彼女へと告げた。
「以前お前が浜口に刺された時の事情聴取、あの時にウォーレンを同席させていた。その時にウォーレンが財布の中から写真を出して浜口に見せて、お前達の部隊の集合写真だ。その写真の中で、お前を抱き締めてた男が浜口へと接触して唆したと、そう証言した」
 それを聞いた途端にタカコの双眸に浮かんだのは激しい怒りと殺気、やはりそうそう触れない方が良かった事なのだろう、しかし今はそんな事に配慮している場合ではないと高根はタカコには構わずに言葉を続ける。
「その男が敵の指揮官だ、俺達をここに拘束して、何を考えての事かは分からんが龍興を――」
 高根がそこ迄言った瞬間、タカコの身体は彼の目の前から消えていた。弾かれる様にして顔を上げれば、目に入ったのは廊下へと続く扉へと向かって走り出すタカコの小さな背中。
「おい!何処に――」
「小隊長!?」
「ここから動くな!!手当てが済んだら守りを固めてろ!!人質はここだけじゃない!!点検部隊の応援に行って来る!」
 高根や部下達の言葉に振り返る事も無くそう叫んで扉を開け出て行ったタカコ、彼女の部下達も作戦状況下の命令とあってはそれに逆らって追う事も出来ず、言葉の通りに彼女が開け放って行った扉を閉め、弾薬の補充や負傷者の手当てや警戒へと戻って行く。
 今迄に見た事が無い程に激しい怒りと殺気、そして、憎悪。
 もしかしたら、自分は取り返しのつかない事をしてしまった、言ってしまったのかも知れない、高根の脳裏にはその事だけが渦巻いていた。
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