大和―YAMATO― 第一部

良治堂 馬琴

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第7章『納豆と国際条約』

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第7章『納豆と国際条約』

「ナットーが食べてみたい」
「……それはアレか、てめぇが本国に戻った暁には『腐った豆を食わされて人道に反する扱いを受けた』とかほざいて、俺をジュネーヴ条約違反で訴えるとかそういう目論見か」
「……チッ」
「……待て、今てめぇ舌打ちしなかったか?」
「えー、気の所為気の所為……って、知ってるのか、ジュネーヴ条約」
 出会いから三週間程経った日の朝、場所は海兵隊前線部隊営舎の食堂。朝食の内容は焼き魚に味噌汁に麦飯、代わり映えのしない内容に溜息を吐いたタカコが突然納豆を食べてみたいと言い出した。
 大和人でも好き嫌いが激しい食物なのに外国人が受け付ける物ではないだろう、そんな事を思いつつ当てずっぽうで言ってみれば、図星だったのか舌打ちをするタカコ、それを指摘してやれば、返って来たのは別方向への反応だった。
「……大和も日本から何も受け継げなかったわけじゃねぇ、ワシントンとやらに比べれば貧弱で系統だってもいねぇがそれなりに史料は残されてたそうだ。今の大和の文化はその史料群と生き残った人間が継承し続けた知識で成り立ってる……その中に納豆もジュネーヴ条約も有ったそうだ。大和軍の軍規はジュネーヴ条約ハーグ陸戦条約、他の国際法、旧軍の服務規程やらを参考にして作られたそうだ、大和の黎明期には他民族との紛争も有ったそうでな……その時に参考にされたらしい」
「へぇ……刀持って戦ってるからてっきり殆ど失ったのかと……でも、だいぶ歪な配分で残ったっぽいな」
「……それは否定しねぇな」
「銃は無いのか」
「……無ぇ事は無ぇが……活骸との戦いの役には立たねぇな。ワシントンには銃は有るのか」
「概念知ってるんだから有るだろ常識的に考えて……焼失してなけりゃ装備としてしこたま積み込んでるよ。目録作ってんだろ、見てみな」
「……そんな物持って何処に何しに行く途中だったんだ」
 敦賀のその問い掛けに対する返事は相変わらず無く、タカコは箸を手に取り焼き魚を啄き始める。
「……汚ぇ食い方だな、相変わらず」
「うるせぇ、箸使い始めてからたったの二十日程度だぞ、だいたいこんな棒切れ二本で物が食えるか」
「大和文化馬鹿にしてんのかてめぇ」
「大和人は器用だって褒めてやってんだろうがクソが」
「……てめぇも人種的には大和系だろうが」
 箸の扱いには慣れていないのか不器用に魚を解すタカコ、身を一定量箸で摘んで持ち上げて口に持って行くという動作がどうにも出来ないのか、解すだけ解して麦飯の上に乗せて掻き込むのが彼女の食べ方だ。
「んな汚ぇ食い方目の前でされると食欲が失せるんだよ、周りは全員箸使ってんだからそれ見て学習しやがれ馬鹿が」
 それに対しての返答も無く変わらずに魚の身を解し続けるタカコ、敦賀はそんな彼女の様子を見て溜息を吐き、自らの朝食へと手を伸ばした。
 彼女を捕虜としてから三週間、怪我が快方に向かうに従ってはっきりとして来た彼女の気の強さと頑固さ、この朝食の事に限らず時と場所を問わずに散見される様になって来ている。
 敵国を持たず、国家間での戦争の経験の無い敦賀自身は実際のところを知らないが、捕虜というものはもう少し弱いものだと思っていた、だからこそ保護が必要なのだと。それがどうだろう、彼女からはそんな弱さを感じる事は全く無く、そして、彼女自身の中に存在する理屈や合理性と反するとなればどんな命令をしても絶対に従わない、未だに任務の内容について話そうとしないのも同じ理屈なのだろう。
 捕虜とはもっと弱く、収容国の顔色機嫌を伺うものなのだとばかり思っていた敦賀にとっては、彼女の振る舞いは不愉快や怒りを通り越して驚愕ですらあり、それを目の当たりにして内心愕然とするのも日常となりつつあった。
 食事を終えて立ち上がれば、先に食べ終えて茶を啜っていたタカコがそれに素直に従う。こういった場で意味も無く反抗する様な事は無いのだが、何の拍子か始まった口の悪さ全開の彼女との言い合いに、遂に敦賀の堪忍袋の緒が切れる事となる。
「……おいクソ女、俺はな、大和海兵隊最先任上級曹長だ。二千五百名からなる大和海兵隊で一番のベテランって事だ、分かるか?階級が俺より上の奴は大勢いるがな、海兵隊最先任ってのは階級には現れねぇ重みが有るんだよ、ちったぁそれを尊重しようって気は無ぇのかこのど阿呆が」
 怒りを口調にも全身にも滲ませてそう言えば、一瞬きょとんとしたタカコは直後に敦賀を見て鼻で笑い、
「いやいやいや、私関係無いし。大和海兵隊の人間じゃないしそもそも大和軍の人間でもないしそれ以前に大和人じゃないし」
 そうあっさりと言って退けた。
「……てめぇに良い事を教えてやるクソ女、ハーグ陸戦条約第二章第八条、俘虜はそれを捕らえた国の陸軍現行法律、規則、命令に服従すべきものとする。不服従の場合、必要なる厳重手段を施すことができる、だ。捕虜になったってんなら敬意を払って敬礼の一つでもしてみたらどうだ、大和式の敬礼だぞ、てめぇのは肘を横に張り過ぎだ」
「ほほぅ、『知識の引き出しが無駄に多い馬鹿』の異名を持つ私に知識披露か木偶の坊。だったら私も教えてやる、同法第二章第四条、俘虜は敵の政府の権内に属し、これを捕らえた個人、部隊に属するものではない。俘虜は人道をもって取り扱うこと。次にジュネーヴ第三条約第六章第三十九条、捕虜は、抑留国のすべての将校に対し、敬礼をし、及び自国の軍隊で適用する規則に定める敬意の表示をしなければならない。分かるか?収容国の流儀に合わせる必要は無ぇんだよ、するならするで自国式の敬礼で当然だクソが、しかもてめぇは下士官だろうが阿呆。それにな、私は確かに大和の捕虜にはなったがそれを好きにする権利はてめぇにも海兵隊にも無ぇぞ、ゴボウとか言う木の根食わせたり収容国の敬礼を強制して戦後裁判になった判例有るの知ってるか?」
「あ?牛蒡馬鹿にしてんのか。あれは木の根じゃねぇ、野菜だ野菜」
 最早何について言い争いをしているのかは当人達にも既に分からなくなっているであろう不毛な争い、日常となりつつあるその様子を、執務室の窓から見下ろして肩を揺らすのは海兵隊の頂点、総司令である高根。
「馬鹿だねぇ、あいつ等。日本もアメリカも滅んだ今どっちも批准国じゃねぇし、そもそも敵国同士でもねぇってのにハーグもジュネーヴも有るかよ……ま、あれが口から出るって事は普段から意識してるって事なんだろうけどよ」
 夫々が違う、そして確固たる哲学を持っている。その上で失われた時代のものとは言え同じ精神を受け継いでいるのであれば、もう少しは歩み寄っても良さそうなものだがそう上手くもいかないものらしい、そんな事を考えつつ、高根はまた肩を揺らし、笑った。
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